これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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ビジネスの達人

シナジースペシャル

10/24
2016

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“良知の発現”によるシナジー

電車で席が3つ空いたとき、真ん中に座らず、端に座る。
車内で空き缶がパス回しされていて、自分に缶がまわってきたら、
(2回に一度の頻度だが)空き缶を手に取り降車時一緒に降りる。
そして、吊革につかまっているとき目の前の席が空いても、
即座に座らず次の駅で人が乗り込む様子をみてから座る。

こんな電車内での自分との葛藤に、
やっとやっと、いい対処をできるようになったのだ。
自分のレベルもようやく少し上がってきたかな?
と思ったりするわけだが、
還暦を過ぎて、やっと…というのが情けない話。
それにしても、電車内には問題視していることがまだまだある。

それは、多くの人が背負っており、私も愛用しているリュックだ。
私は電車利用時、リュックは必ず手に持つか網棚に乗せている。
だが近ごろの電車内では、背負ったままの人が目に付いて、
これが邪魔なんだよねぇ~。
(世の中のマナーはまだまだ徹底されていないねぇ…)

ではなぜ私は、先の「やっとやっと」
をできるようになったのか? それは…。
会社に遅刻しない、道にゴミを捨てない、
信号無視して横断歩道を渡らない、
喫茶店を出るとき「ごちそうさま」と一言いう、
静かにドアを閉める。
そんな、当たり前の積み重ねが、
たぶん私の道徳的な当たり前のレベルを
上げてくれたということなのだろう。

実はこのことを“良知の発現”という一言で表した、
中国の思想家、王陽明という人物がいる。
“良知の発現”は以前、
ビジ達でも語ったことがあるのだが…。
人は本来、本当のよいこと、“良知”を知っており、
何かよい行い、たとえば掃除の徹底などを実践することで、
“良知”がいつのまにか表に現れ、気づくことが出来るという。

彼はまた、「知行合一」ということばも残している。
これは、知ることは行為の始まりであり、
行為は知る事の完成である、という意味のことばだ。

いい行動(でなくとも、当たり前のこと)を、
知るだけでなく徹底して行動に移すからこそ、
そこからリターンを得、私の「やっとやっと」のように、
次の段階の“良知”の気づきがやってくるのだろう。

そこでビジネスの話になるのだが…。
“選ばれる経営者”の方々は、
世の中の当たり前をまずは徹底していて、
次なる上位の当たり前をも徹底しているのだ。
これはすなわち“良知の発現”の連鎖を起こすことで、
相乗効果を呼び込んでいるのではないか。

これぞビジネスにおける “良知の発現”現象。
徹底すれば、良知は発現する。
そして、発現した良知は人と人の相乗効果により
次なる効果や新たな縁をもたらす。

だから選ばれる経営者たちは、
社会性ある事業へ向かってゆくのだろう。
ふぅむ、納得!
これを中島流では「“良知の発現”によるシナジー」と呼ぼう!

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「やっとやっと」電車内での自分との葛藤にいい対処が出来るようになったのだ

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喫茶店を出るときは「ごちそうさま」の一言を

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足さえ出せば、手はついてくるんだ!

「はぁ、はぁ、はぁ……、うっ!」
「……もっともっと!」

浜田山の髷は解け、カラダも砂で真っ黒。
それでも稽古は続く。

この2人の稽古を観ているだけでも、
私は手に汗握ってしまうのだ。

1960年代に小学時代を過ごした
“巨人・大鵬・卵焼き”世代の私としては、相撲は大好きだった。
(あんまり選択肢はなかったということもあるが…)
観るだけでなく、実際に相撲をとることも好きだったので
しょっちゅう同級生たちと組み合っていた記憶がある。
身体は小さい方だったが、とにかくカラダを使っての
勝負事が好きだったということだろう。

それはともかく、ここ芝田山部屋の稽古は何回も観てい
るのだが、毎回真剣に観入ってしまう。

この2人のぶつかり稽古は、
私たちが見始めたときには、すでに始まっていた。
もう30分ほど経つだろうか。
とにかく、何十回とくり返しているのだ。

当然、どちらの力士も、汗がいく筋もカラダをつたっている。
そんな中、先輩力士が小さな声で、
浜田山の耳もとでささやいた。
「足さえ出せば、手はついてくるんだ…足さえ出せば…」

