これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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はなまるア・ラ・カルト

04/22
2024

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NEW

「How To Do」と「How To Be」。 令和の時代は「How To Be」を意識しよう!

先日『いま、中小企業経営者に必要なこと』という
ベタなタイトルの本を手にした。
株式会社フォーバルの大久保秀夫会長の著作だから
購入したわけではないのだが…
手に取ってみると大久保会長の書いた本だったのだ。

そう大久保会長は2代前の東京NBCの会長でもあり、私とも同年代。
当時は会社にもお邪魔していろいろお話をさせてもらった記憶が…

パラパラとめくっていて飛び込んできたキーワードが
「How To Do」と「How To Be」。
うんうん、感覚的にこの表現は分かりやすく
“使える”と思い購入を決めた。

経営者にとって「How To Do」は、
上手くいく方法やたくさん売るための“やり方”のこと。
すなわち、“○○の方法”ということ。
「How To Be」は、“あるべき姿”。
すなわち、企業の在り方を定義するパーパス(存在意義)のこと。

確かに多くの中小企業の経営者が、ついつい“How To Do”を
優先して考えてしまうわけだ。
(大久保会長が今このタイミングで出版した理由は分かりますよ)

【“How To Be”を根にした企業という大樹?!】

この本を開いていくとIntroductionのところに
「大樹が大きく育つために不可欠な根と幹」として
例の“良樹細根”的な樹と根の概念図があった。

ところが、私が普段強調している
“目に見えない根の部分”がなぜか浅いのだ。
根のところには理念でありビジョンと書かれてはいるのだが、
大きな樹の全体感として、“How To Be”を語るには根の部分が浅い。
(大久保会長、ごめんなさい)

できればもっともっと根の部分を強調して
「How To Be」の重要性を発信して欲しかったということ。

先日のある企業での私の定例のセミナーでは、
令和に求められる“企業風土と文化づくり”には
“何をするのか”“どうやるのか”の前に“How To Be”であり、
“Why(なぜするのか)”が重要だと語ったほど。

【「Why」からはじめる“ゴールデンサークル”の考え方】

人の思考は「ゴールデンサークル」という3つの円のフレームによって
階層をわけることができるという。
多くの人は、What(何をするのか) → How(どうやるのか)
の2つに終始してしまい“Why(なぜやるのか)”を知らないケースが多い。
伝える際にも、What → How という内容のみを伝えているのがほとんど。

優れたリーダーはその真逆で
Why(なぜやるのか) → How(どうやるのか) → What(何をするのか)
という流れで考え伝えているのだ。

すなわち、一つ目の円を描き中心にはWhy。
次は同じ中心から一回り大きな円を描きHowと。
同様に同じ中心からもっと外側に3つ目の円を描きWhatと。
そう、中心のWhyこそがすべての元となるわけだ。

とにかくいいタイミングでフォーバルの大久保会長が
すべてが加速する時代だからこそ
「How To Be」が大切だと発信してくれたわけだ。

そして“人と文化の資本経営”の実践にも、
この「How To Be」が明確でないことには
地に足ついた企業文化づくりはできないということ。

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経営者にとって「How To Do」とは

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シナジースペシャル

04/22
2024

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2024年リーダーズセミナーがスタート! “コンピテンシー・ディスカッション”が活躍する!

今年も始まりました!2024年リーダーズセミナー!

私は、この初顔合わせの初日のリーダーズセミナーが大好き!
今年は13人のメンバーが、少し緊張した面持ちでリアルに顔を合わせた。

そしてセミナーやディスカッション、みんなでの昼食を通じて
少しずつ少しずつ打ち解けあっていく。
そして午後の5時頃、セミナーの終わり頃には
みんなの笑顔がこぼれ始める。
そして、そこから懇親会へ。
(お酒も入って写真のような笑顔になってくるわけだ)

ここから12月6日のV&Tプレゼンテーションまで、
月一でいろいろ体験、いろいろリスキリング、
してみんなでシナジーあるディスカッションをしていく。
2024年のアジェンダも以下のようにほとんど決まっている。

◆2024年度のリーダーズセミナー年間計画

【1】4月→ 第1回 オリエンテーション&ワークショップ

【2】5月→第2回 靖國神社境内のトイレ掃除

【3】6月→第3回 林香寺 川野泰周先生によるマインドフルネスセミナー

【4】7月→第4回 石坂産業視察&石坂典子社長によるセッション

【5】8月→第5回 クラウンK(大棟耕介)によるパフォーマンスセミナー

【6】9月→第6回 吉田 有コーチのコーチングセミナー

【7】10月→第7回 高尾山登山+ コーチングフォローセミナー

【8】11月→第8回 未定

【9】12月→第9回 V&Tプレゼンテーション(五反田フォーカスシステムズ)

