これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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選ばれる仕事道

07/22
2014

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“永遠の中小企業”ホットマン

先日、日本を美しくする会で仲間を祝う会が開催された。
株式会社ホットマン(伊藤信幸社長)の
JASDAQ上場を祝う会だ。
東日本大震災以降、
東北に本社を置く企業としては初めての上場だという。

宮城県仙台市に本社を置くホットマンは、
イエローハットを中心にTSUTAYA、
ガリバー、セガなどの多くの企業店舗を
運営するメガフランチャイジー企業だ。

現在では宮城県・岩手県・福島県
茨城県・栃木県・長野県の6県で
100店舗以上を展開している。

伊藤社長によるキャッチフレーズは
「永遠の中小企業」。
常に未完成であり、時代の変化に対応できる
企業であることをテーマにしている。
驕ることなく、努力を続けていける
企業でありたいということだろう。

こうした思いが込められたフレーズなのだが、
その他にもホットマンの経営理念として、
「社員の成長なくして会社の発展なし、
 会社の発展なくして社員のしあわせなし」
という言葉がある。

この社員の成長に欠かせないものとして
取り入れているものが「掃除」なのだという。

掃除によって地域社会に貢献し、
社員一人ひとりの人間的成長を手助けすることで、
会社全体も発展させていく。
ここに日本を美しくする会の
よい影響があることは言うまでもない
(いや、鍵山相談役の影響と言った方がいいかも…)。

伊藤社長は、「鍵山氏に出会ったところから、
人生もビジネスも大きく変わった」と
祝う会でも語っていた。
“掃除”に取組みながら店舗展開を続けてきたことが、
ホットマンの上場にも大きく貢献しているのだろう。

伊藤社長は祝う会の中で、
震災の時に日本を美しくする会の方々が
物資と気持ちの両面で篤い支援をしてくれたことに、
深い感謝をしていると仰っていた。

そこから、会社としても目標を持たなくてはいけないと思い、
上場という目標を立てたのだという。
そして、それがついに実現したわけだ。

祝う会に集まった人たちは、
業種業態の違う経営者中心の20人ほどだったが、
“掃除”という共通の価値観を持つもの同士の
イベントだけに、終始和やかな空気が流れていた。

“掃除”が結び付け、
触発し合っては成長していくこの縁に改めて感謝を!
同志を祝いつつ、自らの発展を誓った会だった。

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祝う会にて、挨拶をされる伊藤信幸社長!

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和やかな空気が流れた

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記念の1枚!

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選ばれる仕事道

06/23
2014

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古田土(こだと)式仕事道の極意

スタッフ150名以上。
クライアント1900社超。
社外の人も含めた経営計画発表会、参加者600名超。
実はこれ、会計事務所のことなのだ。

それは、古田土(土に`)満(こだと・みつる)氏が
所長を務める古田土会計。
創立してから31年の歴史を誇る。

「社長は社員第一主義、
社員はお客さま第一主義」という考えで、
社員もお客さまも大切にした経営は
“おもてなし経営企業”にも選出された。

先日、そんな古田土氏とお話する機会があった。
話をする中で、驚くべきは“徹底”の姿勢を貫く古田土式“仕事道”だ。
他の企業が実践していることで、
自分たちが良いと思ったことは積極的に社内活動に取り入れ、
徹底的に追求するのだという。

例えば、会社を挙げての清掃活動。
週3回、駅前から会社のビル周辺を清掃しているという。
また、ビジ達でもおなじみ
「日本を美しくする会」で開催している小中学校のトイレ掃除。
その内の年2回は古田土会計がその中心となり、
全員参加で取り組んでいるのだ
(実は私もその様子を何度か拝見している)!

その他に、社内外の関係者を含めた
経営計画発表会も行っている。
なんと、600名以上の参加があり、
立ち見も出るほどだという。

ここでは、「日本中の中小企業を元気にする」という
経営ビジョン実現のための発表が行われる。
これにより、社内で団結し、社外の参加者には
経営企画書の素晴らしさを伝えているという。
これには、毎年大勢が参加するため、
会場が発表会の度に大きくなっているそうだ。

また、発表会での古田土氏は
とにかくオープンな姿勢を貫いている。

経営企画書による自社の情報を、
社内のスタッフだけでなく、社外の関係者や経営者、
ライバルでもある同業者の人達にも開示しているのだ。

これは、自分たちが今まで行ってきたことと同様に、
他の人にも良いと思ったところを取り入れてもらえば、
共に成長できると思うからだという。

もちろん、掃除や発表会に限らず、
朝礼やおもてなし接客など様々なことは
他の企業でも行われているだろう。

しかし、「まず行動しなければ
結果は生まれない」という考えのもと、
学びも実践も徹底して行っているのは、
古田土式ならではの発想法かもしれない。
だからこそ、冒頭のような企業成長を遂げたのだろう。

これぞ“古田土式仕事道”なのだ。
古田土式の意味ある“徹底”の姿勢は、
今後も企業成長につながっていく。
そして、社員だけでなく、
お客さまに選ばれ続けるのだろう。

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古田土式仕事道の極意とは…?

