これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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はなまるア・ラ・カルト

01/18
2016

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“コトコト交換”の意義

昔から“物々交換”という言葉がある。
これは、モノとモノを交換すること。
しかし、中には一見物々交換に見えるのだが、
実は“コト”と“コト”を交換する“コトコト交換”が存在し
コミュニティを形成していく上では重要な要素となっている。
それについて、先日取材も兼ねて訪問した
大里綜合管理の野老社長が語っていたことを思い出し、改めて考えた。

大里綜合管理では、ご存知の方も多いと思うが
(テレビ東京系放送のカンブリア宮殿でも紹介されていた)、
お客様に対して、社員から合唱のおもてなしを度々している。
これが思った以上にお客様に好評なのだという。
この程度の自分たちのできること、
得意なことをするだけでも喜んでもらえるというのだ。

野老社長は地域の人たちの“ひとり一貢献”をテーマに
様々な活動をしている。
歌が歌える人は歌という“コト”を、
楽器ができる人は演奏という“コト”を、
料理のできる人は料理という“コト”を
提供するのが大切だというのだ。
そして、「誰にだって特技はある」とも続けた。

つまり、誰もが得意なことを持ち寄ることで、
そこに誰かの特技を求める人が集まり有意義な時間が生まれる。
それが地域の人たちにとって有意義で意味のある
コミュニティづくりになるというのだ。

おっ! これは、拙著『儲けないがいい』の冒頭で著している
「3人の仕事」という寓話と同じ話ではないか!!
(ご存知ない方のために冒頭をご紹介しよう…)
「3人の仕事」・・・・

ある小さな島に3人の人が住んでいました。
狩りが上手で獣や鳥をたくさん獲れるA。
畑を耕すのが得意で、立派な野菜をつくるB。
そして、狩りも畑づくりも苦手だけど、料理がうまいC。
それまでは、それぞれで生活をしていたのだが、あるとき…。

筋書きは、上記のように得意なことがそれぞれ違う3人が、
自分の得意な“コト”を持ち寄って、お互いに持ちつ持たれつ、
相乗効果のある展開をしていくという話だ。

お分かりだろうか。
これらの人が持ち寄るのは野菜であり、
肉(動物)なのだが、実のところ、
提供しているのはその人の得意な技術であったり、ノウハウなのだ。

すなわち、“コトコト交換”。
“モノ”ではなく、“コト”と“コト”の交換だから
相手に対してリスペクトの念がそこに醸成されてくるということ。

残念なことにこれまでの経済効率時代は、何か行動を起こすと、
その見返りとして真っ先にお金の多寡を考えてしまう。
これでは、なかなか人間関係もできにくいし、
いい地域コミュニティもできない。

あの名著『里山資本主義』の著者である藻谷氏も、
“コトコト交換”の考えを大切にする一人。
資本主義を否定するわけではないのだが、
経済性ばかりを重視して展開してきたことにより
ゆがみのある社会がつくられた。
それにに対し、里山を活かし
“コトコト交換”的価値観を大切にすることで、
地域のコミュニティを再構築していこうという発想。

“コト”の価値は一見、比較はしづらい。
でもコトコト交換こそ、そこで生きる人たちが
仲間意識を持って生活していくための意味のある手法なのだ。
そして、それが重なることで有意義で多くの人に求められる
コミュニティになっていくのだ。

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大里綜合管理恒例の大合唱

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拙著『儲けないがいい』発売中!!

