これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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ビジネスの達人

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10/26
2015

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長いも掘りも“遠慮”の視点

うわ~~大きい! 太~~い! スゴ~~い!
(女性からの感嘆の声)

なぜか、この声を聞くと男どもは照れくさくなってしまう。
場所が変われば、男としては、
とってもうれしく自信のみなぎる言葉なのだが…
(若い頃に耳にしたかった…)。

ここは北海道十勝の大平原。
男たちはタオルを首に巻き、スコップを握り締め、
大地と格闘しながら汗だくでチャレンジしている。
その掘りの深さは80センチほどだろうか。

このくらい深く掘らない限り、
長いもの先端は顔を出してくれないのだ。
ほどほどで抜こうとすると、
“パキッ”という音と共に真っ白な折れ目がむき出しに。

この時は、さすがに徒労感が漂い、ガックリとなる。
だからこそ次は確実にものにしようと、
手を抜かないし、気も抜けないのだ。
この緊張感が男たちをより駆り立てているのかもしれない。

とにかく、手作業による長いも掘りは手間がかかるし
エネルギーも使い、きれいに掘り出すのは至難の業。

この時も男衆(経営者たち)は、ブツブツ言っていて
なかなかヤル気を出してくれなかったのだが、
掘り始めて15分ほどすると
なぜか口数は減り黙々と掘り始めるのだ。
経営者というより、1人の農夫として長いもと対峙している状態。

なぜここまで、長いも掘りは人を夢中にさせるのか。

“この長く太い長いもを美しいまま掘り出したい!”
こんな目的意識が芽生えた途端に、
人は時間を忘れ真剣に取り組むことになる。

もしかしたら、ビジネスも一緒かもしれない。
人に言われたからではなく、
自分自身の中でしっかりした目的意識が芽生えたとき、
人はいろいろと試行錯誤を繰り返し、
自分のやり方で進んでいくということ。
長いも掘りのように、時間を忘れて一生懸命に取り組むのだ。

ふむ、ふむ。ということは…
早くに長いもが折れてしまうような失敗体験こそが、
必要条件と言えるのかもしれないね。
すなわち、スタッフのビジネスにおける
ちょっとした失敗を勇気を持って見過ごせるかが、
まずはリーダーに必要なポイントとなるのだ。

あ~、そう考えるとその昔はついついスタッフが失敗しないように、
最初からあれこれ細かく言ってしまっていたなぁ~。
あれじゃ、人は成長しないんだよなぁ~(反省しきり)。

とにかく、人の育て方も長いも掘りも上辺だけではダメで、
それなりに深い考察が必要ってこと。
あ~またあの言葉が頭に浮かぶ。
“遠慮(遠きを慮る)”だ。

この二文字がいろいろな場面で活躍する。
見えない土の中を慮ってこそ、いい結果に出会える。
この発想こそが、今の時代のキーワードと言っていいのかもしれない。

そういえば、今回ゴボウ抜きも体験したなぁ~。
長いもに比べれば、結構あっさり抜けたっけ。
でも、ビジネスは“ゴボウ抜き”のようにはいかないのだ。 ask synonym

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長いも掘りに挑戦!

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予想以上に骨の折れる作業だ

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先取りビジネストレンド

10/26
2015

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スパイバー流ソリューションビジネス

スパイバー(Spiber)?
スパイダー(Spider)の綴りを
間違えたのだろうか?

そう思ってしまうようなこの言葉は、
スパイダーとファイバー(fiber)を
掛け合わせた企業名。

その名の通り、世界で初めて
人工の蜘蛛の糸の量産化技術を確立した、
いま大注目の企業である。

一体なぜ、“蜘蛛の糸”の製造で
注目されているのだろうか?

一般的には、蜘蛛の糸というと
人の手でプチンと切れてしまう
イメージがあるかもしれない。

しかし、実はとてつもなく丈夫で強固な糸なのだ。
それが一体どれほどのものかと言うと…。
・鋼鉄の4倍の強度
・ナイロンを上回る伸縮性
・既存の繊維のなかで最も丈夫
・300℃以上の熱に耐える
ざっと挙げただけでも驚きの性能ではないか!

