これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

12/25
2017

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大棟耕介氏の“人の下に潜る”流儀

先日、ホスピタルクラウンをして活躍している
大棟耕介さんより1年間の活動報告が届いた。
クラウン(道化師)として病院をまわり、
闘病中の子どもたちへパフォーマンスをするこの活動。
大棟さんが運営するプレジャー企画は、
ホスピタルクラウン協会と共に、今年1年で87病院、
約3万人の子どもたちを訪問したそうだ!!

そういえば、
そんなホスピタルクラウンの活動にスポットが当たり、
大棟さんをモデルとしたテレビドラマが放送されたこともあった。
大棟さんはいまや、海外でもクラウンの指導をし、
東日本大震災の被災地訪問は、6年を超えて続けている。

このように大活躍の大棟さんだが、
実は、活動を始めた当初は
「自分はクラウン向きではない」と思っていたという。

元々は、名古屋鉄道に勤めており、
人前で話すことや笑われるのが苦手だったそうだ。
そんな自分の殻を破ろうと、
自己啓発の意味でクラウンの勉強会に参加したという。
お客さまにすごい技を見せて見下すのではなく、
持ち上げて笑顔にする。
普段は「やってはいけないかな…」と
人々が躊躇するようなことを、代わりにやって見せ、
喜んでもらう。
この“人の下に潜る”という
クラウンの考えに出会ったことが、
大棟さんのターニングポイントとなり、
プロの道を志すことになったのだ。

そしてアメリカではクラウンが病院を訪問していることを知ることに。
お金にはならないが、病院こそ、
クラウンの“人の下に潜る”という喜ばせ方が
1番求められている場所かもしれない、
とホスピタルクラウンの仕事を始めたという。

闘病中の子どもたちに
パフォーマンスを届けるというのは、想像以上に壮絶だ。
隣の病室では死に直面している子どもがいるという場合もある。
それでも、心を乱すことなく、力まず淡々と、
目の前の子どもたちを笑顔にする
パフォーマンスをすることに集中する。
ホスピタルクラウンとしての存在理由に立ち返り、
役割を全うするプロ意識である。

大棟さんの仕事の流儀である“人の下に潜る”というのは、
闘病中の子どもたちだけでなく、
世の中で厳しい状況に置かれている人たちを、
あたりまえのように「下から支える」ということ。
ただ役割を全うするだけではなく、
自分たちの存在理由を考え、そこから行動を起こしていくのだ。

私たちも、大棟さんにならい、
自分の存在理由をしっかりと見つめていこう!!

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賑やかなニュースレターが届いた!!

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ホスピタルクラウンとして大活躍の大棟さん

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バルーンを作る様子は大人もワクワクする!

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10/30
2017

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「スギ製菓」のアップルツリーパラダイム

あの“奇跡のりんご”の木村秋則さんから学んだ
“アップルツリーパラダイム”!
(久々のビジ達への登場ですねぇ~)
今回は、“アップルツリーパラダイム”ならぬ、
“スギの木パラダイム”のお話なのだ。

というのも、先日「日本を美しくする会」の
企業見学会で、「スギ製菓株式会社」にお邪魔してきた。
掃除を習慣づけることでどれほど企業が
よい方に向かったかを伺い、
現場を視察させてもらうというものである。

日本を美しくする会は1993年に発足し、
今までその会員数を増やし続けている。
(なんと日本全国に125拠点)
たとえば東海神栄電子工業の社長は、
鍵山相談役が創業した
株式会社ローヤルの会社と社員を見て、
その考え方、掃除の仕方を学ぼうと会に参加したという。

そして東海神栄電子工業の社員の
素晴らしい対応、動きをみた「スギ製菓」の社長が
「こんな会社をつくりたい!」
と思い5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を徹底した
会社を目指すことになったのだ。
このように、掃除に学ぶ会の“企業連鎖”が
起こったのである。

「スギ製菓」の会社案内には、
「1人ひとりの小さな手が、大きな杉の木を育てています」
と書かれている。
つまり、企業の風土であり価値観を支える根っこが
しっかりしているからこそ太い幹が育ち、
枝葉が伸び、そこに豊かな果実がなるのだ。
まさに“アップルツリーパラダイム”
(今回はリンゴではなく杉の木だが…)!

