06/15
2015
ヴェネツィアの花嫁
瀬戸は日暮れて♪
夕波小波あなたの島へ
お嫁にゆくの…
え~っ、この歌って海外の曲のカバーだった??
どう聴いても小柳ルミ子が
歌っていた“瀬戸の花嫁”だよなぁ。
そんでもって、平尾昌晃氏の作曲だった記憶が…
(あの当時の3人娘では、
小柳ルミ子をよく聴いていた派だった)
なぜ、ヴェネツィアで…
それもナマ演奏で聴くことになるとは。
もちろん演奏しているのは、
どう見てもイタリアの人たち。
ここはヴェネツィアの老舗カフェ・フローリアン。
(あのサンマルコ広場にある人気店)
それも約300年前(1720年)にオープンして、
ずーっとこの場所で営業してきたという。
仕事柄、日本でも300年以上続く店を訪れる
ことはあるが、そのほとんどが店の建屋も
売るものも大きく変化しているのが通常。
ところが、このフローリアンは、
その頃から建屋も変わらずカフェとして
この立地で営業していたようだ。
300年前と言えば、8代将軍の徳川吉宗が
活躍していた江戸時代も中頃。
そして、ビジ達でもお馴染みの石田梅岩が
塾を開こうとしている頃だ。
いや~、そう考えるといろいろ不思議。
日本では、まだまだ丁髷(ちょんまげ)に刀の時代。
ところが、ここイタリアのヴェネツィア
(まだイタリアとして統一されてないが…)
では、市民が昼下がりにお茶を楽しんでいたのだ。
吉田松陰ではないが、その頃 海外に行く手立てがあれば、
石田梅岩も海外に行きたかっただろうなぁ~。
そして、石田梅岩がここヴェネツィアでも
辻説法をくり広げる。
もちろん、正直・勤勉・倹約を語り、
“先義後利”を力説するのだ。
日本でもそうだったが、最初は誰も相手にしてくれない。
ところが、次第に多くのヴェネツィアの人が
その考え方、価値観に共鳴していく。
そして、梅岩の考え方、哲学に大きく影響を
与えられた弟子たちが、その価値観を
イタリアのあちこちに広めて行くのだ。
すると、イタリアの人たちはもっと働き者に
なっていたかもしれない。
そして、ヴェネツィアの街ももっときれいに
なっていたことだろう。
そしてそして、カフェ・フローリアンでは…
♪ヴェネツィアは日暮れて 夕波小波
あなたの島へお嫁にゆくの…
♪島から島へと渡ってゆくのよ…
うんうん、“ヴェネツィアの花嫁”が
演奏されている…
情景もぴったり!