これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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熟ジュクア・ラ・カルト

05/30
2016

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組織は頭から腐る

そんな諺(ことわざ)をご存知だろうか。これは、魚が
頭から腐るように、組織の腐敗も上層部から下層部へと
広まっていくという意味。
(なんとロシアの諺だとか!)

経営コンサルタントの冨山和彦氏の著書である『会社は
頭から腐る』では、経営が悪化した企業に共通していた
のは、「一流の現場を持ちながら、経営が三流だったこ
と」と書かれていた。

う~む、これって経営にふさわしくない人がトップに選
ばれてしまうような会社の風土が出来てしまっている
ということではないか!?

さて、みなさまもご存知の企業の、腐敗と言っていい程
のさまざまな事件があった。三菱自動車であり、東芝、
そして東電。タックスヘイブン問題もその現象と言って
いいだろう。

私がこのビジ達でもよくする“発酵”と“腐敗”という
話。この2つの基本は同じで、微生物がさまざまなものを
分解しておこる現象だ。それが人にとって役立つものと
なれば“発酵”となり、無駄なものとなれば“腐敗”
となる。

つまり会社の将来、ダメなものの考え方や価値観を持つ
上層部がいたら、それは“腐敗”に導く菌やバクテリア
と言っていいだろう。そしてその菌は、結果的に多くの
期待を裏切り、組織を“腐敗”へと誘導していくのだ。
(場合によっては、復活することができない程の大きな
ダメージを与えることにもなる)
ではなぜ、組織は頭から腐るのか。

大手の企業で社長や役員になるのは50代になってから
が多い。すると、優先順位は、その10年くらいの在職
期間をどう乗り切るかということになってしまう。新
たなチャレンジをして危ない橋を渡るのではなく、ど
う問題を起こさず次に渡すかということ、つまり自分
を守ることを優先してしまう。
(これは中小企業でも同じだ)
こんな輩がトップに立ってはいけないのだが、自分の
実力を忘れ、その名声欲しさになってしまうのだ。
(あ~いるんだなぁ。)

後世の事業家に大きな影響を与えたという後藤新平も
「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」と
言っていた。(まさにその通り!)

好イメージのブランドを作るには時間がかかる。そして、
その先で活躍する人材を育むことは、もっと時間がかか
るかもしれない。いかに会社の先行きも考えて“投資”
をするか。そんなロングレンジで経営を考えられる人が
トップになるべきなのだ。

こんな発想をしていたら、あの「虎屋(とらや)」のこ
とが頭に浮かんだ。「美味しいお菓子を喜んで召し上が
っていただく」、そんなシンプルな経営理念を掲げてい
る老舗「虎屋」は、その時代時代でいろいろな革新を図り、
500年もの歴史を築いてきている。フランスにあるパリ店も、
30年も前から「100年先に和菓子をヨーロッパに広めたい」
と考えて出店したと語っていた。

これが“ゴ―イングコンサーン”を考えた本来の経営の
在り方。どうやって会社が腐らないようにいい経営者を立て、
いい経営をして行くのか。ここで一度考えてみるのも大切
なときではないだろうか。

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老舗「とらや」

熟juku

ロングレンジな考え方を!

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熟ジュクア・ラ・カルト

03/28
2016

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原発被災も“効率の裏側”

あれから5年…。今年はこの言葉をすでに
何度も耳にした。そう、福島の原発事故が
起こってから5年の月日が流れたのだ。

先日、千葉の東金市で開催された
「あれから5年 わたしたちは何を学んだか」
というイベントに参加してきた。

そこで、河合弘之という弁護士が自費で制作した
ドキュメンタリー映画『日本と原発 4年後』を
観ることになり、そのプログラムにはこんな文
章があった。

「ピラミッドのように積み上がりながら故郷を
侵蝕し続ける行き先のない放射性物質、廃炉ま
で40年。原発事故に暮らしや夢をうばわれた人々
の苦しみ、低線量被曝とは? 母親たちの苦悩に
答えはあるのか?―(中略)― 原発の仕組み、
歴史、原発事故から現在に至るまで弁護士の
視点で描く日本の原発のすべて。」

この河合弁護士の映画は私にとって深く共感
出来るものだ。そして鑑賞後、会場にいた多
くの人の心にも何らかの形で響くものがあっ
たことは間違いないだろう。

私はもともと福島の原発による被災は「人災」
であると考えている。(この映画で河合氏もま
さにそのことを言っているのでは、と感じた。)

そもそも人間が自由に扱えないレベルのものを
都合の良い面や効率の良い面だけを見て取り込
もうとすると、必ずどこかで誰かがリスクを被
ることとなるのだ。

1986年のチェルノブイリの原発事故から25年後
に起きたこの福島の原発事故。そしてそれから
5年が経った。

この30年間の中での2度の大きな原発事故で私た
ちが学ばなければいけなかったこと。それは便利
や効率の裏側にある大きなリスクの存在に、目を背
けてはならないということなのだ。そしてそのリス
クの対象となるのは常に弱い立場の人たちである。

