これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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10/14
2014

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隅研吾流、里山主義か?

「10月オープンって聞いていたのに、
何でいつまでも取りかからないんだろうねぇ~」
なんて思っていたのだ。
いつ見てもその空間には、新潮社の倉庫があるだけ。
(こりゃ~延期!?)
なのになのに“la kagu(ラカグ)オープン”とういニュース。
「えっ!?なぜ?」

いつまでも倉庫が取っ払われないと思いきや、
その倉庫をそのまま活用しているではないか。

ゲゲッ、あの美しくない外観はそのまま活用!
「へぇ~」
ちょっとオシャレに見えるのは、ウッドデッキと
2階への大階段だけ。
誰がやるとこんなデザインになるんだろうねぇ~。

えっ、隅研吾事務所。
確かに元々の木々を活かし、
いかにもなウッドデッキを見ると
それっぽいところもあるが…

それにしても、あの美しくない倉庫を
そのまま活用するとは。
とはいえ、木質は人を引きつける。
販売しているものに関係なく、人を引きつけるのだ。

隅研吾氏は、とにかく木を活用する。
そして、和を大切にする設計士だ。
木は人に安心感を与えることを知っているのだろう。

このところ目にした南青山の割り箸を組んだような
“微熱山丘(サニーヒルズ)”のお店も
隅研吾事務所の仕事だった。

先日、初体験した新歌舞伎座も。
あの和を発信する新・根津美術館も。

やっぱり“和”がいいねぇ。
木質がいいねぇ。

これって私がこのところ発信する
“里山主義”に通ずるような。

日本人は里山にある木をもっと活かさなければ。
そして、本来の里山の生活を取り戻さなければ。

日本の立地や環境に合っているのは、
木であり里山生活なのだ。
商業施設“la kagu”には私が欲しい
商品は見あたらなかった。

ということは、里山生活に関わる商品は、
ほとんどなかったということだろうか!?

ただ、あのウッドデッキには引きつけられそうだ。

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これが…!?

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Mr.セイージも満喫中

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なんだか落ちつく空間

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なんだか懐かしい感じも

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棚は段ボール!?

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カフェも!

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また、ゆっくり来ようかな

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ファインスピリッツキーワード

10/14
2014

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少年老い易く、学成り難し

「少年老い易く学なり難し
 一寸の光陰軽んずべからず
 未だ覚めず池塘春草の夢
 階前の梧葉已に秋声」

若者はいつの間にか年をとってしまうが、
学問を成すことは難しい。
だからこそ、わずかな時間も軽んじることなく
勉学に励まなければならない。
池のほとりの春草の上で見た夢が覚めぬうちに、
庭先の青桐の葉はもう秋の訪れを告げているのだから…。

近頃、この詩が心に響くようになってきた
(私も初老ってこと!?)。
まだ体はエネルギッシュだし、
発想もどんどん湧き出てくる。
でも、髪の毛は白くなり、
ほうれい線もかなり目立つようになってきた…。
60歳を目前にし、時の流れの早さを
身にしみて感じているのだ。

さまざまな夢や志を抱き、まだまだこれから!
と思ってビジネスに取り組んできたが、
気づけばビジネス歴も40年になろうとしている。
そして、9月にはついに社長を退任した。

30歳の時には、60歳になった時のことなど
想像するのも難しいだろう。
しかし、誰しも時が経てば60歳を迎えるのだ
(あっという間に…)。

そこで私の頭に浮かんだのは、
“Think Long Range Act Tomorrow”
というキーワード。

長期的な視点でものを考えつつも、行動は明日から!
なぜなら「少年老い易く、学成り難し」なのだから。
遠い未来のことだから関係ないと思わずに、
先を見据えて今できる準備を
コツコツと進めておくことが大切だ。

このビジネスの達人も毎週の更新を続け、
気づけば12年間継続している(もうすぐ600回!)。
毎週私なりに情報収集をして更新を続けてきたおかげで、
αセミナーやラジオ番組『BUSINESS LAB.』でも、
新しい情報を発信することができている。

一見小さなことでも、コツコツと継続すれば
その後に何らかのリターンが得られるのだ。

60歳を迎える私も、まだまだ志は高く持ち、
小さなことから努力を重ねたい。
そうすることで新たな発見も得られ、
成長に繋げることができる。

時間は待ってはくれないのだから、
行動は早速明日から!

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年々この詩がしみるように…

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長い目で見て、行動は明日から!

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「やってよかった」と思えるように!

