これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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06/16
2014

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大里から学んだ“糠釘(ぬかくぎ)の流儀”

2年前に植えたアジサイがしっかり花をつけ息づいている。
あの作業が、いま目の前でひとつの結実を見せてくれているのだ。

今回の地域貢献活動の体験その1は、
この道路サイドの草刈り。

すなわち、2年前のアジサイを
美しく目立たせるための草刈りだ。

10数人のリーダーズメンバーが それぞれ鎌を持ち、
50センチから1メートルにも及ぶ雑草刈りに躊躇せず取り組んでいる。
みるみるうちに、しっかりとアジサイが美しく輝いて見えるではないか。

貢献活動体験その2は、炎天下でのガードレール磨き。
そう道路サイドのあの白いガードレールを少しづつ掃除する作業。

限られたバケツの水で、グレーに汚れたガードレールを
タワシとタオルできれいにする作業。

“この限られた水”というところが、
学習のポイントでもあるのだ。
この作業もみなさんやり始めると汗を落としながらも
真剣に黙々とやってくれる。

どちらの貢献活動も一見“糠に釘”と思えるだろうが、
この道を走るクルマのドライバーには、
少なからず効果がある。いや、あるはず。

実は、この道沿いは走るクルマのスピードも速く、
事故も多かったという。

だから、このちょっとした活動の繰り返しが、
少しずつ少しずつジワジワとボディブローのように
効いてくるということだ。

東京の掃除の会による新宿歌舞伎町の
定期的(2カ月に1回)清掃が、5~6年の継続で
犯罪の半減につながったように。

微力ではあっても、継続することは何らかの
効果に結びつくということだ。

そして、貢献活動体験のその3は、
駅周辺のゴミ拾いと公衆トイレの清掃活動、
駅前のインターロッキングブロック磨き。
これまた、地味な活動ばかり。

これにより、タワシの使い方や道具の活かし方、
そして、道具類の洗い方と片付け方を学ぶ。

まぁ~どの活動も地味だし、不断なかなか
やらない活動と言っていいだろう。

でも、この大里流の地域貢献活動が、
リーダーズメンバーの“気づき”となり、
物事を見る視点や行動に変化が現れることを望む。

それにしても、こんな地味な
活動の積み重ねこそが、
社会を変える大きなチカラと
なるのではと思うこの頃なのだ。
多くの人たちが参加すればする程、
そのチカラは大きくなるということ。

大切なのは、その活動のプロセス。
プロセスこそが、その人たちに大きな
副産物を与えてくれるのだ。

糠に釘の活動は意外に素晴らしい活動なのである。
私はこの地味でなかなか効果が見えにくい活動を
大切にする人たちの考え方を“糠釘の流儀”と
呼ぶことにした。

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大里総合管理でお世話になりました!

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2年前のリーダーズが植えたアジサイ

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ガードレール磨きはなかなか素晴らしい体験だ!

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インターロッキングブロック磨き

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自分の磨いたところが輝き特別な場所に変身!

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先取りビジネストレンド

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2014

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ジョニーウォーカーの革新

モルト(大麦)ウイスキーの香りを楽しみながら、一口。
そこに水を数滴だけ垂らしてからまた一口。
すると…ん~! マイルドになって美味しい!

先の海外研修ツアーで
最初に訪れた都市・エジンバラ。
この都市を選んだ最大の理由は、
スコッチウイスキー製造の現場を見たかったからだ。

そこで選ばれたのが「グレンキンチー蒸留所」。
ここでは、モルトウイスキーの
製造工程や歴史を学び、
試飲もさせていただいた
(その様子は冒頭でお伝えしたとおり)。

グレンキンチー蒸留所での
ウイスキー製造はこのように行う。

まず、酵母を入れた大麦を
ビール状態になるまで発酵させ、
2度蒸留する(ちなみにこの蒸留酒をスピリッツという)。

その後、樽に詰めて
最低8年寝かせて熟成させれば、
極上のウイスキーが完成するというわけ。

このとき、熟成のための樽は
中古樽なのだという。

そのため、アメリカから
たくさんの中古樽を仕入れているそうだ
(へぇ~、中古樽がいいんだ)。

さて、そんなプロセスによって製造される
スコッチウイスキーだが、
こんな面白い話があった。

ウイスキーといえば、世界レベルで定番なのが、
私の学生時代から有名で
あの「ストライディングマン
(闊歩する紳士のイラスト)」が
シンボライズされている
「ジョニーウォーカー(黒ラベル・赤ラベル)」。

実は、ジョニーウォーカーは、
世界にブレンドウイスキーを
広めることに貢献したお酒だという。

創始者であるジョン・ウォーカー
(本当は息子の方?)は、
紅茶をブレンドするように
ウイスキーもブレンドしてみようと考えたのだという
(その少し前までは、モルトウイスキーと
グレーン(小麦)ウイスキーのブレンドは
違法だったらしいが…)。

