これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

05/08
2023

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「ガリガリ君ソーダ」が、約20年ぶりにリニューアル。 赤城乳業の「遊び心」は次のステージへ!

「シン・ガリガリ君ソーダ」を食べてみた。
いや、“シン”ではなく新“ガリガリ君ソーダ”を食べてみた。
“こだわり抜いた、氷の粒。”と敢えて袋に書かれているように
こだわりの食感だろうゴロっとした氷の粒が入っている。
ぎゅっと氷の粒が詰まっていて、しっかりした食べ応えを感じたわけだ。

国民的アイスともいえる、赤城乳業の「ガリガリ君」。
その定番品である“ガリガリ君ソーダ”が、
中身もパッケージも含め約20年ぶりにリニューアルした。
(今回、新聞で知ったわけだが、あるアイスの1商品がリニューアルしただけで
約半ページも取り紹介されるとは、さすが国民的アイス!)

コーンポタージュやナポリタンなど、斬新な味を出し続け
注目されてきたガリガリくんがなぜ今、定番味の刷新に踏み切ったのか?!
赤城乳業の売り上げも順調に伸びていたのにだ?!

2022年6月に“ガリガリ君”の消費者調査を実施した結果だが…
→夏の仕事終わり、お風呂上がりのクールダウンやリフレッシュに最適!
→キャラクターが目立ち、商品が分かりやすい!
→いろんな味があって楽しめる!
といい声もたくさんいただいていたのだが、
残念なことに“こだわりの素材・製法を理解して購入している”
という意見が少ないことも分かったという。
そこで今回はガリガリ君のアイスキャンディーとしてのこだわりを伝えるべく、
アイス自身とパッケージのリニューアルに踏み切ったという。
(素晴らしい!)

先日あるコンビニのオーナー(80歳)が、
夏の学童保育の子ども達の暑中見舞いには、
必ずガリガリ君を持っていくという。
子どもたちはいつも、そのオーナーが夏にやってくることを楽しみにしていて
“ガリガリ君のオジさん”と呼んでいるという。
そのくらいポピュラーであり、人気の定番アイス。
たかが“ガリガリ君”、されど“ガリガリ君である。

すべてが加速する時代のビジネスにおいては、
たとえ数字上は右肩上がりだとしても、現状に満足することなく、
自分達での改善であり、次なるチャレンジが必要ということ。
これぞ“ガリガリ君”ブランディングである。
このチャレンジであり“遊び心”こそが、
赤城乳業のパーパスということなのだろう。

ここでホームページにCONPANY(会社案内)とタイトルされ、
アイスキャンディーの絵の中に書かれていた文章を紹介すると…

『こどもがよろこぶ「夢」いっぱ いのアイスを。
という赤城乳業 の願いから生まれた「ガリガリ君」。
あのガリガリという食感も。
アイスの鮮やかな水色も。ドキドキする当り付きも。
50円という価格設定(当時)も。
そして、おなじみの元気なキャラクターも。
開発当初から何よりもたいせつにしてきたこと。
それは「遊び心」でした。
さあこれからもみんなでもっともっと
遊びをたいせつに考える赤城乳業を目指しましょ。
商品を考え出す時も、つくる時も、 お届けする時も。
もっともっと「遊び心」をたいせつにしていきましょ。
(お客さまもきっと、赤城乳業の遊び心を期待しているはずだから)
「遊び心」にも、 きちんとまじめに取り組みましょ。
(素材やお客さまの 健康に気づかうことが、
安心して遊んでもらうことにつながるはずだから)
ひとりひとりが「遊び心」いっぱいの人生を送りましょ。
(そんな人たちが集まれば、小さくても強い会社にきっとなれるはずだから)
少し憂鬱な世の中を、赤城乳業の「遊び心」で明るくしましょ。
(わたしたちは、おいしさと楽しさと豊かさを提供する、
ドリームメーカーだから)』

うんうん、素晴らしい!
これを読んだら、“赤城乳業”という会社でありそのパーパスが見えてきた。
2017年の10円の値上げのときも、社長含め100名くらいの社員が整列して、
高田 渡の『値上げ』という曲を流し、
最後に全員揃って頭を下げるという値上の告知CMも注目された。

現社長はホームページのメッセージの中で
「規模は小さくても強い会社、いわば“強小カンパニー”を目指してきた」
と明確に発信しているのだ。
こんな会社こそが、私たち中小企業が目指す会社と言っていいだろう。
とはいえ…2022年、年商500億円を超したようだ。

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みんな知っている国民的アイス

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04/24
2023

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大里綜合管理の経営計画発表会を通して、一倉 定先生の経営哲学に触れる!!

