これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

11/14
2022

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中島流、来たるべき時代の“ビジネス予測”と「デザイン思考」

“時流をつかめ! ” 、“まだ来ぬ未流をつかめ! ”と
私は来たるべき時代のビジネスを
20年以上、いや30年以上にわたり予測して来た。
先日、これまで創った“デザイン概念図”を見て、
かなり前から“この来たるべき時代”を
しっかり予測できていたと、
自分のセンスに感心してしまった。

皆さんご存知の“パラダイムシフト75”は、
最初の拙著『非効率な会社がうまくいく理由』
(2007 年フォレスト出版)で語られている。
ということは、この説を16、17年ほど前から
セミナーなどで語っていたかもしれない。

その後、75年周期の概念図は進化し続けている。
2018年に創られていた“Bizパラダイムシフト75”は、
“昭和Bizパラダイム”から新たな“ニューBizパラダイム”へ、
ということで、DXも含めてのビジネスの大転換を予測し求めていた。
これまでの“昭和のビジネス”とは違うビジネスが
展開されることが概念図からも見て取れる。

“パラダイムシフト75の25”では戦後の75年を3等分して
それぞれを“経済復興時代”、“バブル経済時代”、
“インターネット経済時代”として、
新たな時代を“プラットフォーマー時代”とネーミングしている。
地球規模で展開するメガプラットフォーマー企業たちの
出現はこれまでのビジネスの常識を変え、
私たちのビジネスにも少なからず影響を与えると予測していた。

その後、時代の大きなパラダイムシフトを
元号が“令和”となったことを受け、
“昭和Bizパラダイム”から“令和Bizパラダイム”とした。
そしてこれからのビジネスの方向性として、
DXのための具体的キーワードや項目をあげ発信しているではないか!
(うんうん、さすが発信内容が立体的で具体的でもある)

そして、2020年の新型コロナウィルスの到来を受け、
この“令和Bizパラダイム”への移行が、
約10年短縮される可能性も概念図で語っている。

加速度を持ってどんどん変化する掴みどころのない時代を
このような中島流の“デザイン概念図”とすることで、
来たるべき未来を分かりやすく表現しているのだ。
今注目の“デザイン思考”と言われるものは
まさにこういうことなのだろう。

なかなか言葉や文字で表現しにくいもの、
どんどん流れて行くものをカタチにして表現することで、
視覚的に分かりやすくして皆さんにお伝えしている。
誰もがする予測ではあるが、中島流の“デザイン概念図”により
ビジネスがどこに向かおうとしているのか、
経営者はどう先取りをすればいいのかを示唆してきたということ。
未来を読み取り、次なる手の発想への手がかりにも
なっている。

“選ばれる仕事道”として、私のしてきたことを
紹介するのは照れくさいのだが…。
自画自賛してみた

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Bizパラダイムシフト75

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CORONAトランスフォーメーション

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選ばれる仕事道

10/31
2022

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“三ん寅”になぜ60分も並ぶのか⁈ “意味の消費”時代の仕事道‼︎

先日、“やっぱりここはラーメンでしょ”ということで
並ぶ覚悟で、人気店の江戸川橋の「三ん寅」へ。
13時頃から並び、店内に案内されたのは14時。
ちょうど1時間である。

目の前にどんぶりが現れ、蓮華でスープを一口啜った途端に
“うんうん、これこれ!”と、1時間並ぶのも納得してしまう。

並んでいる若者たちも、仲間と会話しながらも
行儀よく静かに並び60分間待っている。
そして食べ始めるとみんな納得の顔になるのだ。

実はこの“三ん寅”から2〜3分のところには、
ラーメン専門店や中華屋さんが4〜5店、軒を連ねる。
街には様々なラーメン屋さんが並んでいて、
ある程度以上の味づくりがされていたとしても、
1時間も費やしても注目の人気店に並ぶということ。
これが、このところ繰り返し発信している“意味の消費”現象だ。

