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はなまるア・ラ・カルト

11/04
2025

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鍵山秀三郎相談役から学ぶ-その1 「思いやりが伴ってこそ“教養”!」

鍵山秀三郎『凡事徹底』
テーマ/『教養』

「教養のある人とは、頭のよい人のことをいうのではなく、
思いやりのある人のことだ」と孟子の言葉にあります。
近年、学歴が向上した分だけ、
知識や資格を持っている人が増えてきました。

逆に、自分さえよければという
思いやりのない人も多くなっています。
たとえ高学歴でも、かならずしも教養のある人とは言えません。
思いやりが伴ってこその教養です。
(鍵山秀三郎著『凡事徹底』「一日一話」PHP研究所刊)

近年、教育の進展に伴い多くの人々が高い学歴を得て
さまざまな資格をも手にすることで
これが“教養”と思っている人が多くなっているのも確か。


【ChatGPT4oに聞いてみると…】

“教養のある人”とは、豊かな知識や幅広い教養を持ち、
礼儀正しく思慮深い人を指す。
知識だけでなく、文化や社会、歴史について理解が深く、
それを日常生活や人間関係に活かすことができることが重要。

また、他者への思いやりや謙虚さ、言葉遣いや態度に品性が現れ、
コミュニケーション能力も高い人。
(さらに…)

教養のある人は、自己研鑽を絶えず続け、
新しいことにも積極的に学び続ける姿勢を持っている。
これらの特性は、相手への敬意や場の空気を読む力など、
人間的な魅力と結びついている。

教養は生まれ持ったものだけでなく、
意識的に身につけることができるものであり、
社会的な信頼や尊敬を得るための土台ともなるだろう。

→思いやりや謙虚さ、言葉遣いや態度に品性が現れ…
ふむふむ“品性”ねぇ〜(これは難しい)
ChatGPTもわかっているってこと。


【“イエローハット”の由来は、児童がかぶる“黄色い帽子”】

鍵山相談役(掃除に学ぶ会)は、1961年に
株式会社イエローハットの前身“ローヤル”を創業。
1975年に直営1号店“イエローハット宇都宮南店”を開設。
1993年には電子部品製作会社の田中義人代表と共に
第1回“掃除に学ぶ会”を開催。

そして1997年にはイエローハットは東証一部に上場。
その後、店舗網を拡大し2025年には国内店舗数は749店舗に。

◆社名“イエローハット”の由来は、
通学時に児童がかぶる『黄色い帽子』。
モビリティ社会に携わる企業として、
人とクルマの心地よい共存関係と
すべての方へ“交通安全”を願う想いが込められているという。

この社名の由来だけを取り上げても、
鍵山相談役が事業を展開しながらも、
何を見据えて事業をしているのか、
その存在理由は何なのかを常に考えていたことがわかる。

↓ ↓ ↓

鍵山相談役が指摘するように、
“教養”とは、単に知識の多さや頭の良さではなく、
人に対する思いやりに基づくものなのだろう。

孟子の“教養のある人とは、思いやりのある人のことだ”は、
現代のように知識や資格の取得が重視される時代にこそ、
より意味を持つ言葉。

私たちはいつの間にか“人間力”の育成を
見落としてきたのかもしれない。
果たして、人間力はどう育めばいいのだろう。
古稀になってもまだ答えを持っていないのだが…


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先を見据えた鍵山相談役の言葉

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11/04
2025

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“余計なこと”を言わない・しない! 七十にして、心の欲するところに従うと危うい?!

先にも論語の
『子曰く、吾れ 十有五にして学に志す。
三十にして立つ。 四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。
七十にして心の欲するところに従って、 矩(のり)を踰えず』
を紹介し、私が古稀を迎えたこともあり
”七十にして 矩をこえず”について発信したが…

このところ70歳を超えた者として心がけているのは、
若い人たちに“余計なこと”を言わない・しないということ。

“七十歳にして、矩を超えない”
自分の欲望にも正直でありながら、
自然と倫理観に基づいた行動ができる状態?!

すなわち、長年の経験と知恵により、
無理なく正しい判断を下し、
徳を表す行いが自然にできるようになるのだと。

えっ?!欲望に正直にして倫理観?!…これは難しい!
これは孔子の時代の価値観であり、この実践はかなり高度なもの。

そこで中島流では…
大きな変化が伴うこの時代にあっては、
若い人たちに“余計なこと”を言わない・しないがテーマ。


【“余計なことを言わない”を実践してみた?!】

私が創業した会社の経営で
“余計なことを言わない”を実践してみたのだ。
約10年前に経営を30代前半の社内の者に任せたわけだが…

このコロナ禍もあり、アドバイスの少ない経営は
大変だったと思うが、その渦中でのさまざまな発想、決断が、
その後にいいカタチで反映したように思えるのだ。
(山田社長ご苦労さまでした!)

もちろん試行錯誤を繰り返したと思うが、
結果として自分たちでその先を見据え、
責任を持って経営してくれるようになったということ。

あと10年もすると(2035年)
ミレニアル世代、Z世代、α世代中心の社会が…
いや、Z世代、α世代中心の社会かも?!
彼ら彼女らの方が当然“未来”に近く、
その未来のためにも責任を持ってくれるはず?!

「余計なこと」すなわち
“お節介” “差し出がましい” “余計なお世話”

文脈によっては、
“出過ぎたこと” “蛇足” “無駄なこと” “ありがた迷惑”である。

これらに当たることを口にしないことが、
少々の失敗があったとしても
今後に対して責任を持ってくれる理由となるのだ。


【“余計なことを言わない”には、忍耐力が必要!】

実は歳取ってくると、意味ある経験、不要な経験含め、
さまざまな経験が蓄積される。
思わず必要・不要にかかわらず、
ここまで来れたことを正当化し、偉そうに語ってしまう。
時代背景も環境も違うのに、無責任に語ってしまうわけだ。

ということで、私は若い人たちに
“余計なことを言わない”を実践し、
若い世代にイニシアチブ(主導権)を渡してみた。
(もちろん大株主であっても…)

還暦を過ぎた私たち高齢者(まだ抵抗あるが…)が、
次世代に向けて重要な使命を果たすには、
“余計なこと”を言わない姿勢と“忍耐力”が必要となってくる。

彼らが下すさまざまな決断には、もちろん成功も失敗もある。
それによって試行錯誤しながらも、
やがて新しい時代をカタチづくってくれるはず?!

私たち高齢者は、自分の経験を活かしつつも、
若い世代の自主性を尊重することがポイント。
過度に介入せず、彼らの決断を信頼し、
対話を通じて支える姿勢が、
彼ら主体の時代をカタチづくるお手伝いとなるのだ。

結論として…
“七十にして、心の欲するところに従う”と危うい?!

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過度に介入しないのが大事

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