【10】1月→第10回 年明け懇親会


【“コンピテンシー・ディスカッション”が活躍してくれる?!】
今年もとにかくディスカッションを多く入れたい。
このメンバー同志のディスカッションによるシナジーこそが、
リーダーズセミナーの醍醐味でもある。
これが中島流の「コンピテンシー・ディスカッション」である。

その意味は“成果に結びつくディスカッション”ということ。
これまでのリーダーズセミナーでも、
この“コンピテンシー・ディスカッション”がいい関係を生み、
いい気付き、いい発想、いい知見を与えてくれていた。

残念だが、私の一方的ティーチングよりずーっと効果があるのだ。
だから私の役割は今後必要とされるテーマであり、体験の場を創るだけ。
それらをテーマにグループでディスカッションしてくれるだけで
誰もが成長してくれるわけだ。

うんうん自画自賛だが、いい仕組みとルールを伴った
“コンピテンシー・ディスカッション”ということ。

【経営者も参加できるリーダーズセミナー体験!】

今回の2024年の5月、6月、7月のリーダーズセミナーには、
リーダーズメンバーを送り出してくれている会社の経営者も
希望と都合に合わせて選択し、
セミナー体験してもらうことになっている。

→靖國神社のトイレ掃除だって、“掃除に学ぶ会”のルールに則って
掃除体験することってなかなかできませんからねぇ~。

→林香寺19代目住職は、精神科の医師でもあり、
両方のノウハウとスキルを持った川野先生だから
“マインドフルネス”の重要性を私たちに発信してくれるわけで…

→石坂産業を体験して石坂典子社長の話を直に聴けることは、
これから必要とされる“人と文化の資本経営”を知り、
自社に展開するには最高の機会ということ。

いかがだろうか。
リーダーズセミナーも17年目ということもあり、どんどん進化し
次なるビジネスに対応できるステージを開発している。

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リーダーズセミナーも17年目

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“コンピテンシー・ディスカッション”が活躍

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ファインスピリッツキーワード

04/15
2024

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勝ち馬に乗れ! So Good!ビアンキに乗れ!

「勝ち馬に乗る」ということわざがある。
勝負事などにおいて勝利した側、あるいは勝利しそうな側に付いて
勝利に便乗することを意味する。

月1回土曜日のMBセミナー終了後、桜満開で天気もよく、
気分よくロードバイク・ビアンキ(Bianchi)をこいで
いつもの厩橋(うまやばし)駐輪場に向かっていたわけだが…
“あーこの機会にBianchiの修理をしよう!”と思いたった。
しばらく前からブレーキが壊れ、修理のタイミングを伺っていたのだ。
この日の午後は風もなくサイクリング日和だし、
このBianchiを購入した“市ヶ谷サイクルポート”へと向かうことに。

市ヶ谷サイクルポートにピットインして、近くのファミレスでお仕事。
そろそろかと戻ってみると、ブレーキ関連も新しくなり調整され
そして綺麗に磨かれ、10年選手とは思えないほどのBianchiに!
これが一つ目のSo Good!

ここから“勝ち馬ビアンキに乗れ物語”が始まるのだ。

◆So Good!(その2)→スーパー“オオゼキ”発見
ということで次の日(日曜日)の東中野の整骨院へもBianchiで乗り込むことに。
(やっぱり6〜7キロはあるけどねえ〜)
その途上、高田馬場駅近くの早稲田通りにスーパー“オオゼキ”を発見!
実はその昔からスーパー“オオゼキ”のファンなのだ!
(えっ、4月10日はポイント10倍だって!耳より情報)

◆So Good!(その3)→整骨院で仲間の経営者と遭遇
整骨院終了時間に、たまたま予約していた仲間の経営者“ゴービン”と遭遇。
整骨院フロントでセブンのコーヒーを飲みながらお話し。
(あーこの整骨院、このゴービンが紹介してくれたんだった)

◆So Good!(その4)→桜花賞含め2レース的中
その帰路、Bianchiでセブンイレブンに寄って
今日の“桜花賞”予想のためサンスポ購入。
たまたまその競馬欄の隅の“福永祐一厩舎の出馬レポート”を発見。
今日のメインレースは11レースでG1桜花賞だが、
騎手として活躍した福永祐一氏が展開する福永厩舎応援もあり

10レースから馬券購入することに。(もちろん福永厩舎の馬を中心に!)
なんとこの10レースの単複、連勝、そしてメイン11レース桜花賞も
優勝馬ステレンボッシュの単複、連勝と勝たせてもらった!
So So Good!

