これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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はなまるア・ラ・カルト

08/20
2018

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ブランディングへ「ハレの日」活用

先日のビジ達でもご紹介した、
浜松市で建材販売会社を60年展開する「株式会社原川」。
60年を振り返り、100年に向けた運営姿勢を発信する
オープニングビデオを製作させていただいたのだが…。

当日このイベントに参加し、
社員の人達の反応を見て感じたことがあった。

地域や業界を代表する取引先の人たちが
自社の周年イベントに全国から集まっている光景を見る。
(250人近くの人たちが集まってくれていた)
それだけでも、自社が多くの人に関わり、
注目される会社だということに
改めて社員の人たちが気付くことになる。
これは、社員の人たちの帰属意識の高揚にもつながるだろう。
そう、重要なのは自社への誇りであり、帰属意識なのである。

いままさに、東京上野で55年間お店を展開する
会社のビデオを製作しているわけだが…。
私はここでも、社員の人たち全員を
ビデオに登場させることにした。
それは…

自社への帰属意識とブランディングに対する意識を
社員一人ひとりに持ってもらうためだ。

どうあればこれからも自社は存続するのか、
どんなサービスを展開すれば、
多くの人たちが選んでくれるのか、
どんな関係を築けば、大切に取引してくれるのか…。
そう、記念の節目(ハレの日)を
全社員が会社の未来について考える
きっかけにしたいと考えたのだ。

ブランディングというのは
つい外に向けるものと考えがち。
ところが、社員を巻き込み、共感や信頼などを育てていくことで
社員自身もそのブランドを
意識した行動をとることにつながり、
ひいてはその価値を高めていくのである。

時代の流れやトレンドによって、
生活者のニーズや社会の情勢は変わっていく。
その中で、当然企業のブランドは新陳代謝を余儀なくされるわけで、
そこで働く人たちが、自社ブランドを理解しながら
時代にあった価値を追求していこう心構えは
これからの時代、必ずや必要になってくるということ。

そして周年イベントといった「ハレの日」は
そのきっかけづくりに最適ではないか。

ブランドの新陳代謝のためにも、
ハレの日をブランディングに活用していこう!

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株式会社原川の周年イベントの様子!

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ハレの日をブランディングに有効活用!

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はなまるア・ラ・カルト

06/18
2018

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あれから7年、復活の塩竈

宮城県仙台市から30分ほどのところにある、塩竈市。

今回は、プラチナ会議のリトリート先として訪問した。

皆さんお気づきのように、この塩竈、
私たちが普段使っている「釜」という字とは違い、
難しい表記をしている。
現地の小学校では4年生になるころにはみんなが書けるようになるという。
(竈という字にはこだわりがあるということ)

さて、あの震災から7年ということで、
地域の復興はどれくらい進んでいるのだろうか。
街中にある電柱には
「ここまで水がきました」という印が書いてあり、
この塩竈市内も3メートル近く浸水した形跡が残っていた。

塩竈という名前は、
海水を煮て塩を作る「竈」が海辺に数多くあったことが由来だという。
その塩竈港にも足を運んだが、
ちょうどマグロ漁船が到着したということで、
たくさんの新鮮なメバチマグロが水揚げされ、ずら~っと並んでいた。

この塩竈には、ほかにも色々な産業がある。
あの有名な日本酒、「浦霞」の醸造元もこの街にあるのだ。(しっかり酒蔵を見せてもらった)
また、今回のコーディネーター役でもある
三嶋社長が展開する、塩竈ならではの魚を加工する「ヤママサ」と、
とことんお茶にこだわる茶舗「矢部園」などを視察させてもらい、
そして塩竈港を起点に松島を回る遊覧船も体験させてもらった。
松島の美しい島々を見ていると、思わずあの歌が…
(♪松島のサーヨー瑞巌寺ほどのー)