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寓話「3人の仕事」の関係性

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はなまるア・ラ・カルト

01/04
2016

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開墾のはじめは豚とひとつ鍋

北海道を代表する菓子メーカー「六花亭」。
代表するお菓子の一つに
「ひとつ鍋」という最中がある。

鍋の形をした最中の中に、
美味しい餡と餅(求肥)が入っている
人気商品なのだ(私も馴染み深い)。

この「ひとつ鍋」という商品名は、
“十勝開拓の父”とも呼ばれる
北海道開拓者・依田勉三(よだ・べんぞう)が詠った
「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」という句に由来する。

勉三が北海道にわたったのは1881年のとき。
当時、開墾を目的として結成した「晩成社」を率いて
帯広市に乗り出した勉三らだったが、
開拓は困難を極めた。

句に登場する“ひとつ鍋”というのも、
当時の過酷さを示している。

ひとつ鍋とは、豚のえさを作るための鍋を指す。
鍋にくずのジャガイモやカボチャ、
くず豆やホッチャレ(味の落ちた鮭の身)
を入れて煮込んだものだが、
窮した状況下ではこれを酒のつまみ代わりにしたという
(個人的にはおいしそうに思えるが…)。

つまり、現在の北海道の姿になる前には
過酷な開拓時代があったということだ。

現在の北海道は「日本のフードバレー」だなんて
言われるほど多くの名産品や特産物がある。
だが、それらは多くの困難の中で開拓を進めた、
当時の開拓者たちの支えがあってこそということだ。

他にも、北海道で早くから行われた取り組みで
全国的にも有名なのが十勝ワイン。

ビジ達でも紹介した池田町では
ワイン産業(?)が盛んだが、
かつては産業が乏しく、ワイン事業は当時の
丸谷金保(まるたに・かねやす)町長を始めとして、
町民全体で取り組んだ一大プロジェクトだった。

寒冷地で育つブドウを研究開発して
安定したワインが作れるまで
多くの歳月を必要としたという。

北海道の開拓に勉三が挑んだ約70年後、
ワイン産業への挑戦を決意した丸谷町長。
さらに60数年後には、
私が「十勝(芽室)ワインヴァレー構想」へ
挑戦しようとしている。

もちろん、このワインヴァレー構想も
一筋縄ではいかないだろう。

だが、先達たちが築いてきた
環境の中でスタートができること、
勉三と丸谷町長お二人の
背景と覚悟の程を考えると
成功する可能性は高いと言える。

“ひとつ鍋”のような困窮した状況でも高い志によって
現在の北海道の土台を創った
当時の開拓者たちには本当に頭が下がる思い。

その頃に比べれば、ず~~っと条件は
揃っているわけであるが…。
とにかく、あきらめないしつこさも必要なことだろう。

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ひとつ鍋から感じる歴史

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壁にあの句が!

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おいしそう~

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美味しい豚丼の店にも…

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はなまるア・ラ・カルト

12/14
2015

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赤塚不二夫の存在理由

「ぼくはいつも漫画を描くとき、
フキダシの中に字でセリフを書いてきたが、いいかげんあきてきた。
そこで今回は、フキダシの中に絵を描いて、
絵の場所には字を書いてみようと思って。ワハハハ」

こんなことを語っていたのは、漫画家の故・赤塚不二夫氏だ。
赤塚氏の漫画作品に登場するキャラクターといえば、
おそ松くん、チビ太、イヤミ、ウナギイヌ、ニャロメ…、
そして世代を越えても知っている人は多いであろうバカボンのパパ!
私が物心ついたときには、すでに「おそ松くん」が連載されていた。
なんと1966年には、テレビアニメが放送されていたのだ。

赤塚氏といえば、
漫画の神様と呼ばれる手塚治虫氏ら
著名な漫画家が住んでいたことで有名な、
「トキワ荘」に集まっていたメンバーの1人である。
石ノ森章太郎氏や藤子不二雄氏ら漫画家の大御所たちと共に、
漫画における昭和の一世代をつくりあげてきた1人だといえるだろう。

今回、赤塚氏の生誕80周年の企画展
「赤塚不二夫のビチュツ展」に行ってきた。
「天才バカボン」の作風から見てとれるように、
この企画展はいたるところにユーモアが溢れかえっていた
(バカさ加減と言っていいのだろうか…)。