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選ばれるビジネス

10/14
2014

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“海外からビジネスを考える”ぱど

地域密着型フリーペーパー「ぱど」。
衣食住を中心とした生活情報誌で、
さまざまな地域の家庭や事務所に
無料で配布している
(自宅のポストに投函されているのを
見た人もいるだろう)。

そんな「ぱど」を発行する
株式会社ぱどの創業者であり、
代表取締役会長である
倉橋奏(くらはし・ひろし)氏
とお話しする機会があった。

その話の中で特に興味深かったのは、
起業のきっかけ。

なんと、それは
ロサンゼルスにあったという。
株式会社荏原製作所のエンジニアだった倉橋氏は、
30歳のときにロサンゼルスにある
技術提携先に単身赴任することになった。

現地で驚いたのが、
新聞の利用者がとても少ないということ。
日本では8割もの人が購入しているという新聞が、
当時の職場では2割しか利用者がいなかったのだ。

しかも、現地の所長曰く、
新聞についてくるクーポン券が欲しいので、
クーポン券が付いてくる
水曜日と日曜日の新聞しか買わないという。

つまり、ニュースのためではなく、
クーポン券のために
新聞を買っているというのだ。

この事実を知った倉橋氏は、
日本でもこの現象は必ず訪れると思い、
新聞という媒体が衰退したときの、
企業やお店のPRについて考えたという。

これが、エリア別に情報を刷り分けて配布する
情報誌「ぱど」を発行するきっかけになったそうだ。

このように、海外の社会状況を見ることが
ビジネスヒントになることは多い。

それは、日本との
ビジネス的な意味での“時差”だったり、
異なる価値観に触れることで、
刺激を受けることはもちろん、
何より、日本という存在を
客観視できるからだろう。
つまり、これからの日本に
必要なビジネスが見えてくるのだ。

現在「ぱど」は、
キャリアウーマン向け・高齢者向けなどの
さまざまなターゲットへの情報誌も
多数発行しているという。

当初、企業内起業として始めた
この情報誌ビジネスは、
いまやその配布部数1200万部以上。

ここに行き着くまでに
多くの苦難があったという。
それでも大きく成長できたのは、
倉橋氏の海外で得た気づきと
その後の行動力があってこそ
(倉橋氏はそう簡単に
あきらめる人ではないからねぇ~)。

私も、毎年多くの経営者と
海外の視察研修をしているが、
本当に学ぶことが多い。

今年のイギリス視察でも、
現地で訪れた農園で実践されているビジネスから、
日本の農業に求められる
ビジネスのヒントが見えてきたのだ。

日本を飛び出し、
実際に現場を見てきたからこそ
気づけたものだろう。
だからこそ、
私は海外視察を大切にしている。

倉橋氏のように、
日本国外で発見できる
未来のビジネスはまだまだある。
それらを、いかに自ら行動して発展させるかが、
これからの日本の社会の仕組みにも
大きく影響するだろう。

そんなビジネスヒントになる倉橋氏の
エピソードはまだまだたくさんある。
InterFMにて10月19日・26日(日)朝6時から放送の
『BUSINESS LAB.』をお楽しみに!

biji

海外で見つけたビジネスヒント!

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はなまるア・ラ・カルト

10/14
2014

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パラダイムシフト75の裏付け

先日、好評のうちに終わった第126回αクラブ。
今回は福生(ふっさ)の石川酒造を訪問して、
第18代当主・石川彌八郎氏のお話を
現場で聴くという企画だった。

実は、αクラブセミナーで
石川酒造を訪れるのはこれで2度目。
以前よりもさらにパワーアップしたお話に、
参加者の皆さんは大満足の様子だった。

石川酒造を営む石川家は、
今の当主で18代目という名家だ。
その長い歴史を、代々の当主が
日記に書きとめているというから驚きではないか。

元々は地元の庄屋
(村の首長的存在)だったという石川家は、
明治維新を境に、酒造業を始めた。

一方で、多くの小作人を抱えて農業も行っていたのだが、
太平洋戦争後の農地改革で広大な農地を失ってしまったという。

いきなり財産を失ってしまったのだから、
さぞがっかりされただろう。
ましてや戦後の混乱期で、闇商売が横行していた時代だ。
安易な商売に走ることもできたはずだ。

しかし、当時の16代目当主は
「ここで闇に手を出さず、
清く努力することが子孫のためにもなる」と信じて
家業の立て直しに努力された。

その結果、今も石川酒造は
多摩地方の名酒造家として知られているのだ。

酒造業をスタートさせたのが13代目、
農地改革が断行されても耐えたのが16代目。
石川酒造は、およそ3代ごとに変革のタイミング
(18代目が語るところの“チェンジ”)に
ぶつかってきたのだという。