場合によっては、リスクを自ら選んだ人たちでは
ない人たちにそれが浴びせられることもある。50年後
100年後に影響が出るというリスクの先送りまでも
あったりするのだ。

目先のことではなく、数十年後、数百年後のことを
考えたときに、便利や効率をひたすら貪っていると、
当然人類の存続にまで影響することになるのだ。そ
んな“効率の裏側”にあるリスクのボーダーライン
を私たちがきちんと意識していなければ、とんでも
ない危険性を孫子の代に残すことになるということ。

未来のことを考えるのであれば、優先すべきは便利
さや効率の良さの追及ではなく“足るを知る”という
価値観を大切に持つことだろう。

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『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』

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経験をもとにしたルポルタージュ漫画作品だ

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その内容には海外メディアも注目している

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あれから5年 わたしたちは何を学んだか

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熟ジュクア・ラ・カルト

07/21
2015

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セルフサービスの功罪

仕事でカフェやファミレスを利用することが多い私。
先日もチェーン店のカフェで仕事をしていたのだが、
マナーの悪い人が目立つこと目立つこと!
混んでいるのに隣のテーブルまで占領する人、
食べ残しを散乱させたまま帰る人、
周りを気にせず席で電話をしたり、
大声で喋ったりする人など、そのタイプは様々だ。

気配りや思いやりの精神はどこへ行ってしまったのだろう…。
本来、日本人の価値観はこんなものではなかったはず。
こうなってしまった理由を考察してみると…
私の行き着いた先は“セルフサービス”だった。

日本で始めて“セルフサービス”が取り入れられたのは、
1953年にオープンしたスーパーマーケット紀ノ国屋。
今からおよそ60年前の事だが、これを機に様々な店舗で
“セルフサービス”が導入されていった。

特にカフェやファミレスなどの飲食業界のチェーン店では顕著で、
マニュアル対応や安い食べ放題などが登場してきた。

“セルフサービス”の食べ放題は、
低価格なうえに好きなものが選び放題で、消費者のウケも良い。
ところがその裏には、安いゆえに店員が少ないという問題があるのだ。
人件費を少しでも削ろうと、
なかにはアルバイトばかりという店舗も存在する。

アルバイト社員は当然責任感が少ないため、
お店をより良くしようという意識が薄い。
冒頭で私が嘆いたような、マナーの悪い人々に声をかけ、
ほかのお客様のために…なんてこともしてくれない。
そもそもスタッフの人数が少なく、
お客様をきちんとチェックできていない状況もある。

安売りのために、薄利多売の発想や
効率ばかりを追求してしまっているところに問題があるのだが…。
そのような環境が、結果としてお客様を
慢心させてしまうことになっている。
“セルフサービス”の自由で安いという裏には、
人々がモラルやマナーを失ってしまう危険が潜んでいたのだ。

しかし本来あるべきなのは、
他人が見ているか見ていないかは関係なく、
誰かを思いやる気持ちなのではないだろうか?

海外ではセルフサービスの上に築かれた価値観が広がり、
マナーが良くなかったり他人のことを考えなかったりする人々が多い。
そういった状態を見ていると、
日本人は地球規模で見ても
かけがえのない価値観を持っている人々だと思う。

それがこの40~50年で“セルフサービス”という、
一見自由で便利に見える概念のワナに蝕まれているのではないだろうか?
このままの状態を続けていけば、
日本人の価値観はどんどん堕落してしまうのではないか。

自分のことだけを考えていると、
人間はどんどんマナーが悪くなってしまう。
“セルフサービス”が築いた環境に流されず、
日本人の素晴らしい価値観を引き継いでいきたいものだ。

あれっ?
セルフサービスの功罪ではなく、“罪”の話だったねぇ~。

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皆さんのマナーはどうだろうか?

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セルフサービスの店内

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熟ジュクア・ラ・カルト

05/25
2015

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体験した「便利」は「常識」に変わる

ボタンを押せば、温水シャワーで
お尻をきれいにしてくれるトイレのウォシュレット。
確かに便利で、クセになるシロモノだ。

少し前のビジ達で、
最近のトイレの便利さに
黄色信号を発する話をしたばかりだが…。

この「便利」について感じることといえば、
世の中のスピードアップ化。

昔は毎回切符を購入して
乗っていた電車やバスも、
いまではSuicaやPASMOが大活躍。

この乗車カードさえあれば、
どこにしまったのかわからなくなりがちな、
小さな切符を改札前で探す必要はないのだ
(そして多くの小銭も必要ない!)。

さらに電車はさまざまなラインが開通し、
乗り換え時間もずいぶんラクになった。

そして近年なにかと話題にあがるのは、
高速のインターネット回線が整備され、
何を調べるにもサッと使えるスマートフォン。

いや~本当に便利な世の中になっている!
これだけ便利&時短が可能になると、
無駄なく効率よく過ごすことができるよねぇ。

また生活の場面だけではない。
私たちの仕事である編集やデザインも、
使われる時間を昔と比較すれば雲泥の差
(すぐにデータで確認できる上、
メールでやりとりすることも増えたため)。

いまも尚、続いている技術革新は、
さまざまな場面の時間短縮に大きく貢献しているのだ。

しかし、時短された時間は
一体何に使われているのだろう?