まさに、ウイスキーのブレンドは
ここから始まったのだ(へぇ~)。

それにしても、
ジョニーウォーカーのブレンドが発端となって、
世界のブレンドウイスキーの“あたりまえ”になり、
そのジョニーウォーカーが
現在も世界で一番売れている
ウイスキーのブランドになるとは驚きだ。

このように、それまでの常識から
新しい“あたりまえ”をつくることは容易ではない。

しかし、どの時代のどのビジネスにおいても、
新しいことに挑戦しないことには、
新しい“あたりまえ”は生まれてこない。

チャレンジするからこそ、
うまくいこうがうまくいかなかろうが、
それまでと違う環境へと前進することができるのだ。

よし、グレンキンチーのモルトウイスキーも入っている
ジョニーウォーカー黒ラベルを飲みながら、
次はどんなビジネスの挑戦をしようか考えてみるとしよう。

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スコッチウイスキーに期待高まる!

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土産コーナーにも興味津々

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風情ある樽の上でご満悦

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ウイスキーの香りが立ち込める…

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深い歴史を持つスコッチウイスキー

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試飲タイムが待ちきれない!

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シナジースペシャル

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2014

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“不都合、好都合主義”

「渡る世間は鬼ばかり」で有名な赤木春江さん。
なんと今年で90歳だというのだ。
このところ数々の賞を受賞されているのだが
先日、ラジオ収録のために
お会いする機会があったので、
これまでの女優人生についてお聞きした。

その中で印象的だった言葉が、赤木さんは、
「来る仕事は全て感謝して受けている」
という言葉。さらに、
「一番の喜びはお客さまに拍手をもらうこと」と語り、
女優業を「大変だけどいい仕事だと思う」と締めくくった。

私はそのお話を聞いた途端、
「大変だけど」ではなく「大変だから」
なのではないかと感じた。
大変だからこそ真剣に向き合い、
いろいろな役をこなしてきたからこそ、
90歳になっても活躍し続けていられるのだ。


そういえば鍵山相談役も似たようなことを言っていた。
「鍵山秀三郎の一日一話」という
メールマガジンの中でのこと。

タイトルは“不都合をばねに”。

「好きなものばかり食べておりますと、
人間の身体も不健康になります。

好き嫌いせずにバランスのとれた食事を
摂るからこそ健康を維持することができます。

企業・ビジネスも同じです。
好き勝手に経営し、
ビジネスを展開していては良くならない。

不都合なことも受け入れて
工夫改善するところに新しい細胞が
生まれてくるものです。
不都合は会社を強くする。」とある。

不都合があるからこそいい会社になる。
不都合を不都合とせずに甘んじて受け入れていき、
創意工夫していくことで
新しい何かを修得することにつながるのだ。

自社のビジネスを振り返ってみても、
まだ経験をしたことのない
クリエイティブのお仕事を頼まれた際には、
自分たちのドメイン(生存領域)を
広げるチャンスと考えてあえてチャレンジしてきた。
それが新たなノウハウの構築につながったということだ。

「大変」や「不都合」をいとわずに、
積極的に新たなメディアを取り入れたり、
WEBの可能性にチャレンジしたり。
そして頼まれればイベントの企画まで手掛けてきた。
そうしてきたことで
お客さまから評価される力を身に付けることができたのだ。

挑戦し続けたことで、
結果的に弊社の人的ネットワークや
クリエイティブワークでのノウハウを
拡大することができたのだ。

大変さ、不都合なことをいとわずに
チャレンジする。

この「不都合、好都合主義」こそが
強い人づくり、社会づくりの秘訣に思えてならない。

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御年90歳の大女優、赤木春江さん

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女優業を語る赤木春江さん

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「一日一話」の鍵山秀三郎氏

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選ばれる仕事道

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2014

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川田昇流・時中す

私の元に届いた2本のワイン。
ラベルには「ココ・ファーム・ワイナリー」の文字が。
同ワイナリーのある栃木県足利市出身の方が
送ってくださったのだ。箱を開けると、
中にはこんな文章の書かれたしおりが…。

「1950年代、特殊学級の少年たちと
 その担任教師が急斜面の山を切り拓き、
 600本余りのぶどうの苗木を植えました。
 1969年、この山のぶどう畑に、
 知的な障害を持つ人のための
 「こころみ学園」ができました。
 そして1980年、山のふもとのぶどう小屋と
 呼ばれた小さな小屋で、
 ワインが産声をあげたのです。」

この教師とは、
創始者である川田昇氏のこと
(私が尊敬する先達の1人だ)。

障害を持つ学級の担任をしていた川田氏は、
子どもたちのつるつるでやわらかな手を見て
「この手ではこの子たちは生きていけない」
と感じたという。
そして、人や社会の役に立つ人間を育むべく、
山を購入し、自ら働き口を整えたのだ。