2年ぶりの大里綜合管理の経営計画発表会への参加。
(昨年は外部の人は呼ばずに開催した)
野老真理子会長の話では、
発表会を始めて25回目くらいという。
ということは、四半世紀に渡り
大里綜合管理の経営計画発表会を見させてもらったわけだ。
会社の進化やその新陳代謝、構成スタッフの
成長も目の当たりにしてきたということ。

自社の進化や新陳代謝、スタッフの成長は現場にいると
なかなか意識できないもの。
ところが他社については客観視できるので、
お陰さまでいろいろ学ばせもらったわけだ。
(野老会長、こういう機会を与えていただきいつもありがとうございます)

この発表会のベースとなる“経営計画書”は、全社員で作成する。
すなわち会社の理念、ビジョン、そしてこの一年のテーマを
皆がマクロとミクロ両方の視点を持ち
次年度の仕事に取り組めるということ。
(うんうん素晴らしい!)

さてそこで、この経営計画書づくりとその発表会が
なぜ全国の多くの中小企業で展開されるようになったかを紹介しよう。

【“経営計画書”を調べると“一倉 定(いちくら さだむ)”という名前が出てくる】
一倉 定氏は、“経営計画書”は単なる数字の羅列ではなく、
ビジョンや理念を明確にすることで、
社員のモチベーションを高め、全社員が同じ目標に向かい
協力しやすくなると考えている。

一倉氏はこの経営計画書づくりにあたり、
全社員の参加を促し、個人のアイデアを集め、
それを膨らませることで、より具体的で現実的な計画を
作り上げることを提唱している。

さらに、経営計画書の作成後は、計画を社員全員で共有し、
その実行状況を逐一チェックすることが重要だとする。
そのための“経営計画発表会”の場を設け、
社員及び関係者に対して計画を明確に説明し、
協力を促すことが欠かせないとも発信している。
→今では多くの企業が年に一度、経営計画発表会を開催して
社員の表彰や懇親会なども行われることが多いという。
(ちなみに、野老真理子会長は沖縄で開催された“一倉ゼミ”に参加し、
一倉先生から直接指導を受けたという)

【一倉氏の経営哲学の一つに、“人間主義的経営”というものがある】
一倉氏は、企業が利益追求だけに固執することは危険であるといい、
経営者は社員の幸福と企業の社会的責任を
考慮しなければならないと主張する。
また一倉氏は“実践哲学”を重んじており、
経営者は“実践者”でなければならないとも語っている。

つまり、理論だけではなく、
実践を通じて経験を積むことが重要であるということ。
一倉氏は“自己変革”を重要視しており、
経営者は自分自身を変えることで、
経営改善を実現することができると主張。
そのためには常に自己批判をし、自己啓発に努めることが必要だとも。

経営者は“人間主義的な価値観”を持ち、
“自己啓発に努めること”とある。
(うんうん、私がこの“ビジ達”で語ってきたこととも
かなり合致しているはず?!)

一倉氏は1999年に他界。残念ながら、
私は直接お会いすることは叶わなかったが、
“一倉ゼミ”に参加した経営者の話を聴くと、
“日本の経営の在り方”に対して明確なコンセプトを持ち、
多くの中小企業経営者に影響を与えていたことは間違いないようだ。
大里綜合管理含を含めその影響はこれからも続くはず!!

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大里綜合管理の経営計画発表会

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04/03
2023

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『鍵山秀三郎“一日一話”』には 「不易流行」の“不易”がそこにある!!

先日、掃除の会の関係でPHP研究所顧問の櫛原吉男さんが
京都からわざわざQB浅草オフィスまで挨拶に来てくれた。
そして、何と鍵山秀三郎相談役の書籍を
PHP研究所が出版するようになったきっかけは、
櫛原さんだったとその時初めて知ったのだ。
(えっ、この櫛原さんが相談役に注力しなければ出版はなかった?!)

ある日、相談役は
「櫛原さん、人は“大きな努力で、小さな成果”がいいんです」
と語り、当然櫛原さんは咄嗟に
“えっ?! 逆なのでは…”と思った。
ところが話を聞いているうちに、この捉え方こそが
鍵山秀三郎氏ならではの考え方だと気がついたという。

そしてPHP出版から鍵山相談役の本を出版するにあたり、
原稿の執筆を依頼した亀井民治さんに鍵山さんのことを
このように話したという。
「鍵山相談役という人物を例えるならば、水みたいなものだと思います。
水はそのままに放置しておけば、
当然いつかは蒸発してなくなることでしょう。
それでは取り返しのつかないことになります。
その危険を防ぐためにも、いったん氷にしていつまでも保存できるように
しておくことが大事だと思います。
そのうえで、必要なときに解凍し活用できるようにしておくことです。
その作業が、出版です。
PHP研究所としても全面的に協力させていただきます」