つまり、次の変革は
19代目の息子の代になる…と石川氏は語った。
そのために、出来る限りの準備をしておきたいと。

そのお話を伺って、私はまさに我が意を得たりの思いだった。

石川氏のお話は、私がつねづね唱えてきた
“パラダイムシフト75”にぴったりと一致する。
時代の大きな流れの中で、
時には大改革を迫られることもあるだろう。
また、じっと我慢の時もあるだろう。

その大きな波は約75年ごとにやって来るが、
太平洋戦争からおよそ70年が経過した今は、
まさに変革の時なのだ。

変革の時に大切なのは、
時代の流れを広い視野でとらえることだ。
今さえよければ…ではダメ。
迷った時には過去を振り返ったり、
未来のためにできることはなにか? と考え、
実行することが一番。

すぐそこに迫った次なる時代のために、
先を見通す広い視野を持つことが何よりも大切なのだ。

銘酒「多摩自慢」の香りに包まれつつ、
改めてそんなことを教わったαセミナーだった。


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飄々とした語り口の石川氏

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売店も充実!

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3代ごと、の法則とは…?

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まさに“パラダイムシフト75”!

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シナジースペシャル

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2014

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里山生活は、LOHAS!?

Lifestyles of Health and Sustainability。
通称LOHAS(ロハス)。
ご存知の通り「健全で健康でいて持続可能なライフスタイル」という意味だ。

LOHASという言葉はここ近年注目を集めた考え方のようだが、
これは私が注目する「里山生活」とよく似た共通点がある
(もしかしたらイコールとしてもいいかも…)。

50数年前、私は北海道の日高山脈の麓にある農家で育ち、
小学校2~3年生まで文字通り里山生活を送っていたのだ。

冬が間近に迫ると、
男性陣はみんなで山に入って木を切りだす仕事が待っていた。
それらの木々は冬の間の暖房であり、燃料として活用された。
もちろん、私たち子どもも薪割りの仕事を任された。

一方女性陣は、
畑で採れた大根やかぶらなどを
漬物にする仕事を任されていた。
そういえば、味噌も自前だった。
そしてみんなでそれを食べてひと冬を越すのだ。

また、春になると山菜やウドやワラビ、アイヌネギなどもあり
自然に寄り添った生活を送ることができた
(コクワや桑の実など子どもたちのおやつも山からもらっていた)。

そんな里山生活のポイントは物々交換だ。
トウキビや大豆といった食品の原料を街に持っていくと、
それぞれポップコーンや豆腐に代えてくれた
(もちろん、こちらが手間賃分多目に渡すのだが)。

つまり、ほとんど現金がいらなかったのだ!
仮にお金を使うにしても、
米や少量の肉、魚を買う時くらいに限られていた
(今の日本では考えられないが)。
こうした自然に寄り添った里山生活は
古き日本の生活に限ったことではない。

5~6年前に経営者ツアーでスウェーデンに行った時に訪れた
“エコビレッジ”では、まさに里山生活に近い日々を送っていたのだ。

そこには50戸ほどの集合住宅があった。
そして物々交換が日常的に行われており、
そこの住人しか立ち入れない物々交換物置を通じて
互いにリユースし合っていた(食品以外のものだが…)。

そして極めつけは、50戸を対象としたペレットボイラーだ。
これは、間伐材などの不要な木材や製材品を細かくして圧縮し、
粒状にしたものを燃料として酸素などと一緒に燃やすボイラー。
通常の薪より熱効率が良く、化石燃料に頼らないで、
暖房や給油をまかなえるのが特徴だ。

これからの生活はこのペレットボイラーのように自然に優しく、
環境破壊の少ないエネルギーを活用した
暮らしができることが重要になってくる。

結果的に自然環境を掃除できる仕組みだ。
里山生活に現代の最先端技術(ペレットボイラー)など
が加わることがまさにLOHASにつながるのだろう。

そうすることで自然と、海や川に魚が帰ってきたり、
本来あるべきところに自然が戻る。

その相乗効果で、健全で健康でいて持続可能な
ライフスタイルが確立できるのだ。

つまり、里山生活をつきつめることで、
LOHASができるのだ。

sny

藻谷浩介氏(著)「里山資本主義」

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