これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

03/07
2022

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二宮尊徳の“積小為大”と推譲

先日、栃木市の定例セミナーに向かう途中、
JR東日本の小冊子トランヴェールの表紙に、
薪を背負って書を読みながら歩む少年の絵があった。
そう、皆さんご存知の二宮金次郎!
見出しには、「栃木の恩人、金次郎の足跡を追う」とあり、
12ページに渡る特集が組まれていた。

その中に、“桜町領”での話が掲載されていた。
私は桜町領での二宮尊徳の話を知ってはいたが、
それが今の栃木県の真岡(もおか)市だと始めて知り
栃木市へ向かう電車の中で感慨深い思いをした。

さて、尊徳は、数々のそれまでの功績が幕府にも認められ、
日光御神領での活性化仕法をどこででも適応できるものにするようにと
命が下された。
それが、1853年。江戸時代の末期で、
ペリー率いる黒船来航で江戸が騒然としている時期だった。
尊徳は既に60代半ばを過ぎていて、
人生最後の大事業に乗り出すことになる。

その一つとして、今回注目したいのが、
二宮尊徳流の“融資制度”だ。
これは、5年の年賦で10両の貸付制度。
融資を受けるには、村人の投票で1番の“働き者”に
選ばれることが条件。1位になると1両と鍬1挺、鎌2挺の
褒美とともに無利息で10両借りられる制度。

返済は、5年間で1年に2両ずつ。
だが、帳面によると、6年目に2両おさめた
領収書が残っている。
この2両は利息ではなく、“冥加金”として、次の人への貸付制度に
繰り入れられる“礼金扱い”なのだ。

すなわち、社会への還元のお金として利用されたのだという。
これこそ、二宮尊徳の思想の根幹である、
“勤労”、“分度”、“推譲”からなる“報徳仕法”の
うちの“推譲”にあたる。
“他人を推薦して自らは譲る” “推譲”は。
二宮尊徳らしい価値観でこれを制度化した。

そして、タイトルの“積小為大”はもちろんご存知だと思うが・・・、
小さいことを繰り返し積み重ねていくことが
結果的に大きなことにつながるということだ。
つましく、よく働き、その結果として融資を受ける。
まさに“勤労”、“分度”、を守りながら、
融資で得たお金を元にさらにこつこつと働き、利益を出し
その結果の余剰分は“推譲”の実践へとつなげていく。

すなわち、速効性や効率のことばかり考えずに、
地道に少しずつ積み重ねていき
その先の未来の人たちや、社会のことを考え、
恩送りをしていくこと。
まさに今の時代、求められているのは、
この二宮尊徳翁が発想した“積小為大”であり“推譲”なのでは!?

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二宮尊徳らしい価値観の概念図

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02/21
2022

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“Zの精神”は最後までやり抜く“GRIT”経営

私は“日本を美しくする会”の広報担当理事でもあり、
“掃除の会”の会報誌をチェックしていたところ、
メンバーが、『Zの精神』という本を上梓したと知った。
その本は、日本一のグルメバーガー、“ブラザーズ”の
北浦明雄社長が著した本で、昨年12月に出版されたばかりの本。

早速、日本一のグルメバーガー社長の北浦氏を訪ねる
ことに・・・。(月刊CDに登場してもらうため)
とはいえ、その前にハンバーガーを食べねばと考え、
人形町にある本店のチーズバーガーを食べてみた。
レタスもトマトもシャキシャキしていて、
写真を見ての通り、チーズをまとったパテは分厚い。
私はハンバーガーを食べ慣れてはいないのだが、
とても美味しく頂いた。

食後、北浦社長と話をさせてもらったのだが、
掃除の会のメンバー同士ということもあり、
共通の価値観があり、共鳴し合えることも多く、
楽しく面白く、安心して話しをすることができた。
当然、鍵山相談役の話も出てくるわけだ。

“Zの精神”とは、アルファベットのABCから始まり、
最後のZまでやり抜くという意味。
「一度やると決断したことはどのような困難にも屈せずに
自分が思い描く成功に向けて、
小さなことから大きなことまであきらめずに
最後までやり遂げる」ことの大切さが書かれていた。
そして、成功する人と、成功しない人の違いは、
最後までやり遂げることが出来るか、出来ないかの
違いだけとも。
まさにここまでの歩みから生み出された発想。
この本のコンセプトは、ここにある。
北浦社長は、100歩進むのであれば、一歩ずつ進んだ。
結果的に3歩下がったとしても、それでもまた一歩ずつ進んだ。
あきらめないでしつこく継続してきた結果が
目標である30人の行列のできる店になり
多店舗経営に至ったことを聞かせてもらった。

