これからの選ばれるビジネス!

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選ばれる仕事道

06/02
2025

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蔦屋重三郎と林 忠正、 “日本文化”グローバル化の軌跡

今、“大阪・関西万博”の真っ最中だが、
19世紀後半のあの“パリ万博”において
日本の美術であり文化を紹介した“林 忠正”に注目!

先のテレビ番組『歴史探偵“万博と日本”』を視聴していて
発想したことだが…
約150年前、林 忠正はパリ万国博覧会における
日本美術の紹介を通じ、新たな文化の架け橋となったという。

そしてこのビジ達でも紹介した
大河ドラマ『べらぼう』の蔦屋重三郎。
江戸時代を代表する出版業者であり、浮世絵の普及にも貢献した。
喜多川歌麿や葛飾北斎などの才能を見出し、
彼らの作品を世に送り出した人物でもある。

蔦重(つたじゅう)の活動は、江戸の知的環境を豊かにし、
日本美術の発展に寄与した。
蔦重の元で生まれたこれらの作品は、
後に日本の文化を世界に紹介する重要な要素となった。

この2人の関係を理解してもらえただろうか?!
日本の歴史において、多くの人物が文化の紹介と普及に
尽力してきたわけだが、林 忠正と蔦屋重三郎は、
異なる時代に活躍しながらも、共に日本の美術と文化を
世界に広める上で大きな役割を果たしたということ。

やっぱり“万博”は、世界の国々の文化交流には
重要な役割を担っているということだろう。
(さて、まだ混み合っているというし、
大阪・関西万博にはいつ頃行こうかな?!)


【蔦重のクリエイティブな発想と、林 忠正の進取的な精神】

蔦重の活躍した江戸時代から約100年後、
林 忠正は25歳のとき、明治時代の進取的な精神により、
パリ万国博覧会の通訳としてフランスに渡った。

1860年前後から1920年頃までの間、
ヨーロッパでは“ジャポニスム”が流行し、
日本美術への関心が高まっていた。

林はこの機会を逃さず、日本の工芸品や浮世絵の魅力を
フランス語で詳しく伝えることで、
ヨーロッパにおける日本美術の評価を高めたという。

林がパリで紹介した美術品には、
蔦屋重三郎の影響下で発展した浮世絵も多く含まれていた。
これにより、蔦重の時代に育まれた浮世絵が国際的に評価され、
その芸術性が世界中に広まる一助となった。
林の活動は、単なる商業的な成功にとどまらず、
文化的な架け橋としての役割も担っていたのだ。

林 忠正は、日本国内で軽視されることの多かった
浮世絵の価値を再評価し、その芸術性を守るために貢献した。
彼の情熱と努力がなければ、これらの貴重な文化遺産は
失われていたかもしれない。

国際的な視野を持ち、日本文化を熱心に紹介した彼の活動は、
現在でも評価されている。

↓ ↓ ↓

このように、蔦屋重三郎と林 忠正という時代を超えた
二人の貢献は、日本の美術と文化が国際的に認められ、
発展する土台を築いたということ。

彼らの業績を振り返ることは、文化遺産をどのように守り、
発信していくべきかを考えるきっかけにもなるのだ。

ちなみに、現在J-POPをはじめとする日本の音楽が
国際的な注目を集めている。
日本なればこその曲の細やかで密度ある感覚と
ビジュアル面も評価され、多くの海外の人たちに
受け入れられているということなのだろう。

パリ万博の時代は、“林 忠正”のような紹介者が必要だったが
今はその役割をSNSがやっているということなのだろうか?!

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蔦重と林 忠正の共通点とは?!

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選ばれる仕事道

05/26
2025

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世界一貧しい大統領と呼ばれた “ムヒカ”ウルグアイ元大統領

“世界一貧しい大統領”として知られた、
南米ウルグアイの“ホセ・ムヒカ”氏が89歳で亡くなった。
5月14日の国葬では、
多くの市民が涙を流し別れを告げたという。
(“ホセ・ムヒカ”氏は、2010年から5年に渡り大統領を務めた)

私の“ウルグアイ”の記憶は、ブラジル、アルゼンチンと共に
南米のサッカーの強い国ということくらいだろうか?!

