07/21
2015
“先義後利マン”登場か!?
「え! 西山が休み!? …なんで?」
「なんか、札幌の予備校に行ったらしいよ」
「え~~なんで!? オレたちまじめに
学校行事の球技大会やってるっていうのに…
何かヘンじゃない!?」
「まぁ~ねぇ~」
「だって、西山はこの高校の校長の息子だよ。
これじゃ西山校長が、自分が校長を務める高校の
行事に対して、責任もってないってことにならない!?」
(なんて同級生に話していたのだ)
そして、球技大会も終わった夜、
納得できる説明を求めて私は
3年の仲間と校長宅を訪問した。
あったねぇ~そんなこと。
43年も前の北海道の高校時代のことだけど…
40年以上経っても、その人の根本は
変わらないってことのようだ。
筋の通らないこと、道理に合わないことは
そのままにしておけないタイプ
だから自分の身を考えず、
思い立ったら何らかのアクションを
起こしていた。
(ときには流れに身をまかせることもあるのだが…)
私が“ビジ達”で発信している
「熟ジュク ア・ラ・カルト」や、
セミナーや講演会で、いまの時代の問題点を
指摘し、その対応策を発信しているのも
その延長線上のこと。
先程の43年前の事件は、社会の問題というより
個の小さな問題だった。
ところが、それから40数年も経済優先型の
社会が続くと、成熟化が進み、結果として
あちこちで腐敗状態が現れてくるのだ。
私がよく口にする「日本列島疲弊論」や
「負の経済ドレス」「便利の裏側」も
腐敗が進んでいることを指摘してのこと。
とはいえ、私たちの
“自分だけ、目先だけ、お金だけ”
的な欲がそれらに拍車を
かけていることも間違いないのだ。
もう、私が校長宅を訪問して解決する
そんな単純な問題でもないし、
ここまで社会の腐敗が目に見えてきても、
残念ながら正義の味方である
あの当時のクラーク・ケント扮する
スーパーマンは現れることはないのだ。
では、何からアクションを起こせばいいのだろう。
成熟化が進んだこの社会の中で何から取り掛かったら…
まぁ、まずは、生活者として安いからとか
便利だからとかに誤魔化されないで、
しっかりした目線でどの会社のものを
どの店で買うのか、誰から買うのかに
しっかり責任を持つことだろう。
そして、鍵山相談役から学んだように、
道路や公共スペースに落ちている缶やペットボトル、
そしてタバコの吸い殻をもっと
徹底して拾うことからかな。
その程度でもより多くの人たちがやれば、
それなりの結果につながるかもしれない。
“一人の百歩より、百人の一歩”って言うし。
そうこうしているうちに、中島セイジ扮する
新しいタイプのスーパーマン“先義後利マン”が
現れるかも…
はははっ(^∇^)