これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

06/18
2018

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ヘイコ―パック流“前始末”

恒例の「日本を美しくする会」企業見学会で、
栃木県にある“ヘイコーパック株式会社”にお邪魔した。
社長の鈴木 健夫氏に案内してもらい、
工場内の見学はもちろん、掃除用具置き場についても
説明していただいたのだ。

今回の見学会はさまざまな角度から5Sが徹底されていて、
参加者が頷く場面も多く、満足度も高い研修となった。

たとえば、ホームセンターで購入する掃除用の箒は
穂が抜けやすいため、すぐに紐で補強する。
ペンチや金槌などの金物掃除道具は、
1つずつの置き場所が文字と型抜きによって
定められていて、誰もが対応しやすい保管ルールに。

“ヘイコーパック”では、備品を元の場所に戻すのは当たり前。
(もちろん、バケツの取っ手の向きもバッチリだ!)

社員の人たちが自販機で買って飲んだペットボトルや空き缶も、
必ず濯いで所定の位置に逆さで並べられている。
水道より遠いところに並べるのは、
また水がかかって濡れないようにしているのだとか。

“推して知るべし”というが、こういう気遣いやルールが
色々な仕事にも活きてくるのだと鈴木氏は言いたかったのだろう。
まさにこれは、例のイトーヨーカ堂創業者の
伊藤さんが発信した“前始末”ではないか!

また、10年ほど前に出版した私の書籍には、
中島流“タラレバ3回ルール3乗”というものがある。
「こうしていればよかった…」という同じことが
3回続いたら、ルール化してしまおう! という法則のこと。

つまりタラレバをルール化し、前始末を徹底することによって、
なにか始めようという時すぐ本題に入れるようになるのだ。

鈴木氏によると色分けなどのルールづくりで、
分かりやすい管理を徹底しているのには理由がある。
実は、“ヘイコーパック”の従業員は、
160数名中38名が障がいを持っている方々だという。

障がい者の方々が働きやすい環境をつくる
という名目もあるが、実は健常者がより手本になろうと
率先して動くことに意味があるのではないだろうか?

これぞまさに、ヘイコーパックの仕事道なのだろう!
中島流の“タラレバ3回ルール3乗”も
すばらしい法則だが…(自画自賛)
ビジネスはやっぱり“前始末”が大切。

ヘイコーパックの徹底した“前始末”には、
参加者の誰もが感嘆の声をあげていたのだ。

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バケツの取っ手までキッチリ並んでいる!

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徹底した“前始末”

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参加者のみなさん

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美しく並んでいる!

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06/11
2018

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300人が固唾をのんだ瞬間

「今日は、こんなにも大勢
集まっていただきありがとうございます。
北海道の母にも来てもらいたかったのですが 、
残念なことにどうしても…母も来たかったと…」

(親方は言葉をつまらせてしまい、
暫くの間は言葉も出ない状態に)
このシーンは「角界入門四十年・理事就任を祝う会」
での芝田山親方御礼の挨拶でのこと。
親方の苦労をかけた“母への思い”が
集約されていたシーンだったのだ。

このイベントに参加してくれた方々は全国から 300 人超。
親方の予想をはるかに超えた参加率だったということもあり、
2 会場を使ってのイベントとなった。
それだけ多くの関係者がこの祝う会に参加してくれたことも、
“母への思い”につながったに違いない。

私も芝田山親方とは同郷のよしみで、
いろいろとお世話になっていたこともあり
参加させていただいたのだが…
この瞬間が一番の感動のとき。
(仕事柄、カメラを構えてしまうわけだが…)

参加者の 300人超の方々が、
親方に集中し一斉に固唾をのんだ瞬間と言っていいだろう。
そして誰もが親方の“母への思い”に感動していた。
この日の祝いイベントは、漫談あり、落語あり、歌あり、バイオリンあり、
そしてブラジルサンバありと…とにかく出し物が目白押し。
それでも集まった方々の一番の感動は
この親方の“母への思い”だったに違いない。

どんなに大きな横綱大乃国になっても、
自分の子として母親が常に
心配してくれていたことを知っていたのだ。
(芝田山親方の情が見えた瞬間だったような…)

この挨拶の後半で親方は、今更の一言。
「本当は相撲取りになりたくなかったんですが…」と。

再び会場の300人がどよめいた!

