これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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目からウロコのおすすめ本

07/10
2017

book

『人生をひらく100の金言』著・鍵山秀三郎

☆“今日まで歩いてきた人生を一言で言うとすると、
「だれにでもできる簡単なことを、
 だれにもできないほど続けてきた」
というのが、私の人生のすべてです。”

これは鍵山秀三郎相談役の著書・『人生をひらく100の金言』
に掲載されている最初の金言。
これまでビジネスの達人では、鍵山相談役の
考え方や行動を度々ご紹介してきた。
今回は、6月に致知出版社から発売されたばかりの
この本の中から中島流に抜粋したものをご紹介していく。

☆“本来は「小さな努力で大きな成果」というのが
経済の原則のように見えますが、そうではない。
結果的には、大きな努力で小さな成果を手にするほうが確実なのです。”

これは、私が鍵山相談役と初めてお会いした時
教えていただいた言葉だ。
私は当時、「小さな努力で大きな成果」の方が
よいのではないでしょうか?などと
いかにも凡人らしい切り返しをしてしまった。
(もちろん、それが私の役割でもあったのだが…)

☆“縁というのは、ひとりでにできたり、
ひとりでにつながってくるものではなく、
つくろうという意思がなければつくれません。
それから、つなごうつなごうという気持ちをいつも
持ち続けていないとつなげないものです。”

つまりこの言葉は、人との関係をつくろうという
自分自身の意思が大切であることを
語っているのだ。

☆“神戸女学院大学名誉教授の内田樹という先生が
書いた本の中にこういう言葉が出てきます。
「私の仕事ではない。あなたの仕事でもない。
 誰の仕事でもない仕事が放置されている組織は、
 そこから腐敗する」
会社の中にはいろんな仕事があるわけですけど、
細分化していくと必ず間が空くんですね。
この間を補い合って、微妙に重なり合っている
企業は発展していきます。”

(うんうん、誰の仕事でもない仕事って結構あるんだよねぇ~)
このように、『人生をひらく100の金言』の中では
鍵山相談役のたくさんの金言が紹介されている。
私はこのうちの半分以上の金言を直接お聞きしたが、
その度に頭を上下しながら、
いくらかでも自分の仕事に反映できないか考えていた。

しかし、金言を自分に反映し、実践することは
そう簡単ではない。
なぜなら鍵山相談役は、さまざまなことを徹底して
実践し、そこから気づきとして発信しているわけで…
その言いたいことが分かったとしても、実践することは
1~1000よりも遠いのだ。
(先週の復習? )

まずは鍵山相談役のお言葉を常に意識して
日々を過ごすことが、大きな成果への第一歩だろう。
みなさんも、この本を身近に置いて
日々の指標として取り入れてみてはいかがだろうか。

book

鍵山相談役の著書・『人生をひらく100の金言』

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選ばれる仕事道

07/10
2017

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大沢悠里流“先義徹底”の極意

「道義を優先させ、利益を後回しにする」という言葉の“先義後利”。
ビジ達でも何度も登場している言葉だが、
今回の“先義徹底”を使うのは私も初めて。
というのも、今回のビジ達に向け私がつくった造語だからだ。

デイリーのパーソナリティーを降りてから1年、
久々に大沢悠里氏と改めてお話する機会があった。
皆さんご存知大沢氏は、ラジオ番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」を
30年間継続された名パーソナリティにして、
超ベテランのアナウンサーだ。

もう30年(?)ほどお付き合いさせていただいているが、
今回お話して、その考え方であり
行動の素晴らしさに改めて気付かされたのだ。

番組を聴いていた方は知っていると思うが、
「大沢流エンドロール」というものがある。
エンドロールをラジオで? と思われるかもしれないが、
大沢氏は番組の最後に制作スタッフや登場者の名前を
一人ひとり読み上げていくのだ。
(裏方に徹するスタッフにはこれは嬉しいよねぇ~!)

さらに、大沢氏主催のお店貸し切り懇親会なんてものも!
氏が店を1日貸し切り、番組で関わった人たちを
毎回150(?)人以上ごちそうする催しを、
それも年に数回開催するのが恒例だったという。

もっとすごいのは、
氏の番組は8時半オンエアーだったにもかかわらず、
毎朝必ず6時にはスタジオに着き、
清掃からその日の番組の準備もしていたそうだ。

これだけスタッフを大切にして“あたりまえ”を徹底してきたからこそ、
多くの関係者に支えられ、30年も番組が続いたのだろう。

これだけではない。氏はリスナーにも気を回して、
「運転しているあなた、雨だから運転に気を付けて」と呼び掛ける。
さらに、大沢氏が一度病に倒れ入院してからは、
「病院のベッドで聴いておられる方もいらっしゃると思います」
という一言も添えるようになったという。
リスナーがどんな状況で聴いているかを気遣う言葉が、
氏の番組にはあちこちに散りばめられているのだ。