頭で考え、手で何かすることより、足を前に出すことを
優先しろと言っているのだ。

先輩力士は、浜田山のその先を考え、
厳しい稽古をつけてくれている。
芝田山親方も、この限界にチャレンジするような厳しさがなければ、
その上には上がって行けないのだという。
この相撲の世界は、体格であり勝負センスも必要と思われるが、
何と言ってもこの厳しい稽古なくして先はないということだ。

そして、今回の訪問で私の記憶に残った言葉は、
先輩力士がささやいた「足さえ出せば…」というフレーズ。

「足さえ出せば、手はついてくるんだ」
   ↓ ↓ ↓ 
「行動にさえ移せば、何かが得られるんだ」
   ↓ ↓ ↓
「チャレンジさえすれば、結果はついてくるんだ」

やっぱり、これなんだよねぇ。

ついつい人は、足を出さずに小手先で、
その場をどうにかしようとしてしまう。
一度や二度は、その技術でどうにかなるかもしれないが、
足を出さずして、長い道のりは歩んで行けないということ。

ふむふむ。このところ、私がくり返して語っているのが、このことだ。
相撲の世界も、ビジネスも一緒。

行動しないで、チャンスなんてやって来ないのだ。
チャレンジしない人に、いい出会いなどないのだ。
行動しない人に、時流なんてわかりゃしないんだ。
チャレンジしないで、次の一手は見えて来ないのだ。

行動し、チャレンジすることで、いろいろな相乗効果が
起こるということ。

浜田山関には、厳しい稽古にも耐え、
ぜひ関取になって欲しい!

そう、足さえ出せば、手はついてくるんだ!
チャレンジさえすれば、結果はついてくるんだ!
(おっ、また手に汗握ってしまった!)

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厳しい稽古で浜田山の背中は砂で真っ黒

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真剣な眼差しの浜田山関

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限界にチャレンジするような厳しさがなければ上には上がれない、と芝田山親方も語っていた

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選ばれるビジネス

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2016

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とみひろ的“LOHASなビジネス”

まさか私が、桑畑の前に立つ日が来るとは…!
桑の葉とは、絹糸を出すお蚕(かいこ)さんが食す葉っぱのこと。
私には一生関係がないだろうと思っていた養蚕事業を
目の当たりにする機会があったのだ。

その機会というのが、私が主催している経営者会議の
リトリート(自分を見つめ直す研修のようなもの)でのこと。

会議メンバーの1人が所属する「とみひろグループ(以下とみひろ)」の
見学をさせていただいたのだ。
とみひろは着物の製造や販売をしているのだが、
なんと絹糸の生産から行っている。

そして、とみひろの桑畑は一般的な農地である平地ではなく、
そこから離れた高台にある。
なぜこんな場所にあるのだろうか?

それは、通常の畑には農薬を撒くのが
当たり前になっているからだ。
すなわち、平地に桑畑をつくったのでは、
その農薬の影響が桑の木にも及んでしまうということ。

これは、その葉を食べたお蚕さんにとって、死活問題なのだ。
(やっぱり、現場に来ないと
わからないことはたくさんあるねえ~。)

さらに今回の研修で学んだことは、
1つの繭は1300~1500メートルの、
1本の糸でつくられているということ。
そして、布一反には2600~2800の繭が必要ということだ。

お蚕さんは8の字を描きながら糸を出すというのだが、
この動きはまるでアレではないだろうか…?
そう、無限大の「∞」マークである。
このマークは自然の摂理に叶っており、
そこには十分な意味があるのだ。

自然の摂理に則った農法といえば、
ビジ達では何度もご紹介している
「奇跡のリンゴ」の木村秋則氏だろう。
木村氏は、たびたびこんな話をしてくれていた。

人間はどんなに頑張っても
指の先にリンゴ1つ生み出すこともできない。
それなのに、リンゴの木はこんなに素晴らしいリンゴを
たくさんつくってくれると…。

すなわち、人は自然のお世話になることを前提におかないと、
自分たちの力だけでは何もできないのだ。
逆に、自然の力を借りれば美味しいリンゴも
きれいな糸もつくれる。

