これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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ビジネスの達人

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2015

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老舗 虎屋の“遠慮の道”

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、
多くの素晴らしい出会いに恵まれました。
3日と空けずにご来店くださり、
きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。

毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を
1つお買い求めくださっていた、
当時幼稚園生でいらしたお客様。
ある時おひとりでお見えになったので、
心配になった店員が外へ出てみると、
お母さまがこっそり隠れて見守って
いらっしゃったということもありました。

車椅子でご来店くださっていた、
100歳になられる女性のお客様。
入院生活に入られてからは
ご家族が生菓子や干菓子を
お買い求めくださいました。
お食事ができなくなられてからも、
弊社の干菓子をくずしながら
お召し上がりになったと伺っています。

このようにお客様とともに過ごさせて
頂いた時間をここに書き尽くすことは
到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、
強く私たちの心に焼き付いています。

       ・

と続き、3年後に竣工するビルに
ついていくらか語り、これまでの
ご愛顧に対しての御礼で締めくくられていた。
(全文ではありませんが、文章は
そのまま使わせていただきました)

この挨拶文の主は、虎屋17代目
代表取締役社長 黒川光博氏だ。

1964年、東京オリンピックの年に
建てられた赤坂本店の建て替え休業に伴う挨拶。

さすが、虎屋と言ったらいいのだろうか…
室町時代後期に創業というから、
もうすぐ500年の歴史であり文化を
たずさえているのだ。

実は、17代目当主の黒川社長、
東京青年会議所の先輩でもあり、
ときどきお話しをさせていただく
機会があるのだが、私の知っている
多くの経営者とどこか違う。

話し方にも品格があり、私たちと
優先順位が違うというか…
これまでの虎屋の歴史をしっかりたずさえて、
その先を見据えての語りであり、
会話をするのだ。

10年近く前だろうか、パリの虎屋を
海外研修で訪ねたいとお願いした時のこと。
洋菓子は、明治の時代から100年かけて、
日本のすみずみまで広がった。
私は、この虎屋パリ店から、
やはり100年かけてヨーロッパ中に和菓子を
広げたいんです…と、語っていたのだ。
その時、パリ店はまだ25年目くらいだったと思ったが…

すご~~い。
まさにタテの発想であり、タテの経営。
あたりまえのように100年先を見据えた
発想であり、とらえ方をしないと、
その先には続いていかないということ。

とはいえ、黒川社長は“伝統とは革新の連続”
だとも語っていた。

長く会社やお店を継続するには、
もっともっと深い何かがそこにあるはずなのだ。
そのヒントが今回の赤坂本店休業の
挨拶文にあるように思えてならない。

先日も、ビジ達で鍵山相談役をテーマとし、
“遠慮”という言葉を紹介したが、
まさに遠くを慮る虎屋がそこに見えてくる。

あっ、“慮る”は虎の「儿」が「思」になっただけ。
もしかしたら、虎屋はもともとは“慮屋”だったのかも…
それが、ついつい略されて“虎”になってしまった…

まぁ~そんなことはないだろうけど
とにかく虎屋は“遠慮”をテーマにした会社とは
言えるかも知れない。

そろそろ私も“遠慮”ある生き方を学ぼ~っと!

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また、逢える日まで!

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季節の和菓子

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10/13
2015

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コミューンが教えてくれていること

ボクはコミューンをつかったら、
せんせいのこえが、よくきこえます。
おんがくのきょくもきれいに
きこえてくるので、たのしいです。
てびょうしもします。
中いしさん、コミューンをありがとうございました。
(小学1年生からのお礼の手紙)

先日は、私共の小学校に来てくださって
ありがとうございました。
コミューンの名前の意味に気持ちが
込められていると思いました。
小さい頃から、いろいろなアイデアを
考えていることが、コミューンの
開発につながったと思いました。
難聴者でも話し合いがしやすくなる機械を
開発してくださってハンディが少し減りました。
コミューンを大切に使います。
(小学6年生からのお礼の手紙)

これは、聴覚障害者のためのスピーカーシステム
「COMUOON(コミューン)」を開発提供した
ユニバーサル・サウンドデザイン株式会社の
代表 中石真一路(なかいし・しんいちろ)氏に
宛てられた手紙だ。

この手紙だけでも、その社会貢献度の
高さが理解できる。
私たち健常者にとっては、なかなか頭が
回らないところに焦点を当てた商品なのだ。

実際のところ、今後どれほど多くの
障害を持った子供たちに、
そのハンディを圧縮し、勇気とチャンスの芽を
与えることになっていくだろう。
すばらしい! これぞ仕事道!