しかもシルクと同じように
タンパク質でできているのだが、
自然界に存在する物質“糖”が原料なのだという。

つまり特別な材料は不要で、
害もなく地球にやさしい製造が可能なのだ。

すなわち人工の蜘蛛の糸は、
再生可能な生物由来の資源=バイオマス。
まさに “スーパー繊維”!

しかし、これまでは量産するのが難しかったそうなのだ。
そんな中でスパイバーはとある大手の
自動車部品メーカーと提携し、
ベンチャーキャピタルなどから
50億円もの出資を募って開発を進めてきたという。

スパイバーの代表執行役である関山和秀氏は、
元々慶應義塾大学の研究室で蜘蛛の糸に携わってきた方で、
在学中に会社を起ち上げたのだという。

いかにも研究者らしい真面目な印象を受けるが、
関山氏は元々「地球規模の課題を解決できる
ビジネスを展開したい」という志を持っていたそうなのだ。

世の中に役立つ仕事でないと長続きしない、
という信念を持ってのチャレンジである。

これはまさに “ソリューションビジネス”であり、
私が言うところの“タテの発想”!
そんな素晴らしい想いがあったからこそ、
創業から現在までの短期間に
ここまでの援助や協力を引き寄せられたのだろう。

資源をむやみに消費せず、
自然に存在する物質を原料とする技法や、
課題解決のために“蜘蛛の糸”の量産体制を実現させたことは、
今までのものづくりの常識を変えてしまうような出来事だ。

目先の利益にばかりとらわれていると、
関山氏のようなアイディアは出ないし長続きもしない。
私が思うに、ソリューションビジネスは
“タテの発想”をしている方々が生み出すものではないだろうか。

地球規模で見た課題を解決しようとする姿勢があるからこそ、
“タテの発想”、“タテの経営”を行う人には
大勢の協力者が傍にいてくれるし、
長期的に続く事業となり得るのだ。

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スパイバーの関山和秀氏

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はなまるア・ラ・カルト

10/26
2015

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梅岩の生家へ、開校の地へ

「勘平、遅いじゃないか」
「それが山でよいものを拾ったんじゃ」

そう言って勘平が取り出したのは、
先ほど拾ったばかりのいが栗。
渋皮を取って食べようと思ったのだ。

しかし、それを見た父は
「お前その栗どこから持ってきた?
 隣の山との境にあったんやろう。
 その栗は隣の山のものじゃろう。
 このままでは人の物をとったとされてしまう、返してきなさい!」
と言い放ったという。

これはビジ達でもおなじみの
石田梅岩にまつわるエピソードの一つだ。
梅岩といえば、「正直・倹約・勤勉」を柱とした「商人道」や、
人の道である世の中の道理を広めるための
「石門心学」として後世にも伝えられている。

幼少期の梅岩(勘平)は、
自分の家の持ち山と他の人の持ち山との境で栗を拾い、
それを父に見せたところ、冒頭のように叱責されたのだ。
もし他人の家のものならば、
たとえ落ちていても拾ってはならない、ということだ。
まさに、“正直”を重要視する
梅岩の生き方につながるエピソードだといえる。

こんな話をする理由は、
先日、石門心学・実践講座の視察ツアーで訪れた京都の亀岡市で、
石田梅岩の生家を訪ねた際、
山のふもとにいが栗が数個落ちていたためだ
(思わず梅岩が栗を拾うシーンを思い浮かべてしまった)。

ツアーでは、石田梅岩が塾を開講した地や
梅岩の墓などを訪れると共に、
ゆかりのある半兵衛麩さんを訪ね、
貴重な資料なども(「都鄙問答」の原本や
「先義後利」の掛け軸も見てきた!)、
見せてもらってきたのだ。

また、京都市内の講舎跡地では、
こんなエピソードを思い出した。
梅岩が45歳になったときのこと。
誰の後ろ盾もなく無料で塾を開講したとき、
3ヶ月してやっと一人の百姓が現れたという。

