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03/06
2023

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梅は~咲いたか、桜はまだかいな~♪ 桃屋の“経営の不易流行”とは?!

春の風に誘われて、ついに偕楽園に来てみたわけだが…
“水戸の梅まつり”は始まって間もなく、咲いている梅は早咲きが中心。
咲いてる梅は全体の2割くらいだろうか。
とはいえ、多くの花見客が来ているではないか。
偕楽園の梅はその数約100品種3,000本。
「早咲き」「中咲き」「遅咲き」と分けられ、
もちろん種類によって開花時期が異なるという。
だから1月中旬から4月上旬ごろまで楽しめるわけだ。
日本三名園の一つでもあり、これだけ多くの人たちが
繰り出すわけも分かるような気がする。
こんな中で梅の花を観ながら頭の中を巡る唄は…
「梅は~咲いたか~ 桜~はまだかいな~♪」このひと節。
(みなさんも梅の花を観ると、口ずさんでるはず?!)
私がこの唄を知ったきっかけは
あの桃屋の三木のり平氏イラストの「梅好み」のCMだ。
「うめ~は咲いたか~♪…
なんだ、まだ全然咲いてないじゃないの 
桃屋はまだかいな~♪
~~~~
ウチ帰ってご飯食おう!」というCM。
1972年からの放映だというから約50年前である。
なのにしっかり記憶には残っているのだ。
さて、ここからはその「桃屋」の話となるのだが…
【桃屋は既に100年企業!】
何と創業は、1920年!すでに100年企業となっているのだ。
当時の製品の中心は、フルーツの缶詰と瓶詰めの花らっきょ。
1936年にはソウル、旅大、長春、天津、瀋陽、ハルピンに代理店を置き、
缶詰輸出を促進していた。
しかし、戦後、同社は大きな転換期を迎えることになる。
「今後、アメリカから安いフルーツの缶詰などが多数入ってくるだろう」
と初代の小出孝男氏は考え、看板商品の1つだった
フルーツ缶詰からは撤退。
代わりに欧米にはない日本独自のものを作ろうと考え、
1950年に、誰もが知っているのりの佃煮“江戸むらさき”を発売。
この大きな決断が功を奏し、売り上げが倍増することとなったわけだ。
(今は“江戸むらさきごはんですよ”がポピュラーかも!?)

【1950年には新聞突き出し広告を展開!】
もう1つ桃屋の特徴として、食品メーカーとしては珍しく新聞広告を
していた。戦争中は原材料の調達ができず、休眠状態の桃屋だったが、
1950(昭和25)年の“江戸むらさき”の発売と共に広告も復活させ、
新聞に“江戸むらさき”のおいしさを有名人が語る
シリーズ広告をはじめた。
そしてある時“三木のり平さん”にお願いしたところ、のり平さんは、
“私がとやかく言うより、絵でも描きましょう”とご自分の似顔絵を
入れ、シャレたコピーを添えてくれたという。
この新聞広告は、縦は新聞の一段分、
横はおよそ6~7センチの小さな「突き出し広告」だったが、
このひとコマ漫画のようなスタイルが評判を呼び、
“のり平漫筆”というのり平さんが描く人気広告シリーズとなった。
そしてその流れを汲んで「桃屋のり平アニメCMシリーズ」の放映を
スタート。多くの人たちの記憶に残る大人気のCMシリーズと
なったわけだ。

【良品質主義と広告宣伝主義の徹底!】
また、2022年に現在の小出雄二社長は、
これまでのCMの広告効果や、ブランディング効果も考え
「企業理念の良品質主義と広告宣伝主義の徹底を図る」と宣言。
このことが奏功し、営業利益ベースで9期連続、経常利益ベースで
8期連続の増収増益を達成した。
今期も企業理念の徹底に取り組み、10期連続の増収増益を目指しているという。
この決断には“のり平アニメCM”含め、100年続くための
桃屋ならではの「経営の不易流行」があるように思えてならない。
経営にも、時代におもねるところと、徹底して変えてはいけないところが
あることが分かったような…
ここに桃屋が100年企業となる由縁があるのではないだろうか。
ちなみに、私は桃屋の“きざみニンニク”と“きざみしょうが”を
継続的に購入している。これがとにかく使い勝手がいいのだ。
いつもお世話になってます♪

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水戸の梅まつり@偕楽園

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竹林も広がっている

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