そして、その中石社長は、まだまだこれからですと言う。
これからこのCOMUOON(コミューン)の
存在をその対象となる人たちにどう伝え、
どう届けるかだと…

難聴者という括りでは、日本に何と
2,000万人もいるというのだ。
(限られた人たちに向けた商品だったのだが…)

そして、高齢化が進めば、その数は
もっと膨れ上がることになる。
コミューンの貢献度はもっと高くなることに。

ついつい私たちは、あたり前のように
健常者であり、より多くの人たちを対象に
商品づくりをしたり、サービスを考えてしまう。

あの頃の“大きいことはいいことだ”という
CMのフレーズが記憶のどこかに
残ってしまっているのだろうか。

もう“大きいことはいいことだ”なんていう時代は
すでに終焉したと言っていい。
これからは、メジャーでない小集団や
限られた地域や人々、これまで注目されなかったところに
スポットが当たることになるだろう。

実は、そこにこそ本物があったり、
大切にしなければならないモノやコトが
あったり、次の時代を担う人々がいたりするのだ。

時代は、間違いなくこれまでの75年とは違う時代に
入ったと言っていいだろう。

まさに、時代は次なる
パラダイムにシフトしたのだ。
コミューンはそんなことを
私たちに教えてくれているのかもしれない。

ところで、私もメガネは遠近両用となり、
耳鳴りもよく聞こえ耳の方も少しずつ少しずつ
衰えて来ているのがわかる。

中石社長、私もコミューンのお世話になる日も
近いようです。その節は宜しくお願いいたします。

わたし自身の中でも、パラダイムは
シフトしようとしているってこと!?

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中石社長

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お礼の手紙がたくさん!

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グッドデザイン賞 受賞

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お気に入りのメガネ…増えていく・・・

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10/05
2015

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300年の功績より、17年の匠

「天が万物に与えている楽しみは
まことにはかり知れない面白さに満ちている。
ここに何ひとつ不足しているものもない」

“見性悟道(けんしょうごどう)”の
境地とはこういうことか…
(まぁ~言い換えれば悟りの境地ってことだけど)
さすが石田梅岩先生。

この世は一片の過剰もなければ、
不足もないと説いているわけで、
約300年前に生物多様性も含め、
私たちの存在意義をも
語ってくれていたということ。
<それにしても、ふく英(はな)さんの
笑顔が思い出される…>

ただし、梅岩先生は“正直”“勤勉”“倹約”
の実践が条件ですよ~と言いたかったのだろう。

今回の石田梅岩先生の歩みを辿っての
京都視察ツアーは、非常に中身の濃いツアーだった。

関係の深い「半兵衛麸」さんを訪ね、
「都鄙問答(とひもんどう)」の原本を見、
そして、半兵衛麸さんの家訓でもある
「先義後利=義を先にして、
利を後とする者は栄える」の掛け軸を
改めて確認させてもらった。
<とにかく、ふく英さんは誰にも優しかった…>

清水寺に近いところの「石田勘平之墓」を
訪ね、そして梅岩先生の最初の講席跡も。

二日目には京都亀岡市の生家にも
お邪魔し、その血筋を持つ
“石田二郎(いしだ・にろう)氏”の
お話も聴かせてもらった。
<ふく英さんは、おじさんたちとも
笑顔でうたってくれる…>

もう「石門心学・実践講座」は25回目、
すなわち2年半を迎えようとしているが、
今回の京都視察ツアーで、改めて石田梅岩先生の
功績を確認することができた。

その当時、何の後ろ盾もない梅岩先生が44歳で
商家の番頭を辞め、無料の講席を開くということは、
どういうことだったのか…
いろいろと考えさせられる機会となった。

なのになのにだ。
これ程、私は梅岩先生に
しっかり触れたいと思っているのに…
今回の一番の記憶はなんと舞妓の
“ふく英さん”。

梅岩先生の講席跡でも、石田勘平之墓でも、
亀岡の生家でもなく、揺れる簪(かんざし)と
あどけなさの残る笑顔のふく英さんなのだ。

17歳とは言え、そのお客様対応の
素晴らしさに驚嘆してしまったと
言っていいだろう。
これぞ日本の「お・も・て・な・し」
なのではと思ったほど。

梅岩先生、すみませんでした。
まるで梅岩先生をダシに使って、
茶屋遊びを楽しんできてしまったような…

実は茶屋遊びは、今回が初めてでは
なかったのだが、とにかくふく英さんの
笑顔とそのツボを心得たアイコンタクトには
恐れ入ってしまった。

いっしょに行ったおじさん方も
目尻は下がりっぱなし。
300年の功績より、17年の匠に心を奪われてしまった次第。

まさに、天が万物に与えている楽しみは
まことにはかり知れない面白さに満ちている…

うんうん、梅岩先生、おっしゃる通りです。

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ふく英(はな)さんの笑顔

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お墓

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二日目の亀岡

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都鄙問答 原本

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09/28
2015

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30万時間をデザインする!