1935年に貧しい家庭で生まれ、大学卒業後は
花売りとして生計を立てていたが、
キューバ革命に影響を受け、左翼ゲリラ組織に入り、
軍事政権下では13年ほど収監されていたという。

冷戦崩壊後の政治空白や経済危機で、
中南米の左派が台頭した1990年代からは政治家に転身。
大統領になってからは報酬の大部分を寄付して
毎月1000ドルで生活を続け“世界一貧しい大統領”として
庶民に親しまれた。

ということで、ムヒカ氏への追悼の意をこめて
ムヒカ氏から私たちへの価値あるメッセージを紹介したい。

◆現代社会の“貧乏な人”とは…

「人類はこの消費社会にコントロールされてしまっている。
“貧乏な人”とは、モノを少ししか持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくら持っていても満足しない人のことなのだ」
→まさに老子の教えが由来の“足るを知る”ということ。

◆就職に対して不安と迷いを持っていた学生に

「学校は就職するために行く場所ではない。
“生きる理由”を見つける場所だよ。
自分が本当にやりたいこと、進みたい道を決めるのが
大学なんじゃないかな」
→まずは、自分は何をテーマに生きるのかを探さなくては?!

◆この現代の不確実な時代について

「われわれは時代の変わり目にいます。
ひとつの世界が去り、別の世界がやって来ます。
しかし去る者はまだ去っておらず、来る者はまだ来ていない。
だからこそ、今は多くの矛盾を抱えた
不確実な過渡期の時代なのです」
→うんうん、まさに今はさまざまな価値観が混在するとき

◆ウルグアイは、風力や太陽光、水力などの再生可能エネルギーで
電力需要のほぼすべてを賄うことができる国の1つ。

「私たち人間は、エネルギーに関して、
環境に負荷を与えるものではなく、
環境に優しいものを探さなければなりません。
なぜなら、私たち人間は地球上に80億人もいるからです。
人間の活動が自然のバランスを変える可能性があり、
その結果、私たちが苦しむことになるからです。
ですから、私たち人間は節制し、持続可能な生き方を学び、
地球上の生命の調和を維持することを学ぶ必要があります」
→SDGsの必要性を分かりやすく語ってくれている。

◆ロシアによるウクライナ侵攻について

「すべての人にとって非常に危険な過ちで、
これはプーチン大統領の責任です。
ロシア国民の責任ではなく、あくまでロシア政府の責任であり、
政府と国民を混同すべきではないと信じています」

「一方で、西側諸国も賢明な態度をとっていません。
ドイツもフランスも、政府の無能に責任があります。
私が若かった頃、世界は似たような危険を経験しました。
ソ連がキューバに核兵器を運び込もうとしたとき、
戦争寸前の混乱にありましたが、政治によって解決しました。
交渉をしたからです」

◆2015年、80歳を目前にして大統領を退任。
翌年、広島を訪れた際には、こんな言葉を残しています。
「地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」
「私たちは過去の過ちから学んだだろうか」

ムヒカ氏のメッセージは、いかがだろうか?
常に世界であり人類に対して
責任を持って生きてきた人の言葉である。

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ムヒカ氏の言葉から何を思うか

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03/31
2025

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ホスピタルクラウン大棟耕介氏は、 “能登半島”被災地支援を続ける!

ホスピタルクラウン“大棟耕介”が
東北大震災の時も、熊本震災も、渦中のウクライナも
そして能登半島の復興支援でも活躍する。

被災地の人々に支援物資も携えての訪問だが、
なんといっても“クラウンK”こと大棟耕介は、
その地に“笑顔”を届けに行っている。


【珠洲市と輪島市へ、クラウンサーカスを届ける!】

この3月のある週末、このホスピタルクラウン協会の
大棟耕介氏率いる“能登半島の復興支援”に
同行させてもらった。

【1】珠洲市の仮設住宅近くの公園
【2】輪島市の小学校体育館

この2カ所での支援物資の提供とクラウンサーカスの開催。
(実は“ホスピタルクラウン”のみなさんは、
私たちが合流する前に
2カ所でクラウンサーカスを展開していたという)

このサーカスのテントづくりがまずの大仕事。
6角形のそれぞれの柱の元に2~3人の男性が必要で、
手間もかかるし、その手順も重要。

支援の初日は公園でのテントづくりで、
天気はよかったのだが、なぜか風の強い日。
これが慣れない私たちにとっては難敵となったのだ。

そして、サーカスに貢献できない私たちは、
さまざまな企業から提供された多くの支援物資の袋詰めが役割。
(まぁ少しは役に立ったと思うのだが…)

愛知県のある中学校からは、5人の中学生の弦楽器奏者と
引率の先生が2人参加し、いいパフォーマンスを展開していた。
(このパフォーマンスが、会場の人たちを優しい顔にしていた!)

とはいえ、“クラウンK”たちのそのパフォーマンスであり、
さまざまな出し物による“笑顔づくり”には、圧倒された次第。
(被災地におけるクラウンの役割りが見えてきたような?!)


