12/05
2016
“出光佐三”と“吉田忠雄”の仕事道
1941年の春、大東亜戦争前夜。
「私もあんたのことは心配していたんです。だが輸出の
割りあても出来ないとなると、もはや私の手に負えない。
軍需工業の転換しかないのではないか。しかしあんたの
ファスナーへの執念というか、根性というか、ここでや
めさせるのは惜しい。結局、道は一つしかないのだ。」
山岡荘八氏の著書『善の循環』の中にこんな一場面がある。
この本はファスナーの生産で世界的に有名な
YKKの創業者、吉田忠雄氏を主人公とした歴史小説。
時代の状況から輸出も出来ない、
国内販売も統制で手の打ちようがない。
そんな状況下で行政側の人間が、先の言葉とともに
吉田氏に海軍需要部への紹介状を書いてくれた。
さらに紹介状の最後には、
『この吉田忠雄という人間は「正直一途」である』と
添えられていたという。
そしてその先で、この対応をしてくれた行政側の人間は
彼の下で一緒に働くことになったのだ。
いかに吉田氏が人間的魅力を持っていたかということと、
その志が相手に共鳴感を抱かせたかということがわかるだろう。
ここで、私はある人物を思い出した。
だいたい時を同じくして、太平洋戦争後、
世界の石油メジャーを相手に戦いを挑んだ
出光興産の創業者である出光佐三氏だ。
(百田尚樹氏のベストセラー『海賊とよばれた男』の
モデルということでご存知の方も多いだろう)
出光氏の参謀として活躍した人物にも、
元は国の行政マンだった人間が何人かいた記憶が…。
吉田氏の話と同様に、彼らも出光氏の志であり、
人間性に触れて出光興産に入社することになったのだ。
通常は、行政マンにはなかなか話が通らないというのがほとんど。
自分の立場を横に置いてまで協力してくれるなんて話
は滅多にないのが実際だ。
その上、まさかのリスクを持って部下となるなんて…
これは石門心学の石田梅岩の言うところの
『正直・勤勉・倹約』の精神はもちろん、
それにプラスして社会性のある彼らの志とその覚悟の程が、
多くの人たちの心を掴んだからだろうと私は思う。
つまりリーダーに必要なのは、
多くの人たちが共鳴できる考え方や
生き方がそこにあるかどうか、ということ。
そしてもっと深いところでは、
自分の会社のためという狭い考え方ではなく、
業界であったり地域や国のためであったりという
社会性のある志を持っているかどうかが重要だ。
吉田氏と出光氏の生き方と考え方の共通点こそが、
同じ志を持つ協力者を呼び寄せたのだ。
これぞ、仕事道!ということ。