とにかく大充実のリトリートとなったわけだが…、
やはり足を運ばないとわからないことが多いものだ。

塩竈はあらゆる産業が活発だとはいえ、
震災から7年経った今も、昔のような街の賑わいは、当然復活してはいない。

しかし、塩竈の方々は、すでに気持ちは復活し、
新たな“塩竈づくり”を展開しようと、さまざまな人たちが協力し行動していることが見て取れた。
塩竈には多くの人を惹きつけるための資源があることも理解できたのだ。
やっぱり、データだけではわからないものがたくさんあり、足を運ばないとねえ~。

今回のリトリートは、そんな塩竈の息吹を肌で感じるものだった。

(さあ、次はどこへ行こうかな~!)

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塩竈の海の幸がずらっと!

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漁港に引き上げられたばかりだとか!

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美味しい食事も堪能

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茶舗園でこだわりのお茶をいただく

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はなまるア・ラ・カルト

06/11
2018

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樹齢80年のテンプラニーリョが語る

テンプラニーリョ…!?
(変わった名前だよねぇ~)
先日の海外研修で知ったこの名前。
スペイン語のはずが、どうしても
“てんぷら人形”と聞こえてしまう(^^;)

もちろん“てんぷら”のことではなく…
これは、スペインのリオハで育つ
ワインぶどうの品種名なのだ。

今回の研修では、リオハとナバーラ
2か所のワイナリーにお邪魔した。

私は今まで、ワインの木の寿命は
40~50年だと思っていた。しかし驚いたことに、
リオハのワイナリー「OBALO(オバロ)」にあった
ワインぶどうの木は、樹齢80年の“テンプラニーリョ”!
その年輪が想像できるくらい太く逞しい木だったのだ。

参加者のみなさんも、
“テンプラニーリョ”に壮大な歴史を感じ、
80年の木からとれるワインに興味津々。
試飲をさせてもらったが、本当に美味しかった!
(とはいえ、若い木のぶどうもブレンドされているわけだが…)

ナバーラのワイナリー「モンハルディン」には、
よく耳にするフランスの品種がズラリ!
「OBALO」の敷地50haに対し、
「モンハルディン」は約4倍の200haもの敷地を有していた。
(やはりスケールが違うんだよねぇ)

ところでスペインのリオハやナバーラが、
フランスに負けじとここまで注目のワインを
展開させることに成功したのはなぜなのか?

実は、19世紀前半フランスボルドーで
害虫フィロキセラが蔓延し、ぶどうの木が全滅してしまった。
そこで技術を残すため、ボルドーの人たちは
リオハやナバーラに可能性を見出し、
ワイナリー展開をしたという。

それによって、このスペイン北部でも
ヨーロッパの人たちが納得する
ワインづくりができるようになったのだ。
ワインぶどう作りには歴史があることを感じさせられるねぇ~!

みなさんご存知の通り、私も北海道十勝の芽室町で、
2015年からワインヴァレー構想に取り組んでいるわけで…。
まだ3年目だが、されど3年…。

どんな地域の“当たり前”も、
誰かが最初にチャレンジしていたわけで、
「誰かが植えて、そこから歴史は始まる」!
それを、改めてスペインの“てんぷら人形”から教えられたのである。

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.ずらりと並んだワインは壮観!

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さまざまな種類のワイン

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広大な敷地のワイナリーを見学

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天ぷら人形…ではない!

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はなまるア・ラ・カルト

05/21
2018

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四半世紀の進化と拡大

「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」ができて25年。
すなわち四半世紀ということだ。
1993年に第1回が開催され、イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が
相談役で恵那市の田中氏が会長をし、ここまで引っぱってきたわけだが…。
(昨年より、利会長に引き継がれることに)

昨年は築地で全国大会を開催し、
800名を超える方々が集まった。
そして先日は、茨城の筑波で400名の参加者と共に関東ブロック大会が行われた。
そこでは私も広報取材のかたわら、チームに加わり掃除をさせていただいた。