結果、鍵山相談役の人柄や経営哲学に浸水した櫛原さんは、
PHP研究所からの出版に漕ぎ着けたという。
そして編集は出版界でも名を馳せていた
ヒットメーカーの安藤卓氏に任せることになる。
その後、相談役の本は全て安藤氏が編集している。

安藤さんは初出版にあたり
「長く読み継がれる本がいいと思います。
例えば、一日一話形式はどうでしょうか」と持ちかけ、
2004年に最初に発刊されたのが
『鍵山秀三郎「一日一話」人生の磨き方・掃除の哲学・人生の心得』だ。

本書はさまざまな企業や団体、学校等の朝礼で活用され、
鍵山秀三郎相談役の掃除哲学が世に広まる一つの役割を担った。
この本の代表的一話を紹介しよう。
~~4月15日の一日一話、凡事徹底~~
【1】すべてに行き届いている
【2】その人の主義と行動が迷うことなく一貫している
【3】すべてのものを活かし尽くす
この三つが「凡事徹底」の絶対必要条件です。
この三つのうち一つでも欠けると、「凡事徹底」とはいいません。
平凡なことを徹底してやると、平凡な中から生まれてくる非凡が、
いつかは人を感動させると信じています。

鍵山相談役の一日一話には、「不易流行」の“不易”がある。
それゆえ、繰り返し読んでも
その度に気づかされることがあるのだ。
時代のビジネスの“流行”を追い
発信することを仕事にしている私としては、
人間としての優先順位を教えてくれる“不易”こそが
最重要なことは分かっているわけだが、
なかなか身につけることは難しいもの。

相談役曰く、
「私には人より抜きん出た能力は一つもない。商売の才覚もない。
リーダーシップもあるとはいえない。
そんな平凡な私がいままで事業を続けてこられたのは、
トイレ掃除を通して“誰にでもできることを、誰にもできないくらい、
徹底して続けてきた”という以外に理由は見当たらない」

私もこの相談役のような話をしてみたいわけだが、
徹底しないことには身につかないわけだ!?

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PHP研究所顧問の櫛原吉男さん

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03/20
2023

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学生たちが主役のレストランオープン! 新宿調理師専門学校、上神田流仕事道。

新宿の早朝清掃でも毎月顔を合わす
新宿調理師専門学校の生徒と先生方、そして上神田校長。
その新宿調理師専門学校に、レストランが去年11月にオープンしたそうだ。

先日、そのレストランで“東京 掃除に学ぶ会”の新年会が開催された。
私はこのレストランは初めての訪問だったのだが、
客席から白衣を纏った料理人の方々を見渡せるオープン厨房になっていて
通常のレストランとは雰囲気の違いは一目瞭然。
そして、出される料理も、和食が中心でどれも美味しい。

【学生たちが主役のレストラン、“饌”オープン!!】

この専門学校の1階にあるレストラン「饌(せん)」は、
調理師を目指す学生たちが主役なのだ。
学生たちは実践の場にやりがいを感じつつ、腕を磨いているという。

学校の1階にあった職員室を改装したレストランと聞いているが、
客席と調理場を隔てる壁はなく、広い店内を見渡せる。
実際は実習生の活動の場としてだけでなく、
多くの人たちに和食文化を伝える目的があるという。
提供されるメニューは「季節の料理御膳」だけのようだが…

調理場に立つ学生たちは…
“材料を切りそろえ、どの皿も同じように盛り付ける時に、
普段の実習では味わえないほど神経を使う”という。
また“調理場が見通せるので身だしなみ、姿勢、歩き方にも気を付ける”と。
そして調理に真剣に向き合う学生たちには、見渡せるお客さまの反応が
気になるし、その“美味しい”表情が一番の励みになると話していた。

とにかく学生からすると通常の授業では学べない、
リアリティある学びがたくさんあるということ。
通常の専門学校では発想しないこんな展開を実践してしまうのが
ここの校長の上神田梅雄氏だ。

【上神田校長の料理人としての姿勢が現れたレストラン?!】

私は上神田校長とはすでに長い付き合いなのだが、
掃除に取り組む時も、料理人としても、先生としても常に低姿勢で真剣だ。

校長は1975年にこの学校に入学した生徒だったという。
そして調理師専門学校を卒業してから、師匠に弟子入りし、
16年の修行時代を過ごした。
その後、いくつかの名のあるお店での料理長を経験し、
母校の校長を引き受けることに。
上神田校長は、もともと他人より不器用だという思いと、
他人より劣るという自覚が、少しでも人より優るための努力を
惜しまないでこれたのかもとおっしゃっていた。
ということから“地味な仕事を疎かにしない”という境地に至ったという。
この目の前の小さなことに必死に取り組む姿勢こそが、
今の上神田校長をつくり上げてきたということ。
(まさに鍵山秀三郎相談役が、掃除を通して実践してきた価値観!!)

