これからの選ばれるビジネス!

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熟ジュクア・ラ・カルト

06/24
2013

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武道は教育でありうるか!?

ついに始まった中学校の武道必修化。
私も柔道を志す者として、
子どもたちが武道を通して、
多くのことを学ぶのは素晴らしいことだと思う…。

…いやいや、思って「いた」かな。

正直に言うと、この必修化は不安要素だらけだ。

おそらく、文部科学省は柔道をはじめとする武道に、
礼儀作法や躾といった教育的効果を期待していたのだろう。

しかし、きちんとした指導法も用意せず、
まさに“丸投げ”状態でスタート。

加えて、ここ数年メディアを賑わせていた、
女子柔道代表監督の暴力やパワハラ、
全柔連の対応の悪さと不祥事、
金メダリストたちの犯罪などの諸問題。

こんな状況で、一体武道から何を学べというのか…
ということになってしまう。

そんな時、たまたま本屋で出会ったのが、
松原隆一郎著『武道は教育でありうるか』だ。

この書籍では、東大柔道部部長である松原氏が感じる、
「柔道の危機」について述べられている。

特に、試合に負けた原因を指導法の問題にせず、
監督もその監督を任命した委員会も責任を取らないという、
“金メダル優先型”の全柔連については厳しく語っている。

私もこのことに関しては、松原氏と同感
(松原氏はそれでも金メダルを獲りたがっていたが…)。

本来の柔道、またスポーツは、結果を優先するのではなく、
日々鍛錬し、仲間と切磋琢磨する過程が作り出す
「人間性」や「人間関係」が大切。
そこから正しい社会のモラルやマナーが生まれるのだ。

つまり“結果よりプロセスが重要”ということ。

まさにここ数年の全柔連は、
目先の金メダル獲得ばかりを優先して(結果獲れていなかったが…)、
プロセスを無視したことで淀み、
腐敗していったと言える(これは柔道だけの問題ではないのだが…)。

この考えをビジネスに置き換えるとどうだろう。

やはり目の前の結果、利益、数字だけを優先していては、
必ずや組織は淀み、腐敗していくのだ。
結果、継続は難しくなるだろう。

また、それぞれの業界において、団体組織をつくり、
ビジネスモデルを固定させ、組織を守り続けようとしては、
業界の新陳代謝が進まず、当然淀んで来ることになる。

“金メダル=すごく偉い”

そうではない。

ここ数十年の経済優先の世の中が生んだ“結果優先型”から、
しっかりとした目的を持った“プロセス主義”へ
シフトする必要があるのだ。

現状の武道(柔道)のとらえ方では、
教育にはならないかもしれない。
しかし、本来武道には十分教育の要素がある。

なんて語っていたら、
1964年の東京オリンピックでのへーシンクvs神永の
決勝を思い出してしまった。
やっぱりあの時のヘーシンクの“柔道”を見習わなければ…。

私たちは、オリンピック種目“JUDO”ではなく、
本来あるべき正しい“柔道”を
もう一度見直すべ時にいるのかもしれない。

juku

武道教育とは一体なんだろうか…

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何事も結果よりプロセスが重要!

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熟ジュクア・ラ・カルト

05/20
2013

juku

GAFMAによる“ありがたみ”の失墜

経済動向における時代の価値観は、
おおよそ15年周期で転換期を迎える。
これは私が提唱している法則
“新パラダイムシフト15”の考え方だ
(ちなみに大枠となった“パラダイムシフト75”は、
5つのタームで構成されているという考え)。

現在、世の中は“インターネットGAFMA時代”。
GAFMA(ガフマ)というのは、皆さまもご存知の通り
Google、Amazon、Facebook、Microsoft、Apple
の米国IT企業大手5社のこと。

ここ15年の間に、インターネットによって
流通の歴史が大きく塗り替えられた。
しかし技術の躍進と同時に、さまざまな
“ありがたみ”が失われている気がしてならない。

先日、このところ注目されているという
「パンかけ醤油」なる商品が気になり
「どこへ行けば買えるのかな?」なんて
弊社のスタッフと話していた。
すると返ってきた答えは
「インターネットで買えるみたいですよ」。

違う違う~!
そりゃもちろん商品の味は気になるが、
それと同じくらいに知りたいことがある。
それはどこでどんな風に売られていてどんな評判があり、
どんな人たちが買っているかという
マーケティングに関わる部分なのだ。

これらの“ナマ”の情報は、
自ら足を運んで買いに行かないと得られない。

インターネット通販は便利だが、
商品に関わる人たちの姿や苦労が見えてこないと、
ものづくりに対する“ありがたみ”は薄れてしまう。
気づいたら、手間暇の節約を
優先するのが当たり前の時代になってしまったのだ。

確かに技術の躍進で世の中は効率的で便利になったが、
流通のプロセスで得られるはずのものが
少なくなっているのも事実だ。

本来であれば、欲しいものを手に入れようと
動き回っているうちに思わぬ出会いがあったり、
その行動が自然とトレーニングにもつながるだろう。
…これってもしかして人間活動を、
いや生態系をも壊しているのでは!?

