
10/10
2017

5Sは性善説に通ず!
休日、いつものように2時間ほどカフェで
書きものをしていたところ・・・店の前に停めていた
(もちろん邪魔にならないようにだが)
自転車のライト、“CATEYE(キャットアイ)”
がなくなっているではないか(・_・;)
いや~これを目の当たりにした時はガックリ・・・。
仕事を終えて充実していた気持ちが、
すっかり落ち込んでしまった。
私がガックリときたのは、
自分のライトがなくなっていたという理由だけではない。
未だにこの東京で、ライトを盗っていく人間が
いるという、その事実にガックリきてしまったのだ。
(民度が低い!)
たとえば銀行のATMで、
ついカードを取り忘れてしまったときも
「忘れものですよ~!」と誰かしらが声をかけてくれる。
これが本来の、相手を思いやる日本ならではの価値観のはず。
では、相手を思いやれる人と、
そうではない人の違いは一体どこにあるのか?
ここで考えたいのが性善説と性悪説。
中国の儒学者・孟子が唱えたのが
「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に持っている」
という性善説。
反対に荀子が唱えたのが
「人間の本性は利己的欲望とみなして
善の行為は後天的習得によってなされる」
という性悪説だ。
もちろん私は“性善説”派である。
まさに以前ビジ達でもご紹介した
“三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる”・・・
という格言の通り、本来人というのは
相手を思いやることをいつの間にか身に覚えるはずなのだ。
つまり相手を思いやれる人間になれるか、
そうでないかは、その人がどんな環境で生きてきたか
という部分が大きく影響している。
ここで注目したい次なる発想が、“5S”!
整理・整頓・清掃・清潔・躾の5つのSのこと。
これらを徹底的に行っている人達は、
性善説を最大限に活かすことができる。
ということは、身を置いている場所が汚れていたりすると、
本来持っている道徳的本性は活かされないのでは・・・?
私の“CATEYE”がなくなってしまったことは、
この際仕方がない(また買えば戻ってくるのだから)。
ところが、2020年に東京五輪・パラリンピックを
控えているいま、地球規模で
日本人に対する価値観のブランディングを
意識していかなければならないということ。
世界に誇れる日本人になるため、
5S活動を心がけ、それを徹底していくことで
性善説も立証できるはずである・・・!