この北浦社長の話で思い出したのが、“GRIT”。
今から5~6年前に アンジェラー・ダックワース教授著の
『GRIT やり抜く力』をビジ達でも紹介した。
“GRIT”スケール”概念図も創ったので覚えておられる
方もいるだろう。

会社を経営していると大変なことが必ずやってくる。
でもそこであきらめずに”情熱”をもって、しつこく展開し、
“次なる手”を考え、その繰り返しをすることで
やり抜くことができる。
たとえ、三歩下がっても前に進もうとすることが、
“GRIT”、“やり抜く力”ということ。

人はややもすると、才能やセンスやIQの高さで評価しがちだが、
それらがなくても、あきらめないでやり抜く力が
ありさえすれば目指すところに行き着けるのだ。
“Zの精神”は最後までやりぬく“GRIT経営”に通じる!!

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“GRIT”スケール”概念図

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北浦氏著書『Zの精神』

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人形町にある“ブラザーズ”本店

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01/24
2022

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縁香園シェフ“秋場俊雄”の転機を活かす!

人には必ず転機がある。
活躍するには、その転機をどう活かすかどうか
・・・だろう。

今回紹介する秋場俊雄シェフは、
ビジネスイノベーション2月号に登場していただいた。
秋場氏は6年前に神楽坂のビル2階の
閉店した中華店を居抜きで借り、新たな中華店を開いた。
その席数はなんと100席!
なかなかのチャレンジだったと思う。

オープンしてやっと軌道に乗り始めた4年目でコロナ禍に。
しかし、コロナ禍にあっても、多くの常連のお客様に来ていただき
コロナ禍をどうにか越せそうという。
リピーターが多く、人を誘ってもいきたくなるお店なのだ。
もちろん美味だ。
秋場シェフが、この縁香園を開店するまでの略歴は、

18歳から料理人を目指し働き始めた
21歳で丸の内会館
25歳で上野北京飯店
26歳で銀座の四川と渡り歩き
28歳で頤和(いわ)園の副料理長

これまで料理の知識を貪欲に吸収し、
常に人の倍以上働いたという。
そして副料理長として活躍していたが、
当時の料理長のちょっとした事故により
予期せずして30歳で料理長になることに。
人の倍以上働いていて、料理長としての
自信があったのだが・・・、
結果として愕然とすることになった。

それは、自分には料理人としての“引き出し”が
1年分しかなかったこと。
当然定番料理は創れるが、オリジナルの料理を
次々とは創れなかったのだ。
このままでは、料理長として継続的な繁盛店は難しいと判断。
そこから、また勉強し始め、多種多様な
“引き出し”創りのためにそれまで以上に励み学んだ。
そして社長にも協力してもらい、タイミングをみて中国に出向き、
あちこちの地方の中華料理の勉強をしたという。

そうするうちに、創る料理の数と同様に、
料理にたいする思い・考え方が出来あがっていった。
ひとつの食材から、年齢の違うお客様に
それぞれどんな料理を味わってほしいか。
これを考えられるようになったという。
この転機の活かし方が、後の繁盛店づくりに貢献することに。

例えば、銀杏を材料にした餡かけソースをつくり、
それぞれの季節の食材料理にかけることにより、
バリエーションが広がり、食べる側も楽しく
季節を味わえるわけ。

私は、今まで経営者2000人以上にインタビューしてきたが、
ふりかえると、どの経営者も必ずと言っていいほど
その“転機”を活かしていたのだ。
“転機”に、新たなチャレンジをしたり、
それまでにない何かを徹底したり・・・。

“転機をどう活かすか”がポイントであり、
いいカタチでの継続の理由になる。
ここに、秋場俊雄シェフの仕事道が見える!

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ビジイノ2月号に登場!

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12/20
2021

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ココ・ファームの川田昇流、SDGsの実践 ~“SDGs”を知らなくとも、社会貢献はできる!~

先週、ビジ達で“ヴィンヤード多摩”の
ブランディングのお手伝いをしていることに触れた。
ブランディングに向け話をしている時に、“ヴィンヤード多摩”は
地域の障がいを持った方々や地域の福祉をも考えた
ワイナリーの展開を目指していると聞いた。
“ヴィンヤード多摩”の二人の経営者は地域の歯科医でもあり、
この地域の人たちの課題の解決をもしようとしている。

