これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

04/15
2024

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番組が36年も続くには、ワケがある! 大沢悠里さん、文藝春秋5月号に登場。

“Guess who I am.私は誰でしょう?!”
文藝春秋5月号「小さな大物」というコーナーに登場した
あのTBSラジオの大沢悠里さん。
何とラジオ一筋59年。
まさに“レジェンド”と呼ばれるに相応しい
アナウンサーとして紹介されていた。

文藝春秋におけるこのコーナーは、
その人の活躍を写真アルバムを通して紹介する展開。
大沢悠里さんが千歳飴を持つ時代の写真から、早稲田大学在学中、
そしてTBS入社試験用の写真も紹介されていた。
(この入社試験用の写真が、本物より男前なんだなぁ〜)

→永六輔さんとのラジオ番組写真。
「永六輔さんは、手を抜く人には怖いけど努力する人には優しい」
というコメントも。

→パーソナリティでもあった内海桂子・好江師匠との写真。
写真キャプションには“両師匠には人生を教わった”と書かれていた。

→“ゆうゆうワイド”最終回での歴代パートナーたちとの集合写真。
月曜から金曜まで、5人のパートナーと番組展開していたわけで
最終回にはみんなが集まってくれたという。

→そして何といっても毒蝮三太夫さんとの付き合いは60年!
ラジオ番組卒業後、毒蝮さんとゴールデンコンビとして、
『GG放談』つまりジジィ放談としてSpotify独占配信の
Podcast番組として展開している。

【36年も大沢悠里さんの番組が続く理由!】

1986年開始の「大沢悠里のゆうゆうワイド」は36年間続いた長寿番組。
とにかくず〜っと人気番組だったということ。
先程の番組パートナーへの対応もそうだが、
とにかくいつもの関係者を大切にしていた大沢悠里さん。

先日最終回を迎えた人気金曜ドラマ『不適切にもほどがある』にも
1986年、新たに始まったラジオ番組として、ドラマの中で
“ゆうゆうワイド”が紹介され、大沢さんが声の出演をしていた。
確かに昭和の時代から平成、令和と続いた
身近でポピュラー番組だったということ。

◆私の2冊目の著書『儲けないがいい』が出版された時、
大沢さんに番組内で紹介してもらった記憶が…
あ〜大沢悠里さんに書籍の帯の推薦文も書いてもらっていた。
(私もいろいろお世話になっています)

【“番組に関わる人を大事にしたい!”が大沢さんの思い!】

私も何度もTBSにお邪魔して、ゲストを紹介させてもらったり
イベントの打ち合わせをさせてもらっていた。
その度に感じていたのは、ゲストのお客さまはもちろん、
番組のパートナーであり、関係スタッフを大切にしているということ。
大沢さん曰く
「僕がいつもスタッフを可愛がることは、聴いてくれる人たちを
可愛がることだと思ってやってきました。
スタッフを優先して大事にすると、みんな一所懸命に仕事をしてくれるし、
それは聴いている人にも伝わりますから」

ということもあり、大沢さんは毎日の番組の最後に必ず、
出演者とスタッフ全員の名前を読み上げている。
(まるで映画の最後の字幕のように…)
限られた放送時間のなかでもそれを続けたのは、
やっぱりスタッフを大事にしたいという思いから。

まさに大沢悠里流、大人気アナウンサーの仕事道!

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「小さな大物」というコーナーに注目

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選ばれる仕事道

04/08
2024

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日本の“ロケット開発の父”糸川英夫先生は、常に“逆転の発想”の人だった!?

JAXA種子島宇宙センターの“日本のロケット開発の変遷”には
「第二次世界大戦後にゼロから再出発した日本のロケット開発。
1955年に糸川英夫教授が、わずか23cmの“ペンシルロケット”を
発射してから現在まで、日本のロケットはさまざま変遷を経ながら、
短期間で大きな進歩を遂げてきました…」と書き綴られていた。

ほう、1955年といえば私が生まれた年。
その頃に日本では初めてのロケットを…それもあの糸川先生が…

昨年10月、ある経営者会議のリトリートで
ついにJAXA 種子島宇宙センターを訪れることとなった。
もちろん種子島だけでなく、お隣の屋久島も訪れるわけだが…

とにかくロケット打ち上げの度にテレビで観ていた
あの打ち上げの基地であり、カウントダウンの際に関係者が
緊張した面持ちで集まる部屋もついにナマで見られるわけだ。

そして“わが国初めての”という本格的展示館に入り、
最初に目に飛び込んできたのが
この「日本のロケット開発の変遷」というタイトルと糸川英夫教授の写真。
(私だけはその前でしばらく立ち尽くしてしまった)