インターネットさえあれば
どこにいても欲しいものや情報が手元に届く、
こんな時代だからこそ、本質的な“ありがたみ”は
きちんと認識しておきたいもの。
それがものづくりに対する敬意ということではないだろうか。

juku

時代の価値観は15年周期で移り変わる

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熟ジュクア・ラ・カルト

04/22
2013

juku (2)

商魂は負のスパイラル

東京ディズニーランド・祝30周年!
1983年といえば…弊社クオーターバックが
創業1年目を迎えた頃だったなぁ~。

東のテーマパークがディズニーランドならば、
西はあのユニバーサルスタジオジャパン(USJ)!
2001年の開園だから、今年は12年目ということだ。

さて、テーマパークは非日常的な世界を
体験できるという点において、
十分な存在理由があると私は考えている。

しかしその未来に陰りが出るとすれば、
原因はきっと“商魂の行き過ぎ”ではないだろうか。

先日、甥の家族とUSJへ遊びに行った時のこと。
丁度春休みということもあり園内はとにかく混雑。

どこへ行っても人・人・人! アトラクションを体験するには
120分待ちが当たり前という有様だ。
混雑するとはわかっていても、思わず辟易してしまう。

ジョーズのアトラクションの入り口前では、
大きく口を開けたジョーズのオブジェが
撮影スポットとして親しまれている。

その日も記念撮影の順番待ちをする人々の行列があった。
しかし、写真をプリントしてくれる
サービスもお願いすると…えっ撮影料1,000円?

ジョーズのところだけではない。
スパイダーマンもハローキティも、
はたまたフェイスペインティングのブースでも(試してないけど)。

アトラクションは長蛇の列で体験できないのに、
記念の写真を撮るにもお金が!? と正直驚いた
(大阪だから商魂たくましいの!? な~んて…)。
6千数百円の入場料を払い、ついでに写真も何枚か撮ったら、
えっ! 1人1万円を超えてしまう。

テーマパークならではのスポットで
記念写真を撮る人が多いというのはもちろんわかる。
しかし、せっかく楽しんでいても、
商魂が見えすぎてエンターテインメント気分が
興醒めしてしまう!

お客さまに楽しんでもらう場所なのに、
なんだか“足元を見る”商売に
なりつつあるのでは? と感じたのだ
(かごかきが旅人の足元が弱っているのを見て、
料金をつり上げるというあの“足元を見る”展開)。

「せっかく来たのだから思い出を残したい!」
という気持ちをまんまと利用されている気がしてならない。

USJが全部だめと言っているわけではないが、
ああも商魂が目についてしまうと
心の底から純粋に楽しむことは難しい。

たくさんのキャストがお客さまの笑顔のために
精一杯サービスすることは素晴らしいと思うのだが…。
やっぱり儲けだけが先立つと、お客さまには
心の底から楽しんでもらえないのではないだろうか。

テーマパークの未来を占うのは商魂次第?


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バッチリ用意された撮影スポット

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西のUSJ

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ハローキティがお出迎え

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ジョーズは1齧り1,000円!?

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とにかく人が多くて入る気がしない

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あ~あ。気になる…

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04/15
2013

juku (4)

地球儀撤去は、質の劣化に通ず

あ! “アレ”がない…!
つい先日のカフェでのできごとである。

“アレ”とは、以前にビジ達で紹介した、
とあるカフェに置いてある地球儀のこと。

地球儀を囲むように並べられた席は、周りと微妙な距離をとりつつ、
エネルギーの流れる空間演出に一役買っていると紹介した
(「この地球儀がなかったら、
こんなに利用することはなかっただろう」とまで言った)。

