これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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10/28
2013

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今や、懐かしい“ちゃぶ台返し”

そう言えば、私の小さな頃は家族7人が
少し大き目のちゃぶ台で食事をしていた。

当然、座る場所も決まっていた。
奥のところにご飯の釜とみそ汁の鍋が。

その左右におばさん(母の姉)と
ばあちゃんが(給仕役)、その横におじさんが、
そして母で兄で・・・。

先日の服部幸應先生(服部学園理事長)が
語っていた通りだったのだ。
正座をしてみんなが席に付くのを待ち、
「いただきます」をしっかり言い、食べ始めていた。

そして、二杯目には、「おかわり」といい、
おばさんにご飯をよそってもらっていた
(居候的立場だったのでそっと出していた!?)。
ひと通り、食べ終われば「ごちそうさまでした」と言い、
自分の食器などを持って席を立ち、
流し台の所定のところに置きに行く。

ん~~確かに、このちゃぶ台を囲んでの
家族での食事のときに、ばあちゃんを始め
大人から行儀(マナー)を習い、
食材や料理の知識も得、そして家族たちの情報の
アップデート(近況報告)もしていたのだ。

これが、服部先生が語り続けてきた
“食育”だったということ。

いま思うと、さすがの服部先生
なればこその“食育”発想だったと思う。
しかし、残念ながら、いまや核家族化が進み、
そしてみんなで食事する機会もかなり減ってしまった。

親もきちっとした行儀作法を
教えられる知識も権威もない状態。
そして、子どもは食事をしながら
スマホをいじくっている始末。

これでは、行儀作法どころではない。
昔のお父さんなら、子どものその姿を見て
ちゃぶ台をひっくり返したいところだが…。

そこで星一徹(巨人の星)のちゃぶ台の
ひっくり返しシーンがアタマに浮かぶ。
そう、飛雄馬がちゃぶ台と共に
もんどり打つほどのちゃぶ台返しだ。

残念ながら、いまどきの食卓はひっくり返すにしては
ちょっと重く値段も高いダイニングテーブル。

そして、当のお父さんも星一徹どころか、
明子姉ちゃんの役もできない程、軟弱化している状態。

これでは、これからの家族はどうなってしまうのか。
そんな中で育った子どもたちが展開するビジネスは
どうなってしまうのか。
これからのビジネスをかたる者として
不安な限り。
あ~~~。日本の未来に暗雲が・・・。

そこで・・・。
お父さんはちゃぶ台はひっくり返せないが
決死の覚悟で子どもに言う。
「お父さんの話も聴かず、な、何をやっているんだ!」
「あ~これ、いまスマホのゲームで“ちゃぶ台返し”ってやつ」
「なに~~。ちゃぶ台返し!?ちょっとお父さんにもやらせてくれ!」

なんてね…。おしまい。


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服部幸應氏の“食育”論

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11月に“BUSINESS LAB.”に登場!!

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アプリがあるんです!

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こんなに遠くまで飛ばしたらw「おらぁ~」

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10/21
2013

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マナー告知を、半沢直樹に!

“背中の荷物にご注意!”

このマナー告知を見るたびに共鳴感が湧いてくる。
いろいろなマナー告知の中でも、
この“リュックサックに注意”が
なぜかお気に入りなのだ。
実は、JRや地下鉄では、
このマナー告知をなぜか
見たことがない(東武鉄道でだけだ)。

今や、リュックサックを背負う人が
こんなに多くなっているのにだ。

なぜ、だろう。
それぞれの鉄道会社の人が
その邪魔さ加減をまだ理解していないってこと
(鉄道会社の社員があまり鉄道を
利用してない?まさかねえ~)?

バックパッカー増加のデータこそないが、
確実に増えているのだ。

私の感覚では、10年前の2倍くらいには
なっているような気がする!?
(通常のバックパッカーは、
低予算で国外を旅行する人のことを言うが、
私はリュックサックを背負って
移動する人のことをここでは言っている)

何と言っても団塊の世代及びそれ以上の人たちが、
山ガールならぬ山オジ~、山オバ~となって、
昼夜関係なく子どものとき以来のリュックサックを
背負い街中を闊歩しているのだ。
もちろん、土日・休日を問わないからまたスゴい。