こんな話もあった。氏はタクシーを使うとき、
例えば短めの距離で900円くらいの運賃だったとしたら、
運転手には1500円渡すんだとか。
タクシー運転手には大沢氏の番組のリスナーも多いそうだが、
こんな気遣いをされたら、ますますファンになってしまうだろう。

こんなさりげない“義”を常に優先した行動を
氏は“徹底”してきた。
これはまさしく“先義後利”と鍵山相談役がよく使う
“凡事徹底”のハイブリッド、“先義徹底”といえるだろう。
この“先義徹底”が、大沢氏の番組が長年愛され、
選ばれ続ける理由となったに違いない!

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清掃からその日の番組の準備も

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ラジオ界の“伝説”大沢悠里氏

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鍵山氏の“凡事徹底”と…

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拙著にも登場する“先義後利”を組み合わせたのが“先義徹底”だ!

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モバイルショット

07/03
2017

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地球規模のインスパイア!

この歩き、この動きはムーンウォーク!?
いやその進化版、サターンウォークか?
(聞いたことない)
えっ、そこで片手で回転する!?
(やっぱりサンフランシスコは違うねぇ~)

そして、カラダをそこで持ち上げてしまう。スゴ!
人間ワザとは思えない。
ということで、サンフランシスコの街を歩いても、
地球規模のワザに出会えてしまうのだ。

先にも紹介した人にも環境にもやさしいフェリープラザの
ファーマーズマーケットは、その半端でないオーガニックへの
こだわりにより、多くの人を集めているし…

そして、サンフランシスコ郊外の町バークレーは、
ヒッピー文化の発祥の地でもあり、
政治的にも社会的にも進歩的な学生の
都市としても有名なのだ。

とにかく、SFベイエリア(シリコンヴァレー)を含め
この地域には地球規模のものがいっぱい。

そうそうカストロ地区を忘れてはいけない。
あのレインボーカラーの旗が揚げられている
世界に名だたるゲイの“聖地”のことだ。

私はその趣味もないので、その地区を1人で
歩いたりはしなかったが、いい身体をしたお兄さんたちが
静かに闊歩していた。
(その姿を観ているだけで、高層ビルから地上を
見下ろしたときのように思わず、
肛門にチカラが入ってしまった(・_・;)

話は、冒頭のストリートパフォーマンスに戻るが、
サンフランシスコにはあの全身を銀色で
塗り込んだパフォーマーも多いし、
渋いブルースを聴かせるサックス奏者も何人もいるという。

私たちが注目したブレイクダンスの彼らも、
もう少しそのワザを磨けば、十分世界の舞台で
活躍できるパフォーマーではないだろうか。
(だからこそ、1時間以上待ちそのパフォーマンスを
見届けたわけだが…)

今回、サンフランシスコだけに滞在し、
5泊したわけだが、さまざまな“世界”を臨むことができた。
いまやその昔と比べれば地球はかなり小さくなったのかも知れない。

だからこそ、今後のビジネスのためにも自分としての
生き方のためにも、世界をその目で体感してこよう。
インスパイアされること間違いなし!

えっ、もう遅い!?いやいや、思い立ったが吉日と言うし…

地球規模を体感してこよう!

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この技はいったい!?

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うっひょースゲー!

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私もこのくらいわ…!

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はなまるア・ラ・カルト

07/03
2017

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「三ツ子の魂、百までライフスタイル」の証明

先日ビジ達でご紹介した、
アメリカの日本食レストラン「Yoshi’s」の
オーナー秋葉好江女史。
彼女は1942年生まれの74歳だが、
まだまだサンフランシスコ周辺では注目の経営者だ。

秋葉女史は、まだ厳しい環境下にあった
戦後の日本で幼少期を過ごした。
そしてアメリカの将校と結婚し、渡米。
だが、当時のアメリカは当然のように
日本人に対する差別がかなりあったという。
そんな苦境の中で生きてきた彼女だからこそ、
その後に何が起こっても
「We can do it(みんなできるさ)!」
という気持ちで乗り越えてこれたのだろう。

秋葉女史誕生の10年ほど前、
1933年に鍵山秀三郎相談役は生まれた。
もともとは東京の裕福な家庭で育ったが、
戦時中、岐阜県の田舎へ疎開することになった。
そこでの厳しい生活が、
その後の鍵山相談役の人生に大きく影響しているという。

さて、ここで私が思い出したのが
「三ツ子の魂、百までライフスタイル」という中島ワード。
その人の価値観のものさしは、
多感な子どものときの体験や経験からつくられる
ということなのだが…、
お2人を見るとやはり幼少期であり、
子どもの頃の育った環境がその後のライフスタイルに
大きく影響していると感じたのだ。
(我ながら鋭い視点だと…)