しかしそれが先日ついに撤去されてしまったのだ。

空いたスペースには結果10席ほど増設されていた。
効率よくお客さまを入れるということを優先してのことだろう。

さて、地球儀がなくなるとどうなるか。

かつての地球儀スペースは喫煙ルームとなり、
店の奥にあった喫煙席スペースが禁煙席に変わった。

ひとりでの利用客が多いこともあり、
仕切りの多いカウンター席が多くつくられていた。
そして奥の席はスタッフからは死角に。

それによってお客さまの中に「見られていない」という意識が生まれ、
電話をかける人や、床に置くような荷物をテーブルに置く人、
居眠りする人、挙げ句の果てにはセルフサービスなのに
食器を返却せずに帰るお客さままで現れたのだ。

地球儀が撤去されてから10日も経っていないのに…。

これはこのカフェに限ったことではないが、チェーン店のカフェは
効率を優先するため、マナーやモラルをわきまえない人が増え、
明らかにお客さまの質が下がっているのだ。
(本来、そうでなかったお客さままでもが同質化しているのかも?)

それは、店の空間の劣化に繋がる。
どんなに商品の価格が安くても、そのために安い賃金で雇った
アルバイトの対応の悪さを感じれば、いいお客さまは訪れなくなってしまう。

こうしてどんどん店の質は下がる一路を辿る…
という負のスパイラルが起きてしまうのだ。

今回のカフェでいうなら、
あの大きな地球儀はそれを防ぐための求心力をつくり出し
「エネルギーの流れる空間の中心」としての役割を担っていた。

まさにバランスの良い店の雰囲気をつくり出していたのだ。
これは無駄なスペースと決めつけて、
僅かな席数の確保のために失っていい存在ではなかったはず。

このように一見無駄に見えるスペースには、非効率に見えるかもしれないが、
その空間で何らかの役割を担っていることが多い。

それは今回のように空間全体のバランス管理かもしれないし、
それ以外の様々な役割があるかもれないのだ。

まぁ~何につけても、目先の効率ばかり優先していては、
本当に大切なものを失ってしまうかもしれないということ。

もしかして、それは今回の地球儀のような“モノ”ばかりとは限らない。
ヒトも同様に考えないと…

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カウンター席の多くはひとりのお客様が利用する

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さまざまな人が利用するカフェ

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仕切りが多い空間はどこか閉鎖的だ

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ヒトにも同様に役割があるだろう

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熟ジュクア・ラ・カルト

03/18
2013

juku (3)

気づかいや品格はどこへ

カッチャン! ガッチャ~ン! ガッチャ~ン!
バ~ン!!!!
シュ~シュ~…
これは食器洗浄機に食器を入れ、洗い始めた時の音。(けっこう、ウルサイ)

先日、近くの「東京チカラめし」に食べに行ったところ、
私が食べた焼き牛丼の味よりも気になったのが、こうした店内の“音”
(味はまあまあ美味しかったが…)。

「東京チカラめし」では、ホールの店員が1人で
お客さまからチケットを預かり、
牛丼や味噌汁を出し、食べ終えた食器の後片付けをしている。

もちろん、1人で回しているのだから忙しいのは当然なのだが、
とにかく、それぞれの扱い方が雑で耳障り。
人件費節約のため、1人があれこれやらないとしかたないのだろうが、
だからといってお客さまに不快な思いをさせてもいいのだろうか…。

これは何も「東京チカラめし」に限ったことではない。
チェーン店を展開する飲食店では効率を優先するあまり
“音がないがしろ”にされていることが多いのだ。

チェーン店において音が軽く見られてしまう現状を、中島流に考察してみる。

価格を安くするためにスタッフの数を削る。
その結果、スタッフへの指導はマニュアル化され、
お客さまへの気づかいを指示する人は誰もいなくなる。

それによって、目に見えない “音がないがしろ”にされてしまっているのだ。
本当に、雑音のモトと言えば、効率なのだ。

そして、この効率追求から来る“ないがしろ”は
他のものにも波及してしまう。

この音がないがしろにされている状況を、
スタッフやお客さまは自然と当たり前のことのように捉えてしまう。
つまり、価格の安さや効率ばかり優先され、
お客さまへの“気づかいや品格”の喪失へとつながっているのだ。

このまま効率ばかりを追い求めてしまっては、
古来日本が築いてきた“美徳や価値観”までもが失われかねない。
ビジ達でも何度も繰り返しているように、
これからは、結果よりもプロセス。

世界が認める日本人の美徳や価値観を守るために、
「ちょっとくらいうるさくても、安いんだからいいじゃない」
…なんて許したり妥協したりしないで、気遣いや品格を大切していこう。

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とにかく音への気遣いがない!

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味はまあまあだったが…

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猫の手も借りたい…

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