お蚕さんのお蔭で農薬を使わないことが、
本来の農業のあり方や、物事の正しい関係を導いてくれた。

自然や宇宙の摂理を活かさないと、
人は人として継続できないとも言える。
自然があることで、人が活きてくるのだ。
人間の都合に溺れると、
人間も住みにくい地球になってしまうということだろう。

こんなことを考えていて、
久々に頭に浮かんだのが「LOHAS」という言葉。
LOHASとは、「Lifestyles of Health and Sustainability」の略で、
要するに「健全で持続可能なライフスタイル」のこと。

持続可能な人間生活には、
自然と仲良くして活かすことが不可欠なのだ。
動植物の生命は自然の摂理と密接に結びついており、
もちろん人間もそこに合わせるべきだろう。

こんな「LOHAS」の考え方は、
ビジネスにおいても当然同じであると考える。
ビジネスもLOHASでなければ継続できないのだ。
とみひろが教えてくれた、LOHASなビジネスを実践しよう!

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農薬を避けるために桑畑は高台の上に

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ひとつの繭は1300メートル以上の1本の糸で出来ている

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それを丁寧に紡ぎ…

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布一反には2600~2900の繭が必要だという

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選ばれる仕事道

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“奥田政行流”仕事道

このところ、地産地消のレストラン、アル・ケッチァーノの奥田シェフと
何度か一緒にイベントをさせていただいた。
イベントでは奥田氏に色々とお話していただいたのだが、
どのイベントでも参加者の皆さんは奥田氏の話に耳を傾け
熱心に聞いてくれて、大成功のイベントとなった。

何故、氏がこれほど人々の支持を集めるのか改めて考えてみたのだが…。
奥田氏の著作『地方再生のレシピ』の冒頭に書いてあったことばに
その秘密を見つけたのだ。

「自分の暮らすところを再生するには
自分の地域を世界から見て
なにがあってなにが無いか
なにが長所でなにが短所かを知ること
世界の中で日本の中で
なにがオンリーワンなのか
これがわかると
なぜ自分の地域にはこんな料理が残っているのか
なぜこんな味が好まれているのかがわかります
そしてこの先の未来に
どんな料理が生まれてくるのかも見えてきます」

この『地方再生のレシピ』という本では、
奥田氏の故郷、山形県の庄内地域が氏の活動で
活性化していったプロセスが書かれている。
すなわち、奥田氏はこの本で“料理”ではなく、
料理を通じた地域の活性化策を語っているのだ。

31歳でアル・ケッチァーノを始めた奥田氏。
彼はそこから、地域に本当に必要なものと
「食」が果たせる可能性を
地域の人とコミュニケーションしながら模索した結果、
庄内地域の活性化を果たしたのだ。

そこで思い出したのが、
拙著『儲けないがいい』のプロローグとして書いた
「3人の仕事」の物語。
ある小さな島に、狩り上手のA、
農業上手のB、料理上手のCという3人がいた。

3人はあるとき話し合い、Aは獲物を3人分とってきて、
Bは3人分の野菜をつくる。
Cは狩りも畑作もできないかわりに、
AとBの食材で3人分の食事をつくることに決めた…という話だ。

この話は料理の重要性を伝えるため書いたのではないが、
料理には、確かに関係する人たちをいきいきとさせ、
コミュニケーションを促す役割があるのではないか。

つまり、地域で食材をつくる生産者の人たちがいて、
その食材を使う料理人がいると、
その料理を地域の人が食べ、地域が活性化する。
そして料理の評判が広まると、
他の地域からも人が集まってくるのだ。

このように、活性化のエネルギーを点から線、
線から面に、面から地域全体にまでつなげたのが奥田氏だ。
氏は本の最後で、こう述べている。

「自分の地域を好きになると、地域の事を知りたくなる。
知り尽くすと、悪いところも見えてくる。
それも全てひっくるめて地域のことを考えると、好きが愛に変わる。
すると、覚悟ができて勇気が湧き、
自分がいなくなったとき、この地域に何が残せるか
考えられるようになり、
利他的な行動ができるようになる…」と。

