これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

HOME

ビジネスの達人

目からウロコのおすすめ本

04/18
2016

book1

『ホステス心得帖―おもてなしの条件―』北新地社交料飲協会

世の中どんどん変化して参りますが、
いつも心得ていたいこと、大切なこと満載でございます。
一度に全部目を通すことも時間は掛かりませんが、
いつもバッグに入れて置いて取り出しては、
忘れていることを思い出しましょう。
「おもてなし」の世界に住む皆様には切にお願い申し上げます。

こんな書き出しで始まる『ホステス心得帖』。
大阪市北区を代表する高級飲食店街、
北新地のホステスが持ち歩く心得帖だ。
一体どんなことが書かれているのか…?
気になる内容は下記の10章から構成されている。

1.美しさの度合いと個性
2.お客様との応対
3.飲み方と飲ませ方
4.座待ちのテクニック
5.同僚からの評判
6.お客様との私的交際
7.貴女自身の私生活
8.経済生活の設計
9.プロとしての資格
10.べからず集33ヵ条

接客態度から私生活にいたる項目まで、
ホステスかくあるべきという姿が説かれている。
1980年に出版されたものを、昨年復刻したのだという。

実はいま、夜のお嬢さん方の世界に限らず、
私たちの仕事上でも大変参考になると
反響を呼んでいるのだ。
どんな内容なのか、一部を抜粋してみよう。

《お客様とお客様の関係を間違えぬこと。(中略)
信頼を築くのには時間がかかるが、
怒らせるのは一瞬である》

というどの業界のビジネスでも
基本的で重要なポイントから、

《男の最低の姿を見て、すべてを判断するな。
男は、その人が思っているほど立派ではないが、
ホステスが考えているよりは高級である》

このような夜の商売ならではのものもあり、
ユニークな言い回しでありながら、
そこには人に対する深いまなざしが感じられる。

私たちが読んでも面白く、
思わず納得してしまうこの心得帖だが、
ここで重要なのは、“かくあるべし”という意識を
事例を挙げてまとめている点。

おそらくはこの冊子が出版される以前の1970年代から、
北新地では当然のこととして育まれてきたルールがあったのだろう。
そして、バブルに向けて経済が豊かになる中で、
「この業界にあっても自分たちが本来のあるべき姿を
常に忘れず、徹底していこう」
という想いがあったからこそ、この冊子が作られたのだ。

どんな業界でも、
このように明文化されたものが発信されると、
その価値観を大切にしていこうと多くの人が考えるようになる。
そこにこの冊子の意味があると思うのだ。

私自身、学生時代の1年ほど、
ウェイターとして夜の商売に関わっていたこともあり、
これら心得の重要性はよく理解できるつもりだ。
ホステスの道は、人を相手にサービスする商いの道。

この道は、人間への深い理解と気遣いがなければ
成り立たない、奥深い世界ということ。
それがあるかないかの違いこそ、
プロか否かの分かれ目になるのだ。

ホステスの道と、私たちの道。
それぞれの専門分野はあるものの、
人を相手に商売をする点はどちらも同じ。

出版当初から時代は大きく移り変わったが、
何年経ってもどの分野でも、
商売におけるマナーなるものは
不変のものだということを強く感じた。

なお、この冊子は非売品だが、
北新地社交飲料協会公式ホームページ(http://kita-shinchi.org)
より、全文を読むことが出来る。
この心得帖から、何か得られることもあるはず!
ぜひ一読してみてはいかがだろうか?

book1

これが『ホステス心得帖』だ

ページTOPへ
モバイルショット

04/11
2016

mobamain

大沢悠里氏の継続の極意

「後悔はない。やり切った感じ。
これ以上やるとしつこい。あっさりも大事だよ。
30年間、聴いていただきありがとうございました」と。

さすが大沢悠里さんらしい番組最後のあいさつ。

『大沢悠里のゆうゆうワイド』は、4月8日
金曜日が最後の放送だったわけだが、何と丸30年。
1986年4月7日に始まったということだ。

もちろん本人もこれを最後に引退(?)しようと
思っていたようだが…。多くのリスナーから継続
を望む声が寄せられ、結果として“ゆうゆうワイド”
は、土曜日午後15:00~16:50(週1回)に移行という
ことになったという。(私たちの番組『ビジネス・ラボ』
にも継続を望む声は寄せられていたと思うのだが…、
私たちが固辞したことで…、はい)