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長年の徹底が実を結ぶ

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おもてなしも徹底!

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そして人も企業もオープン!

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06/16
2014

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川田昇流・時中す

私の元に届いた2本のワイン。
ラベルには「ココ・ファーム・ワイナリー」の文字が。
同ワイナリーのある栃木県足利市出身の方が
送ってくださったのだ。箱を開けると、
中にはこんな文章の書かれたしおりが…。

「1950年代、特殊学級の少年たちと
 その担任教師が急斜面の山を切り拓き、
 600本余りのぶどうの苗木を植えました。
 1969年、この山のぶどう畑に、
 知的な障害を持つ人のための
 「こころみ学園」ができました。
 そして1980年、山のふもとのぶどう小屋と
 呼ばれた小さな小屋で、
 ワインが産声をあげたのです。」

この教師とは、
創始者である川田昇氏のこと
(私が尊敬する先達の1人だ)。

障害を持つ学級の担任をしていた川田氏は、
子どもたちのつるつるでやわらかな手を見て
「この手ではこの子たちは生きていけない」
と感じたという。
そして、人や社会の役に立つ人間を育むべく、
山を購入し、自ら働き口を整えたのだ。

私は川田氏の取り組みに感銘を受け、
ココ・ファーム・ワイナリーを訪れ、
川田氏に直接お話を伺ったことがある。

しおりを読んでいると、
在りし日の川田氏のお話が思い返される。

「こんなはずじゃなかったんだよ」

当時88歳だった川田氏は、こう語った。
農業は、本来の人間の感覚を取り戻してくれる。
きっと、長生きできないかもしれない子どもたちを、
看取るまで面倒を見る覚悟だった川田氏にとって、
彼らが立派な農夫となり、
ずっと元気に働き続けてくれることは
うれしい誤算だったのだ。

いつの間にか子どもたちは、
どんなつらいことも平気でやり抜く
勤勉な青年であり、自信に満ちた
物言わぬ誠実な農夫になっていたという。
そしていつしか、そのやわらかな手は、
たくましい男の働く手に変わっていたのだという。

川田氏の取り組みは、まさしく
「君子、時中す」という言葉がふさわしい。

これは、
「優れたリーダーはその時その場に
ふさわしい手を打って、
あらゆる矛盾・相克を克服し、
どこまでも進歩・向上していく」
という意味だ。

川田氏が私財を投入し、
足利の山を購入してからの50数年間、
数えきれないほどの困難があったはず。

しかし、目の前のことに対して
逃げずに自分で道を切り拓いていった。
それが結果的にココ・ファーム・ワイナリーを
日本中に知らしめ、存在理由を
創り出すことにつながったのだ
(九州沖縄サミットでは、晩餐会で
 同ワイナリーのワインが使用されたという)。

川田氏がチャレンジした理由やテーマは
なかなか真似できるものではないが、
少なくとも“時中(実践においてその時その時が
過不及なしであること)”を心がけなければ、
次なるステージには行けないということ。

実は、いただいたワインはまだ開けていない。
今夜辺り、在りし日の川田さんに思いを馳せながら、
ワインを味わってみようか。

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大事に飲ませていただきます!

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しおりにはこれまでの歩みが

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創始者の川田昇氏

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ワインはここから生まれた!

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06/09
2014

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赤木春恵氏の芸歴74年

認知症の母親の介護体験を描いた映画
『ペコロスの母に会いに行く』。
主演を務める赤木春恵氏は、
“世界最高齢での映画初主演女優”として、
なんと御年90歳にして
ギネスブックに登録された!
(舞台やテレビでの主演作品はあったが)

赤木氏が演じた認知症の母親は89歳の設定だが、
赤木氏自身は一切患っていないのだ。
昔のことを尋ねると普通は
「うーん」と少し時間を必要とするものだが、
赤木氏は私がさまざまなことを
尋ねてもすぐに返してくださった。

思えばお茶の間のテレビには、
いつの時代も赤木氏の姿があった。

テレビドラマ『細うで繁盛記』では
ちょっといじわるな役を演じられていた。
その後『3年B組金八先生』で演じた
君塚校長は当たり役に!
一番有名なのは、皆さんもご存じの
『渡る世間は鬼ばかり』の姑役だろう。