このメインレースの時は、大手町の丸善本店で
本を物色しながらのradiko視聴だったこともあり、
思わず書籍を手に「そのまま!」と声を出してしまった。

(ステレンボッシュの単勝は4.3倍もついていたのだ)
周りの本を手にしていた人も、私の“そのまま”に手を止めていたかも?!
ワイヤレスイヤホンは、自分の世界に入っちゃうからねぇ〜。

それにしても、愛車Bianchiの修理が、
こんなにSo Good!を呼び込んでくれるとは。
まさに“勝ち馬に乗れ!”だね。

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愛車Bianchi

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選ばれる仕事道

04/15
2024

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番組が36年も続くには、ワケがある! 大沢悠里さん、文藝春秋5月号に登場。

“Guess who I am.私は誰でしょう?!”
文藝春秋5月号「小さな大物」というコーナーに登場した
あのTBSラジオの大沢悠里さん。
何とラジオ一筋59年。
まさに“レジェンド”と呼ばれるに相応しい
アナウンサーとして紹介されていた。

文藝春秋におけるこのコーナーは、
その人の活躍を写真アルバムを通して紹介する展開。
大沢悠里さんが千歳飴を持つ時代の写真から、早稲田大学在学中、
そしてTBS入社試験用の写真も紹介されていた。
(この入社試験用の写真が、本物より男前なんだなぁ〜)

→永六輔さんとのラジオ番組写真。
「永六輔さんは、手を抜く人には怖いけど努力する人には優しい」
というコメントも。

→パーソナリティでもあった内海桂子・好江師匠との写真。
写真キャプションには“両師匠には人生を教わった”と書かれていた。

→“ゆうゆうワイド”最終回での歴代パートナーたちとの集合写真。
月曜から金曜まで、5人のパートナーと番組展開していたわけで
最終回にはみんなが集まってくれたという。

→そして何といっても毒蝮三太夫さんとの付き合いは60年!
ラジオ番組卒業後、毒蝮さんとゴールデンコンビとして、
『GG放談』つまりジジィ放談としてSpotify独占配信の
Podcast番組として展開している。

【36年も大沢悠里さんの番組が続く理由!】

1986年開始の「大沢悠里のゆうゆうワイド」は36年間続いた長寿番組。
とにかくず〜っと人気番組だったということ。
先程の番組パートナーへの対応もそうだが、
とにかくいつもの関係者を大切にしていた大沢悠里さん。

先日最終回を迎えた人気金曜ドラマ『不適切にもほどがある』にも
1986年、新たに始まったラジオ番組として、ドラマの中で
“ゆうゆうワイド”が紹介され、大沢さんが声の出演をしていた。
確かに昭和の時代から平成、令和と続いた
身近でポピュラー番組だったということ。

◆私の2冊目の著書『儲けないがいい』が出版された時、
大沢さんに番組内で紹介してもらった記憶が…
あ〜大沢悠里さんに書籍の帯の推薦文も書いてもらっていた。
(私もいろいろお世話になっています)

【“番組に関わる人を大事にしたい!”が大沢さんの思い!】

私も何度もTBSにお邪魔して、ゲストを紹介させてもらったり
イベントの打ち合わせをさせてもらっていた。
その度に感じていたのは、ゲストのお客さまはもちろん、
番組のパートナーであり、関係スタッフを大切にしているということ。
大沢さん曰く
「僕がいつもスタッフを可愛がることは、聴いてくれる人たちを
可愛がることだと思ってやってきました。
スタッフを優先して大事にすると、みんな一所懸命に仕事をしてくれるし、
それは聴いている人にも伝わりますから」

ということもあり、大沢さんは毎日の番組の最後に必ず、
出演者とスタッフ全員の名前を読み上げている。
(まるで映画の最後の字幕のように…)
限られた放送時間のなかでもそれを続けたのは、
やっぱりスタッフを大事にしたいという思いから。

まさに大沢悠里流、大人気アナウンサーの仕事道!

