これからの選ばれるビジネス!

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選ばれる仕事道

11/30
2020

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腑に落ちる、森田健司流“石田梅岩の功績”

毎月開催している石門心学・実戦講座。
先日91回目を迎えたので、7年半以上
継続していることになる。

“石門心学・実践講座”では、梅岩が語る、“正直・勤勉・倹約”を
日々のビジネスにどのように活かしていくかを
研鑽しあう場だ。
ゆえに“実践講座”と名付けている。

そこの学びの場にて、今までは、山岡正義著の
『魂の商人・石田梅岩が語ったこと』を参考書として
数ページ朗読し、それをテーマにディスカッションをしていた。

今回ついに、山岡先生の本を学び終えたので、
次なる参考図書として、森田健司著の
『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』を選んだ。
森田健司氏は40代半ばで、大阪学院大学の教授。
経済的、歴史的両面から石田梅岩であり石門心学が
どのように世の中に貢献したのかを発信している。

今回、“腑に落ちる”とタイトルにしたように、
この本の「始めに」を読んだだけで嬉しくなる言葉があったので
紹介する。

*日本は江戸時代、相当の発展を遂げていた。
→ 勤勉で猛烈に働いた
*梅岩は、経済や経営のための「学び場」を人々に提供していた。
→ 士農工商の身分、性別、年齢関係なく受け入れた
→ 経済、経営、生き方を教えた

そして、開国を迫ったペリー含めて、外国人は
日本の優れた技術力と優れた経済システムを評価した。
先進諸国に影響を及ぼし、いや、脅かす存在になりえると予測していた。

明治維新から太平洋戦争までの“維新ERA”の瞬く間の近代化も
戦後の“昭和ERA”の時代の驚異的な復興も
“日本の基礎力”があったからこそ可能だったと。
すなわち、この日本の“基礎力”こそ梅岩の思想であり、
“石門心学”が日本中に影響を与えたお陰だと
と森田氏が書いているのだ。

梅岩の思想が身分、性別、年齢関係なく広く伝わり、
識字率の向上と倫理感ある優秀な労働者づくりに貢献した
ということだ。

森田先生がこのように梅岩を、そして梅岩の功績を
認めているのが本当に嬉しい。

梅岩は“人間の本性”とはという
問いから経済や経営を語っている。
人の生き方、あり方に通じ、多くの学びとなり
それが日本人の“基礎力”になったということだ。

今回は、“石田梅岩の仕事道”であり、梅岩を現代に紹介する
“森田氏の仕事道”の紹介でした!

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『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』

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11/02
2020

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石川家ならではの“先義後利のM&A”

少し前に“JAPANESEアップサイクイル”というテーマで
これからはM&Aが増加すると発信した。
今、世界から遅れをとってしまった日本の生産性を
上げていくためにも、後継者不足問題解消のためにも、
M&A(企業統合・企業買収)を進めことも有効な手段と
語った。
そして、“誰が企業を買うのか”が、これからは
大切なテーマであると。
そんなおり、石川酒造の当主石川彌八郎(やはちろう)氏が
“大多摩ハム”M&Aを実行した。

何故M&Aを実行したか?
当主から頂いた資料には、
「大多摩ハムの敷地は約1000坪、JR青梅線福生駅より
徒歩3分の好立地にある。それゆえ、伝統的ハムづくりに
興味を持たない者が購入した場合、
ハム事業は継続せず不動産活用だけを行う心配があった。
これは福生の街の魅力にも影響していくと懸念された。
また、大手ハムメーカーが購入した場合は、
ドイツ式ハムづくりは継承されず、
大手の下請けとなり廉価なハムの製造を強いられる懸念があった。
石川酒造の“酒づくり”と大多摩ハムの“ハムづくり”の精神には
共通点があると古くから考えていた小生にとって、
大多摩ハムの“ハムづくりの精神”が途絶えることは
耐えがたい事であった」と。

要点は、
1.ドイツ式ハムづくりの承継
→ 高価格だがこのハムづくりを絶やしてはいけない。
2.駅前の好立地を活かした活用
3.街づくりの観点
→ 福生にあける2軒の酒蔵と二軒のハム工場からなる
“街の魅力”の承継
4.石川ブルワリービールとの好相性
  →ハムとビールの相乗効果
このような事情から石川さんは、M&Aを決断した。

拙著『儲けないがいい』や、講演会でも度々紹介している
第16代当主の終戦直後の日記には、
“終戦直後、多くが儲けるために“闇取引”に向かったのに対し、
石川家は“多摩の名主”として、社会性を優先しての
“まちの役割”を担わなければならない“記されている。
16代目は迷いながらも、“闇に手を染めてはいけない”としたのだ。
目先にとらわれ、闇商売に走ると、
16代続いた石川家の考え方・価値観が失われると思い
踏ん張ったのだ。

幕末維新期のリーダー像を記した『多摩の名主たち』にも
熊川村名主、石川家のことが書かれているほど。
その第18当主は地域のことを考え、後継者のいない
大多摩ハムを承継することで、福生の街の未来をも見据え、
M&Aを実行することとしたのだ。

石門心学実践講座にて学んでいる
“正直に道徳心をもって経営に当たることが、
結果として関係者及びお客様からの支援も多くなり
いい経営に結びつく“という“先義後利”。
デジタル化も大事だが、地域のこと、社会のことを
考えての経営も大切ということ。
まさに18代目当主石川彌八郎氏は“先義後利”の価値観を
M&Aを通して実践しようとしているのだ!