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全員が一斉に固唾をのんだ

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「角界入門四十年・理事就任を祝う会」での出来事

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誰もが親方の“母への思い”に感動していた

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シナジースペシャル

06/11
2018

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“サン・セバスチャン”美食の流儀

ついに、スペインの“サン・セバスチャン”に行ってきた。
人口18万人程度の小さな街でありながら、
「世界一の美食の街」として知られ、
世界中から観光客や美食家が集まる唯一無二の街である。

今回も恒例の海外研修の一環として足を運んだわけだが…、
旅立つ前の成田空港で、
高城剛氏の“サン・セバスチャン”にまつわる書籍を、
訪問先の予備知識のために参加者全員へ配布した。

到着すると、街の一角だけで50軒以上のバルが凌ぎを削っていた。
バルのカウンターには色とりどりのピンチョスが。
美味しいワインと一緒に、自分の好きなものを選べるようになっている。

数あるバルの中から、今回はあえて「分子料理」のお店を選んだ。
分子料理というのは、化学式に基づいた新しい調理方法を取りいれた料理である。
通常では固まらないとされる複数の食材を
ジェルボールで丸くかたどるなど、ユニークな創作料理に出会えた。

(この複数の食材の取り合わせが
新しい美味しさのハーモニーを演出する…大満足の視察!)

さて今回のスペイン海外研修だが、実をいうと、
この“サン・セバスチャン”こそがメインだったのだ。

日本からは少し遠いためか、国内ではあまり耳にしないが、
今最も世界が注目している街だと言える。

先ほどもお伝えした通り、
“サン・セバスチャン”は人口18万人程度の小さな街である。
日本でいえば、ちょうど北海道の帯広あたりになるだろう。
(私のよく知っている街でたとえるとだが…。)
そこに世界中から観光客が集まるようになった理由にこそ、
今私たちが学ぶべきことが詰まっているのだ。

たとえば同じスペインでも、バルセロナには、
ガウディの建築や、ピカソ、ダリ、そしてFCバルセロナと、観光資源が豊かだ。
世界中から人々が集まるのも当然だろう。

しかし、“サン・セバスチャン”には、
観光資源と呼べるものがほとんどない。
そこで、山と海と川に恵まれた豊かな土地を活かし、
「美食旅行プラン」「料理学校」「料理の世界大会」など…、
料理の街として色々な取り組みを続けてきた。

そうして20年かけて、
世界中の料理人や美食家が徐々に足を運ぶようになり、
“サン・セバスチャン”は「世界一の美食の街」と呼ばれるようになったのだ。

その地域なればこその資産を活かし、「足を運ぶ理由」を作った。
これこそ、“サン・セバスチャン”のブランディングの秘訣である。
日本の地方都市は学ぶことが多いのではないだろうか。

皆さんもぜひ、足を運んでみてほしい。

(あ~、もう1回行きたい…!)

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世界が注目する街、掘り下げ甲斐がある!

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参加メンバーと、夜景を前に美味しい食事を。

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日本こそ、この街から学ぶ事は多いのでは?

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ああ美味しかった!もう一度食べたい!

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はなまるア・ラ・カルト

06/11
2018

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樹齢80年のテンプラニーリョが語る

テンプラニーリョ…!?
(変わった名前だよねぇ~)
先日の海外研修で知ったこの名前。
スペイン語のはずが、どうしても
“てんぷら人形”と聞こえてしまう(^^;)

もちろん“てんぷら”のことではなく…
これは、スペインのリオハで育つ
ワインぶどうの品種名なのだ。

今回の研修では、リオハとナバーラ
2か所のワイナリーにお邪魔した。

私は今まで、ワインの木の寿命は
40~50年だと思っていた。しかし驚いたことに、
リオハのワイナリー「OBALO(オバロ)」にあった
ワインぶどうの木は、樹齢80年の“テンプラニーリョ”!
その年輪が想像できるくらい太く逞しい木だったのだ。