たまには演劇も観て、
注目の映画もしっかり観て、
サッカー観戦もして…
仲間とゴルフも楽しみ、
カラオケで歌って、
彼女と美味しいフレンチも食べる。

ときどきカラダのためにジムに行ったり
周辺のランニングをしたり…

もちろん、本屋大賞の本や
芥川賞の本くらいは読んでおいて…
毎朝の新聞は欠かさず目を通す。

そして、いい仕事もしっかりしたいのだが…

こんな輩がいたら、滞空時間の超長~い
ブレーンバスターを見舞うのだが…

1日24時間。
1週間で168時間。
1ヵ月で720時間。

1年で8,760時間。
人生80年とするが、20歳までは
学業が中心なのでここでは60年間で計算。
するとその合計は、52万5,600時間。

ここから睡眠時間と生活習慣時間を加えた
1日10時間を引くと30万6,600時間となる。

30万時間。長く思うだろうか、それとも
短く感じただろうか。
まぁ~とにかく、限られた時間しかないということ。
この与えられた30万時間をどう“デザイン”するかだ。


当然、冒頭の楽しげなあれや
これやなんてできやしないわけで…
何を選択し優先するか。

自分の楽しみばかり優先していては、
世の中は回っていかないし、
そんな人を誰も相手にしてくれないだろう。
だって、演劇のヒロインだって、
サッカー選手だって、ミュージシャンだって
そこには、たくさんの時間の投資があって
プロフェッショナルとして活躍しているわけだ。

やっぱり、何らかのカタチで社会に貢献しない限り、
自分の存在はあってないようなもの。
さて、どんな自分の人生を描き、
どう貢献していくかということ。

“ワークライフバランス”なる言葉が
もてはやされているが、まずはバランスを
取ることより、どんなプロフェッショナル
になりどう社会と関わっていくか。
それをビジョンとして、
かけがえのない30万時間を
どうデザインするかだ。

“デザインする”すなわち、自分の人生を
意識的に活かすということ。
この“デザイン”、もっと端的に言うと、
“選択と集中”だ。

その目指すもののために何を選択し、
そこにかけがえのない時間とその能力と
体力を集中させるということだ。

ついついいつもより大上段に
語ってしまっているが…
マクロの視点で観ると、世の中のほとんどの人が
目先の流れでそのかけがえのない時間を
タレ流してしまっているように思えてならない。

30万時間は思った以上に短い。
だから、早くに自分ならではの
ビジョンを打ち出し、いかにデザインするかだ。

30万時間と言っているが、これを読む人は
それほど若くないはずだから(?)、
残り時間はかなり少なくなって
きているはず!?
いまからでも遅くない。
選択と集中だ。

えっ、人のことを気にしているイトマはなかった。
私には、10万時間しか残されてなかったのだ。

まずは、10万時間確保のための
ランニングに時間を投資しようっと(^◇^)

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中刷りを見て本屋へ

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買ってきた

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09/14
2015

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“COWCOW Village”

カウカウヴィレッジ、カウカウカフェ?

こんな田舎のそれも畑の真ん中に
ちょっとオシャレ風なカフェがあるではないか。

結果として、牛肉ハンバーグとオムライスの
ランチをいただいたのだが…
(美味しかったで~~す)

なぜ、こんなところにカフェを?
と考える人は私も含めて多いはず。
昨年の海外研修ツアーで訪問した
スコットランドのクレイジンズファームでは、
農場にカフェレストランと
ファーマーズマーケットがあったが…

まさか私の出身地、十勝の芽室町にも
存在するとは…

ここ大野ファームの大野社長は、
畜産農家を身近に感じてもらい、
気軽に足を運んでもらいたいと
いう思いからオープンしたという。

まだオープンからは、1年くらいというが、
ランチタイムだけでも多くの人たちが
来店していたのだ。
(ここは牛肉が一番の自慢かな!?
とにかくたくさんの人たちが
来てくれることがまずの目的)

この大野ファーム、理念もしっかりしている。
健康な人づくり、健康な土づくり、
健康な牛づくりが三本柱。

そして、地域内循環型の農業生産を
実践しているという。
(うんうん、すばらしい!)

ついに日本でも新しい農業の幕明けが…
と考えてもいいのだろう。

そう言えば、1ヵ月ほど前に訪れた長野県の
千曲川沿いでも、ワイナリーには当たり前のように、
カフェが併設されていた。

農業の地にカフェやマーケットが
設置されることで多くのまちのひとたちが
足を運んでくれるようになるのだ。

すると、少しずつだが、生活者にとって
農業は身近な存在になってくるということ。

すなわち、私がこの地で目指すワイナリー構想が
それほど、突飛なものではなくなってくる。
プロローグはすでに始まっていると言っていいだろう。

それにしても、この地域の“若者たち”も、
チャレンジ精神は十分にあるということ。

ん? 若者たち!? 大野社長は私の出身高校の
後輩だがもう50歳を超えていると言っていた。
(もう若者じゃないかぁ~)

でも、40代50代のリーダーがいまチャレンジしない限り、
次の世代の農業改革にはつながらない。
農業分野でもその先を考えた“タテの発想”であり
“タテの経営”がもとめられているのだ。

ということで、中島流75年周期のパラダイムシフトは、
この北海道十勝の農業でも進行しているということ。
60代の永遠の青年と呼ばれる私の出番は近いようだ。

さて、そろそろ準備運動にとりかかろうかなぁ~。

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おしゃれ♪

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ん~!おいしそう!

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ワクワク

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牛牛カフェ

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心落ちつく場所

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