赤木氏が長きにわたり映画・テレビ・舞台と
第一線で活躍してこれたのは、
確かな実力はもちろん、
周りの人々に慕われ信頼される
人間性があってこそ。

映画を1本つくるにしても、
監督やプロデューサー、カメラマン、
スタイリスト、共演者…と
多くの人々と関わり合う。

多くの映画関係者から
赤木氏が指名される理由は、
やはり彼らが気持ちよく
仕事ができるからだろう。

芸歴74年(!)という赤木氏。
戦時中は慰問劇団として満州まで赴き、
20歳で団長として指揮を執っていたという。

リーダーシップを発揮して劇団をまとめながら
女優として仕事をまっとうするのは、
並大抵の努力ではなかったはずだ。

先日のインタビューの際も、
「女優業は本当に大変だけど、
 いい仕事だと思う」と語っていた。

もしかしたら、大変だからこそ
“いい仕事”と思えるのかもしれない。
苦労を乗り越えて物事を達成すると、
“やりがい”というリターンがやってくる。

74年間、常に能動的に
芸を追求してきたからこそ、
人間性も育まれ、やりがいにも
つながったのだろう。

90歳となった赤木氏。
どんな作品を我々に見せてくださるのだろう。
これからのご活躍も楽しみだ。

6/15、6/22のInterFM『BUSINESS LAB.』では、
赤木氏に大女優の“仕事道”について
語っていただく! ぜひお聴きあれ!

――――――――――――――――――――――
InterFM『BUSINESS LAB.』
東京76.1MHz・横浜76.5MHz
毎週日曜 朝 6時から好評放送中!
──────────────────────

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芸歴74年の“仕事道”とは!

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選ばれる仕事道

06/02
2014

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舩井幸雄氏に感謝

2014年1月19日、81歳で舩井幸雄氏が亡くなった。
(偶然にも私の誕生日である!)
晩年は病気がちでもあり、
お会いできる機会も少なかったけれど…
私にとっては実に多くのものをもたらしてくれた人だ。

今を去ること約25年前(いや30年前?)、
30代だった私は舩井氏の本を読んでいた。
そしてその中の考え方やキーワード
(“素直・プラス発想・勉強好き”だとか“必要・必然・ベスト”だとか)
に少しずつ影響を受けていたのだ。

その後、30代半ばには青年会議所で
当時船井総研(株式会社船井総合研究所・以下、船井総研)
の常務だった河口氏のお話を伺う機会を得た。
いつのまにか本を読んでいたことで
船井総研に興味を持っていたことは言うまでもない。
αクラブの第1回(21年前)の講師を
河口氏にお願いしたのも、そういう経緯があってのことだ。

その後、副社長をされていた泉田豊彦氏とも出会い、
マーケティングの勉強をさせていただいた。
大里綜合管理の野老社長との出会いも、
泉田氏主催のイベントでのことだ。
イエローハットの鍵山相談役との直接の出会いも
船井総研のコスモスクラブだったような…。
10数年、毎月一緒にCD収録をしてきた小山政彦会長とも、
佐藤芳直氏とも、当然船井総研を通して出会ったわけだ。

こうした人たちとの出会いが
私にもたらしたものの大きさは、計り知れない。

そういえば、船井総研主催の講演会でも、
舩井氏とはお話させていただいたことが何度かある。
さらに舩井氏の著書や講演会で
何度もでてきたキーワードは、
間接的にその後親交を深めた経営者たちとも
ことあるごとに確認し合うことで、
目には見えない絆を深めてくれた。

「ツキの原理を知り、管理し、ついている者と付き合う」。
「運をよく研究し、ツキを味方にする」。
「天地自然の摂理に従う」などなど。

これらは今も私の考え方のベースに
かなり入り込んでいると言っていいだろう。
思い返せば最初に本を読んでからの30年(?)、
そして人的ネットワークの始まりから25年、
私は「思想」と「人の繋がり」という
重要な要素において舩井氏に大きな影響を受けているのだ。

はっきりと意識はしなかったけれど、
「隠れ舩井流」だったと言っても良いかもしれない
(隠れてないかも!?)。

私だけではなく、
舩井氏の著作や講演会でその思想に触れる機会があった人や
一緒に仕事をした人にとっても、それは同じだろう。

舩井氏が亡くなった後も、「舩井流」が多くの人に
影響を与え続けていくことは間違いない。
改めて、その影響力に驚くと共に深い感謝を捧げたいのである。

sgt

多くの人に影響を与えた船井氏!

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