03/21
2017
食の里山ヴィレッジ「銀の森」
講演会があり、岐阜県恵那市を訪れた時のこと。
私を呼んでくれた社長が是非にとコーディネートしてくれたのが、
地元の注目企業である「株式会社銀の森コーポレーション」だった。
そして渡邉大作会長にお会いし、
「銀の森」を見学させていただいたのだが…。
どんなものかある程度は想像していたのだが、
実際に目の当たりにして、ちょっと驚いた。
私が北海道の十勝芽室町でやろうとしていることが、
既に繰り広げられていたのである。
「銀の森」には、恵那市の食材を活かした手作りスイーツや
栗の和菓子、和惣菜・佃煮などを扱う、多種多様な店舗が並んでいる。
昔ながらのかまどがしっかり活用されていて、
和を追求した空間が食事処となっていたり、
しっかりこだわった演出が伝わってくるのだ。
ほかにも今時のイタリア風なカフェレストランや、
オリジナルの商品が並ぶ「銀の森ショップ」という物販がある。
しっかりと六次化された現地の特産物を数多く扱っているのだ。
「銀の森」には工場なども含めると全部で8つの施設があり、
これらで1つのヴィレッジを構成しているという。
製造から販売までの多様さを見ると、
さまざまなノウハウが活かされていると感じる。
実は「銀の森コーポレーション」は元々食品加工の下請けだったのだ。
しかし下請けのままでは今後を見据えたスキルも身につかないし
お客様の反応も届かないと考え、おせち料理の生産を始めたという。
やがて年間18万食ものおせちを生産する規模になり、
「銀の森ヴィレッジ」の開発に進んだそうだ。
多くの食材を活かし、
いろいろな技術が求められるおせちづくりだからこそ
さまざまなノウハウとスキルが会社に集約することになり、
最終的にお客様の顔の見える「銀の森」構想となったのだろう。
いまや「銀の森」は名古屋方面から多くのお客様を迎え入れ、
繁盛スポットとして注目されているという。
…そういえば、似たような話をどこかで聞いたことがある。
あのアウトドアブランドの「モンベル」も、
元はメーカーであり問屋だった。
ところが、辰野勇会長の大きな決断で直売店を展開することになり、
今のモンベルとなったわけ。
この覚悟しての業態転換が、
次なるステージへの大きな一歩となるということ。
「ジャパネットたかた」の高田明元社長も、
業態転換と自前主義が現在の規模にまで会社を成長させた。
経営者たちはビジネスを進めながらもノウハウや知識を集約し、
決断とともにブレイクスルーを行ったということ。
たとえ壁があったとしても、
次なるステージに上がるタイミングは必ずあるのだ。
私たちのビジネスにも、必ずや
ブレイクスルーのタイミングがやってくる。
次のステージに上がれるかどうかは、
その時に向けて知識や技術、ネットワークをしっかりと作り上げ、
覚悟してチャレンジしているかということだろう。
「銀の森」の場合は、10数年後にリニア中央新幹線が
開通すると決定したタイミングだったという。
2027年に東京~名古屋間をつなぐ線路は、
日本中のお客様を恵那市に運んでくれるに違いない。