それだけではなく、若い娘さんたちも
(お母さんたちもだけど…)
ブランド品のリュックサックを
背負いショッピングに興じているのだ。

この人たちがまた、よく電車を利用するんだよねえ~、
自分が背負っているバックパックのことを忘れて…。

実はこれだけリュックサックに
着目してしまう理由は、
私が仕事でも私生活でもバックパッカーだからなのだ。

もう四半世紀は背負っているのではないだろうか。
それも吉田カバンのかなり大き目の
バックパック(五代目?)をだ。
つまり、人よりも気にかけていると自負しているのだ。

自分のバックパックが人の邪魔に
なっていないか、もう気になって仕方がない。
そのマナー告知にも書いてあったが
「リュックは手に持つか、網棚の上へ」ということ。

いろいろなことが便利になると、
一方で必ず“リスク”が派生する。

そのリスクとは、公共の場では自分だけではなく
周りの人たちに及ぶ迷惑のことだ。

JRも含め、すべての鉄道会社が、
“背中の荷物にご注意”のマナー告知を
是非とも促して欲しい。

いやいや、電車の中ではバックパックだけではなく、
足を組む人、新聞を大きく広げる人、
席の真ん中に座る人、席に荷物を置く人、
とにかくいろいろなマナー違反が横行している。

もしかしたら、背中の荷物のことだけでなく、
誰でもが対象になるマナー告知のほうがいいかもしれない。

例えば“あんた、いま人に迷惑かけてない!?”
と呼びかけるのは?
それならば、ここはやっぱり、
あの倍返しのするどい目で
“半沢直樹”に呼びかけて欲しいなぁ~。

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気を配ろう!

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このするどい目つきで!!

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丈夫で長持ち吉田カバン!

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10/15
2013

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意味ある、再読へ!

「無益かもしれぬが、無意味ではない。と、霊公はおもった。」

この言葉は、二巻の中頃を過ぎた頃に出てきた。
しかし、私が期待していたのは、晏子が語るその言葉だった。

いろいろと事件があり、それらを晏子流に俯瞰してひとこと
「益はなくとも、意味はある」。その言葉が欲しかった。

だから私にとっては、霊公が語るこの言葉が、
目的なわけではなかった。
ところが、二巻のそれ以降にも、三巻にも、
そして四巻(終巻)にも、
ついに晏子の語るその言葉は出てこなかったのだ。

あの予想だにしない場面で語られた霊公の言葉が
鍵山相談役が語るそれだったのだろう。

少し期待はずれで残念な気分だが、
宮城谷昌光著の「晏子」はとても面白く、
多くの気づきを私に与えてくれた。

400ページを超える文庫本が四巻の長編小説。
約1ヵ月間、常に「晏子」はバッグの中に入っていた。

あるときは、2冊がバッグで持ち運ばれ、
あちこちと旅をしていた。
重いと感じるより、電車の中でそれを開く楽しみ
が勝っていた。

だから、降りる予定の駅を通り過ぎても、
あえてその世界に入り込んでいるときもある。

また、ホームのベンチで周りを気にせず
しばらく読みふけっていることもあった。
面白い書籍とは、そういうものだ。

ところで、なぜ鍵山相談役が、晏子が語ったわけでもない、
それもクライマックスでもないところの言葉に着目したのか。
それは、二巻目の後半に静かに語られる言葉であるにも関わらず…。

恐らく、人は本を読みながらそれぞれの内容に自分なりの
想定をして、読み進めていく。
だから、心を動かされる瞬間とは、人それぞれで異なるのだ。

そして、鍵山相談役は“無益かもしれぬが、無意味ではない”の
言葉に深い感動と共に強い共鳴感を抱いたのだ。

それは、掃除を50年もの間徹底してきた鍵山相談役には、
特に意味のある言葉だったということだろう。

言葉の奥行に気づき、共鳴感を持つことも、
さまざまなチャレンジの経験と実践を併せ持つ人にしか
与えられないのかもしれない。

私に出来ることと言えば、もう一度「晏子」を
読み直すことでもっと気づきを多くすることしかない。




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「晏子」全4巻

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鍵山塾では「晏子」の話題で盛り上がった!

