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07/11
2022

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90歳のアイアンマンへ!稲田弘選手の“善循環”

今、89歳のアイアンマンチャンピオンが、
私たちの前で、90歳でのチャンピオンの可能性を語ってくれた。
その方の名は稲田弘(ひろむ)選手。
もうすぐ90歳になるとは思えないようなスクッとした人だった。

アイアンマンレースはフルトライアスロンと呼ばれ、
スイムが3.8km、バイクが180km、
ランが42.195kmのフルマラソンを17時間以内に
走りきる過酷な競技。
このレースに、稲田弘選手は何度も出場して完走をし、
年代別のチャンピオンにもなっている。

稲田氏は69歳で奥様を亡くし、
やることがなくなりトライアスロンを始めた。
奥様存命中に内緒でロードバイクを購入していたこともあり、
2002年70歳でトライアスロンに初挑戦。
年に3回ほどトライアスロンの大会に出場。
出場する度に、最高齢の完走者として
表彰してもらったことが“くせ”になっていったという。

2008年、76歳でついに“アイアンマンジャパン”に初出場。
この時は完走できず、挫折を味わい、
そこからトレーニングセンターへ通い始める。
そしてついに、2011年に79歳で世界選手権KONA大会に初出場
2012年には80歳で世界チャンピオンになり、
しかも80歳以上でのコースレコード、15時間38分を打ち立てる。

2015年、ハワイでのアイアンマン世界選手権では、
完走タイムが16時間50分に制限されていた。
この時、稲田選手は調子が悪く、
16時間50分5秒となり失格。
わすか5秒のオーバーに、世界中から稲田選手のフェイスブックに
多くのメッセージが届いたという。
これを機に、自分のためではなく
世界中の人の期待があって走れていると思い、
トレーニングや大会参加への覚悟が変わったという。

そして、2016年、2018年、当時84歳と86歳で
世界チャンピオンに!
その後、コロナにより走る機会は奪われてしまったが、
90歳でアイアンマン大会に出るべく、
今トレーニングを重ねているという。

中島流で稲田選手をまとめると“稲田弘流善循環”だ。
アイアンマンレースに出場
→ 高齢もあり注目される
→ 応援の声、支援者の協力
→ モチベーションアップ
→ フィジカルトレーニングに励む
→ 日々の節度ある生活が当たり前に
→ アイアンマンとしての体力と精神力の充実
そしてアイアンマンレースに出場

この善循環なのだ。この流れがあるからこそ
シャープな肉体と人前で堂々と喋れる稲田弘選手になったのだろう

そんな稲田選手に質問してみた。 
「多くの応援者がいらっしゃるが
やはり女性の応援はうれしいですか?」と。
すると、間髪入れずに
「もちろんです。私は女性大好きです!」と。
さて、89歳でもオトコは女性を意識するし、大好きなことも理解できた。
私は現在67歳。稲田選手は69歳から始めてアイアンマンのチャンピオンに。
え~~まずは泳ぎから訓練しないと・・・果して!?

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稲田弘(ひろむ)選手と

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はなまるア・ラ・カルト

07/11
2022

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“人間万事塞翁が馬“とは言い得て妙!?

私はある事をきっかけに
“人間万事塞翁が馬”ということわざを
頻繁に使うようになった。

私が大ファンの課長島耕作の作者
弘兼憲史さんも大好きなことわざの一つだという。
「黄昏流星群」や「加治隆介の議」など人気漫画の物語は
そのほとんどが“人間万事塞翁が馬”がコンセプトになっていると思っている。

弘兼さんと顔見知りになったのは、30代後半。
もう30年くらいなるわけだが、ある日“ヤング島耕作”に私らしき
広告企画会社の人物が登場するのだ。(そのくらい似ていた)
ということもあり、この“人間万事塞翁が馬”を意識するようになったということ。

私は小学4年生で柔道を始めたが、5年生頃でも
身長が133cmと小さく、列の前にいつも居たが
“自分より大きい子に勝ちたい”
“強くなりたい“という気持ちへとつながり、
柔道に真剣に取り組んでいた。
結果的に、大人になってからだが、
埼玉県の国体の強化選手に選出されるくらいにはなったわけだ。
それは、自分が多くの人と比較して小さいことがコンプレックスで
もっと強くなることへのモチベーションとなり
“人間万事塞翁が馬”といえるだろう。

又、もう一つ“人間万事塞翁が馬”と
思えるような経験をしている。
北海道の十勝の日高山脈の麓で育った私だが、
決して裕福ではなかったので、
国公立大学なら受験していいと言われていた。
しかし、思わずデザインやアートの道に進みたいと思い、
芸大にチャレンジしたが、あっけなく落ちたことで
専門学校に行くことになったのだが、
このことも自分の中でコンプレックスとなり、
常にハングリーで物事に取り組むことができた。

更には、社会人になってからは、
理想的な就職先に出会えなかったことで
27歳で起業を決断し、弊社(クオーターバック)は創業40年となる。
学校も就職先もそれほど恵まれなかったことが、今につながっている。

そして直近の話でいうと、2015年に
出身地の北海道十勝の芽室町を活性化しようと
取り組んでいたMemuroワインヴァレー構想が(まちづくりプジェクト)
2018年、関係者の離脱ドラブルにより頓挫してしまった。
かなりの投資もしていたこともあり、
その当時は悔しさも大きかったのだが・・・
ただ結果的に2020年には
新型コロナウイルスが蔓延したことから
交流人口が激減し、プロジェクトが遂行していたら
今頃は大きな負債を抱えることになっていただろう。

これぞ“人間万事塞翁が馬”だ。

当時は不運と思っていたことだが
長い目で見ると“人間万事塞翁が馬”だと言える。

様々なトラブルは必ず人生の中でやってくるが
それだけで落胆せずに
次なる幸運に期待し、チャレンジし続けられるかどうかだろう。
そして、結果として“人間万事塞翁が馬”となるのだ。

人生は長い。一喜一憂せず
様々なチャレンジをしていこう!

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弘兼憲史さんの人気漫画

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