参加者のみなさんも、
“テンプラニーリョ”に壮大な歴史を感じ、
80年の木からとれるワインに興味津々。
試飲をさせてもらったが、本当に美味しかった!
(とはいえ、若い木のぶどうもブレンドされているわけだが…)

ナバーラのワイナリー「モンハルディン」には、
よく耳にするフランスの品種がズラリ!
「OBALO」の敷地50haに対し、
「モンハルディン」は約4倍の200haもの敷地を有していた。
(やはりスケールが違うんだよねぇ)

ところでスペインのリオハやナバーラが、
フランスに負けじとここまで注目のワインを
展開させることに成功したのはなぜなのか?

実は、19世紀前半フランスボルドーで
害虫フィロキセラが蔓延し、ぶどうの木が全滅してしまった。
そこで技術を残すため、ボルドーの人たちは
リオハやナバーラに可能性を見出し、
ワイナリー展開をしたという。

それによって、このスペイン北部でも
ヨーロッパの人たちが納得する
ワインづくりができるようになったのだ。
ワインぶどう作りには歴史があることを感じさせられるねぇ~!

みなさんご存知の通り、私も北海道十勝の芽室町で、
2015年からワインヴァレー構想に取り組んでいるわけで…。
まだ3年目だが、されど3年…。

どんな地域の“当たり前”も、
誰かが最初にチャレンジしていたわけで、
「誰かが植えて、そこから歴史は始まる」!
それを、改めてスペインの“てんぷら人形”から教えられたのである。

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.ずらりと並んだワインは壮観!

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さまざまな種類のワイン

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広大な敷地のワイナリーを見学

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天ぷら人形…ではない!

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06/04
2018

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美食の街“サン・セバスチャン”の所以

このマリネ風のも食べてみたいし、
あの生ハムの乗っているやつも食べてみたい。
いや、こんなに食べれないかもしれない。
(これが美食の街のバルってこと)

人気の天才的シェフは自分のレシピや手法を
同業界の人に教えることなどないのが当たり前。

お客さまを独占したいし、
競合他社とも差をつけておきたいだろうし…それが普通。
ところが、サン・セバスチャンの
若いシェフたちは違ったのだ。
どんどん新しい料理を試行錯誤しながら追求し、
教え合ってもいた。

そう、常にオープンマインドの姿勢で
料理と対峙していたということ。
サン・セバスチャンの料理人たちは、切磋琢磨することで、
どんどん腕を上げ、
地球規模での口コミをつくり出すことになった。

だから繁盛店バルがずらりと並んでいて、
そのお客さまは店の外にまであふれているのだ。
そして、これだけ色鮮やかにピンチョスが並んでいたら、
そりゃどれも食べたくなるのが当然。
ついついピンチョスを2皿3皿と手に取り、
チャコリ(バスク地方の白ワイン)も思わず
おかわりしてしまうわけだ。

もちろん、このオープンマインドの姿勢だけが、
サン・セバスチャンを“美食の街”へとしたわけではなく、
この地が山あり、川あり、海ありの食材の宝庫であることも
重要なファクターと言える。

そして、1970年代にフランスで起きた
「ヌーベル・キュイジーヌ」が、
ここスペインのバスク地方にも大きな影響を与えたという。
(いや~美食の街“サン・セバスチャン”の所以を
語るには行数が足りない)

とにかく、飲食業と一次産業の連携であり、
料理人たちのパッションが美食の街
“世界のサン・セバスチャン”を演出したということ。

インターネットの世界でも、“オープンソース化”が
さまざまなソフト開発のスピードを早めたのは
間違いないわけで、私はこのサン・セバスチャンの
若い料理人たちの“オープンソース化”こそが立役者だと…

そういえば、サン・セバスチャンの
タパスでありピンチョスにはフレンチの影響もあり、
ほとんどの小皿にオープンソース(?)がかかっていたような…
(はははは…)

“美食の街の所以”の続きは、次週のビジ達で!

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Mr.セイージもご満悦

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どれもおいしそうだ!

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お店は大繁盛

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是非また味わいたいものだ

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