「こちらの講義は本当にタダで聴いてよろしいのでしょうか」
「その通り、席銭は一切頂かないことにしている」
「何故でしょうか」
「私が開講した理由は、金儲けのためではない。
 世の中には無学でも賢い人が多いが、
 惜しむらくは人の人たる道を誤っている人が多い。
 そんな人々に人の人たる道を授けたいためだ」

こうして3ヶ月目でやっと
1名の受講生を得た梅岩だったのだが、
その後無料にもかかわらず、
受講生からお礼の野菜などを貰うようになったという。
これぞ梅岩の「先義後利」を
体現しているエピソードといえるだろう。

このような様々なエピソードを思い出していると、
梅岩のように後世にまで語り継がれる存在であっても、
様々なプロセスを重ねたゆえの
結果であることを確信することができた。

また、梅岩の塾は江戸時代では珍しい
無料の塾であっただけでなく、
男女問わず受講生を受け入れたため、
多くの人から支持されるようになった。

そのため、江戸時代後期には
全国に180ヶ所に及ぶ校舎ができるほどに広がった。
このように、300年近く経った後も語り継がれる
梅岩の“石門心学”も
こんなプロローグを経て現在に至っているのだ。

これはビジネスでも同じことが言える。
何か大きな結果を成そうと
急に大きなことをしようとしても、
継続することは難しい。

だからこそ、
基本をこつこつ積み重ねていくことで、
それが結果となり、
多くの人に支持されるようになるのだろう。

そう、あの石田梅岩ですら幼少期から
正直かつ堅実さを持って物事に取り組んでいた。
だからこそ、現代でも多くの人から求められる
「石門心学」に至ることができたのだろう。

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石田梅岩ゆかりの地へ!

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開講した地も視察してきた

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様々なエピソードがよみがえってきた

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梅岩の生家にて

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10/19
2015

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老舗 虎屋の“遠慮の道”

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、
多くの素晴らしい出会いに恵まれました。
3日と空けずにご来店くださり、
きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。

毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を
1つお買い求めくださっていた、
当時幼稚園生でいらしたお客様。
ある時おひとりでお見えになったので、
心配になった店員が外へ出てみると、
お母さまがこっそり隠れて見守って
いらっしゃったということもありました。

車椅子でご来店くださっていた、
100歳になられる女性のお客様。
入院生活に入られてからは
ご家族が生菓子や干菓子を
お買い求めくださいました。
お食事ができなくなられてからも、
弊社の干菓子をくずしながら
お召し上がりになったと伺っています。

このようにお客様とともに過ごさせて
頂いた時間をここに書き尽くすことは
到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、
強く私たちの心に焼き付いています。

       ・

と続き、3年後に竣工するビルに
ついていくらか語り、これまでの
ご愛顧に対しての御礼で締めくくられていた。
(全文ではありませんが、文章は
そのまま使わせていただきました)

この挨拶文の主は、虎屋17代目
代表取締役社長 黒川光博氏だ。

1964年、東京オリンピックの年に
建てられた赤坂本店の建て替え休業に伴う挨拶。

さすが、虎屋と言ったらいいのだろうか…
室町時代後期に創業というから、
もうすぐ500年の歴史であり文化を
たずさえているのだ。

実は、17代目当主の黒川社長、
東京青年会議所の先輩でもあり、
ときどきお話しをさせていただく
機会があるのだが、私の知っている
多くの経営者とどこか違う。

話し方にも品格があり、私たちと
優先順位が違うというか…
これまでの虎屋の歴史をしっかりたずさえて、
その先を見据えての語りであり、
会話をするのだ。

10年近く前だろうか、パリの虎屋を
海外研修で訪ねたいとお願いした時のこと。
洋菓子は、明治の時代から100年かけて、
日本のすみずみまで広がった。
私は、この虎屋パリ店から、
やはり100年かけてヨーロッパ中に和菓子を
広げたいんです…と、語っていたのだ。
その時、パリ店はまだ25年目くらいだったと思ったが…

すご~~い。
まさにタテの発想であり、タテの経営。
あたりまえのように100年先を見据えた
発想であり、とらえ方をしないと、
その先には続いていかないということ。

