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04/07
2025

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大きな変化の70年と、 驚異的変化の令和時代への適応!?

私が生まれた1955年からの70年間、 
私たちは大きな技術革新と社会変化を経験してきた。

私が育った北海道の日高山脈の麓の十勝では、
1960年代の農家には、まだ農耕馬がいて、
一緒の家族として育った記憶が…
その証拠に、私の脚の向こうずねには、
馬に蹴られた傷痕がいまだに残っている。
それから数年でトラクターなるものが現れ、
広い畑を走り回るのは、馬ではなくトラクターに替わっていた。

家族みんなで協力してやっていた手間のかかる牛の乳搾りも、
あるタイミングで自動搾乳機“ミルカー”が現れ、
たくさんの牛を捌ける環境に変化していったのだ。
ということで昭和時代には、
戦後の経済成長と技術の進化があったが、
これらは比較的時間をかけての進展だった。

【平成、令和へとその変化は加速!?】

一方で、平成を経て令和時代に入ると、
その変化は一層加速することに。
コロナパンデミックもあり、特にデジタル技術の発展は、
私たちの生活様式やビジネスの在り方を劇的に変えていった。
この変化を余儀なくされている理由は、
主に情報技術の革新とそれに伴うグローバル化。

まず、インターネットの普及による情報伝達速度の向上は、
世界を瞬時に結びつけることにつながった。
AIやIoT技術の進歩は、産業のオートメーション化を促進し、
リモートワークやオンラインサービスの普及を加速。
これにより、地域や時間の制約を超えた働き方や
生活スタイルが定着した。

また、消費者行動の変化も無視できない。
インターネットの発展により、
消費者は膨大な情報へのアクセスが可能となり、
より高度な選択肢を求めるようになった。
これに対応するため、企業は迅速な変革を迫られることに。

私のような昭和中頃から育った人間にとっては
このところの変化のスピードは、とにかく驚異的なのだ。
ということは、私たちのビジネスにおいても
これらの変化に適応するための手段が必要ということ。

【驚異的変化への対応方法として】

その1 ◆柔軟性と継続的学習の重要性
技術は絶えず進化している。
個人レベルで新しい知識を学び続けることは、
生き残るための鍵となる。

その2 ◆デジタルスキルの向上
デジタル技術が日常化した現代において、
ICTスキルの向上は不可欠。
これにより、変化するビジネス環境にも適応力を発揮。

その3 ◆持続可能なビジネスモデルの策定
短期的な利益ではなく、長期的な視野で
持続可能性を考慮したビジネス戦略が必要。
フォアキャスティングではなく、バックキャスティング思考へ。

その4 ◆社会貢献と環境配慮
技術の進化がもたらす社会への影響を考慮し、
倫理的かつ環境に配慮した取り組みを重視すべき。

ここに“その5”を加えるとすると
「人と文化の資本経営」をおすすめする。
私が経営に関わってきた40数年を振り返ると、
一見お金になり難い“人と文化”に関わる施策であり事業展開が、
ブランディングに貢献したように思えてならないのだ。

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最近の変化のスピードに適応するには

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04/07
2025

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孔子曰く“七十にして矩をこえず”って!?

ついに70歳を超えたことで、孔子の
「七十にして矩(のり)をこえず」
という言葉を改めて調べていると…

『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。
三十にして立つ。 四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。
七十にして心の欲するところに従って、 矩を踰えず。』

“七十歳にして、心の欲するところに従って矩を超えない”
その意味は、自分の欲望にも正直でありながら、
自然と倫理観に基づいた行動ができる状態とある。
すなわち、長年の経験と知恵により、
無理なく正しい判断を下し、
徳を表す行いが自然にできるようになるのだと。

え〜、まだ結構無理しないと“自分の欲望”は
抑えられないんだけど…
そして四十どころでなく、七十でも迷ってるし!
まぁ、孔子が約2500年前に発信したわけだから
現代とはかなり年齢の誤差があるということだろう。

ということで、これらの言葉の意味を再確認してみよう!

【改めて、ここで孔子の話を現代訳すると】

人生の各段階における知恵と成長のプロセスに注目し、
生涯にわたる“学びと成熟”のプロセスについて語っている。

◆ “十有五にして学に志す”

十五歳で学問に志すことは、
若年期における基盤づくりとなり、
知識の蓄積は、後の人生において重要な役割を果たす。
若いうちに学び始めることで、知識と理解が深まり、
人生の土台が強固になるという。

◆ “三十にして立つ”

三十歳にして自立することは、
知識を実社会で活かし、自覚と自己責任を持つことになる。
この時点で、自分の意思をはっきりさせ、
世の中でどのように貢献するかを考える時期である。

◆ “四十にして惑わず”

四十歳では、迷いがなくなるという。
有り余る情報や選択肢の中から、
自分自身の価値観や経験を通じて最適な選択が可能となり、
自信を持って行動できる段階に到達する。

◆ “五十にして天命を知る”

五十歳にして天命を知るというのは、
自分の人生の意味や目的を深く理解し、受け入れることを指す。
この年齢には、ある種の達観があり、
力の及ばない自然の摂理や巡り合わせを素直に受け入れながらも、
なお実践的な努力を続けることができる。

◆ “六十にして耳順う”

六十歳にして耳順うというのは、
人の言葉を自然に受け入れ、多様な意見に対する
理解が深まる状態を示している。
他者の言葉に耳を傾け、柔軟に応じられるようになることで、
社会との調和も進むという。

そして、“七十にして矩をこえず”となるわけだ。
この孔子の言葉は、現代との年齢の誤差はあるものの
生涯にわたる成長のプロセスは、現代においても
常に学び続ける意欲と心の成長を促すもの。

それにしても…私は今、やっと四十くらいだろうか?!

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現代の70歳はどうだろうか

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