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「小さな大物」というコーナーに注目

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選ばれる仕事道

04/08
2024

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日本の“ロケット開発の父”糸川英夫先生は、常に“逆転の発想”の人だった!?

JAXA種子島宇宙センターの“日本のロケット開発の変遷”には
「第二次世界大戦後にゼロから再出発した日本のロケット開発。
1955年に糸川英夫教授が、わずか23cmの“ペンシルロケット”を
発射してから現在まで、日本のロケットはさまざま変遷を経ながら、
短期間で大きな進歩を遂げてきました…」と書き綴られていた。

ほう、1955年といえば私が生まれた年。
その頃に日本では初めてのロケットを…それもあの糸川先生が…

昨年10月、ある経営者会議のリトリートで
ついにJAXA 種子島宇宙センターを訪れることとなった。
もちろん種子島だけでなく、お隣の屋久島も訪れるわけだが…

とにかくロケット打ち上げの度にテレビで観ていた
あの打ち上げの基地であり、カウントダウンの際に関係者が
緊張した面持ちで集まる部屋もついにナマで見られるわけだ。

そして“わが国初めての”という本格的展示館に入り、
最初に目に飛び込んできたのが
この「日本のロケット開発の変遷」というタイトルと糸川英夫教授の写真。
(私だけはその前でしばらく立ち尽くしてしまった)

実は糸川英夫先生の80歳(?)の誕生日前後に
当時の『月刊オムニ』の編集長から紹介されお会いし、
その後も六本木にあった“組織工学研究所”を何度か訪れ、
糸川先生に直接取材をさせていただいていたのだ。

多分1991~2年頃だと思うが…
私のようなロケットのことも組織工学のことも知らない者にも
優しく丁寧にあれこれ教えてくれていた。

そしてある日、「わが社の一緒に取材した女性スタッフが、
糸川先生のこと、素敵な方だと言っていましたよ」と伝えると
糸川先生は真剣な表情で「今度、ぜひ紹介してください」という。
(日本で初めてロケットを飛ばした人らしくない受け応えがいい)

【小惑星探査機「はやぶさ」と、小惑星「イトカワ」の意味?!】

さて、みなさんは小惑星探査機「はやぶさ」であり
小惑星「イトカワ」を聞いたことがあるだろう。
2003年5月に打ち上げられたJAXAの探査機が「はやぶさ」。

そしてその小惑星探査機「はやぶさ」が長い苦難の末、
小惑星に着陸してサンプルを取得したのだが、
その小惑星の名前が「イトカワ」となったのだ。

実は糸川さんは“中島飛行機”時代、イノベーションといえる戦闘機を
いくつも設計していて、その中でも注目なのが「隼(はやぶさ)」である。
これでネーミングの意味が理解していただたけただろうか。

小惑星探査機「はやぶさ」が、サンプルを取得した後、
2010年6月に無事帰還した。
世界初の地球・小惑星間の往復飛行の達成であり、
世界初のサンプルリターンの成功として大きく報じられた。
この「はやぶさ」が着陸した小惑星は、1998年に
米マサチューセッツ工科大学の小惑星研究チームが発見した
小惑星ではあったが、糸川さんがかつて所属していた
東京大学宇宙航空研究所(現JAXA)の後輩たちが命名権をもらい
「イトカワ(itokawa)」と命名したという。

【“逆転の発想”のイノベーター糸川英夫先生だった?!】

このJAXAにとって、“イノベーター糸川英夫”は、
かけがえの無い存在だった…いや今もかけがえの無い存在のはず。
そしてロケット開発を引退した後も話題の多い糸川先生だった。

そういえば…
ストラディバリウスにも負けない音を出すバイオリンも開発していた。
還暦を過ぎてからバレエを習い、日比谷の帝国劇場で
「ロミオとジュリエット」を熱演したという。

1974年に出版した『逆転の発想』は、その後の続編等も含めると
120万部を超えるミリオンセラーを記録したという。
(うんうん、私も読んだ記憶が…)

私が偉そうに語ることはないのだが、こんなに活躍された
“糸川英夫先生”と、ある時期交流を持てたことが嬉しい。
今年の2月に出版された
『国産ロケットの父・糸川英夫のイノベーション』(田中猪夫著)
を読みながら、その当時を思い出しながらニヤけてしまった次第。

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JAXA 種子島宇宙センターでの写真

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『国産ロケットの父・糸川英夫のイノベーション』(田中猪夫著)

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