私が大沢さんと親しくさせていただいて25年以上
になったわけだが、そのパーソナリティとしての
役割であり、責任感はハンパではない。
毎朝、始まる2時間半以上前にTBSに入り、ゲストの
方々に関わる情報の確認はもちろん、4時間半にも
渡るナマ放送の流れも打ち合わせしていたという。

またラジオから流れる声からは、その人の性格であり、
人間性も伝わってくると言われ、その結果がリスナー
からの“継続”を望む大きな声となったのだろう。

ビジネスでも経営において、“継続”の2文字は大切な
キーワードであることは確か。なぜ、大沢さんが30年間
番組を継続し、それでもまた継続を多くの人たちから求
められたのか。そこには何が存在するのか。

ここで中島流の分析。

大沢さんが、番組開始時に呼びかける「仕事をしながら
聴いてくれている方、病気療養中の方も聴いてくれてい
ると…」のフレーズ。そして番組最後の映画のエンドロ
ールのように読み上げる、すべての番組関係者のその役
割と名前。

これらの中に、継続のポイントがあるように思えてなら
ない。通常であれば、放送の表向きだけ大切にして発信
するのだが、大沢さんはさまざまな状況で聴いてくれて
いるリスナー側にも立ち、そして裏方の人たちを大切に
した展開をしていたのだ。

すなわち、表だけでなく「裏をも大切にした発信」である。

私も何度か寄せてもらったことがあるのだが、年に数回、
番組関係のスタッフすべてを招待しての食事会を開催し
ていたのだ。(もちろんすべて大沢さん持ちで…)

私達のビジネスに置き換えると、ビジネスに大切なのは、
つい表のお客様であり、仕事を発注してくれている人と
なるわけだが…、実は“継続”をテーマにしたときから、
“裏の人たち”、すなわち、そのビジネスを支えるスタ
ッフであり、関係者が大切になってくるということなのだ。

表も大切だが、ロングレンジで見ると裏の方がもっと
大切ということ。とにかく、大沢悠里さんの関係者を
大切にする言動はハンパではなかった。

やっぱり先輩方は身をもって大切なことを教えてくれ
るねぇ。私たちの日々でも、思わず“表”ばかり大切
にしがちだが、ここでもう一度“裏”のことも考えて
みようではないか。

さて大沢さんも少しは時間を取れるようになったことだし、
また街の“裏”を楽しみに行こうと誘ってみよ~っと。
(それってどこだ!?)

moba1

“裏”の人たちも大事にし続けた大沢氏

mobamain

私も25年来、親しくさせていただいている

moba2

時間も取れるようになったことだし…

ページTOPへ
はなまるア・ラ・カルト

04/11
2016

ara1

これぞビジネス「梃子の原理」


「力点・支点・作用点」
あったねぇ~。この言葉を久しぶりに
聞く方も多いのではないだろうか。

これは理科の授業で「梃子(てこ)の原理」
を習う時に教わる言葉。
力点へと入れられた力が支点を軸にして
作用点で作用する。小さな力でもその原理を
もとにすれば、大きな結果と成り得る。
そんなことを皆さんも遠い昔に学んだはず。

最近、この「梃子の原理」を思い出させ
る出来事があった。

それはダイソンのコードレス掃除機の便利さ!

部屋の隅に立てかけられて、収納にもバッテリ
ー充電にも場所をとらない。そして吸い取った
ゴミをレバーの操作だけで簡単に捨てることが
出来る。(これまでもダイソンの掃除機だった
のだが、コード付きのホース付き…)

手間要らずの優秀な掃除機を買った結果、
私がどうなったかというと…さらに掃除の回数
が増え、常に部屋を綺麗に維持しているのだ!
(もともと綺麗好きだけども…。)

そして全国各地の地産品を扱う浅草の
「まるごとにっぽん」で購入した柄付きタワシ
もそのひとつ! 10㎝ほどの柄がついている
タワシで、手を汚さずにフライパンなどが楽々
洗えてしまう。だから手が荒れることもないし、
服も汚れなくて済むといった優れものだ。