とはいえ、黒川社長は“伝統とは革新の連続”
だとも語っていた。

長く会社やお店を継続するには、
もっともっと深い何かがそこにあるはずなのだ。
そのヒントが今回の赤坂本店休業の
挨拶文にあるように思えてならない。

先日も、ビジ達で鍵山相談役をテーマとし、
“遠慮”という言葉を紹介したが、
まさに遠くを慮る虎屋がそこに見えてくる。

あっ、“慮る”は虎の「儿」が「思」になっただけ。
もしかしたら、虎屋はもともとは“慮屋”だったのかも…
それが、ついつい略されて“虎”になってしまった…

まぁ~そんなことはないだろうけど
とにかく虎屋は“遠慮”をテーマにした会社とは
言えるかも知れない。

そろそろ私も“遠慮”ある生き方を学ぼ~っと!

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また、逢える日まで!

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季節の和菓子

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選ばれる仕事道

10/19
2015

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鍵山流“遠慮の仕事道”

つ、ついにこのときが来た~~!!

私が人生の師として仰ぎ、
その考え方に多くを学ばせていただいている、
日本を美しくする会の鍵山相談役が、
人間学を学ぶ月刊誌 月刊『致知』の表紙を飾ったのだ。
(当然、中身の特集ページにも登場)

表紙には、今月の特集のテーマとして『遠慮』の二文字が…!
この場合の遠慮は、一般的に使われている
「人の態度や行動に対して、
慎みを持つ」という意味とは少し違う。

実は、「遠慮」の本来の意味とは、
“遠きを慮る”ことであり
“遠い将来のことをよく考え、
すぐに行動をとらないことで、
態度を控え目にする”というものなのだ。

この『致知』によれば、遠慮とは、「いま」、「ここ」、
「自分の都合」だけではなく、
遠い将来に思いを馳せ彼方此方を慮るという、
つまりは「遠きを慮る」ことの大切さを語っているのだ。

さらに “遠き”には二つの意味が隠されているという。
ひとつ目は、将来の人への思いやり。
ふたつ目は、距離の遠いところにいる人を慮る空間的な広がりだ。

おや、この考え方は、最近私が様々なところで発表している
“タテの発想”に非常に近いのでないだろうか。

例えば、鍵山相談役の考え方に
「日々の積み重ねた通りに人生は創られていく」
というものがある。

それはつまり、今すぐ徳に繋がらないことであっても、
続けていけば自己の成長に繋がるということ。

自身を成長させていくことがタテの精神を伸ばすことになり、
結果的に“徳”を得ることにもなりうる。

鍵山相談役自身、イエローハットの社長時代(当時の社名はローヤル)に
厳しい条件を突きつけられたことにより、
売り上げの6割を占めていた取引先との取引を
鍵山相談役の方からお断りした経験を持っている。

しかし、その決断は当然、大きな痛みを伴うものだった。
薄利で厳しい仕事を社員にやらせ続けることが
果たして遠きを慮った考えなのか?
また、将来的に一緒に仕事をしていく相手なのか?
という疑問を抱き、大きな決断に踏み切ったのだ。

鍵山相談役は、いわずと知れた
掃除道を徹底している方。
凡事とされる“掃除”を徹底することは、目先の得にはならない。
しかし、ロングレンジに考えると
社会にも自分にも徳を積むことができる。
それこそ、先義後利。つまり遠きを慮ることを実践しているのだ。

こうした考えの下
「人間は自分の得にならないことをやらなければ、成長できない」
という信念を通したことで徐々に結果が実り始めた。
鍵山相談役の会社は全体の売り上げも回復し、
一部上場の大企業にまで成長したのだ。


つまり、遠き(将来、広範囲)を重んじて、その時に我慢できるのか?
すぐ目の前にある結果ばかりを求めずに遠きを見据えた行動がとれるのか?
それを徹底することにより、自分自身、会社が成長できて、
選ばれるビジネスにも繋がっていくのだろう。

鍵山相談役の人間性も、ビジネスもまさに『遠慮』が成す仕事道なのだ。

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人間学を学ぶ月刊誌 月刊『致知』

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鍵山相談役の特別講話

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