良樹細根、高樹深根というように、
何事も根がしっかりしていないとダメだということ。
「スギ製菓」はもちろん、それに気づいた経営者たちは
一見遠回りのようでも5Sを徹底して行い、
立派な“企業の根”を育んでいるのだ。

やっぱり“根っこ”なんだよねぇ~大切なのは。
会社も私たち自身も!
さて、まずは自分の机の上と家のトイレ掃除からだねぇ~。

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スギ製菓株式会社のみなさん

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食べられるえびせんトレー「たべりん」

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これが“アップルツリーパラダイム”!

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09/25
2017

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奥田政行シェフの“志事道”

今回は、高い志を持った仕事人の“志事道”として紹介したい。
そう、注目するのは“志”ということ。

ビジネスの達人ではすっかりお馴染みの、奥田シェフ。
「つるおか食文化市場FOODEVER」をオープンさせたということで、先日、山形県の鶴岡まで早速行ってきた。

新鮮な食材が買えるマルシェに、
イタリアンから日本食まで楽しめるレストランエリア。
ビルの1階フロア全体が、鶴岡の“食”を楽しめる場所となっていた。

さて、このFOODEVERはどういう目的でつくられたのだろう。
そこには奥田シェフの“志”が大きく関わっているのだ。

奥田シェフは、東京で料理人としての技術を磨いていたが、
思うところがあり、25歳で鶴岡に戻ることに。
そして、鶴岡に戻ったとき目に映ったのは、
元気を無くし暗いイメージの地元の姿だったという。

そのとき奥田シェフは
「自分がこの鶴岡を元気に、明るくするぞ」と心に決め、地元ホテルの料理人の仕事についたという。
その後、注目のイタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」をオープンするに至るのだ。

そこから庄内の地域食材にこだわり、
さまざまな奥田流の料理を生み出し続けてきた。
だから地元食材の維持にも、奥田シェフがかけ回り、販売先を確保することも。
それらの料理人を超えた活動が評価され、さまざまなメディアに取り上げられることに。

そして「世界の1000人のシェフ」に選出されたり、
ローマ法王に庄内産の食材を収めたり、と
地球規模での活躍を続けてこられた。

こうして、何十年もかけて技術を磨き、その名を世界中に届けてきた奥田シェフ。
鶴岡に戻り23年経った今、
志に向け次なるステージとしてこのFOODEVERの運営に全力で取り組んでいるということ。

こうした「鶴岡を明るくしたい」という行動は多くの人たちを巻き込み次なる展開に。
もちろん、毎日FOODEVERにいられるわけではない。
だが、技術や志をきちんと継承している人たちがそこにいる。

25歳で決めた想いを胸に、技術を磨き、場所を作り、人の想いを繋いできた。
決して一人では成し得ないことばかりである。
奥田シェフの「志に基づいた行動」こそが、多くの人が心を動かしてきた所以であろう。

これぞまさに、“志事道”である。

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庄内産の野菜を使った前菜、ワインによく合う!

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シェフ自ら、ネタに合わせて塩を選んでくれるのだ

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あちこちに、奥田シェフの写真入りバナーが!

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09/19
2017

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大沢悠里流“先義後利”

「大沢悠里さんですよね?」

これは先日、大沢さんとご一緒させていただいた
北海道の旅でのこと。
函館のホテルのロビーで、
とあるご夫婦に声をかけたられたのだ。

「大沢悠里さんですよね? いつも聴いています!」

すると大沢さんは、きちんと席を立ち、笑顔で対応。
なんとご自身から声をかけ、一緒に写真撮影もしていた。
ご夫婦にとって、この出会いが
特別な思い出になったことは間違いないだろう。

ご本人に聞いたところ、
タクシーに乗っているときも、よく声をかけられるのだとか。
多くの運転手の方が、大沢さんの番組を聴いていたこともあり、
大沢さんを“声”で記憶している。
なので、ちょっとした会話だけで
「大沢悠里さんですよね?」と気づいてくれるという。
だからいつも多めに支払いをして
「おつりはいいよ」と伝えるんだって。
(くぅ~かっこいい!)