この展示は名立たるトップクリエイターたちが
赤塚作品のキャラクターをモチーフにした作品を展示しているほか、
80周年を記念して発行された書籍も置かれており、
冒頭にご紹介したセリフはそこから抜粋したものだ。
赤塚氏は普通の漫画家ならばやらないであろう、
エキセントリックな試みをしていることが多い。

例えば、自分もアシスタントも全員右手を骨折してしまったので、
左手で漫画を描きましたというもの
(もちろん骨折したというのは、赤塚氏のジョーク)。
ものごとを突き詰めていった人だからこそ、
従来の秩序にとらわれず“アナーキーな笑い”ともとらえられる
自由な表現方法を思いつくのだろう
(アナーキー、この言葉も昭和の香りがする言葉だよね)。

著書の最後には
「オレはとにかく、人のやらない漫画を
描いていきたいと思ってきたから、
それができたんじゃないかと思うんだ。
誰も描かない漫画、これが1番強いんだよ」という言葉が綴られていた。
赤塚氏が第一線で活躍してきた結論が、
この言葉にあらわれているのではないだろうか。

やはりどんなことでも、他の人がやらないこと、
そして自分だから出来ることを発見できれば、
それは自分の“存在理由”になるはず。
バカバカしさが痛快な作品の数々、びっくりするような行動、
そういったすべてに、赤塚氏が考えて追求してきたものが
つまっている気がしてならないのだ。

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なつかしいキャラクターがいっぱい

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なんだか気になるポスターだ・・・

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「ビチュツ展」に行ってきた!

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ユーモアが溢れている展示会場だった

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赤塚氏の関連書籍もおもしろい!

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はなまるア・ラ・カルト

11/30
2015

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まちづくりプレゼンテーションの意義

最近の大学生のプレゼンテーションレベルは非常に高いっ!!
そう感じたのは、先日開催された、
栃木県那須塩原市誕生10周年記念イベント
「大学ゼミナール那須塩原活性化プレゼン大会2015」でのこと。
そこに審査員として招かれた際に学生のプレゼンテーションを体験してきたのだ。

このイベントには、首都圏の大学など
(東京経済大学、東洋大学、千葉工業大学、横浜市立大学、文京学院大学etc…)から
7校9チームが参加していた。

各チームのプレゼンテーションを見聞きして、
感じたポイントが3つある。
1:プレゼン資料の完成度。
2:資料をうまく活用した高いプレゼンテーション力。
3:確固たる実現性の不足。

プレゼンテーション資料は一昔前と比べて、
PCやソフトの性能が向上したこともあって、
非常にきれいにまとめられており、
とても見やすいものとなっていた。
また、大学でも資料をつくりプレゼンテーションする機会は
かなり多いと聞いた。

こうしたきれいな資料を材料に、3~4人で
うまく連携をとりながらプレゼンテーションを行っていたチームからは、
より強く伝わってくるものがあった。

そして肝心な“実現性”の欠如だ。
私がその道のプロということもあって
少し厳しい見方かもしれないが、
企画自体のクオリティーはもちろんのこと、
それをどのように実行していくのかという実現性に疑問を感じたのだ。

今回のテーマである「那須塩原の地域活性化」を考えるとなると、
いくら資料が美しくても、広く視点を持たなければ、
机上の空論となってしまう。
まちづくりは当然、一朝一夕ではいかない。
どのようにプロジェクトを進めていくのか、
また様々な活動を継続的に何度も積み重ねていくことが
最も重要なのだ。
この価値観は学生の日常とは違ったステージでの
視点と発想が求められる。

では、どうすればいいのか。
それは、マクロ的視点を持った価値観で企画すること。
その時その時の対策だけでなく、ロングレンジで物事を捉えることだ。

おや、もしかしてこれは、義を先に、
のちに利を得る“先義後利”や、
小さいことを積み重ねて大きなものを築く
“積小為大”。そして、長い目を持って遠くを慮る“遠慮”といった、
ビジ達ではおなじみの考え方と一緒ではないか。