【クラウンのパフォーマンスは、心に寄り添う特別な存在!】

実は大棟耕介氏とは、JC(青年会議所)時代からの
付き合いだから、もう30年経ったのかもしれない。
その頃は“クラウン”すなわち“道化師”として活躍していた。

ところが、病院の小児病棟での子供たちの笑顔づくり…
すなわち“ホスピタルクラウン”としても
活躍するようになってからは、国内だけでなく
世界の“クラウンK”となっていたのかもしれない。

クラウンのパフォーマンスは、困難な状況に直面する
被災地において、心に寄り添うことのできる特別な存在。
彼の訪問する場所には、必ず“笑顔”が伴う。

被災地では多くの場合、物資の不足やインフラの損壊が
注目されるが、心の疲弊や希望の喪失といった
見えにくい問題が大きな課題となっている。

“クラウンK”の笑顔づくりは、困難な状況を生き抜く力を
その地域の人たちに与えているということ。
すなわち笑顔や笑いは、多くの人々に
励ましを提供しているのだ。

また、彼の訪問は、地域コミュニティを再び結び付け、
人々が共に笑い合い、経験を分かち合う場を演出している。
“コミュニティの再生”を促進する役割も果たしているということ。

↓ ↓ ↓

改めて…クラウンとして“笑顔”を提供できない私たちは、
何をどうお手伝いしたらいいのだろうか?!

もちろんお金や物資の支援もあるだろう。
今回のように“クラウンサーカス”のサポートという
人的支援もあるだろう。
そして“ホスピタルクラウン協会”に寄付することもその一つ。

災害はいつか必ず訪れるもの。
だからこそ、互いに協力し合い支え合っていきたい。

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クラウンサーカスの様子

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応援メッセージ

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03/24
2025

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追悼“鍵山秀三郎相談役” ありがとうございました。

鍵山秀三郎相談役、人として経営者として、
いろいろ学ばせていただきありがとございました。
お陰さまで、人としても経営者としても道を外さず、
少しは世の中に貢献できているのではと思っております。

↓ ↓ ↓

「凡事徹底」はじめ、
「大きな努力で小さな成果」、
「平凡なことを非凡に努める」、
「微差、僅差の積み重ねが遂には絶対差となる」
「益はなくとも意味はある」
人が疎かにしてしまいがちな真理に光を当てる
相談役の言葉の数々は、
今なお多くの人に影響を与えつづけているはず。

私が鍵山秀三郎相談役を知ったのは、多分30年ほど前。
お会いしたのは船井総研・創業者の船井幸雄さんが
開催していたコスモスクラブのセミナーだったと記憶。
そしてある情報誌の取材で、イエローハット創業者として
鍵山秀三郎氏を取材することになったのだ。
中目黒の新しい本社を訪ね、応接室に通され
鍵山さんは冒頭で…
「中島さん、“小さな努力で大きな成果”と
“大きな努力で小さな成果”とどちらがいいと思いますか?」
と投げかけてきた。
私は「もちろん“小さな努力で大きな成果”を求めます」
と答えるわけだが…
鍵山さんのその時の嬉しそうな顔が忘れられない。

その後、まさか私が“掃除に学ぶ会・日本を美しくする会”に
所属することになるとは⁈

【DVDの発刊で、“鍵山秀三郎”という人を知ることに!】

2005年ごろ、鍵山秀三郎相談役が実演解説する
“トイレ掃除のやり方と哲学”DVD「掃除の道」を発刊。
創るなら“掃除に学ぶ会”の関係者だけでなく、
誰もが買いたくなるDVDにしましょうと、
私がプロデューサーとなり弊社クオーターバックを発刊元とした。
すなわち我が社がリスクを持っての発刊としたのだ。

それを知った鍵山相談役は、初版の6,000本のうち
半分の3,000本をイエローハットで購入してくれた。
(鍵山相談役に感謝!だった)
お陰さまでDVDは順調に売れ再販することとなり、
次なるDVDの街頭清掃編や掃除人のための道具と使い方、
その手順も解説する“ポケットブック”も出版することに。

そしてその後、“日本を美しくする会”が運営する
「鍵山塾」のプロデューサーとしても
お手伝いさせていただくことに。
お陰さまで鍵山相談役の近くでいろいろな人とも出会い
多くの勉強もさせてもらったのだ。

今、このようなことを書き記していて
改めて、鍵山相談役の近くという恵まれた環境で
お世話になっていたことを確認した次第。
→相談役、本当にありがとうございました。