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鍵山相談役が語る「晏子」

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10/07
2013

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“日本”を背負った40年

「その頃、差別はあたりまえでした。
だから、成長できたのかもしれません」

Mr.浅野は、アメリカに住んで40年。
アメリカ国籍を持つアメリカ人でもあり、
極右(本人談)の日本人でもある。

Mr.浅野の英語は、私たちが聴いていても一見(一聴?)
上手には聴こえない。
Mr.浅野より英語を流暢に語る日本人はたくさんいるだろう。

しかし、アメリカ人の友人たちはこう言う。
一見流暢に語る彼らの英語は覚えている英語を
プレゼンテーションしているだけ。
そこにハートがないのだと。
その反面、Mr.浅野の英語にはハートがあるという。

とにかく40年前というと1970年代。
まだまだ、日本は復興の途上だ。
当然アメリカでは、“アジア人お断り”の
レストランはたくさんあった頃。

なかなか通じない英語に差別が生じ、
そこに価値観の違いが付加される。

だからこそ、Mr.浅野は日本人を背負い、
強くもなり成長できたのだという。

そして、アメリカ人をはじめとする多くの海外の人達との
コミュニケーションの末?
いや、ディスカッションの末、やっぱり日本人は
素晴らしいという結論に達した。

その代わり、日本人自身が日本人ということを
もっともっと追求し、強くならなければとも考えた。

“日本”を背負った40年だったからこそ、
日本の素晴らしさも理解し、
日本の弱さもわかった“極右の日本人”となったのだろう。

ちなみに先日の日曜日、同様に日本を背負った
(騎手はヨーロッパ人だったけど)競争馬、
オルフェーヴルが凱旋門賞に2度目の挑戦をした。

そして、日本人の誰もが今度こそと、
初制覇を思い描いていたのだが…
結果は、悔しい2着。

日本は、まだまだ追求し、強くならなければならないことを
世界最高峰の競馬のレースでも教えられたのだ。

もっともっと厳しい中でチャレンジを
繰り返し鍛錬しなくては、
本当にサスティナブルな“日本の存在”は
つくれないということなのだろう。

来たる2020年には、東京五輪が開催される。
その時までに、鍛錬しなければならないことは多い。





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浅野さんはハートで話す人!

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ビジネス・イノベーションにでて頂きました!

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初制覇を思い描いていたのだが…

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09/30
2013

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弘兼憲史、継続のチカラ

「松下での3年がこんなにコストパフォーマンスが高くなるとは…」

この3年間の経験が、『課長 島耕作』の誕生の理由となり、
また30年間も続く裏づけともなったという。
と語ってくれたのが社会派漫画家の弘兼憲史氏。

何と島耕作シリーズはデビューから30年経つという。
この松下電器産業(現・パナソニック)での経験から
「島耕作」は生まれたわけだが、
実は、当初は、オフィスラブをテーマとして
描いたマンガだったという。

「え~、オフィスラブも松下で学んだってこと…」と
ついツッコんでみたわけだが…。
「その頃はあっちこっちで上司と女性スタッフが抱き合っていて…」

え~、まさかの返答。
いや、期待の返答が返ってきてこちらがビックリ。
そして、今回ついにTECOTの会長となった島耕作だが、
次は経団連会長を目指すという。
まあ、作者が語るんだから、
なっちゃうんだろうねえ…なんて話が次から次へ。

とにかく、今回初のラジオ番組の公開収録では、
ゲストの弘兼氏が作家活動について裏話や
今後についてもスゴ~く面白く語ってくれたのだ。
だから会場のお客様もヤンヤの喝采。

それにしても、参加したお客様のほとんどが大絶賛だった。
開催した側として主催者冥利に尽きるイベントとなったのだが…

弘兼氏を公開収録のゲストとしたかった理由は、
とにかくファンが多いこと。
漫画家なわけだから、表だって登場する事は少ないのだが、
弘兼氏の話になると、あちこちで
俺も私もファンでと話に乗ってくる人が多いのだ。

そして、弘兼氏はプロ中のプロだということ。
島耕作だけでも30年間、継続するということは
そのネタづくりの創作力もすごい。
そして、美味しい誘いに負けないでず~っと来たということ。

やっぱり“継続”は私たちのビジネスにおいて、大きな意味をなす。
今回のイベントのテーマは「益はなくとも意味がある」だが、
弘兼氏の場合益も少なからずあったと思うが、
プロフェッショナルとして“継続”が意味あることを
私たちに教えてくれていると思うのだ。

この継続は、必ずやまた次なる“意味”あることを
生み出してくれるプロセスに思えてならない。

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140名の前での公開収録!

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ツッコミに期待の回答

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放送は10月20日28日の2日間です!

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