いいまちづくりをするためには、長い時間も必要だろう。
またそこに住む人々のこと、
産業や生活など様々な視点で物事を判断し、
進めていくことが求められる。
その過程で“先義後利”や“積小為大”“遠慮”の考え方を持つことで、
プロにも負けない企画・プレゼンテーションが成せるのだ。

今回のイベントを通して、私も自分の仕事について改めて感じるものがあった!
また学生にとっても、とても意義のある機会となったのではないだろうか。

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洗練されたプレゼンテーション資料

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明るくわかり易いプレゼンテーション

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切磋琢磨した末の表彰式

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メッセージ性の強いポスター

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はなまるア・ラ・カルト

11/16
2015

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ベトナムの今こそ、タテのデザイン

この10月、10人ほどの経営者仲間と共にベトナムを訪れた。
ダナン、ホーチミンなどの都市を回り、
パンの缶詰で有名な株式会社パン・アキモトの
ベトナム店の視察もさせていただいた。

先日のビジ達でもご紹介したが、
旅の中で印象的だったのが道路を往来するバイク!
その数と若者の多さに驚いたのだが、
それもそのはず、ベトナムの平均年齢は28歳なのだ。
日本の平均年齢は46~47歳なので、
およそ20歳差ということになる。

さて、私はバイクばかり見ていたわけではなく、
ベトナムの様々な人たちにお話を伺った。

日本贔屓の行政官や、
日本に留学経験がある日本語学校の校長先生、
ベトナムで大学の講師をしている日本人、
そして日本語を勉強している学生たちなどだ。

多くの人たちと触れ合ってわかったことなのだが、
ベトナム人は本当に日本を好いてくれている。
信頼感もそこにあると言っていいだろう。
私の体験した限りでは、そのほとんどの人が
日本に興味を持ち、訪れたいとも思っていたのだ。

このように、日本に好意的で若いベトナム人たち。
日本は先に経済成長を体験した国として、
何を発信し、どう付き合っていけば良いのだろうか?

ファッショントレンド? 技術力?
それとも無形文化遺産の日本食?
日本流のビジネスや経済の活性化のテクニックもあるだろう。

いくつか例を挙げてみたが、こうして見ると
どれもハウツーでしかないことに気付く。
それぞれのやり方を教えるだけで良いのか?
という疑問が浮かぶのだ。

その答えは、私たちが3年ほど前から展開してきた
石門心学・実践講座にある。

数ヶ月前の講座にはベトナムのハノイ大学からの
留学生が参加しており、「石田梅岩」がどんな人物で、
今の日本にどんな影響があるのかを学びに来ていたのだ。

当時はこの留学生がなぜ石門心学を
勉強しているのか不思議だったのだが、
今ならその理由が分かる。

ハウツーではなく、日本ならではの価値観や
優先順位を学んでいたのだ。
日本独自の考え方や価値観こそ、
ベトナムの人たちが日本を信頼してくれている理由であり、
日本が世界から注目されている理由でもあると思うのだ。

現代の日本は、経済優先型できたために
様々なひずみが発生し、
多くの問題を抱える国となってしまった。

日本と同じ間違いを起こさないためにも、
まだベトナムが若い今だからこそ、
“タテのデザイン”を行う時なのだ。

ベトナムが20年後、50年後に
どんな国になりたいのかを今のうちに見据え、
目先ではなくロングレンジで見た行動を起こせば、
少なくとも日本よりも良い国になるだろう。

ん? 未来を見据えて今を考える?
これはまさに鍵山秀三郎氏の
“遠きを慮る”ということでは…?
ベトナムにとってはまさしく今が、
“遠慮”の視点が必要なときと言えるだろう。

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日本の商品がこんなところに

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ショッピングモールも大賑わい

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視察団の皆様

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シャツの柄もわかいね~

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串焼き店があろうとは!

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学生たちとも触れ合う

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フレッシュな笑顔だ

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