これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

HOME

ビジネスの達人

選ばれる仕事道

08/24
2020

sgt

木村周一郎氏の“ブリュクロ”的仕事道

私のラジオ番組にも月刊CDにも出演していただいた
木村周一郎氏はエリックカイザージャポンの社長で、
バゲットの美味しいパンのお店“メゾンカイザー”を
全国へと展開している。

緊急事態宣言のおり、店舗の半分以上が営業停止となり、
売り上げも70%以上のダウン。
その最中に、客足が戻るのを待つのではなく
“お客様のところに突っ込んで行く!”精神で
コロナ禍を生き抜くためにチャンレンジしていた。

コロナ禍にあたり、
① 数値を活かし論理的に次なる市場を分析し
チャレンジする
② アート志向、感性思考、デザイン志向を活かし
次なるチャレンジをする
③ “絶対にあきらめない”精神で進む

この3つのパターンがあるとすると、木村氏は③のパターンだ。

この“あきらめない”精神で開発したのが
タイトルにある新商品の“ブリュクロ”。
そして美味しいパン屋がつくる他店とはちょっと違う
テイクアウト用商品としてのピザ。

チラシ配りもする。
創業時、他店よりも美味しいとしても高額なバゲットは売れなかった。
そこで、パンの試供品を携え、近くの交差点で配り歩いた。
それでも来店客数はなかなか多くならなかったのだが、
半年経過後のクリスマスを境に急に売れるようになったのだ。
この原体験から“あきらめない”の気持ちで
今回も街角でチラシ配りをしたのだろう。

そんな木村氏が「カンブリア宮殿」の“コロナ禍特集”で
「不屈の男の奮闘記」というテーマで紹介されていた。
番組中、今回のタイトルにある“ブリュクロ”の
商品開発のプロセスが放送されていて、
実際にしばらくして店頭の大きなパネルとともに
商品となって店頭に並んだのだ。
“ブリュクロ”とは、クロワッサン生地にバニラ風味の
クリームを詰めて表面をキャラメリゼしている商品。
値段は1個270円なので、
ケーキよりは安いが、パンにしたら高い。
パンだけどケーキという商品なのだ。
私も食べてみて、あちこちにお土産で配るのだが好評だ。

必ずコロナ禍があける時が来る。
冬の時期は必ず終わり、春はやってくる。
そのための準備をするわけだ。
机上で計算するのではなく、いろいろチャレンジするなかで
新しいアイデアが出てきて、新しい売り方も工夫し
お客様の笑顔も見えてくる。
これが木村流の“仕事道”なのだ。

木村氏の“絶対にあきらめない”は、
鍵山相談役の言葉(元は白隠禅師)
「動中の工夫は、静中の工夫に勝ること幾千億倍」に共通する。
木村流の“あきらめない心”と“動中の工夫”が
コロナ禍が明けたあと、次なるステージへと押し上げてくれるのだ!


sgt

木村周一郎氏の“ブリュクロ”

ページTOPへ
選ばれる仕事道

08/11
2020

sgt0811_1

石坂典子流“大義”の仕事道

改めて、石坂典子社長の“大義”を掲げることの
意味と大切さを理解させてもらった。
“産業廃棄物処理は、社会の中で
どうしても必要な仕事である”
“処理方法を徹底的に研究することで
リサイクルの新たな流れの構築ができる”
“ものづくりの初期段階から関わりをもつことで、
持続可能な社会への貢献につなげる”
これらの“大義”があるからこそ、どんな苦しい試練にも
打ち勝ってこれたのだと改めて感じたわけだ。

7月にリーダーズセミナーの一貫で石坂産業を視察訪問した。
石坂産業についてはこのビジ達でも何度も紹介しているが、
初めて石坂産業訪問に参加したメンバー達は
多くの刺激を受けたとレポートにも記されていた。

石坂氏は2002年に社長就任。
当時はまだ屋外に産業廃棄物処理場があった。
当然、粉塵は舞う、夏は暑く、冬は寒い。
風雨の中でカッパを着て、機器を動かし、手作業で
分別作業を行うという環境であった。
まさに3Kの代表的な仕事だ。
社員達は先代の娘さんとはいえ、女性の新社長になじめず、
ヘルメットを投げ捨て、「会社をやめてやる!!」と
言い放ち、多くの社員が会社を去っていったという。

そこにあのダイオキシン問題(1999年)による風評被害もあり、
地元住民からはまだまだ“厄介者”扱いされていた。

この状況をどのように“逆転”したかは
この場では割愛するが、
(NHKの「逆転人生」を観て欲しい)
このような大逆境の中、事業を継続し、
さらなる発展につなげてこれたのは、
冒頭に紹介した“大義”を掲げたから。
そして、“大義の実現”に向け、
経営者が大きな“熱量”をもち
多くの覚悟ある決断をし、
その”大義“を高い情熱で社内外へ発信し続けた
からこそなのだ。