すなわち、自分にとって“意味のあるもの”にはお金も時間も使う。
ということは、提供するモノやサービスを
いかに“意味あるもの”に創り上げるかが重要なわけだ。
すなわち“意味の創出”である。

ところで、この“三ん寅”だが、
一朝一夕につくられたラーメン屋ではない。
ラーメン好きならご存知の方も多いと思うが、
札幌の名店“すみれ”で17年も店長をされた方が
満を持して、ここ江戸川橋にお店を出した。

そこまで北海道の激戦区で尖ったラーメンづくりを追求してきたから
“意味の創出”につながっているわけだ。
ここには店主の“仕事道”が存在する。

そして、“意味の創出”ということで、もうひとつ紹介したいのが
“Rojiura Curry SAMURAI.”。

このお店も神楽坂近くにあり、既にビジ達でも紹介しているが
“野菜を食べる”をコンセプトにしたスープカレーのお店だ。
札幌で小さなお店から始まり、今は全国で20店舗ほどに拡大。
そこで出されるライスは、ここの経営者の北海道の実家でつくられているという。

このスープカレーのお店は、ミレニアル世代やZ世代にも人気で
やはり行列のできる繁盛店だ。
野菜が13種類も入っていて、
写真を見てもらうとわかるように“映え”が若者にも刺さるポイントだろうか。

野菜は追加もできれば、嫌いな野菜を他の野菜に替えることもできて、
無添加スープで辛さも変えられるが、とにかく味がいい。
やっぱりここにも、北海道からチャレンジするに値する
商品づくりの“仕事道”が存在するのだ。

やはり、“意味の消費”時代の繁盛店は、一朝一夕にはできていない。
そこに至るまでのストーリーがしっかり存在していることが共通点だ。
もしかしたら“意味の創出”には関係者の“仕事道”が
必須項目なのかもしれない。

ちなみに“三ん寅”は、TRY(東京ラーメン・オブ・ザ・イヤー)を受賞し、
コンビニにも“三ん寅”のカップラーメンがあれこれ並んでいた。
味はまさに“三ん寅”の味そのものが再現されていて、美味しかった。

こだわりやストーリーがあるものは“意味の創出”につながり、
お金も時間も使う“意味の消費”が生まれるわけだ。

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スープカレーのお店“Rojiura Curry SAMURAI.”

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選ばれる仕事道

10/03
2022

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『シン・メイド・イン・ジャパン』という書籍の贈り物

ある日、私の手元に届いた書籍。
そこにはこのような手紙が添えられていた。

「唐突に書籍をお送りしましたこと、お許しください。
株式会社セルコというコイル巻線の会社の
会長の小林と申します。
20数年前、海外取引が中心だった当社は、
注文を一気に打ち切られ、
倒産の危機の中、どうにか這い上がり、
昨今ようやく人並みの売上、利益率を出せるような会社になりました。
一昨年、息子に社長をゆずり、私は代表取締役会長として
まだまだ現役で、この会社をもうワンステップ上の段階に
押し上げるべくがんばっています。
そこでこの度、同封の『シン・メイド・イン・ジャパン』
という本を出版する運びになりました…
(中略)
私は“月刊CDビジネスイノベーション”の
始まりからずっと聴かせていただているヘビーユーザーです。
特に小山政彦さんのお話は、何度も何度もお聴きしているうちに
頭がすっかり洗脳され、会社も小山さんがいつも
仰っている方向に向かっています…」

こんな内容の手紙だった。
月間CDのスタートから聴いていたという小林延行会長。
船井メディアが制作していた時からなら
20年超は間違いない。
そして地方の方々は車で聴くことが多く、
乗るたびに何回も繰り返し聴いてくれている。
結果として倒産の危機から“注目の企業”へとV字回復するわけだから、
とにかく嬉しい話なのだ。