こんなちょっとしたことで、あの面倒な洗い物
が楽しくできるようになったのだ。
(楽しくはないかなぁ~)

これぞまさに小さな力(工夫)で起こった大きな変化、
「梃子の原理」と言ってもいいのではないだろうか。

私達の日々のビジネスの中でも実はこの
「梃子の原理」と思えるものが沢山ある。

例えばそのひとつに、中島流の5mm幅の小さな
ポストイットを活用した手帳の使い方がある。
15年ほど前から習慣にしているのだが、やるべ
きことの優先順位が明確となり、仕事が格段に
スムーズになった。もちろんiPhoneやiPadを
活用することで、あれこれと資料やダミーを
たくさん持たずとも会議やプレゼンテーション
が行えるようになったわけだが…。

それから私の会社で今、行われている
“スライド会議体験”。これは各会議の場に
本来のその会議メンバーでない人にも参加し
てもらい、その会議を体験してもらうというもの。
(勿論、感想コメント付きで。)

参加した人がその会議の目的であり、
その内容を知ってもらうというだけでなく、
本来のメンバーにも、その目があることで
充実した内容にしてもらおうというもの。

本来の「梃子の原理」とは少し違うかもしれないが、
小さなアイデアで、大きな改革につなげようという
ことだ。ITばかりに頼らなくとも、ちょっとしたア
イデアだけでも、そのリターンが大きく好影響を
与えることってあるんだよねぇ~。

このビジネス「梃子の原理」を実践出来るかどうかが、
結果として大きな差になってくるんだよねぇ~。

ara2

ダイソンのコードレス掃除機は優れもの!

ara3

柄つきタワシで楽々洗い物♪

ページTOPへ
ファインスピリッツキーワード

04/11
2016

key main

中島流・プロセス主義の証!

ワイナリー構想を打ち出してから
はや1年以上が過ぎ、振り返って思う。
それは、全てのプロセスは必然だったということだ。

なぜ今、私がそんなことを感じたのか。
それは…。

1955年、北海道の十勝・帯広で生まれた私は、
出戻る母に連れられて日高山脈のふもと、
祖母の家である芽室町の農家で育った。
子牛の脱脂粉乳やり、畑の草取り・収穫など、
私の幼少期の記憶はすべて農業にまつわるものだ。
里山に囲まれながら、18歳で高校を卒業するまで、
私は芽室町で生活してきた。

高校卒業後は愛知県立芸術大学を受験したものの、
何の準備もしていなかった事もあり案の定うまくいかず、
東京の専門学校へ通うことになった。
ここで北海道を離れることに。
その後は何社か勤めるものの、
そのまま続けたいと思える会社に残念ながら出会えなかった。

そこで、1982年に自ら企画制作会社を立ち上げたのだ。
それから33年後の2015年、
今度は東京ではなく出身地・北海道の十勝に
「十勝里山デザイン研究所」を設立し、
ワイナリー構想を展開することになった。
私はふたたび、北海道の里山と向き合うことになったのである。

歩んできた人生のプロセスが少しでも違っていれば、
今回の決断には至っていなかっただろう。
経営コンサルタントの船井幸雄氏の言葉に
「この世で起きることはすべて必然・必要です」というものがある。

帯広で育つはずが、母の出戻りで芽室町の里山で日々を過ごしたこと。
志望する愛知芸大に落ち、東京の専門学校へ進学したこと。
会社をいくつか変えるなかで出会いに恵まれ、
クリエイターでありながらも経営者への道を選んだこと。
そして、興味のあった経営コンサルタントとしても活動することで、
経営のノウハウを身につけられたこと。

もし私が里山で育たず、あるいは北海道に居続けていたら、
里山でのワイナリー構想には当然辿りつかなかっただろう。
すべてはここへ行き着くための
プロセスだったのでは? と思えてならない。