【私の記憶に残るお話は…】

2019年3月に靖國神社で開催された
掃除に学ぶ会“便教会”での、
10分程度のあくまで挨拶的お話。

↓ ↓ ↓

「日本は戦後、経済的な国力が増加するにつれて
教育の場と機会が豊かになり高学歴の人が多くなりました。
しかし、“智”の面は向上しましたが、それに反比例して
“情”の面が衰退していったのです。
学歴は高くなり“智”の面は著しく向上したのに、
総合力である「人間力」は低下したのです。
「人間力」とは、“智”と“情”の総和ですので、
“情”の面が退化すれば人間力という総和力は低下します。
“情”とは周囲の人に気を配り思いやる心です。
“智”の不足は“情”で補えますが、
“情”の不足は“智”では補うことができないのです。

だから先生方、“智”のための勉強だけでなく
“情”の分かる人たちを育んでくださいね」
→感動!

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相談役の言葉の数々に支えられ、導かれ…

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選ばれる仕事道

01/27
2025

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すべてが加速する今だからこそ、 敢えて“二宮金次郎”の哲学から学ぶ。

「小学校の校庭に必ずと言っていいほどあった、金次郎像。
薪を背負って勉学に励んだあの少年が、
その後、600以上の村の復興を手がけたことをご存知だろうか?
200年くらい前に金次郎が辿り着き、守り抜いた思想の数々は、
今も変わらず、私たちの中に生き続ける」
というプロローグのフライヤーを渡され、
映画「二宮金次郎」の上映会に誘われたのだ。
この映画は通常の映画とは違い
映画館ではほとんど上映しない映画なのだという。

せっかくの機会だったので、鑑賞させてもらったわけだが
いい映画を観させてもらった気分で帰路に着くことができた。
この“ビジネスの達人”でも、“二宮尊徳翁”は、
すでに何度か登場した人物。
私が繰り返し発信したのは
その1、「道徳を忘れた経済は罪悪であり、
経済無視した道徳は寝言でしかない」
(この言葉は二宮尊徳とも、内村鑑三とも言われているが…)
その2、「積小為大」
その3、「至誠」(きわめて誠実なこと、まごころ)

改めて言うが…この“ビジネスの達人”は、
常に移り行く時代に“選ばれるビジネス”実践のための
“不易流行”を発信している。

【二宮金次郎から学ぶ“積小為大”そして“至誠”】

日本の江戸時代に生まれ、成長する一人の少年。
幼少期、彼は幾多の困難に直面していた。
父を失い、生活は決して豊かではなかった。
それでもその少年、二宮金次郎は希望を失わず、
日々の小さな努力が大きな成果を生むことに気づく。
それが「積小為大」。
一歩一歩積み重ねることで
大きな目標を達成できるという価値観。
彼は一生懸命生きる日々の中で、身をもって学んでいった。

桜町領(栃木県)の財政再建を依頼された二宮金次郎だが、
ある事件によって迷いが生じ成田山新勝寺へ。
その修行は、彼のその後の人生に大きな影響を与えた。
修行を通じて彼は「至誠」という理念を深く理解するようになった。
誠を尽くし、真心で事に当たることは、
人間関係や社会全体の根幹にあると気づいたという。

二宮尊徳(金次郎)の名前が歴史に刻まれるきっかけとなったのが、
この桜町領の復興である。
荒廃した土地を見て、彼は農業の可能性を信じ、
地域の人々と共に汗を流した。
彼の指導の下、次第に土地は蘇り、
桜町領は再び活気を取り戻していく。
この成功を端緒に、二宮尊徳は全国各地の復興、
再建活動に尽力し、多くの人々の生活を向上させていった。

【令和の時代に二宮尊徳翁から、何を学ぶのか?!】

技術の進歩が次々と進み、全てが加速するこの時代だからこそ、
彼の教えはより重要なのかもしれない。
小さなことを積み重ねる「積小為大」の精神は、
大きなプロジェクトや長期的な目標達成において、
今も変わることなく通用する普遍的な考え方だ。

また、“至誠の心”で物事に取り組むことは、
デジタル化が進む社会においても、人と人、
企業と社会をつなぐ絆として不可欠だ。
技術がどれほど進化しても、人間関係の基本は変わらない。
真心をもって接することにより、信頼関係が築かれる。

二宮尊徳の生涯にわたる教えは、ただ時代を超越するのみならず、
現代における新しい価値観を築くヒントにもなる。
私たちは日常の中で、小さな積み重ねを大切にし、
誠実さを忘れずに生きることが、
持続可能な未来を築く道なのではないだろうか。

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映画「二宮金次郎」

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