そして遅ればせながら1955年には、
アップル社創設者のスティーブ・ジョブズ氏、
そして私 中島セイジが誕生!
(まぁ、私の話は置いておいて…6^^;)
ジョブズ氏も幼い頃は複雑な家庭環境で育ったという。
それがその後の彼のクリエイティブな革命の原動力となった
と言えそうだ。

うんうん。やっぱりこう見ても、私が考えた
「三ツ子の魂、百までライフスタイル」は間違いない!
そんなことを考えていた矢先、
さらにこんな言葉を知ったのだ。

「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、
十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」

これは江戸時代の庶民の間で語られていた、
段階的養育法だという。
3歳で心の基礎ができ、6歳で親の躾が
子どもに反映されはじめる。
9~12歳のときに本を読み込むことで言葉を身につけ、
きちんとした文章が書ける人間になる。
そして15歳で、時事問題に積極的に触れ、
自分なりに物事の分別を身につけてゆく。
そこでその人間の行く末が決まるってこと。
(これは脳科学的にも証明されているんだって!)

人はつい自分の体験レベルで、
相手のことを推しはかってしまう。
だが、相手がどんな時代背景と境遇で
多感な時代を生きてきたか。
それを理解することがビジネスにおいても、
人と人とのつながりにも重要になってくるってこと。

そして、逆境や厳しい環境を
経験してきた人の方が、
強い意志を持って、事に当たれるということのようだ。

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多感な子どもの頃の環境が、後のその人の価値観をつくるのだ

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秋葉好江氏の著書『We can do it!』

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鍵山相談役も幼少期は厳しい環境で育ったという

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シナジースペシャル

07/03
2017

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“箸よく盤水を廻す”の如く

「ローマは一日にして成らず」
何事においても、長年の努力なしに
物事を成し得ることはできない
という意味の言葉。

“すべての道はローマに通ず”と言われるほど
繁栄したローマ帝国も、築くまでに
700年もの歳月を費やしたとか…。
長い苦難の歴史があって、
ローマ帝国になっていったというわけ。

今回、サンフランシスコの海外研修で、
禅に触れる機会が多くあったのだが
どうしてサンフランシスコに
禅堂や禅センターが多く存在するのだろうか。

さかのぼること67年前。
当時80歳だった文学博士の鈴木大拙氏は、
1950~58年にかけて欧米の各地で
禅という仏教思想を広めるため
講義を展開していた。
(1950年…まだ私も産まれていない)

さらに1966年には禅に関する英語版の著書を出し
日本文化を広く海外に知らしめた。
ちょうどそのころ、宗教家の鈴木俊隆氏も
1964年にサンフランシスコの個人宅ガレージで禅堂を始めている。

そんな流れの中から、禅の“瞑想”に着目し
「マインドフルネス」というものが生まれた。
これは自分の身体や気持ちの状態に気づく力を育み、
生活の質を高めるメンタルトレーニングのこと。

Google、Facebook、IntelなどのIT企業や
ウォール街の大手金融会社など、様々な企業が
マインドフルネスをビジネスに取り入れている。

このように私たちの知る禅は
1950年から2017年までの67年間に
禅でありマインドフルネスとして、オーバーラップ
しながら全米に広がっていった。

そういえば、こんな格言が…
「0から1への距離は、1から1000の距離よりも遠い」。
これはユダヤの格言だが、鍵山相談役もよく口にしている。
0から1、つまり何もないところから
1をつくることがどれだけ大変で、先が見えないか…。

やっぱり、まず大前提として必要なのが
0から1をつくる人であり、
そこに“強い意志”があってはじめて
その先がつくられるということ。

初めは行動したことに対する反響は
ほとんどないかもしれない。
しかし、そこで続けられるかどうかが、
その後の可能性を左右するということ。
まさに“箸よく盤水を廻す”なのだ。

たらいの水に箸一本で小さな円を描いても、
最初はピチャピチャとしているだけで
ほとんど水が動くことはない。
しかし徐々に水が動いていき、
最終的にはたらいの水全体が
箸一本の回転に合わせて廻っていくのだ。

まあ、何事も焦らず根気よく続けていれば
いつかは大きな結果に繋がる
可能性は高くなるということだ。
鈴木大拙氏や鈴木俊隆氏がアメリカ各地で
禅を広めていったように、0を1にする人がいないと、
その先に繋げることはできない。

私が北海道十勝の芽室町で展開している
Memuroワインヴァレー構想も、このようにスタートを
切ったことが、次なる展開に繋がっていくはずなのだ。

少なくとも私が元気なうちは、
Memuroワインヴァレー構想も“箸よく盤水を廻す”
の如く展開していきたい。

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欧米各地で広がる禅

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レス・ケイ氏の『ZEN at WORK』

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KannonDo…!

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