この月刊CDのプロデューサーであり
パーソナリティでもある私は、
書籍が届いてからすぐ小林会長に電話を入れ、
この月刊CDビジネスイノベーションにゲストとして
登場していただくことになった。
(ふっふっふっ、この決断は素速い)
いろいろな試行錯誤の上、
“シン・メイド・イン・ジャパン”に行き着いたわけで、
ここまでの経営者としてのチャレンジ、決断について
ぜひ聞いてみたい。

さて、実はこれまでも月刊CDの受講者がゲストとして
登場してもらったケースはいくつかある。
その代表事例を紹介すると…、
【事例:1】ブックオフの創業者で、“俺の株式会社”社長だった
(故)坂本 孝氏。
記憶に残る面白い社長だった。
これまでの起業の勝敗は2勝10数敗とよく口にしていた。
“ブックオフ”とピアノ買取の会社は勝ち組企業。
“俺の株式会社”含め、まだまだ勝ち組起業といえないと言っていた。
坂本社長のお誘いで俺の株式会社の経営計画発表会にも
参加させてもった記憶が…。

【事例:2】“手芸センタードリーム”の小野株式会社,小野兼資社長。
香川県に本社を置く企業で、
今や日本全国に100店舗になろうとしているのだ。
香川NBCに所属していることで知り合い、
ずっと聴いているCD受講者だと知った。

月刊ビジネスイノベーションはもうすぐ20年となる。
本当に受講者の方々に感謝である。
小林会長は、この11月に長野県小諸市から社長含め何人かで
収録に来てくれるという。収録日が楽しみだ。

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小山氏の月刊CDビジネスイノベーション

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選ばれる仕事道

09/20
2022

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アイアンマン稲田 弘氏の、 90歳のモチベーション

アイアンマンとしての制限時間、わずか5秒オーバー。
たった5秒でもアイアンマンレース完走の称号はもらえない。

当時のことを稲田 弘さんはこう振り返る、
「このときのゴールシーンがとてもドラマティックだったと
世界中のメディアが取り上げて、私のフェイスブックにも多くの人から
メッセージが届きました。
この出来事からモチベーションが変わりました。自分の為だけじゃなく、
世界中の人々の期待に応えたいという気持ちで走り続けています」

先に、ギネスブックにも取り上げられている“90歳のアイアンマン”
稲田 弘さんに、動画番組“Business Today”に出演してもらった。

稲田 弘さんは、前にこのビジ達で経歴は紹介させてもらったが
今回改めて動画番組のために直接インタビューさせていただき、
さまざまな思いを語ってもらったわけだ。

制限時間5秒オーバーの出来事は、
2015年のハワイでのアイアンマン選手権でのこと。
この年は大会の規定により従来の制限時間から10分短縮され16時間50分に。
稲田選手は途中で吐いてしまってものが食べられなくなり、
エネルギー不足と熱中症でふらふらな状態になってしまったという。
制限時間が刻々と迫ってきてのギリギリのところでのゴールだった。

ゴール周辺にはたくさんの観客や出場者が集まり、
稲田選手に向けた熱い声援が送られていた。
稲田選手はどうにかゴールラインに続く花道に入ってきたのだが、
50mくらいのところで一度転び、ゴール直前1mくらいのところで再び転倒。
やっとゴールした時のタイムは、なんと16時間50分5秒。
すなわち制限時間のわずか5秒オーバー。

当然、完走ゴールとは認めてくれないわけだ。

ゴール直前に2度の転倒をし、なおもゴールした稲田氏のゴールシーンは
人々に感動と勇気を与えた。

ということから世界中の人々の期待に応えたいと思い
走ることになったわけだが、
稲田氏はこうも付け加えてくれた。

「古い言い方かもしれないけど、大和魂というか日本人の誇りを
見せたいという思いもあるんです。
大袈裟に言うと、“期待に応えないと生きて日本に帰れない”
くらいの気持ちで走っています」と。

いつも動画番組“Business Today”での最後の質問は
「○○さんにとっての仕事とは」を出演者にきいているが、
既に仕事を引退している稲田さんにとって、
このトライアスロン、すなわちアイアンマンレースにチャレンジすること
多くの人たちの期待に応えるための“第二の仕事”なのかもしれないと語っていた。

多くの人たちの期待と、応援や支援がモチベーションに変わり、
90歳になっても、健康で意欲を持ってレースにチャレンジできる
理由なのかもしれない。

さて、私も次なる存在理由をつくらなくては!?

