11/25
2013
掃除に学ぶ会の流儀
「そうです。この洗浄バケツで、
まずほうきについた大きな汚れを落としてください。
そして、汚れた水をしっかり切ってから、
次は仕上げのバケツできれいに洗ってください。
最後はタオルで水分を拭き取ります。」
まずは、“粗洗い”。そして“仕上げ”と
段階によって分けるのが掃除に学ぶ会の基本ルール。
それだけではなく、こちらの角型バケツは、
ほうき洗い専用。
あちらのたらいは金物道具専用と
洗い場も道具によって分かれているのだ。
人の手洗いも同様に“粗洗い”用と
“仕上げ”用のたらいがある。
このような細やかなルールが、
水をムダにすることなく、
道具を素早くきれいにすることにつながる。
そして、こういった試行錯誤や工夫が、
より充実した掃除機会を創造し、
掃除をも楽しくさせるのだ
(本当にすばらしいルールだと思う)。
掃除は、その目的の場所をきれいにすることだけに
意義があるのではなく、その段取りや
後始末にも意義があるということ。
私は、掃除のすべてのプロセスに意義が
あると言っても過言ではないと思うのだ。
また、掃除の終盤のこの一糸乱れぬ…(それ程でもないか?)
きれいに整列されたチリ取りや道具を見ているだけでも
気持ちよくなってくる(後始末って大切なんだよねえー)。
私がこの会(日本を美しくする会)に
関わり出した8年前(?)頃からすると、
その道具の幅も広がり、ルールもかなり増えてきた。
どんどん工夫が施されてきているってこと。
すなわち、関わる人は試行錯誤することを楽しみ、
より美しくすることを目指す、
その結果、掃除の効率も上がり
人間的にも進化するのだ。
これぞ掃除に学ぶ会の流儀。
それに比べ、ビジネスの世界はどうだろうか。
確かにさまざまな新しい技術が活かされて効率は上がり、
その商品やサービスも進化してきているようだが…
残念ながらそこで働く人が進化して
いないように思えてならない。
もしかしたら、人間力を見ると、退化しているともとれる。
この違いは何なのだろう。
その目的の社会性のなせるワザだろうか?
経済性ばかりを追い求め、
即物的なビジネスとなってしまうと、
人間的には進化しなくなってしまうのかもしれない。
やっぱり日々のビジネスにおいても、
社会性を考えて一つひとつの行動を
していかないとダメということ。
鍵山相談役、やっぱり「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」
そういうことですね。
さて、“仕事道の流儀”を極めなくては!