“大沢悠里さんだ”と気づくことで、
みんなが喜び、安心して声をかけてくれる。
これって番組放送から、
大沢さんの性格であり人間性を理解してくれている
ということなのではないだろうか。
番組のパーソナリティとしての技量はもちろんだが、
それよりも大沢さんの“仁”であり“義”が先立って、
ラジオを聴く人たちに伝わっているということ。

今回の北海道の旅でも私は、
大沢さんの“義”を感じることがあった。

大沢さんは、この北海道の旅の途中で出会った、
芋掘りを体験させてくれた農家さんにも、
一緒に食事をした函館のお医者さんにも、
出会ったパン屋のご主人にも、

東京に戻ると早速、
それぞれにハガキを送ったり、
電話をかけて御礼の言葉を伝えたのだという。
(もちろん私もお電話いただいた。
大沢さん、ありがとうございます!^^)

また、旅のことをご自身のラジオ番組である
『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』でお話ししてくれたりと…、
うんうん。やっぱり、こういった心づかいや気づかいがあるから、
ファンが増えていくんだよねぇ~。

パーソナリティとしての技術だけでなく、
“義”を先立て、さまざまな場面で実践していく。
そんな大沢さんの人間性であり生き方が、
関係者やラジオ聴取者に伝わっているということ。
これこそまさに、
プロフェッショナルとしての“先義後利”の実践と言えるだろう。

今回は、そんな大沢悠里流の“先義後利”であり、
仕事道を十分に見せていただいた旅だった。

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芽室のパン屋「カントリーブラン」のご夫婦と

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芋掘りを体験してさせてくれた農家さんと

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08/28
2017

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“わらび座”の秋田からの仕事道

ついに、劇団わらび座の本拠地である
秋田県のあきた芸術村を訪れることができた!
里山にその本拠地を置くわらび座にはず~っと興味があり、
わらび座の山川社長も交流はあったものの、
なかなか行く機会が無かったのだ。

その日の演目はミュージカル「ジパング青春記」!
仙台藩主伊達政宗が世界を知るべく
ヨーロッパへ派遣した遣欧使節団の物語だ。
舞台となった1611年には三陸で大地震が起こり、
津波の被害も大きかった頃だという。

2011年東北大震災のちょうど400年前の東北でも
未曽有の被害をもたらす大地震があったのか、と
不思議な気持ちになったのだが…。
それはさておき、東北・秋田なればこその、
伝統芸能と民謡を取り入れた、暖かな人情溢れる和製ミュージカルで、
東京では得られない風情を感じたのだった。

東京でスタートしたわらび座が、
秋田の豊かさに着目し拠点を移したのは1953年。
私の生まれる2年前だというのだから驚きだ!

戦後まもなく誰もが東京を目指していた時代、
あえて地方の秋田へ拠点を置くそのチャレンジ。
そしてそこから60年以上、秋田の地に根をはり
発信し続け劇団をつくりあげてきた、
その実績にはひたすら感じ入るばかりだ。

あきた芸術村には劇場のほかにも、
地元の食材や田沢湖ビールを楽しめるレストランや、
疲れたからだを癒やせるゆぽぽ温泉、
森林工芸館などさまざまな施設がある。
まさに芸術村全体がエンターテインメント施設であり、
山川社長の「秋田のすばらしい里山をまるごと体験してほしい」
という想いが伝わってくるよねぇ~!

これまでは誰もがあたりまえのように東京を目指してきた。
だが、そこには経済的豊かさはあっても
心の豊かさはなく、本来求めていた“幸せ”はない
ということに誰もが気付き始めてきた。
そして多くの人たちが地方の、
古き良き里山の文化、そして自然が持つ豊かさに目を向け始めている。
地方の存在理由を再確認する時代がやってきたのだ。

そんなパラダイムシフトの時代だからこそ、
わらび座が秋田の地にこだわり60年に渡って
地方から発信し続けてきたことは大きな意味があるということ。
今後、その存在は必ずや多くの注目をあびることだろう。
まさにこれこそ、わらび座の仕事道なのである!

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あきた芸術村でわらび座公演を観てきた

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わらび座の社長山川氏

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