これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

HOME

ビジネスの達人

選ばれるビジネス

02/17
2025

biji_0217_1

蔦屋重三郎による“吉原”からの革新!

先日お邪魔した“べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館”。
番組『べらぼう』の見どころを写真や映像により
かなり充実した内容であれこれ紹介されていたのだ。

マイクロバスによる“吉原”含め
ドラマに関係する現地訪問も企画されていたほど。
(もちろん、時間さえ許せば行ったのだが…)

私がそのドラマ館で興味を持ったのは…
「吉原の貸本屋から“江戸のメディア王”となった蔦屋重三郎。
“蔦重”はなぜ、時代の寵児となりえたのか?
“蔦重”は、何が凄かったのか?」
と投げかけ、いろいな角度から発信されていた。

実は、“株式会社クオーターバック”は、
さまざまな大手企業が発信する定期情報誌を
あれこれ多く企画・編集制作していたのだ。

まさに、それらのターゲットを意識して
興味を持って読んでもらえる情報誌を創らないことには、
継続してお手伝いさせてもらえなかった。
だから常に“蔦重”的発想力が求められていたということ。


【“蔦重”の革新と吉原の影響】

蔦屋重三郎が他の本屋と一線を画した理由は、
彼の“戦略”にあった。
それは“広告”という当時の新しい概念を駆使した
ビジネスの革新。

彼は単なる本の販売に留まらず、本自体を広告媒体とし、
販売行為そのものが広告であるという
独自の視点を持っていたという。

たとえば、『吉原細見鳴呼御江戸』の出版では
文化人・平賀源内に序文を書かせ、
吉原という地域のブランドを際立たせることで成功を収めた。
こうして“蔦重”は、自分たちが最先端であるという
イメージを確立していった。

また、“蔦重”の革新の背景にあるのは、
彼が育った“吉原”の環境。

吉原は“通”という美的感覚を競う場であり、
文化度の高い人々が集う場所。
“蔦重”はここでの交流から洗練された美意識や
人との付き合い方を学び、
これを生かして彼独自の出版戦略を構築したという。

吉原という文化のサロンで
多くの知識人とのネットワークを持ったことが、
“蔦重”の発想を豊かにし、
新しいものを生み出す力となったのだ。


【“蔦重”のプロデュース力】

蔦屋重三郎がプロデュースした作品には、
“喜多川歌麿”や“東洲斎写楽”といった、
後に非常に有名になる浮世絵師が含まれている。
でも“蔦重”は浮世絵を多く出版したわけではないようだが…

彼はまず浮世絵出版の権利を得て、
それから斬新なコンテンツを展開していくという手法で
他の出版者とは違った道を歩んだ。

誰も知らない絵師を起用して新しい作品を生み出すなど、
常に新しいことに挑戦していった。
(やっぱり、新しいことにチャレンジしないとねえ~)

彼のこうした挑戦は、
江戸の文化を牽引する存在へと“蔦重”を押し上げた。
厳しい出版統制により逆境に見舞われても、
“喜多川歌麿”の美人大首絵で成功を収め、
“写楽”を見出して大衆文化に影響を与え続けたという。

“蔦重”の成功の裏には、多様な人間との信頼関係と
機敏な市場感覚があり、その発想力は
現代のビジネスにも通じるものがあることは間違いない。

そして、彼が時代を先取りするための確かな基盤は
“吉原”という文化遺産にあったことも間違いないだろう。

biji_0217_2

『べらぼう』の見どころが満載の大河ドラマ館

BACKNUMBER

ページTOPへ