私がすすめるワイナリー構想でも、
続けるうちに地域のいいところ、悪いところがわかってくる。
そして、どうすればいいのかを考えるようになり、
それがこの地域を活かすオリジナルな発想となって
多くの人を巻き込んで行くことになるのだろう。

最終的に、次世代に何が残せるのか…を考えるようになる、
これぞ“奥田政行流”仕事道。
奥田シェフもまた、自分の仕事道を見つけ、
実践し続けるビジネスの達人といえるのだろう。

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奥田政行シェフの著書『地方再生のレシピ』

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料理を通じての地域の活性化策をお話ししてくれた奥田シェフ

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イベントも大成功となった

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奥田シェフの素晴らしい料理に舌鼓をうつ

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中島セイジ拙著『儲けないがいい』

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現代の坂本龍馬はいずこに!

高知行きに乗ったのだが、着いた空港は「高知龍馬空港」。
(いつの間に空港名に龍馬がついたのだろうか)
飛行機を降り、ロビーに出ると、そこには龍馬が腕を懐に入れていた。
その龍馬像のバックには波まで用意されていたのだ。
さすが、土佐の高知。

そこからバスに乗り、高知駅へ。
うわ~スゲ~! 駅前には、とにかく大きな銅像が3体も。
頭の上までは、優に10メートルはあるだろう銅像が堂々と並ぶ。
もちろん龍馬はいるだろうが(!?)
あとはどんな顔ぶれが並ぶのか!?

その3体の銅像の前に回ってみると…
ふむふむ、まさにその時代の土佐の勤皇の志士たちだ。
左は武市半平太(たけちはんぺいた)、
右は中岡慎太郎像。
(そう、土佐の人たちだった)
そして中央はもちろん、坂本龍馬像ということ。

やっぱり高知は坂本さん一色!…と思いきや、駅の中には、
「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし、
買うを見~た、よさこ~い、よさこ~い」
と口ずさみたくなる播磨屋橋の縮小版があったのだ。

まち中にある竹林寺の僧と美しい娘との“道ならぬ恋”
の物語が元になっているという。
いつの世も、“道ならぬ恋”は存在するということ。
(はっはっはっ、私には恋の話は似合わないか…)

話を龍馬に戻すが、私がよく知っている龍馬の言葉といえば、
「今一度日本を洗濯致し候」だ。
この言葉にはどんな思いがあったのか?

ここで日本をどうにかしなければと思い、
土佐を脱藩してまで立ち上がったわけだから、
いろいろな思いが交錯しての言葉だったのだろう。
わかり易く言えば、その時代の日本国にうごめく
さまざまな“しがらみ”を一掃したい、
今風に言えばリセットしたかったということ。

その結果、大政奉還を迎え、
日本国はある意味“洗濯”されたと言ってもいいだろう。
(残念ながら、龍馬はその姿を見ることはできなかったが…)
とにかく、坂本龍馬は日本国のことを思い、
立ち上がり行動に移したわけだ。
こんな人物がいない限り、なかなか世の中は動かない。

あれから、150年経つわけだが、その途中(中ほど)、
太平洋戦争で負けたことによってもう一度、洗濯を余儀なくされたわけだ。

例の中島流の「パラダイムシフト75」なわけであるが…。
(いろんな理由でパラダイムは転換するわけだ)
龍馬の洗濯からちょうど150年経つ今は、
やっぱり日本を洗濯したいわけである。
(いや世界を洗濯したいかもしれない)

何につけても約75年くらい経つと、いろいろな“しがらみ”ができ、
バランスの悪い社会になってくるということだろう。
これは、この世の“原理”と言ってもいいのかもしれない。

さて、今回は、どんなカタチで洗濯されるのやら…。
この時代の坂本龍馬はどこからやって来るのか!?

ところで、現代の坂本龍馬は、
堂々とかんざしをいくつも買うんだろうねぇ~。

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龍馬像のバックには波まで!

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やはり土佐(高知)と言えば龍馬

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土佐の勤皇の志士たちとMr.セイージ

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駅の中には播磨屋橋の縮小版が

新パラダイム

新パラダイムシフト75

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