これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

08/25
2025

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孔子もブッダもソクラテスも そして石田梅岩先生も、弟子たちが後世に発信!!

“真の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり”。
本来の商人は、相手の利益も考え、
自分だけが儲けることを目指すのではなく、
共に発展していくことを大切にする、という意味。
これは300年前の江戸中期に活躍した
石田梅岩先生の言葉。

この言葉、江戸時代の商人道を語っているだけでなく、
経済の在り方であり“日本人なればこその価値観”をも
発信していたと思うのだが…

また、“倹約”を正直の徳とし、利益を追求するだけでなく、
それを人々のために役立てることを説いている。
石田梅岩先生は、“正直” “倹約” “勤勉”の大切さをも語り、
商売でありビジネスの継続のための“在り方”も
発信してくれている。
いまだに私たち日本人の価値観に少なからず残っている理由は、
“石門心学”として江戸時代の終わり頃まで
全国各地で学ばれていたからなのだ。

【作家の五木寛之氏が、ある雑誌の中で…】

「私は中学生の頃までは、『論語』は孔子の書いた書物のように
思い込んでいたのだが…
それが孔子の言行や、彼の弟子たちとの問答を
集録した書であると知ったのは、
少年向けの通俗解説書を手にしたときだった。
“子ノタマワクというのは、そういうことだったのか”と、
ようやく納得したのである。
その意味では、仏典がブッダの死後、
多くの弟子たちや信徒たちの手によって成立したのと似ている。
ソクラテスも自身では著作を残してはいない。
プラトンの手によって彼の思想は後世に伝えられた。
古代の大思想家とは、歩き、人々と問答をし、
弟子たちの質問に鮮やかに答えた存在だったのである」
(うんうん、さすが五木寛之先生!)

その昔は、印刷技術のこともあり、本人が生きているうちに
書物にできることはまずなかったのだろう。
また、その後の多くの弟子たちであり関係者が、
この先生の教えは、後世に残すのに値するという
結論に至らない限り、書物に残すという
大掛かりな作業には取り掛からなかったということ。

それだけ、書物づくりには手間と時間がかかったのだろう。

【石田梅岩先生にも“石田先生語録”がある!】

冒頭で紹介した“石門心学”の石田梅岩先生も、
『都鄙問答』『倹約斉家論』という著書が残っているが、
これらは、石田梅岩先生が塾の運営のために
必要な教科書として創られた著書ととらえている。

石田先生の死後、手島堵庵を中心とする弟子たちが
石田梅岩先生門流の“心学”としてネーミングし、
京都を中心に関西から広がり、
江戸時代後期には全国へと普及して行った。
そして『石田先生語録』として
先生の教えをまとめた言葉集も存在することになったという。
石田梅岩先生が弟子たちに語った言葉や、
彼が考えた商売や人生に関する教訓が収められている。

町民だけでなく、農民・職人・武家にも学びの道を開き、
女性や子供向けの教化方法や教訓書が生まれた。
武士や公家にも影響を与え、日本社会全体に
商人道であり、道徳意識を高める役割を果たしたという。

↓ ↓ ↓

ということで、私的には、
孔子やソクラテスと並ぶ偉人として
石田梅岩先生を紹介したいわけだが…
石田梅岩先生であり、“石門心学”に興味のある方は以下まで
https://bt.q-b.co.jp/wp-content/themes/qb/pdf/sekimon250627.pdf

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石田梅岩先生にも多くの言葉がある

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選ばれる仕事道

07/22
2025

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星 新一先生も登場してくれた! ミッション、ビジョンと運を引き込む人間力。

先日、倉庫にあるこれまでの制作物を整理していてのこと…
えっ、あの星 新一氏がインタビューに応じてくれていた?!
(すっかり忘れていたということ…)

「なるつもりもなく作家になったが、文学部へ行かず、
有機化学をやっていてよかった…
飛躍した題材の物語、つまりSFでは、
古典の“透明人間”以来、秘薬のたぐいがよく使われた。
私も書きはじめて三十年になるが、
話を進めるのに、各種の薬を出した。
“カゼ薬”など、妙案だった。
カゼの薬ではない。
飲むとカゼの症状をもたらす作用。
ずる休みに適当ではないか。
思い出し薬も使った。
ある量を飲むと、それに相当する過去にさかのぼって、
記憶が鮮明になるのだ。
グチを押える薬などできたら、多くの家庭は助かるのではないか。
これまでは病気治療の薬が多かったが、
今後はもっと、はばの広い薬が開発されるのではないか…」