そして、2015年には、インテル、NECと連携をし
“サーキュラーエコノミー(循環型経済)”の
実現のための取り組みにも参加している。
SDGs目標の中の17番目、
「持続可能な開発目標に向かい、実施手段を強化し
グローバルパートナーシップを活性化する」に関与しているのだ。

先週の“ビジ達7“で紹介した鍵山相談役と石坂社長の対談
では、「益はなくとも、意味がある」をテーマに語っているので
こちらも参考にしてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=qlk-UForgXg

石坂氏は、
「何かを変えようと思ったら熱量が必要」と言う。
大義があり情熱があるからこそ、社内、社外とも
多くの人たちが共感し、そこにベクトルを合わせ
向かっていけるということ。
これが、石坂社長流の仕事道ということ。

sgt0811_1

石坂典子社長

sgt0811_2

「何かを変えようと思ったら熱量が必要」

ページTOPへ
選ばれる仕事道

07/27
2020

moba3

それは手塚治虫とトキワ荘から始まった!

この7月にオープンしたトキワ荘マンガミュージアム。
あれこれ観ているうちに、その当時を思わず
思い浮かべてしまった。
これは、昭和を代表する漫画家手塚治虫氏、赤塚不二夫氏、
石ノ森章太郎氏、藤子不二雄(A),藤子・F・不二雄氏らが
若手時代を過ごし、1982年に解体された“トキワ荘”を
忠実に再現したミュージアム。
まさしく、ここから日本の漫画文化でありアニメーションが
始まった場所なのだ。

実は、手塚治虫氏がそれまでのマンガとは異なる
ストーリー性あるマンガを創作したことは画期的だった。
そして、この作風はトキワ荘に集まる漫画家達の創作活動に
大きな影響を与えた。
トキワ荘での若手漫画家達の活動は、
後に日本のマンガ、アニメーションとして世界の人々から
注目される礎となったということなのだ。
さらに多くの若手漫画家たちには、手塚氏がペンで描く創作活動を
“ナマ”で見ることは、かけがえのないリアルな学び場であった。

今回、トキワ荘マンガミュージアムを訪ねる前に、
講談社の手塚治虫氏番記者の丸山明さんの
「トキワ荘実録」を読んでいたのだが、
“手塚氏カンヅメ攻防戦”が面白い。

手塚氏は当時、月に10本以上の連載を受けていた。
各出版社には手塚氏番記者がいて、手塚氏に原稿の
督促をしていたのだ。
毎年1月に開催する“順番会議”において、
手塚氏が原稿づくりに取りかかる順番を
番記者達が決めていたという。
これぞ、“The 談合!”
当然ながら、このような談合での取り決めは、
“絵に描いた餅”になることも多かったようだが。

番記者達はそれぞれの策略から手塚治虫氏をあちこちの
ホテルにカンヅメにして
原稿づくりに集中してもらっていたという。
ときには仕上がり途上の原稿が渡されることもあり、
その際は、原稿を持ってトキワ荘に駆け込み、当時若手だった
石ノ森章太郎氏や赤塚不二夫氏に
手塚氏のマンガの最後の仕上げを頼んでいたという。
(のちのこれら大御所たちにだ)

その当時はまだ月刊誌がほとんどだったが、次第に少年マガジン、
少年サンデー、少年ジャンプと週刊マンガ雑誌が
発刊され、誌上で発表された多くのマンガが
テレビアニメーションとなり
より多くの子供たちがマンガに触れるようになっていった。

手塚治虫氏とトキワ荘から始まった日本のマンガ、
アニメーションは、世界へと拡がり、
世界中に影響を与え発展し、今日に至っている。
こんなことを今回改めて“トキワ荘マンガミュージアム”を
訪問して確認できた。
ここに日本の漫画のフロンティアがあったのだ。

sgtmain

トキワ荘マンガミュージアムへ!

sgt2

日本の漫画のフロンティア

ページTOPへ
選ばれる仕事道

06/22
2020

sgtmain

“根っからのイノベーター”スティーブ・ジョブス

“ビジ達7”のコンテンツづくりのために
「ジョブス vs セイジ」の経歴を創ってみた。
なんてことはないのだが、
1955年生まれ同士としての比較なのだ。
誕生日も1ヶ月しか違わない。

ジョブズはサンフランシスコで生まれ、諸事情で
養子に出される。
私は親の離婚に伴い、1才に満たない頃から
母の実家の農家で育てられた。
これが1955年のこと。
(境遇は似ているかも・・・?)