一度体験してしまった「便利」は、
あって当たり前だという
「常識」に変化してしまう。

「便利でよかったねぇ」
なんてことだけでは終わらない!

知らぬ間に後戻りできない
自分になっているのだから、
なかなか怖いものだ…。

便利さによって空いた時間の使われ方は、
ビジネスにおいては次なる仕事にまわることが多い。

そして、新たに仕事をしたことで伸びた売上げは、
さらなる便利な技術や設備を導入するために使われていく。

お金の行き先が変化してきただけで、
働いている日常の時間も、
プライベートで短縮した時間も、
結果として何かに費やされているのだ。

私が気がかりなのは、
空いた時間が何に代わっているかではない。

時間を有効にできる手段が多くなっているのに、
私たちの“幸せ”には
直接つながっていないという点だ。

体験した便利は、
いつの間にか常識に変わる。

便利の中にどっぷり浸かっていては、
そこからなかなか抜け出せない。

だからこそ、
自分をうまくコントロールしなければ!

いくら手間のかかる時間が
便利さによって短縮されようとも、
時間を有効に使う意識がなければ、
結局は無駄な時間になってしまう。

これからも世の中のスピードアップ化は
どんどん加速して、便利になっていくだろう。

こういった点を理解した上で生きていかなければ、
我々は大きな落とし穴に落ちてしまうのかも…?

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これが登場してから、切符を購入する機会も減ったねぇ

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電車の乗り換えだって一瞬で調べられる!

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日常のさらなる便利さを促進したスマートフォン

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熟ジュクア・ラ・カルト

01/13
2015

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“便利さ”に誤魔化されるな!

「イオン、駅前丸飲み」

先日手にした「日経MJ」を眺めていると、
こんな見出しが目に入った。
今まで都心から数キロ離れた場所で展開していた
大型ショッピングセンター「イオンモール」が、
岡山駅前という都心部に12月5日にオープンしたというのだ。

また、別の誌面では
「セブンイレブン VS アマゾン」という見出しも。
ここでは、大手流通企業の
セブン&アイ・ホールディングスのオムニチャネル戦略
(販売経路を一元化して、商品を顧客に提供するサービス)
について書かれている。

これにより、セブン&アイ・ホールディングスが持つ
巨大ネットワークを駆使して、
ネット通販世界最大手のアマゾンに対抗することとなる。

ここで注目したいのは、流通企業の話ではなく、
そのサービスを受ける生活者について。
もっと言えば、大手流通企業が提供する
「流通の便利さ」を享受しすぎることで予想される、
2つの大きなリスクについてだ。

1つ目は、過剰流通によりリスクも伝播するということ。
最近のニュースに、大手飲食チェーンが
起こした異物混入事件があった。
このように、大量生産・大量販売は、
多くの人の手に物がいきわたる反面、
問題が起きた際、その危険は
多くの生活者にふりかかる。

また、生産元で病原菌などが発覚すれば、
大量の無駄な廃棄物も生み出してしまうだろう。

そして2つ目は、地域でのお金の循環を妨げてしまうこと。
私が提唱しているものの1つに“日本列島疲弊論”がある。
現在、大型ショッピングモールは、
テナントも全国展開しているものがほとんどだ。

そのため、たとえそこで購入したとしても、
そのお金は地域には回らず、
都市部にある本社に集まってしまうため、
地域産業の発展を妨げているのだ。

全国で増え続けるシャッター通りのように、
大型ショッピングモールによって地域文化は衰退し、
やがて日本は“疲弊”してしまうだろう。

このように、技術の進化とともに
流通が拡大している現代において、
便利さだけを重視していると、生活者だけでなく、
地域全体に大きな危険が及ぶ可能性が高い。
それは、未来の社会にも大きく影響するだろう。

だからこそ、私たちにいま求められているのが、
「どこで買うか、誰から買うか」という、
自ら取捨選択して行動することだ。
目先の便利さではなく、
未来を視野に入れた選択こそ必要なのだ。

そして、これは生活者だけでなく、
多くの企業にも同じことが言えるだろう。

つまり、
「どの会社と取引するか、
どんな人たちと仕事をするか」
の判断が求められているのだ。

日本はいま、5年後にオリンピック開催を控え、
産業の活性化に向けて湧いている。
国民であり一生活者として、
いまこそ目先の便利さや安易なおいしさを求めず、
地域の活性化に繋がる購入の仕方を
改めて考えるべきだろう。

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本当に「便利」なのか?

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新規ジャンル参入の影響はいかに。

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全国どこも同じものばかり!

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購入する側も考えを改めよう!

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