私はトイレの臭いの元と言える男子トイレの「水漉し」を担当することに。
この水漉し磨きをするには、
マイナスドライバー、スクレパー、ヤスリ、金槌、
サンドメッシュ、カネヨン、そしてゴムマットというような道具が必要になる。

掃除の会が素晴らしいのは、
どこの掃除を担当するチームにも、目的に合わせた道具が全て揃っていることである。
そしてその道具の置き方や使い方だけでなく
、掃除の手順も、しっかりと考えられていることだ。

写真にもあるが、開会式の段階でその班ごとの道具が、
美しく並び整備されているところがスゴイのだ。
ここには、25年積み重ねたノウハウが集約されていると感じた。
だからこそ、日本全国だけでなく、
いま世界にもこの会のノウハウが発信されることになったということ。
やっぱり、何事も追求、そして徹底である。

この四半世紀、掃除の会で中心となり参画してきた多くは経営者と学校の生徒たちだ。
学校や公共の場のトイレ掃除を通して、何を学び、
自分たちのビジネスにどう活かしていくのかを考えてきた歴史がある。

その結果、これらの徹底した掃除には、
ビジネスや教育に活かせるところが多くあったということなのだろう。

四半世紀経った今も、多くの経営者や
学校の生徒が関わっていることが、その証と言える。

先日の筑波の中学校での大会でも、約半数の参加者は中学生。
そして徹底したトイレ掃除を経験した中学生たちは、
昼食のときには、とにかく清々しい顔を見せてくれていたのだ。

この体験が必ずや次の体験につながり、それが次の代を作ってくれるのだろう。

今回参加して、私も改めて掃除の意義を感じることができた。

皆さんも機会があれば、ぜひ参加してみてほしい!

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25年積み上げたノウハウの結晶である!

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今回は中学校で実施!

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このように全てきちんと用意されている

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リーダーからのレクチャー!

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はなまるア・ラ・カルト

05/01
2018

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チャーチルの決断から“一寸先は光”

「Never, never, never, never give up!」
先日、このフレーズを
『ウィンストン・チャーチル』という映画で耳にした。

チャーチルの首相就任から、
ダンケルクの戦いまでの4週間を描いているこの映画。
サブタイトル、
“ヒトラーから世界を救った男”から分かるように、
彼は私が思っていた以上に、すごい決断をした人だったのだ!

当時、ドイツとの平和協定は名ばかりで、
頭を下げて手を打つべきではないかと
妥協をする気運があったという。

少なくともあの映画では、チャーチルが“諦めない”という
決断をしない限りは、ヨーロッパはことごとく
ドイツに飲み込まれていたかもしれないのだ。

当然、チャーチルも首相として“決断”に
頭を悩ますわけだが、それでも妥協を選ばなかった。
言葉の魔術師と呼ばれていた彼は、
政治家や多くの国民に自分なりの考えを発信し、
ダンケルクの戦いに向け手を打って行ったという。
(そのチャーチルの言葉のチカラは、ノーベル文学賞を受賞するほど!)

このように、映画の中では諦めない決断こそが世界を救い、
未来に影響を与えるのだということが描かれていた。
いつ光が見えるか分からない暗闇の中で、
それでも諦めないという姿勢が、結果的に光をもたらしたのだ。

まさに、“一寸先は光”ということ!

私たちのビジネスにおいても、
色々手を打つものの、なかなか光明が見えず
道半ばで諦めてしまう人達は沢山いる。
しかし、諦めず継続することでいつしか光が見えてくるのだ
(いつ光が見えてくるかが分からないところがねぇ~)。

実は、アンパンマンの原作者であるやなせたかし氏も
「人生はね、一寸先は光だよ」
という言葉を残している。

まさに私たちのビジネスも同じ!
踏ん張って、踏ん張って、ブレイクスルーした時に
ようやく光が見えてくる。
だから私たちも、“一寸先は光”だと信じて、
チャレンジし続けよう!

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Never, never, never, never give up!

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