うんうん、星 新一先生らしい話。
それにしてもよく登場してくれたものだ。
これは弊社が企画編集をお手伝いしていた
1987年の日本バイエルグループの広報誌である。

この広報誌にはその後も“太陽の塔”の岡本太郎氏、
建築家の黒川紀章氏など
錚々たる有名な先生方が登場してくれていたのだ。

1980年代当時、弊社の力でありネットワーク力はないのだが、
世界のバイエルグループという
クライアントのブランド力による顔ぶれである。
創業して5〜6年目の頃は、
実力でありネットワークもそこそこなわけだから、
必死に走り回っての“運”でしかないのだ。

【ミッションとビジョン、そして運を引き込む人間力!】

この秋スタート予定の女性社会起業家アカデミー“サキドリ”。
先日も女性社会起業家数名をゲストにイベントを開催。
その節も…
やっぱり起業には○○と○○は必須だと言いたいのだが…

どうしたら創業から43年、
さまざまな課題を克服して今に繋がったのか?!
→売掛金が回収できないことも幾度か。
→リーマンショックもあった。
→年間売上の3分の1がなくなるトラブルも起こった。
でも、社員や外部協力会社に大きな迷惑をかけることもなく
43年目を迎えられたのだ。

そしてたどり着いた結論が…
経営はその目指す意味→ミッションであり
目指すところ→ビジョンが重要であり、
それらを追求する姿勢と“運”が大切なのでは?!

経営における根幹概念として度々取り上げられるのが
“ミッション”と“ビジョン”。
これらは、組織が目指すべき意義と到達点を明示し、
その存在意義と長期的な方向性を示すもの。
それにより、組織は一貫した目標に向かって進むことができ、
従業員やステークホルダーに対しても明確な指針となる。

これらのミッションとビジョンを本気で追求する姿勢こそが、
組織の成長と信頼を支える要素となる。
そして、その追求の過程において培われた能力や信頼関係が、
やがて“運”として顕在化するということなのだろう?!
“運”というものは偶然ではなく、日々の努力と
明確な目的意識の結果としてもたらされるものに違いない。

ということでビジ達流の結論は…
起業にはミッションとビジョンと
“運を引き込む人間力”が重要という結論に!

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名だたる人物が続々と!

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07/07
2025

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“新しいM&A投資”により、 “令和の混沌”を突破するNYC!

先日、“ビジネスの達人”トークアラカルト収録のために
弊社を訪れてくれた
NYC株式会社の中塚 庸仁(のぶひと)社長。
やっぱり30代社長の“やる気”エネルギーはすげ〜。
(つい自分の30代のころを思い浮かべてみた…)

【その収録前に観たYouTubeチャンネルのタイトルは
『その仕事を、未来へつなぐ。
〜中小企業の次代をつくる若者たち〜』】

「日本に存在する企業数は約400万社。
その99.7%が中小企業。
GDP、雇用、そして人の生活、
すなわち日本の屋台骨を支えているのは中小企業。
その50%の中小企業で後継者がいない。
令和の今、廃業する中小企業が後を絶たない。
大きな社会課題と化した事業承継。
だが……
日本には無くしてはいけない仕事がある。
未来につなぐべき素晴らしい仕事が…
そのために全力で取り組む若者たちがいる
新しさと泥臭さで中小企業にもう一度夢を!
これは中小企業とともに未来に向かう若者たちの物語」

こんなプロローグから始まった
NYC株式会社のYouTubeチャンネル。
結構、泥臭いけどそのエナジーが伝わってくる。

その仕事を、未来へつなぐ。〜 中小企業の次代をつくる若者たち 〜
https://www.youtube.com/watch?v=27wEZij_Xt8

【100社のM&A達成を目標に掲げる!!】

NYC株式会社のメンバーの平均年齢は何と32歳。
2025年3月で創業3周年を迎え、
累計資金調達額が50億円超、
グループ売上が80億円に達し、投資先企業が18社に。
今後も事業承継問題の解決に向けて
さらに投資を加速させることを目指している。