だから他人を幸せに出来るような“心構え”と“覚悟”をしっかり持った
プロになるための教育に力を入れていく。
そして、調理師という同じ道を目指す、若き「庖友」の活躍を
心から祈っているという。
(さすが上神田校長らしい発想!)

このレストラン“饌”も、学生たちにそんな価値観を直に体験して欲しい
という思いから、展開することに至ったに違いない。
これからもこのリアルのレストランが、多くの気づきと共に
プロの料理人へのさまざまなことを学生たちに学ばせてくれるはず。

ちなみに、その新宿の早朝清掃でも、グレーチング(側溝のどぶ板清掃)や
ゴミ拾いに一番能動的に取り組んでいるのが上神田校長自身。
この姿勢であり、取り組みこそがその人自身を創り上げているのだろう。

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学生たちが主役のレストラン、“饌(せん)”

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和食が中心でどれも美味しい

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03/13
2023

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北の大地からの贈りもの“yukidoke2021”完成!!

2015年に“Memuroワインヴァレー構想”をスタートしてから8年。
パンデミックや諸問題を乗り越えて、遂に“yukidoke2021”として、
十勝の畑から運ばれたぶどうを東京で醸造、1年間樽で熟成し、
最高のワインが完成したのだ。(“ワーイ、ワーイ”という気分)

北海道で十勝ワインを生産する“池田町ブドウ・ブドウ酒研究所”が
供給する苗“山幸”と“清舞”によるワインということもあり、
少し酸味の強い品種ではあるのだが、美味しく仕上がっている。

2021年のぶどうは糖度も高く、生産量も多かったこともあり
期待は大きかった。
私としては北の大地らしい美味しいワインができたと思っているが、
果たしてみなさんはどう評価してくれるだろう?!

この2021年のワインを皮切りに、
今後は継続的にワインが出来上がってくる予定。
福生の石川酒造が醸造及び販売にも協力してくれているのだ。
(石川彌八郎社長ありがとうございました)

【日本のワインも世界レベルに成長!?】

さて日本のワインの歴史についてだが…
実は10年ほど前までは、日本ワインは世界のワインと比べて
物足りないと言われることが多かった。
製造の歴史が浅いことや、
原料となる日本のブドウ品種の扱い方が難しかったことが理由だ。
しかし、この10年で日本のワインは大きな変化を遂げた。

なんと2016年には、ある日本ワインが、イギリスで開かれた
世界最大規模のコンクールでプラチナ賞を受賞したという。
ものづくり大国としての日本人のプライドが、
上品で繊細な味をもったワインを次々と生み出している。

【トラブルによる構想の頓挫が、大きなリスク回避につながった!】

実は2017年度収穫のぶどうで、一度はワインが完成したのだが…
“Memuroワインヴァレー構想”はこのワインづくりをベースに
この十勝芽室の交流人口の増強をテーマに
まちづくりを展開していこうとスタートした。
ところが3年目頃、この構想の目的を棚上げにし、目先を追う心無い農家らの
結託離脱があり、ワインヴァレー構想は残念ながら頓挫。
このMemuroワインヴァレー構想の主導者としては、とても悔しい思いをした。

ところがまさかのパンデミックの到来。
ご存知のように、3年以上も人々の行き来も難しい環境になったわけで、
そのトラブルがなければ大きな投資をしてのプロジェクトになっていた。
結果としてこの離脱問題が、大きな損失の回避につながったわけだ。
まさに“人間万事塞翁が馬”ということ。

先の「人間万事塞翁が馬ism」でもいくつか事例を紹介したが、
何が災いで何が幸運なのかは、しばらく時が経ってみないと分からないが
私たちのビジネスや、人生は思う以上に長い。
災いもあれば幸運も舞い込んでくる。それらをどう捉え前に進むかということ。

先に投資した額を考えると高いワインにはなっているが、
このパンデミックによる損失を考えると、胸を撫でおろしたくなる。
とはいえ、コロナも落ち着いたからもう一度十勝のまちづくりに
チャレンジしたいかというと、もう懲り懲りと言いたい。。。
これも同じ轍を踏まないための転ばぬ先の杖かも?!
やっぱり、人生いろいろあるから面白い!?

日本食にも合う日本ワイン「yukidoke2021」は、
是非石川酒造に問い合わせて、味を確かめて欲しいと思う。
感想お待ちしてます!!

お問い合わせは→ 石川酒造株式会社
https://www.tamajiman.co.jp/product/giftsets.php

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