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石川酒造の当主石川氏

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“大多摩ハム”M&Aを実行!?

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先義後利”の価値観を M&Aを通して実践

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10/05
2020

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“佰食屋”中村朱美氏に学ぶ「GRIT」経営

先週のモバイルでも紹介したが、
先日開催したαクラブのフォーラムに
佰食屋の中村朱美氏が出演してくれた。

佰食屋は、1年前の2019年6月に“ガイヤの夜明け”で紹介された。
その経営コンセプトが注目された佰食屋も、このコロナ禍で
4店舗のうち2店舗を閉店することになったわけだ。
最近放送の“ガイヤの夜明け”でもこのことが取り上げられ、
閉店に伴い社員を解雇せねばならないシーンが
放映されていた。
NHKの“クローズアップ現代”でもコロナ禍で決断し、
次なる展開に取り組む佰食屋について取り上げていた。

さて、先日のフォーラムで、中村氏は、
“パラレルアントレプレーナー”を目指す語っていた。
飲食業と平行して新たな起業を考えていると。
今までも、飲食と平行して不動産業(夫が中心)も
していたのだが・・・。
今後は飲食業をこのコロナ禍の中で
伸ばすのはむずかしいと判断し、
次なる他の事業展開を考えているという。

この話を聞いて、中村氏は飲食業に
こだわりがあったわけではなかったことに気づかされた。
かけがえのない家族との時間を大切にする働き方として、
飲食業、“佰食屋”でそれを実践、経営していたわけだ。
美味しい食事を提供し、効率も考え、無駄な時間も省き、
そして成立する経営。
だから昼間だけ営業する“百食売り切り”の店を
展開したということ。

そしてこのコロナ禍で、経営者として厳しい決断を余儀なくされ、
それでも経営コンセプトはそのままに次なる事業に
打って出ようとしている。
そこで、これぞ“GRIT経営”だと感じたわけだ。

以前、ビジ達でも紹介した、アンジェラ・ダッグワース著の
『GRITやり抜く力』の“GRIT”のこと。(30万部も売れた本だ!)
この本の中で、成功者に共通するのは、
“才能”“知性”ではなく「やり抜く力」だと。
“grit”とは、「度胸」という意味だが、
Guts (ガッツ・闘志)
Resilience (粘り強さ)
Initiative (自発性)
Tenacity (執念)
の頭文字4文字を取ってGRITとして「やり抜く力」としたという。

才能や知性のレベルより、この“GRIT”のレベルが高いことの方が
成功するとアンジェラ氏は言っている。
中村氏は知性も感性も備わっているようだが・・・。

中村氏は“転んだとしてもただでは起きない”。
経営者としての新たな展開を抱き、
この経験を活かし次なるステージを模索していることが、
“GRIT”であり“GRIT経営”ということ。

中村氏のコンセプトである、
“効率化をして、働く人が労働時間を短縮し、
結果として家族との時間を
大切にする経営“。この軸は変えずに
新たに事業を起こし経営していくという。
ミレニアル世代の価値観を活かしながら
“事業とは”、“経営とは”を突き詰めていく。
この“やり抜く力”こそがGRITなのだ。
これぞ中村流の“仕事道”というわけ。

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佰食屋の中村朱美氏

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中島のフォーラムにお越しいただいた

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キーワードは「やり抜く力」

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09/23
2020

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“六十の手習い”、“八十でアプリ”若宮流仕事道

先日、若宮正子さんという85歳の方とZOOMで
お話させてもらった。
BUSINESS TODAYに出演いただくための打ち合わせ
だったのだが、なんと若宮さんは45分間しゃべりっぱなし。

この若宮さん、2017年81歳で「hinadan」
というスマートフォンのゲームアプリを開発。
最高齢でのアプリ開発は、
Apple社からイベントに特別招待されたほどなのだ。
この時もアップルCEOのティム・クック氏とも話をしたようなのだが、
2019年12月にティム・クック氏が来日した時は
若宮さんに会いたいとご指名があったという。

この若宮さん、行動力がすごくて、
一人でエストニアに行ったりしている。
徹子の部屋にも出演し、話が盛り上がるようにと
自分のパソコンでデザインしたドレスを着、手土産も
若宮さんオリジナルものを持参したそうだ。