実は糸川英夫先生の80歳(?)の誕生日前後に
当時の『月刊オムニ』の編集長から紹介されお会いし、
その後も六本木にあった“組織工学研究所”を何度か訪れ、
糸川先生に直接取材をさせていただいていたのだ。

多分1991~2年頃だと思うが…
私のようなロケットのことも組織工学のことも知らない者にも
優しく丁寧にあれこれ教えてくれていた。

そしてある日、「わが社の一緒に取材した女性スタッフが、
糸川先生のこと、素敵な方だと言っていましたよ」と伝えると
糸川先生は真剣な表情で「今度、ぜひ紹介してください」という。
(日本で初めてロケットを飛ばした人らしくない受け応えがいい)

【小惑星探査機「はやぶさ」と、小惑星「イトカワ」の意味?!】

さて、みなさんは小惑星探査機「はやぶさ」であり
小惑星「イトカワ」を聞いたことがあるだろう。
2003年5月に打ち上げられたJAXAの探査機が「はやぶさ」。

そしてその小惑星探査機「はやぶさ」が長い苦難の末、
小惑星に着陸してサンプルを取得したのだが、
その小惑星の名前が「イトカワ」となったのだ。

実は糸川さんは“中島飛行機”時代、イノベーションといえる戦闘機を
いくつも設計していて、その中でも注目なのが「隼(はやぶさ)」である。
これでネーミングの意味が理解していただたけただろうか。

小惑星探査機「はやぶさ」が、サンプルを取得した後、
2010年6月に無事帰還した。
世界初の地球・小惑星間の往復飛行の達成であり、
世界初のサンプルリターンの成功として大きく報じられた。
この「はやぶさ」が着陸した小惑星は、1998年に
米マサチューセッツ工科大学の小惑星研究チームが発見した
小惑星ではあったが、糸川さんがかつて所属していた
東京大学宇宙航空研究所(現JAXA)の後輩たちが命名権をもらい
「イトカワ(itokawa)」と命名したという。

【“逆転の発想”のイノベーター糸川英夫先生だった?!】

このJAXAにとって、“イノベーター糸川英夫”は、
かけがえの無い存在だった…いや今もかけがえの無い存在のはず。
そしてロケット開発を引退した後も話題の多い糸川先生だった。

そういえば…
ストラディバリウスにも負けない音を出すバイオリンも開発していた。
還暦を過ぎてからバレエを習い、日比谷の帝国劇場で
「ロミオとジュリエット」を熱演したという。

1974年に出版した『逆転の発想』は、その後の続編等も含めると
120万部を超えるミリオンセラーを記録したという。
(うんうん、私も読んだ記憶が…)

私が偉そうに語ることはないのだが、こんなに活躍された
“糸川英夫先生”と、ある時期交流を持てたことが嬉しい。
今年の2月に出版された
『国産ロケットの父・糸川英夫のイノベーション』(田中猪夫著)
を読みながら、その当時を思い出しながらニヤけてしまった次第。

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JAXA 種子島宇宙センターでの写真

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『国産ロケットの父・糸川英夫のイノベーション』(田中猪夫著)

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03/18
2024

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ミレニアル世代の首長として、 石丸伸二市長の未来ビジョンに期待!!

先日、私が番組キャスターとしてお手伝いしている
東京NBCのBeyond Business Channelで、
あの注目の安芸高田市の石丸市長にオンラインではあるが
インタビューする機会があったのだ。
もちろん東京NBCのYouTubeチャンネルで発信するためのもの。
YouTubeにアップして1週間ほどすると、視聴回数はなんと6万を超し、
今は7.8万回の視聴となっている。
(さすが、インフルエンサーはスゴーい!)
石丸市長はある意味人気のインフルエンサーでもあるということ。
YouTubeを観てみると、元大阪知事の橋下徹氏や
古舘伊知郎チャンネルにも登場していた。
私も石丸市長の情報を集めてからこのインタビューに臨んだわけだ。
以下がその URL
https://www.youtube.com/watch?v=gt3l3LCdE8M&t=40s

【首長と議会との対立が、SNSで大きな話題に!】

大手銀行出身の石丸伸二市長(41)は、
歯に衣着せぬ発言で議会と激しい攻防を繰り広げ、
X(旧ツイッター)や市のユーチューブ番組で積極的に発信している。
市長は市議会に対し「感情だけで政策に反対しており、
議会の体をなしていない」と批判もするが、
二元代表制での対立は“本来の姿”だとも強調する。

SNSを活用する狙いについて石丸市長は…
「一つは投稿を通じた政治の見える化。
もう一つは、安芸高田市の生き残り戦略だ。
市の人口はここ10年で約5千人減り、約2万7千人。
このままでは20年後に市の機能が維持できなくなる。
しかし、市に移住する人を増やすのは難しい。
関係人口を増やすしかなく、そのためには知名度を上げる必要があった」
という。