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稲田氏が挑戦し続ける理由とは

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選ばれる仕事道

09/05
2022

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100歳のインパクト! 時代の文化と価値観の醸成について

先日“実践人の家”の東京研修会に参加させていただき、
普段はなかなか聞けない方々の講演を聴かせていただいた。
初めて臨済宗円覚寺派管長、横田南嶺先生のお話も
直接聴かせていただいた。
(“実践人の家”については別の機会に紹介する)

さて、今回の「選ばれる仕事道」のテーマは
100歳の鮫島純子(さめじますみこ)女史の
お話をこの“実践人の家”にて聞き思ったことだ。
鮫島純子女史は、渋沢栄一氏の孫にあたる方。
1922年生まれでちょうど100歳。
この100年間の自分の体験や生き様、祖父である渋沢栄一氏とのことを
矍鑠と80分間立ったまま明確なお話をしてくれた。

渋沢栄一氏といえば、“日本資本主義経済の父”とも称され、
「論語と算盤」の価値観にて、「経済は重要だが、
ただ己の利益を追求することのみを目的にしてはならず、
そこには道徳的観点が必要だ」と強く主張している。
その少し前に活躍した二宮尊徳氏の「道徳を忘れた経済は
罪悪である。しかし、経済を無視した道徳は寝言でしかない」に通じる。
時代は移っても良識ある日本人が着地する価値観は一緒ということだろう。

今回伝えたい話は、鮫島女史の話を聞き思いを巡らした
「時代の文化と価値観の醸成」についてだ。
鮫島純子女史は祖父である渋沢栄一氏と住まいは別だったが、
祖父に頭をなでてもらい、榮太郎の飴をもらったりした。
父親は栄一氏の三男の渋沢正雄氏。栄一氏の多くの事業を受けつぎ
実業家として活躍し、常に仕事と対峙する実直な父だったという。
鮫島女史はこのような環境で育ち学んだ。

渋沢栄一氏の精神を受け継ぎ、少女時代の質素倹約の暮らし方を
結婚後も実践。洋裁を習い、夫の私服や子供達や自分の着る物を
ほとんど手作りしたり、物を大事に長く使う工夫など、
生き方や生活全般に知恵が溢れている。

人はどの時代を生き、どんな文化を体験してきたかが、
その人の価値観に大きく影響する。
鮫島女史が、私たちの知らない1922年からの100年を
過ごしてきたことが鮫島女史の“仕事道”だ。

(後半は私も体験しているわけだが・・・)
この100年の間に鮫島女史が体験してきたことをあげると…、
“大正デモクラシー”、“大正ロマン”など多くの言葉
が生まれた大正時代の1922年生まれ
・大正から昭和にかけての戦争
・太平洋戦争そして敗戦
・戦後の厳しい社会環境からの復活
・1964年の東京オリンピック
・日本の経済の高度成長
・バブル経済崩壊
・TOKYO2020(2021年オリンピック)

鮫島女史の価値観形成には、祖父、渋沢栄一氏との交流、
仕事に実直に取り組む父親からの薫陶。
もちろんDNAによるパーソナリティが
寄与することもあるだろう。
このように育った環境と、時代の出来事がからみあい、
次なる時代の価値観が醸成されていくということ。

私が「時代の文化と価値観の醸成」に注力するのは、
今、ミレニアル世代やZ世代が
次の時代の社会やビジネスを創造しようとしているからだ。
彼らの“問題を発見し、意味を創出する”価値観は、
私の世代と大きく違う。これからはこの価値観が
次の時代を牽引すると思っている。

今回は鮫島女史の仕事道からの
「時代の文化と価値観の醸成」のお話でした。

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渋沢栄一氏の孫、鮫島純子女史

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