NYCは100社のM&A達成を目標に掲げ、
経営支援を通じて日本の中小企業の
持続可能な発展に尽力している。

【これはNYCによるロングレンジの個人メドレービジネス?!】

その1◆企業やビジネスを精査してM&Aを実施
M&Aする相手をあれこれ探し、今後の可能性も含め精査し、
自己資金で買い取る。

その2◆経営のテコ入れと経営管理などの実施
より可能性ある経営実現のために後継社長採用や
経営管理など幅広く支援。

新たに投資しながら、事業内容、人事・組織、取引先も含め
令和時代に合致した企業として革新する。

その3◆事業継続および成長を実現
ここでも終わらず…数年経営して、
収益化が可能な未来ある企業として育む。

その4◆今度はエグジットのための
高い評価をしてもらえる相手先を見つける。

その5◆次の株主へバトンタッチ

げっ!こんなに長く、あれこれ頑張らなきゃいけないわけだ。
それもさまざまな技を駆使して。
まるで400メートルメドレーリレー?
→背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形
いや、400メートル個人メドレーってことかも⁈

仕事としては、その意味もヤリガイもあり面白そうだけど、
このロングレンジの個人メドレービジネスは
もう私にはキツイに違いない。
↓ ↓ ↓
中塚庸仁社長率いるNYC株式会社は、まだ4年目だが
平均年齢32歳の若者たちがM&Aを通じて
日本の事業承継問題に取り組み、
多くの実績を創り上げようとしている。
このプロセスはまさに日本の中小企業の未来をつなぎ続ける
挑戦と言えるだろう。

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NYC株式会社の中塚社長

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06/02
2025

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蔦屋重三郎と林 忠正、 “日本文化”グローバル化の軌跡

今、“大阪・関西万博”の真っ最中だが、
19世紀後半のあの“パリ万博”において
日本の美術であり文化を紹介した“林 忠正”に注目!

先のテレビ番組『歴史探偵“万博と日本”』を視聴していて
発想したことだが…
約150年前、林 忠正はパリ万国博覧会における
日本美術の紹介を通じ、新たな文化の架け橋となったという。

そしてこのビジ達でも紹介した
大河ドラマ『べらぼう』の蔦屋重三郎。
江戸時代を代表する出版業者であり、浮世絵の普及にも貢献した。
喜多川歌麿や葛飾北斎などの才能を見出し、
彼らの作品を世に送り出した人物でもある。

蔦重(つたじゅう)の活動は、江戸の知的環境を豊かにし、
日本美術の発展に寄与した。
蔦重の元で生まれたこれらの作品は、
後に日本の文化を世界に紹介する重要な要素となった。

この2人の関係を理解してもらえただろうか?!
日本の歴史において、多くの人物が文化の紹介と普及に
尽力してきたわけだが、林 忠正と蔦屋重三郎は、
異なる時代に活躍しながらも、共に日本の美術と文化を
世界に広める上で大きな役割を果たしたということ。

やっぱり“万博”は、世界の国々の文化交流には
重要な役割を担っているということだろう。
(さて、まだ混み合っているというし、
大阪・関西万博にはいつ頃行こうかな?!)


【蔦重のクリエイティブな発想と、林 忠正の進取的な精神】

蔦重の活躍した江戸時代から約100年後、
林 忠正は25歳のとき、明治時代の進取的な精神により、
パリ万国博覧会の通訳としてフランスに渡った。

1860年前後から1920年頃までの間、
ヨーロッパでは“ジャポニスム”が流行し、
日本美術への関心が高まっていた。

林はこの機会を逃さず、日本の工芸品や浮世絵の魅力を
フランス語で詳しく伝えることで、
ヨーロッパにおける日本美術の評価を高めたという。

林がパリで紹介した美術品には、
蔦屋重三郎の影響下で発展した浮世絵も多く含まれていた。
これにより、蔦重の時代に育まれた浮世絵が国際的に評価され、
その芸術性が世界中に広まる一助となった。
林の活動は、単なる商業的な成功にとどまらず、
文化的な架け橋としての役割も担っていたのだ。

林 忠正は、日本国内で軽視されることの多かった
浮世絵の価値を再評価し、その芸術性を守るために貢献した。
彼の情熱と努力がなければ、これらの貴重な文化遺産は
失われていたかもしれない。

国際的な視野を持ち、日本文化を熱心に紹介した彼の活動は、
現在でも評価されている。

↓ ↓ ↓

このように、蔦屋重三郎と林 忠正という時代を超えた
二人の貢献は、日本の美術と文化が国際的に認められ、
発展する土台を築いたということ。

彼らの業績を振り返ることは、文化遺産をどのように守り、
発信していくべきかを考えるきっかけにもなるのだ。

ちなみに、現在J-POPをはじめとする日本の音楽が
国際的な注目を集めている。
日本なればこその曲の細やかで密度ある感覚と
ビジュアル面も評価され、多くの海外の人たちに
受け入れられているということなのだろう。

パリ万博の時代は、“林 忠正”のような紹介者が必要だったが
今はその役割をSNSがやっているということなのだろうか?!

