これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

HOME

ビジネスの達人

モバイルショット

10/30
2017

moba

鈍刀を磨く

小学生の頃、家の居間で逆立ちの練習。
誰もいないとき、せっせと練習。
やっと5秒ほど立てるようになったのは…
1,000回?いや2,000回目?
いや5,000回目だったかも。
その年齢の頃、内村や白井は3回ひねり頃だったろう。

でも、でもだ60代の今も逆立ちができるのだ。
(はっはっはっ…)

小学3年で柔道を始めた。
けっこう好きだったが、身体が小さかったこともあり、
なかなか結果に結びつかない。

しばらく、柔道着に袖を通さない日々が続いたが
大人になってから近くの道場に通うようになり、
25歳の頃やっと国体の県の強化選手になれた。
やっとだ。
そして、50代まではときどき講道館に通っていた。
(いまも乱取りは十分できると思うがケガが怖い…)

高校生の頃、新聞配達をしていて、
毎日の配達の後、一面と社説だけ読んでいた。
お陰様でいくらか社会がわかった気になり、
理屈っぽさだけが身についたような…
いや、もしかしたらそれがあってこの仕事になったのかもしれない。

14年間この“ビジ達”(週3~5本のコラム)を発信し続けて来たが、
文章力はご覧の通り…(なさけない…)

そんな時、坂村真民先生のこんな詩が私の手元に舞い降りた。
タイトルは「鈍刀を磨く」。

鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

何か救われる気分になったのは私だけだろうか。
まだ振り返るには早いけど、まさに“鈍刀”。
この肉体も頭脳も鈍刀だったのかも。
でも感謝。
この肉体と頭脳に感謝。
そのお陰で“あきらめないしつこさ”だけは身についたのだ。

だから、まだまだせっせと磨くのだ。

moba

坂村真民先生直筆の詩

ページTOPへ
モバイルショット

10/23
2017

moba1 (1)

「ひとつ拾えば ひとつだけきれいになる」

「ひとつ拾えば ひとつだけきれいになる」
この言葉の中には、どんな思いが込められているのか。

1993年11月に第一回掃除に学ぶ会が開催されたという。
なんと24年も前のことで、
バブル経済が崩壊して間もない頃のことだ。

そんな頃、誰でもできる“掃除”に
どんな可能性を見出したというのか。
そして、35名の人たちが集まり徹底した掃除を
鍵山秀三郎氏に習ったという。

なぜ多くの人が掃除を学ぶことになったのか…不思議だ。
「ひとつ拾えば ひとつだけきれいになる」
この言葉にこそ、その可能性であり答えがあるのかもしれない。

確かに何事も誰かが始めない限り
何も起こらないわけで…
鍵山相談役がよく口にする
「0から1への距離は、1から1000までの距離より遠い」ということだ。

とにかくやってみること。
そして諦めず続けてみること。
すると何かが少しずつ少しずつ変わってくるということ。
それにしてもこの「0から1」はかなりの
忍耐が必要に思えてならない。

一生懸命取り組んでみたら、
何か“人としての法則”のようなものに
行き着いたということなのだろう。

そして、徹底したトイレ掃除は
1、謙虚な人になれる
2、気づく人になれる
3、感動の心を育む
4、感謝の心が芽生える
5、心を磨く
ことになるのだという。
信じるか信じないかは、あなた次第。

ところで、なんで“ひとつ拾えば ひとつだけきれいになる”が
今回のこのコラムのテーマになったんだっけ?!

そうそう、先日開催された“掃除に学ぶ会”全国大会での
鍵山相談役の挨拶を何度も聴いて原稿に落としていたからだった。

それにしても、鍵山相談役のひと言ひと言には
謙虚さの中にも重みと奥行きが感じられる。
ここにも鍵山相談役の徹底した生き方が現れている。

moba1 (1)

鍵山相談役

moba1 (1)

バケツの洗い方も並べ方もやり方がある

moba1 (2)

ページTOPへ
モバイルショット

10/16
2017

moba1

リーダーの哲理哲学って!?

人間だけが2つの胃袋を持っていて…
1つは身体を養う胃袋で、
もう1つが思いやりを育む“心の胃袋”ということ。

「わかりますよねぇ~」と上神田校長が言葉を続ける。

先日、第6回目のリーダーズセミナー
(アルファクラブ定例会も兼ね)として、
新宿調理師専門学校を訪れ、
視察と上神田校長の話を聴かせていただいた。

母親たちが忙しいからとワンコインを渡し、
コンビニ弁当のようなものばかり
子供たちに食べさせているから、
もう1つの“心の胃袋”がほとんど活用されずに
日々を送ることになっている。

だから、子供らは、人への思いやりが育めず、
いじめという行動となったり、電車での
席を譲るという行為ができなくなっていると
上神田校長は言うのだ。

和食の料理人として40年以上
第一線で活躍してきた上神田校長ならではの解釈であり、
発信のし方といっていいだろう。

経済性だけ、目先だけを追い、
この目に見えず数字にも置き換えられない価値に対して、
今どきの人たちは、その価値に気づかず生きているということを
語ってくれていたのだ。

ふむふむ。
私が度々、語ってきたことを
上神田流の表現で語ってくれたということ。

だから、今回私たちが視察させてもらった
新宿調理師専門学校が、いま素晴らしい学校として
注目されている理由もよ~く理解できた気分。

時代を見据え哲理哲学をもって取り組む
リーダーがいる学校や企業は、
目先の数字だけでは伝わらない社会貢献を
してくれているってこと。
こんな学校や会社を応援しなくちゃねぇ~。

とにかく、リーダー次第で会社も国も決まってくると考えると
この一票を大切にしないと。
(もうすぐ選挙だし…)
そのためにも、表向きやデータにごまかされない
こちら側の見抜く目を育まないことには、
選ぶチカラもつけられないということだ。

ちなみに、この上神田校長、先日の築地での
「トイレ掃除に学ぶ会」の全国大会でも
ヤリガイのあるトイレと真剣に格闘していたのだ。
やっぱりリーダーはここからやらないと、
哲理哲学は身につかないのかもしれない。

もちろん、私も素手でしっかりトイレ磨けますよ。
はっはっはっ…

moba1

上神田校長

moba2

moba3

moba4

moba11

_DSC2649

_DSC9957

先日の全国大会トイレ掃除

moba5

ページTOPへ
モバイルショット

10/10
2017

_DSC2247

振り返るには、まだ若い!