ちなみにパソコンを習い始めたのが60歳過ぎてから。
もともとは銀行員で、退職金でパソコンを買い、
パソコン教室に通ったところからゲームアプリ開発の物語が
始まったという。
若宮さん自身が聡明な方であることはもちろんだが
何事にもあきずに追求できる性質ゆえのアプリ開発なのだと思う。

“若宮さんにとって年齢とは?”との質問に
「年齢は単なる数字だとしか思っていない」と。
自分の年齢をほとんど意識しない日々を送っているということ。
健康の秘訣は「新しいことに取り組む緊張感」。
これこそが年を取らない理由だと言う。

いやぁ~おそれいった。
私は65歳でYouTubeを始め、さていつまで続けられるか
・・・と思っていた自分が情けない!

書籍もたくさん出している。
『花のパソコン道』
『60歳を過ぎると人生はどんどん面白くなります。』
『明日のために心にたくさん木を育てましょう』
『独学のすすめ がんばらない定年後の学び方10箇条』
『老いてこそデジタルを。』

お年寄りがパソコンをうまく使いこなせば、
日本中いや世界中の人と話ができ、
コミュニュケーションがよりとれることに。
お年寄り向けのゲームも楽しいし、
最新情報も知ることができるので、
パソコンを使いこなすと世界が拡がることに。
よってお年寄りにとって、パソコンは
“たいへん都合のいいものだ“と発信しているのだ。

“60の手習い”という言葉がある。
「たとえ晩年に始めたとしても遅すぎるということはない」という意味。
似た英語の言い伝えは、“Never too old to learn”
“学ぶのに、遅過ぎるということはない“ということ。
学ぶ以上に、81歳でアプリ開発をやってのけた若宮さんには
恐れ入る。
ということで、“六十の手習い”、“八十でアプリ”という
タイトルの意味・・・わかってもらえましたか?

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今回お話していただいた若宮さん!

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08/24
2020

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木村周一郎氏の“ブリュクロ”的仕事道

私のラジオ番組にも月刊CDにも出演していただいた
木村周一郎氏はエリックカイザージャポンの社長で、
バゲットの美味しいパンのお店“メゾンカイザー”を
全国へと展開している。

緊急事態宣言のおり、店舗の半分以上が営業停止となり、
売り上げも70%以上のダウン。
その最中に、客足が戻るのを待つのではなく
“お客様のところに突っ込んで行く!”精神で
コロナ禍を生き抜くためにチャンレンジしていた。

コロナ禍にあたり、
① 数値を活かし論理的に次なる市場を分析し
チャレンジする
② アート志向、感性思考、デザイン志向を活かし
次なるチャレンジをする
③ “絶対にあきらめない”精神で進む

この3つのパターンがあるとすると、木村氏は③のパターンだ。

この“あきらめない”精神で開発したのが
タイトルにある新商品の“ブリュクロ”。
そして美味しいパン屋がつくる他店とはちょっと違う
テイクアウト用商品としてのピザ。

チラシ配りもする。
創業時、他店よりも美味しいとしても高額なバゲットは売れなかった。
そこで、パンの試供品を携え、近くの交差点で配り歩いた。
それでも来店客数はなかなか多くならなかったのだが、
半年経過後のクリスマスを境に急に売れるようになったのだ。
この原体験から“あきらめない”の気持ちで
今回も街角でチラシ配りをしたのだろう。

そんな木村氏が「カンブリア宮殿」の“コロナ禍特集”で
「不屈の男の奮闘記」というテーマで紹介されていた。
番組中、今回のタイトルにある“ブリュクロ”の
商品開発のプロセスが放送されていて、
実際にしばらくして店頭の大きなパネルとともに
商品となって店頭に並んだのだ。
“ブリュクロ”とは、クロワッサン生地にバニラ風味の
クリームを詰めて表面をキャラメリゼしている商品。
値段は1個270円なので、
ケーキよりは安いが、パンにしたら高い。
パンだけどケーキという商品なのだ。
私も食べてみて、あちこちにお土産で配るのだが好評だ。

必ずコロナ禍があける時が来る。
冬の時期は必ず終わり、春はやってくる。
そのための準備をするわけだ。
机上で計算するのではなく、いろいろチャレンジするなかで
新しいアイデアが出てきて、新しい売り方も工夫し
お客様の笑顔も見えてくる。
これが木村流の“仕事道”なのだ。

木村氏の“絶対にあきらめない”は、
鍵山相談役の言葉(元は白隠禅師)
「動中の工夫は、静中の工夫に勝ること幾千億倍」に共通する。
木村流の“あきらめない心”と“動中の工夫”が
コロナ禍が明けたあと、次なるステージへと押し上げてくれるのだ!


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木村周一郎氏の“ブリュクロ”

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