私は川田氏の取り組みに感銘を受け、
ココ・ファーム・ワイナリーを訪れ、
川田氏に直接お話を伺ったことがある。

しおりを読んでいると、
在りし日の川田氏のお話が思い返される。

「こんなはずじゃなかったんだよ」

当時88歳だった川田氏は、こう語った。
農業は、本来の人間の感覚を取り戻してくれる。
きっと、長生きできないかもしれない子どもたちを、
看取るまで面倒を見る覚悟だった川田氏にとって、
彼らが立派な農夫となり、
ずっと元気に働き続けてくれることは
うれしい誤算だったのだ。

いつの間にか子どもたちは、
どんなつらいことも平気でやり抜く
勤勉な青年であり、自信に満ちた
物言わぬ誠実な農夫になっていたという。
そしていつしか、そのやわらかな手は、
たくましい男の働く手に変わっていたのだという。

川田氏の取り組みは、まさしく
「君子、時中す」という言葉がふさわしい。

これは、
「優れたリーダーはその時その場に
ふさわしい手を打って、
あらゆる矛盾・相克を克服し、
どこまでも進歩・向上していく」
という意味だ。

川田氏が私財を投入し、
足利の山を購入してからの50数年間、
数えきれないほどの困難があったはず。

しかし、目の前のことに対して
逃げずに自分で道を切り拓いていった。
それが結果的にココ・ファーム・ワイナリーを
日本中に知らしめ、存在理由を
創り出すことにつながったのだ
(九州沖縄サミットでは、晩餐会で
 同ワイナリーのワインが使用されたという)。

川田氏がチャレンジした理由やテーマは
なかなか真似できるものではないが、
少なくとも“時中(実践においてその時その時が
過不及なしであること)”を心がけなければ、
次なるステージには行けないということ。

実は、いただいたワインはまだ開けていない。
今夜辺り、在りし日の川田さんに思いを馳せながら、
ワインを味わってみようか。

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大事に飲ませていただきます!

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しおりにはこれまでの歩みが

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創始者の川田昇氏

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ワインはここから生まれた!

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はなまるア・ラ・カルト

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2014

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“THE BEATLESの貢献”

イギリス視察ツアーで訪れた
ビートルズファンの聖地“リヴァプール”。
そこで私たちが宿泊したのは
“Hard Days Night Hotel”だった。
そう、ビートルズの名曲から名前を取ったホテルだ。

ホテル壁面にはメンバー像が設置され、
内装もビートルズ一色。
さらに、なんとその近くにはビートルズが
デビュー前から(? )演奏をしていたという
The CAVERN CLUBが!
そしてビートルズが292回もの公演を重ねた
というこのクラブで、私は実に印象的な光景を目にした。

ステージ上で30代(たぶん…)の
ミュージシャンがビートルズの曲を演奏すると、
世界各国からやって来たと思しき
ビートルズファンがお酒を片手に、
リズムをとって歌い踊るのだ。

もっとも、
青春時代にビートルズファンだった彼らの
多くが今は60代後半で、
頭も薄くなっていたりお腹も出ていたり…。
しかし、心から音楽を楽しんでいることはよく分った。
また今回は、ビートルズの歴史を辿れる
ビートルズミュージアムも訪れたのだが、
そこでもやはり世界中の熱心なファンが
イヤホンガイドを耳にし展示に見入っていた。
それも、平日にも関わらず結構な数の人が!

僅か7年半(これには驚いたが、
1962年10月から1970年の4月までしか
メジャーグループとしては活動していないのだ)の
活動期間にも関わらず、
これほど熱心なファンを生んでしまうとは。
私はミーハーなファンに過ぎないかもしれないが、
昨年11月のポールマッカートニーの
東京ドームでの来日公演を聴きに行った時には、
彼の素晴らしい歌声とエネルギーに感動したものだ。

ビートルズは素晴らしいロックバンドだ、
いや彼らのはロックじゃない、
ポップ・ミュージックだとか、
いろいろと評価して言う人はいる。
しかし、世界中でこれだけ多くの「音楽好き」を
生み出すことに貢献したグループなのだから、
ロックでもポップでもいいじゃないか
と思うのは私だけじゃないはず。

きっとビートルズに熱狂した世界中の若者たちは、
やがてビートルズを入り口に
他の音楽も好きになっていったに違いない。
どれだけ世界の多くの人を音楽好きにさせたか、
それを感じただけでも
リヴァプールに行った価値はあったと思う。
ビートルズがいかに偉大な
「きっかけメーカー」だったかを
知ることができたのだから。

そして、多くの人にとっての
良い「きっかけ」を作っていくこと、
これも“仕事道”なのだな、と実感した。

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ホテル外壁に立つメンバー像!

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これが聖地The CAVERN CLUB

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名曲を演奏するミュージシャン

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クラブでは、お酒片手にくつろげる

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ホテルのウインドーもビートルズ!

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もちろんフロントにもビートルズ!

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