10/11
2021
令和のプロフェッショナルも“守破離(しゅはり)”を繰り返す!
“守破離”とは千利休の訓をまとめた
『利休道歌』にある、「規矩(きく)作法 守り尽くして
破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。
すなわち、「修業に際して、まずは師匠から教わった型を
徹底的に“守る”ところから始め、師匠の型を身につける。
その後、他流派の型なども含めそれらと
自分を照らし合わせて研究することにより、
自分に合った型を模索し試すことで
既存の型を“破る”ことができるようになる。
さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と
自分自身で見出した型の双方に精通したら、
既存の型に囚われることなく、
型から“離れ”て新たな流派が生まれる」ことを言う。
(Wikipediaからですが・・・)
先週のビジネスの達人でも紹介した葛飾北斎は
この“守破離”を繰り返し、世界へと影響を及ぼすに至った。
改めて、北斎を辿ると・・・、
子どもの頃から写生をしていた北斎は、
手先も器用であったことから14才で木彫り職人に弟子入り。
19歳で役者絵師の勝川春章のもとに入門。
まもなく、“勝川春朗”の名を得て20歳には浮世絵の世界に登場。
その好奇心に富む性格から内緒で狩野派(日本絵画史上最大の画派)や
洋画を学び、それがばれて破門となる。
これを発端に波乱に富んだ絵師人生になる。
破門されたことで生活に窮したりもするが、
絵に対する情熱は高まっていく。
40歳以降、“葛飾北斎”と号し、どの画派にも属することなく、
独立した絵師としての道を拓いていった。
50歳過ぎで「北斎漫画」を描き、人気が出、
60歳過ぎで「富岳三十六景」を発表。
75歳にて“画狂人”と号し、90歳まで絵を描き続けた。
このように北斎は年齢とともに、変化し、
“守破離”を繰り返していったということ。
さて、そこで話は現代のことになるが・・・、
私たちを取り巻く環境では、先端技術の進歩で
これまでにはなかった様々な道具が用意されている。
例えば、絵を描くにしても、もはや画材としての
絵の具も画用紙も筆も不要で、マックやiPadにて
絵もかけるし、動画も創れるようになった。
あるアプリを使えば、一人でも効率よく
アニメーション動画を創ることもできるのだ。
新しい技術を貪欲に取り入れ、北斎の時代の“守破離”とは
ちょっと違う、新しい時代の“守破離”を繰り返して
いかなければならない。
令和のプロフェッショナルはこの新しい時代の“守破離”を
“スピーディ”にして、今の時代のセンスにあったものを
提供していくことが求められている。
ビジネスも能動的に時代の先端を取り入れて
“守破離”を繰り返していかないと・・・遅れていきますよ!