この話をしていた時に“ココ・ファーム・ワイナリー”の
川田昇先生を思い出し参考事例として紹介させてもらった。

今から7年ほど前の2014年6月にもビジ達で
紹介したのだが、ここで改めて紹介しよう。
川田先生は義務教育を終えようとしている
知的障がいを持った教え子たちが、
自ら生計を立てる術がないことに気がつく。
そこで、今から約70年前の1950年代、
川田先生は卒業後の“障がい者の働く場所”を考え、
栃木県足利市に三角山を自費で購入。
特殊学級の少年達と一緒に急斜面の山を切り開き、
600本あまりのぶどうの苗木を植え、
こども達とブドウづくりに取り組むことにした。
1969年には、この山のぶどう畑の隣に、
知的障がいを持つ人のための「こころみ学園」ができた。
そして、1980年、山のふもとのぶどう小屋と呼ばれた小さな小屋は、
“ココ・ファーム・ワイナリー”として産声をあげた。

ぶどう畑での農作業は知的障がい者にとって、
本来の人間の感覚を取り戻してくれるいい環境だという。
農作業の結果、健康に過ごせ、気持ちの上でも
達成感も得られていった。
長生きできないと思われていた障がい者たちだったが
結果的に川田先生を看取ることにもなった。
農作業には彼らを包み込むキャパシティがあるということ。

私が川田昇先生に会いにいった時は
先生はすでに88歳の高齢だった。
2010年に他界され、自分の財産はもとより、
自分の人生をもこどもたちのために捧げた人生だった。
こころみ学園は今も100人以上の障がい者を預かり、
先生のお子さまがワイナリーと共に経営にあたっている。

この事業はまさしくいま世間で言われているSDGsの実践事業。
SDGsを知らなくても社会課題の解決に取り組むことは
できるのだ。
60~70年前から川田先生があたりまえのように
取り組んでいたことは、SDGsの目標のうちの、
3.すべての人に健康と福祉を
8.働きがいも経済成長も
10.人や国の不平等をなくそう
等に貢献する。

70年前、川田先生はあたりまえのように、
目の前にあった社会課題に人生を賭け取り組んだのだ。
SDGsと謳わずとも社会貢献はできるということ。
これが川田昇流のSDGsであり、仕事道!

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ココ・ファーム・ワイナリー

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川田昇流SDGsの象徴である里山

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11/29
2021

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魅せるとんちクリエイター“和田誠”の仕事道

先日、デザイナー兼イラストレーターの“和田誠展”に
行ってきた。
和田氏は学生時代に無料で多くのポスターデザインを
請負ったという。新宿・日活名画座のポスターは9年間
200点を超す作品を手がけた。
同じく学生時代に“日宣美賞”を受賞。
多摩美を卒業した後、有名なクリエイターの多い
制作会社ライトパブリシティに入社。
デザイナー兼イラストレーターとして活躍。
その後、10年もしないうちに独立した。

皆さんになじみが深い作品は、
・たばこの“ハイライト”のデザイン
・『週刊文春』の表紙デザインは40年間、なんと2000冊超
・『週刊サンケイ』の表紙の著名人の似顔絵は4年で200冊超
・レコードジャケットのデザイン
・大阪万博の住友童話館の人形デザイン
・谷川俊太郎氏の絵本
・新宿・日活名画座のポスター

和田誠氏の展覧会に行き、改めて、その作品数の多さに驚き、
また展示会も盛況であったことから、
和田氏に影響を受けた人も多いと感じた。
私より20歳ほど先輩で、2019年に他界。
私も関係する広告業界にいるので、ずっと気にかけていたし、
影響を受けたうちの一人というところだ。

和田氏は、先にあげたように、学生時代から、
無料でデザインを提供していた。
多くのデザインを手がけることで、腕を磨き、力がつき、
実績につながったのだろう。

また、子どもの頃からの夢である「絵本制作」を
実現するために、営利目的ではない「私家版絵本」を
7冊制作したことも、和田誠氏の世界観の礎になった
のではと思う。
文章は、星 新一氏や谷川 俊太郎氏に依頼したという。
(さすが、依頼する相手がスゴイ!)

和田氏曰く、絵本で大切なことは、
・絵がいいこと
・上手でなくていいから魅力的な絵であること
・面白い流れがあること
物語であっても、感覚的なものであっても
それを展開させるデザインがあることが大切だという。
(和田氏だから言えることだろう・・・)

和田氏のデザインは、見る側のことをしっかり
考えていることが見えてくる。
なんとなく、“くすっ”と笑えるようなユニークな表現が多い。
タイトルにある「魅せる」は惹きつけるの意味で、
まさしく、和田氏は“魅せる、とんちクリエイター”だった。
それも、学生時代から多くの作品を無料で提供し、
また“私家版絵本”制作を通じて培われた和田誠氏の“仕事道”を
展覧会で多くの作品を鑑賞して改めて感じた。

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作品数の多さに驚いた

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展示会も大盛況

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