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蔦重と林 忠正の共通点とは?!

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05/26
2025

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世界一貧しい大統領と呼ばれた “ムヒカ”ウルグアイ元大統領

“世界一貧しい大統領”として知られた、
南米ウルグアイの“ホセ・ムヒカ”氏が89歳で亡くなった。
5月14日の国葬では、
多くの市民が涙を流し別れを告げたという。
(“ホセ・ムヒカ”氏は、2010年から5年に渡り大統領を務めた)

私の“ウルグアイ”の記憶は、ブラジル、アルゼンチンと共に
南米のサッカーの強い国ということくらいだろうか?!

1935年に貧しい家庭で生まれ、大学卒業後は
花売りとして生計を立てていたが、
キューバ革命に影響を受け、左翼ゲリラ組織に入り、
軍事政権下では13年ほど収監されていたという。

冷戦崩壊後の政治空白や経済危機で、
中南米の左派が台頭した1990年代からは政治家に転身。
大統領になってからは報酬の大部分を寄付して
毎月1000ドルで生活を続け“世界一貧しい大統領”として
庶民に親しまれた。

ということで、ムヒカ氏への追悼の意をこめて
ムヒカ氏から私たちへの価値あるメッセージを紹介したい。

◆現代社会の“貧乏な人”とは…

「人類はこの消費社会にコントロールされてしまっている。
“貧乏な人”とは、モノを少ししか持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくら持っていても満足しない人のことなのだ」
→まさに老子の教えが由来の“足るを知る”ということ。

◆就職に対して不安と迷いを持っていた学生に

「学校は就職するために行く場所ではない。
“生きる理由”を見つける場所だよ。
自分が本当にやりたいこと、進みたい道を決めるのが
大学なんじゃないかな」
→まずは、自分は何をテーマに生きるのかを探さなくては?!

◆この現代の不確実な時代について

「われわれは時代の変わり目にいます。
ひとつの世界が去り、別の世界がやって来ます。
しかし去る者はまだ去っておらず、来る者はまだ来ていない。
だからこそ、今は多くの矛盾を抱えた
不確実な過渡期の時代なのです」
→うんうん、まさに今はさまざまな価値観が混在するとき

◆ウルグアイは、風力や太陽光、水力などの再生可能エネルギーで
電力需要のほぼすべてを賄うことができる国の1つ。

「私たち人間は、エネルギーに関して、
環境に負荷を与えるものではなく、
環境に優しいものを探さなければなりません。
なぜなら、私たち人間は地球上に80億人もいるからです。
人間の活動が自然のバランスを変える可能性があり、
その結果、私たちが苦しむことになるからです。
ですから、私たち人間は節制し、持続可能な生き方を学び、
地球上の生命の調和を維持することを学ぶ必要があります」
→SDGsの必要性を分かりやすく語ってくれている。

◆ロシアによるウクライナ侵攻について

「すべての人にとって非常に危険な過ちで、
これはプーチン大統領の責任です。
ロシア国民の責任ではなく、あくまでロシア政府の責任であり、
政府と国民を混同すべきではないと信じています」

「一方で、西側諸国も賢明な態度をとっていません。
ドイツもフランスも、政府の無能に責任があります。
私が若かった頃、世界は似たような危険を経験しました。
ソ連がキューバに核兵器を運び込もうとしたとき、
戦争寸前の混乱にありましたが、政治によって解決しました。
交渉をしたからです」

◆2015年、80歳を目前にして大統領を退任。
翌年、広島を訪れた際には、こんな言葉を残しています。
「地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」
「私たちは過去の過ちから学んだだろうか」

ムヒカ氏のメッセージは、いかがだろうか?
常に世界であり人類に対して
責任を持って生きてきた人の言葉である。

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ムヒカ氏の言葉から何を思うか

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