その後、ジョブズは1973年にポートランドの
リード大学に入学。
私は同じ年にデザイン専門学校に入学した。

そして1976年、
21才の時にアップルコンピュータ創設。
1977年自分は社長には向かないと判断し
マイケル・スコットを社長にし、自身は副社長に。
そして1980年25才でアップル社を上場。
すでに100億円以上を稼ぎ出していたという。
(その頃の私は・・・年収300万円以下のサラリーマン。)

ところが1981年にスコットを解任し、
1983年、ペプシコーラ事業担当社長をしていた
ジョン・スカイリーを
「このまま一生砂糖水を売り続けたいか?
それとも世界を変えたいか?」と口説き
スカイリーが社長に就任。
しかし、なんと1985年にそのスカイリーにより
ジョブズはすべての業務から解任された。
30才の時だった。
その後ジョブズはコンピューターのNeXT社、
アニメーションのピクサー社を設立。
追放されてもチャレンジを続けていたわけだ。
1997年、アップルがNeXT社を買収したことにより
ジョブズがアップルに復帰。
2001年には、iPod, iMac, iTunesと次々と革新的な商品を発売。
そして、2007年にiPhoneが登場、現在に至っている。
このように、世界を変えるイノベーションとなる
ものづくりをしてきた。

ジョブズは経営がうまいわけではないと自覚し、
誰かに会社経営をまかそうとする。
だが、クリエイターである(?)自分の方向性と常に
ぶつかりあいがあり葛藤を繰り返してた。
“イノベーター”であることと、
会社経営は相容れないところがあったのだろう。

ジョブズは“いい会社”を創ろうとしていたのでも、
“儲ける会社”を創ろうとしたわけではない。
世界を変えるような“イノベーション”となる
ものづくりをしたかったということ。
残念ながら今から9年前に56才で他界したのだが
一貫して“根っからのイノベーター“であった。

私はジョブズと比較するとかなり“晩成型”。
私の経歴に書ける要素はご覧のように40代以降。
私もイノベーターとして存在したいが、
ジョブズのようなマネはさすがに難しい。
でも、私はまだ生かされているわけで、
もう少し社会に貢献できるイノベーターとして
チャレンジしていきたい!


sgtmain

ジョブス vs セイジ!?

ページTOPへ
選ばれる仕事道

04/27
2020

sgtmain

“目が不自由なことが強み” 成澤俊輔氏の仕事道

先日のBusiness Todayの収録でお会いした
成澤俊輔(なりさわ しゅんすけ)氏は、
高校の時、健常者の15%以下の視力となり、
現在35才では3%程度の視力で
ちょっと光がわかる程度だという。
NPO法人 フューチャー・ドリーム・アチーブメント[FDA]の元理事長で、
現在は、一般社団法人「ともに」の理事。
企業のコンサルタントで福祉関係や障害者雇用にも尽力している。

成澤氏とお会いし、お話を聞いたのは2回目。
今回、成澤氏のチャレンジ精神が人並み以上ということを
改めて確認した。
なんと、一人で、ケニアに行きあれこれ体験してきた話もしてくれた。

成澤氏は健常者が気がつかないことや
健常者は経験できない目線や視点を大切にしている。
そして、私たちとは違う価値観と感性を武器にして
仕事をしているのだ。

成澤氏曰く、見えないことで、
・聴く力
・記憶する力
・予測する力、(準備する力)
が身についたという。

「人は見た目が9割」という本があるが、
これはまさに私達は見た目を大きな判断基準にしているということ。
例えば、「どちらの人を選びますか?」と言われた場合、
私達は視覚情報により、顔つき、仕草、目つき、顔色などから選ぶ。
だから相手が女性であれば、その嘘を見破りにくいという。
こう考えると成澤氏が言っていることがよくわかる。
すなわち見えることが私たちのいろんな障害になっているわけだ。

私も以前ラジオのパーソナリティをしていたことがあるのだが、
その人の言葉、声のトーン、しゃべり方、声の質で
人柄まで伝わってくるのだという。
大沢悠里さんも、50年以上(?)ラジオで活躍しているのも
多くの人が大沢さんの声で安心し、人間性に共鳴感を持つからだ。

ダイアログ・イン・ザ・ダークという経験もしたことがある。
完全に光を遮断した暗闇の中に少人数のグループで
視覚以外の感覚を使い、様々な(ゲームも)体験をする
エンターテイメント形式のワークショップだ。
このときも見えないことで気づくことがたくさんあった。

先日もお話をしたジョブズのConnecting the dotsの確立を計算すると
成澤氏は目が見えないことで、300人に1人で1/300、
経営者は100人に1人で1/100 そして障害者雇用等に関わっている人が
50人に1人で1/50。これをかけ算すると1/150万となり、まさに
150万人に1人の存在となるのだ。

これは、ちょっと大雑把な話だが、その存在は希有だということ。
それでいて、とにかくチャレンジ精神がハンパではない。
今、自分が設立したFDAの理事長を辞め、
次なるステージへチャレンジしようとしているのもそのひとつ。
成澤氏は“目が見えないことが強み”と度々口にする。
自分の“弱み”を逆手にとる。これが“成澤俊輔氏の仕事道”と言えるだろう。
もしかして、私達は見えることが私達のウィークポイント
なのかもしれない!?

sgtmain

一般社団法人「ともに」の理事、成澤俊輔氏

sgt2

成澤氏の著書

ページTOPへ

BACKNUMBER

ページTOPへ