これぞ北海道十勝の“秋”のパッチワーク。
まさに自然のなせるこの鮮やかな緑と
茶の格子が美しい。
十勝晴れは、大地に息吹きを与え、
その大地の持つ力強さも感じさせてくれるのだ。

「果てしない大空と広い大地のその中で」
私たちはぶどうをつくりワイン醸造へと
スタートを切った。
だれかがやってくれると思っていては、
何も始まらないと・・・
「いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう」
このプロジェクトには、まだまだたくさんの
困難が待ち受けているかもしれない・・・でも
「歩き出そう明日の日に」
「振り返るにはまだ若い」
(すばらしいフレーズ・・・松山千春先生)

あれ!?“振り返るにはまだ若い”・・・
ここはいくらなんでもちょっと違うかも。
松山千春さんもこれを創った頃は
若かったんだろうけど・・・

このMemuroワインヴァレー構想を進める幹部連も
なぜか70代、60代だし・・・
(それはともかく・・・)
というわけで、「大空と大地の中で」の歌詞を
活用させてもらったのだが、まさに大空と大地を
観ていると、勇気をもらい背中を押してもらえるのだ。

そして、私たちの生活のベースは、
AIやIoTが担ってくれるわけではなく、
この大空と大地と里山が担ってくれることを
忘れてはいけない。
AIやIoTが私たちに与えてくれるのは、
“効率と怠情と競争”でしかないということ。
(この目先の便利さとラクさにごまかされてはいけない)

この地球で生まれ育まれた私たちは、
この大空と大地を活かさずして、
私たちの未来はないということ。
この根元をわかっていないと、
とんでもないしっぺ返しが
待っているかもしれないのだ。

とにかく、「歩き出そう明日の日に」
もしかしたら、この60代に入った今も
“振り返るにはまだ若い”のかもしれない。

この大地を観ているだけで、
次なるステージへの情熱が沸々と湧いてくる。
松山千春さんと同じ1955年生まれだが。

大胆に潔くチャレンジすることが
人にとって一番のエネルギー源となるのかも知れないのだ。

さて、あれこれ諸問題はやってくるが、
“孫子の代に何を残せるか”をテーマに
次なるステージを目指そうっと!
振り返るには、まだ若いし・・・

_DSC2247

北海道十勝の“秋”のパッチワーク

_DSC0864

ページTOPへ
モバイルショット

10/02
2017

_DSC2044

キャベツが木になっていたら、桶屋が儲かる!?

でっか~~いキャベツ。
半分にしても冷蔵庫に入らない。
四分の一にしても冷蔵庫に入らないかも…??
(このキャベツは「&里山生活」でこの9月発送分で送られて来たもの)

自然の力はスゴい。
こんな大きく重いキャベツを数ヵ月で創ってしまうのだから。
もしこんなキャベツが土の上でなく、
木になっていたら大変だろうなぁ~。
(頭の中には“キャベツの木”が…)

木には大きなキャベツが10個も20個もなり、
ある重さになったら当然木は耐えられなくて
キャベツを地上に落とす。

するとその震動は大きく、木の下を
ちょろちょろ走り回っていたネズミがその震動で
大きくジャンプし、地面に落ち気絶する。

それを近くで見ていたネコは、らくらくネズミを
捕まえることができ、それからネコは家で
ネズミを捕まえるのをやめ“キャベツの木”の近くで
ネズミを待つことになった。

その話を耳にしたネコたちは、家でネズミを捕まえるのをやめ
みんな“キャベツの木”の近くで居眠りしながらネズミを待つことになった。

それからネコが家にいなくなり、家の中はネズミが我が物顔で走り回り、
あれこれ桶をかじり回る。
すると桶の需要が増えて、桶屋が儲かるということに。

あれっ!?桶屋が儲かる!
どっかで聞いたことのある話。
そう「風が吹けば桶屋が儲かる」という江戸時代の
“東海道中膝栗毛”に出てくる話だ。
まぁ~話はどちらもちょっと強引だが、
大きなキャベツが木になっている姿を
想像するだけでも面白い。

いやいや、そんな結論ではなく…
私たちの社会でもあることが
どんどんその先に進んでいくと
思ってもみない現象に行き着くことはよくある話。

たとえば、ここまで“スマホ”が生活の中で大活躍してくると
「風が吹けば桶屋が儲かる」的連想をしてみると
どんな事象に及ぶ可能性があるのか…

AIがどんどん進化していくと、
人との関係は当然深くなり、
AIはどんな存在になっていくのだろうか。
人とのやり取りよりAIとのやり取りがラクだからと、
AIとのやり取りしかしなくなってしまうかもしれない。
(え~そんなことでいいのだろうか!?)

とにかく、ビジネス的にも人間の存在理由からも
スマホの可能性とAIとの関係性については、
ここらで一度シミュレーションしといた方がいいと思うのだが…

_DSC2031

この大きさ伝わるかなぁ~

_DSC2044

本当に大きいんだよ!

ページTOPへ

BACKNUMBER

ページTOPへ