そして広島県安芸高田市は、動画投稿サイトYouTubeで、
市公式チャンネルの登録者数が全国の自治体で最多となったという。
市によると、これまでは神戸市の19万人が最多。
安芸高田市の登録者はこれを上回り20万人を超えたのだ。

【石丸伸二市長、NBCの地域課題解決大会議に参画】

石丸市長が東京NBCのイベントに参画して、
特別講演(プレゼンテーション)してもらったわけは…
安芸高田市の地域課題の解決や今後の自治体の活性化に
東京の経営者たちは、どう発想し、
どんな連携企画を提案してくれるのか⁈に期待してのもの。
ということから、いま安芸高田市が抱える切実な問題、
そして解決に取り組む市長の思いを語ってもらった。

なんとNBCメンバーを中心に300人近く人たちが集まり、
石丸市長の話に真剣に聴き入ったという。

ちなみに、全国の1700を超える地方の自治体のほとんどが、
少子化も含めた人口減に直面し、持続可能な社会を目指し、
地域を活性化させる施策を求めている。
私が出身地の北海道十勝で、ワイナリー構想にチャレンジしたのも
交流人口の増大であり、地域産業の活性化、
そして町のブランディングだったわけだ。

【ミレニアル世代の石丸伸二氏に、政治家としても期待したい!!】

いま41歳のミレニアル世代の石丸市長は、大手銀行時代には
ニューヨークに数年に渡り滞在して、アメリカ大陸各国の
経済を分析・予測し、経済アナリストとしても活躍していた。
ということで、経済的視点も持ち合わせた首長さんなわけだ。
その当時、上司から贈られた孟子の言葉
「自らかえりみてなおくんば、千万人といえども吾往かん」を
今も支えにして市政に取り組んでいるという。

人間的にも魅力あるミレニアル世代の石丸伸二市長に、
いろいろ期待したい!

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東京NBCのBeyond Business Channelでインタビュー

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03/04
2024

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『ドラえもん』の笑いと感動とその教訓が、 世界の文化交流に寄与する?!

先日、あるテレビの番組で、「藤子・F・不二雄のスゴい偉業」と題して
『ドラえもん』にまつわる話が展開されていた。
そして『ドラえもん』には間違いなく、
世界の大人も子供も、楽しく理解できる“ストーリーテリング”が
そこにあることを語っていた。
ということで、日本発のマンガ作品としてだけでなく、
世界中で愛され、多くの翻訳や放送が行われているという。

という『ドラえもん』の実績から、今回は社会の成熟化が進む中での
“文化資本づくり”の重要性を発信したい。

ちなみに私の幼少期は、まだ“ドラえもん”の登場はなく、
トキワ荘関連で先輩の“鉄腕アトム”が活躍していた。
ふむふむ、考えてみると『ドラえもん』は、
先輩“鉄腕アトム”からも何かのヒントをもらっているかもしれない?!

【『ドラえもん』の文化資本としての偉業!!】
『ドラえもん』の海外でのテレビアニメ放映は香港(1982年)が最初で、
タイ、イタリア、スペイン語圏の中南米9カ国へ。
(米国は1985年にCNNが放映権の契約を結んだが、いまだに未放映?!)
そしてロシアは1990年代になってからで、中国とインドネシア、
マレーシア、ブラジル、シンガポール、スペイン、中近東諸国と続く。
ベトナムは2000年、韓国は2001年、フランスは2003年に放映を開始。
まぁとにかく、地球規模で観られているわけだ。

その普遍的な笑いと感動は、教訓をも伴って、
見事に融合されたストーリーテリングにある。
この作品が提供する価値観やエンターテインメントが、
異なる文化を持つ人々とのコミュニケーションを促進し、
文化交流に寄与しているのは間違いないだろう。

そう、“文化は資本となりうる”ことを発信したいわけだが…
私たちは“お金を稼ごうと文化づくり”をするわけではなく、
“今を観て、未来を見据えて”意味あるものづくり、
新たなる価値づくりをすることが、結果として
“文化づくり”につながり、ひいては経済にも寄与するということ。

【読者への満足づくりが、ひいては“日本の文化”に貢献!】
ご存知だと思うが…
藤子・F・不二雄(1933‐1996)先生が生み出した『ドラえもん』は、
22世紀からやってきた(2112年9月3日に製造されたという設定)
ネコ型子守り用ロボットというユニークなキャラに、
時空を超越した普遍的な人物像を盛り込むことに成功した作品。