そしてここからが、中島流・プロセス主義。
今起こっていることはすべて“プロセス”であると捉えるのだ。
幸も不幸も、禍も福も、実はすべてに次へ繋げるための役割があり、
次のチャレンジのためのプロセスとなっている。
目の前の困難も、未来へのプロセスだと捉えることで、
ここで何かを学べばいい、ここで気付きを得て
次へのヒントとなればいいと受け止めることが出来るはず。

まさにすべてが必然! そう考えるだけで、景色は違ってくる。
私にとって、再び里山へ向き合うこのワイナリー構想は、
“中島流・プロセス主義の証”なのだ。

とはいえ私はまだ60代になったばかり。
まだまだ歩いていくこの道も、
何かのプロセスになっていくのだろう。

key main

芽室町の里山で育った

key2

美しい雪景色

key1

厳しい冬の寒さ

key3

若き日の私

ページTOPへ
モバイルショット

04/04
2016

moba1

ヨハン・クライフ氏から学ぶ“挑めばチャンス”

美しく敗れる事を恥と思うな。
無様に勝つ事を恥と思え」

うんうん、いいねぇ~。すばらしい言葉。
私がよく口にする“美しく、生きる”と
は、まさにそういうこと。

(この人は“人の道”をわかっているねぇ~)

これは先日、世界に訃報が飛び交った伝説の
フットボール選手、ヨハン・クライフ氏の言葉。
亡くなった翌日に開催されたオランダ対フラン
スの親善試合では、前半14分に1分間の中断を
とり、両チームの選手はもちろん、5万人のサ
ポーターも立ち上がり、伝説のクライフ氏の
追悼を行ったという。

それほどクライフ氏の存在が近代サッカーに
及ばした影響は大きいということだ。

えっ!? なぜ14分?なんて思っている人は、
サッカーファンではない人。
夢にまでクライフ氏が登場する私ほどの
サッカーファンにとっては、ヨハン・クライフ氏
の名と14番という関係は切っても切れない関係なのだ。
(代名詞と言える背番号ってこと)

はっはっはっはっ…
(実は話の流れで書いてしまいましたが、
それほどのサッカーファンでもない私とし
ては調べれば調べるほどその功績に驚くばかり)

とにかく私の知っているサッカーの経験者や
関係者からたびたび耳にしていた名前だったのは確か。

フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)とか
エル・サルバール(スペイン語で救世主)などの
様々なニックネームを持っていた。

「本当に素晴らしいフットボールは、国境を越え、
自分の属する国籍まで忘れさせ、人々を熱狂させる」
(うんうん、まさにそう思うが…)

それほどのサッカーを実践できる自信を持っていた
ということだろう。日本でいうところの内村選手率
いる“美しい体操”!? そしてここ数日観客を沸か
せている羽生選手の男子フィギュアだろうか。

たとえビジネスの世界でも私たちが目指さなければ
ならないのは、目先の数字や功績ではなく、世界に
も通じ未来を創って行くワザであり、ノウハウのビ
ジネスなのではないだろうか。

日本は特に世界に誇れる文化であり、感性、そして
技術をも持っている国なわけである。いや、それだ
けではない。“美しい里山”も日本全国に持っている。
もっともっとその資源も日本人の感性も活かして、
世界に通用するビジネスをあれこれチャレンジするとき
だということ。

伝説のクライフ氏はこんな言葉も残している。

「月並みなやり方をするくらいなら、自分のアイデアと
心中した方がマシだ」

「才能ある若手にこそ、挫折を経験させなければなら
ない。挫折はその選手を成長させる。それは最大の良薬
だからである。」

「良い監督は、あるプレーヤーの短所を、
別のプレーヤーの長所でカモフラージュする」

いや~どの言葉も十分ビジネスにも通用する言葉だこと。
スポーツであれ、ビジネスであれ、何事もつき詰めて行くと、
同じところに行き着くということだ。
やっぱり人がやっていることだからだろう。

とにかくクライフ氏は、もっともっと自分を信じて突き詰めろ!と。
「挑めばチャンス、逃げればピンチ」を身を持って
教えてくれたのだろう。

さて私も、守るものも少なくなってきたことだし、
ここは自分のアイデアと心中しようかなぁ~。

moba1

Mr.セイージも哀悼の意を…

ページTOPへ

BACKNUMBER

ページTOPへ