「プロは、ひとりでも多くの読者を満足させてこそプロと言えるのです」
という言葉を残しているように、藤子F先生は読者に
“楽しんでもらうため”のマンガを一貫して描き続けてきた。
この姿勢があったからこそ、何年経っても
多くの子どもたちに愛され続けられる『ドラえもん』となっているわけだ。

またキャラクターたちの心情描写や友情、
家族愛に溢れたストーリーは、普遍的なテーマを掘り下げていて、
その感動が言葉の壁を乗り越え、視聴者たちの心に響く
共通の言語となっている。
そして物語を通じて伝えられる道徳や価値観は、子供たちだけでなく、
大人たちにも示唆に富んだものとなり、異なる文化に触れることで、
視聴者たちは新しい視点も得ることができ、
相互理解が深まるということに。

ということからも地球規模で活躍する『ドラえもん』は、
異なる文化の架け橋としての役割も果たしている。
これが文化交流の促進となり、
多くの貿易やインバウンド需要への貢献にもつながっている。

私たちもビジネスであり会社づくりを通じて、
これから求められる“文化づくり”に貢献したいものだ。

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文化資本としての『ドラえもん』

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02/19
2024

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中島セイジの“ビジネスの達人”は、 “人と文化の資本経営”を推進します!

ここからの経営は、“経済資本”も大切だけど、
“人と文化の資本”が重要視される時代になってくる。
先にも語ったように、これまでの“経済資本”から“文化資本”へは、
地球規模でのパラダイムシフトであり、
これは私たち経営者にとっても大きな転換点となるということ。

そこで改めて、中島セイジの“ビジ達”は、
「人と文化の資本経営」を推進、そして発信すると宣言しているのだ。
商品の論理から離れ、原点の資本の論理へと復帰しないと、
これからの企業は成り立たないのではないか?!
すでにセンスある多くの企業は実感しているはず。

実は“人と文化”だけでなく“自然環境”も資本となるわけで、
あの産業廃棄物処理の“石坂産業”が、周りの里山を再生して
再資源化・環境教育活動に取り組んでいるのもその一つ。
あーそういえば藻谷浩介氏が語っていた「里山資本主義」も
その分かりやすい事例だった。
里山の持っている価値を資本とすると、
資源と労力を浪費(?)しながらの生産活動をし続けなくても、
人間的で豊かな日々が送れると教えてくれていた。

千葉県大網白里市の“大里綜合管理”がユニークな社屋を利用して、
定期的な講演会やコンサート、勉強会を開催し、
数百人参加の100キロ歩きまでもコーディネートする。
もちろん本来の不動産の管理ビジネスを展開しながらの
“地域の文化コミュニティ”としてのさまざまな活動は、
まさに“文化資本経営”を実践していたということ。

【ものづくり論理から離れ、文化の論理へと!】

最低限度の文化生活に必要なスタンダード商品の
普及の時代は終わった。
すなわち普遍的な商品の時代が終わろうとしている。
“Needsソリューション”から“Wantsソリューション”へと
発信していたのはまさにそのこと。
そこに現在の世界経済がぶつかっている困難さがあることは、
誰の目にも明らかなこと。

“産業経済”から“文化経済”への転換がうまくいかない企業では、
生産時間が相変わらず労働時間として
捉えられているところが多いという。
“文化資本経営”を目指している企業の多くは、
その点はかなりアバウトであり、フレキシブルであり、
そこに文化に対する向き合い方が活きているのだ。
それぞれの社員が持っている趣味であり、やりたい事が活かされるなど、
生産時間が文化的活動に活かされている。

先程紹介した大里綜合管理などは、約6割が経済活動の時間で、
残りの約4割は地域貢献活動という文化活動の時間となっているという。
こうした企業は、産業的な企業システムを超えていける可能性を、
独自の合理性の問題として持っているといえる。
一人ひとりの社員の行動を大事にしている企業には、
そうした自由な行動を大事にできる土壌があるということ。

ちなみに、弊社クオーターバックも浅草オフィスに移ってからは、
「つながりのデザイン」をテーマに奥浅草地域のコミュニティの場として
“文化資本経営”に寄り添いながら歩み始めている。

【21世紀の企業は、文化発信の機能を持たなくてはならない!】

“文化資本経営”では、社会へ向けてのメッセージを
積極的に発信していくことが、きわめて重要となる。
それは同時に、これからの企業には「文化の発信基地としての企業」という
テーマがなくてはならないということでもある。
自らの文化発信には無関心を決め込み、まるで罪滅ぼしのように
「文化にお金をだす」ようなやり方ではなく、
積極的に文化創造へ参加していかなくてはならないということ。

ということで、「人と文化の資本経営」を推進する意味が
伝わっただろうか。
この実践こそが、人からも社会からも選ばれる理由になるということ。

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「人と文化の資本経営」を推進

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