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目からウロコのおすすめ本

03/09
2026

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NEW

産業革命からAI革命へ! 『サピエンス全史』からのマクロ思考。

みなさんも一度は手にしたり、耳にしたことがあるだろう
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の名著『サピエンス全史』。
私が手にしたのは、7〜8年前だろうか?!
(途中で読むのを断念したような記憶が…)

この書籍の発信内容は、今なお私たちを揺さぶり続けている。
「国家、法律、貨幣、そして企業。
これらはすべて、現実に存在する実体ではなく、
私たちホモ・サピエンスが共有する
“虚構(フィクション)”に過ぎない」という指摘。

えっ!私たちが共有しているのは“フィクション(虚構)”?!
日本という“国”も、この1万円札という“貨幣”も
私たちが所属する“会社”も、すべてフィクションだという。

この“虚構(フィクション)”は、
決して“嘘”や“絵空事”を意味しない。
見知らぬ者同士が、数億人規模で協力し、
文明を築くために不可欠な“共同主観的な物語”なのだと。

1万円札に価値があると信じること、
法律という見えないルールに従うこと。
これら全員が信じ込む物語の力こそが、
人類を“地上最強の生物”へと押し上げたのだというのだ。
→確かに宇宙人にとっては、地球上でしか通用しない
貨幣も法律も、国の違いも何も意味をなさないのは確か。

そしてこのフィクションの中で暮らし繁栄してきた私たちは今、
産業革命以来、あるいはそれ以上の
巨大な“新たな虚構”の入り口に立っているのかもしれない。

【AIの存在は、“新たな虚構”の始まり?!】

この“AI革命”は、産業革命という“物語”のアップデート!
歴史を振り返れば、約250年前の産業革命もまた、 
人類が共有する“物語”の巨大な書き換え作業だった。
それまでの農業中心の社会における“土地と神の物語”から、
人類は“成長と資本の物語”へと移行した。
私たちが日々当たり前のように所属している“会社”という存在も、
この時期に強固になったフィクションの一つだ。
一見実体があるようでない“法人”が、
法律という物語の中で人間と同等の権利を持ち
私たちはその元で見知らぬ誰かと連携し経済活動を行っている。

産業革命は、蒸気機関というテクノロジーの革新であると同時に、
“市場経済”や“企業”という、より複雑で強力なフィクションを
根づかせるプロセスでもあった。
私たちはこの200年余り、
この物語の上で繁栄を享受してきたのだ。

では、現在進行形の“AI革命”は何が違うのか。
産業革命が人間の“筋肉”を機械に置き換えたのに対し、
AI革命は、“知性”と“言語”の外部置き換え展開。
これは、これまでの変革とは次元が異なる衝撃だ。

【AIという“デジタル知性”は、新たなステージへ!】

これまでサピエンスの特権だった“物語を紡ぐ力”を
今や“生成AI”は、人間以上の速度と精度で
新たなステージを生みだそうとしているのだ。
“AIの予測”“AIの推奨”が、私たちにとって
強力で新しい社会の基盤となる可能性もある。
AIは、企業や貨幣といった既存の虚構の上に、
さらに“デジタル知性”という層を積み上げ、
新たな虚構をクリエイトしようとしているのかもしれない。

↓ ↓ ↓

物語の作者であり続けるためには、ハラリ氏の言う通り
虚構こそが現実を動かす力と捉えて…
私たち人間は、AIという強力な物語の語り手に対し、
その物語の“作者”としての主導権を、決して渡してはならないのだ。
2040年に向け、どのような未来を共有するのか、
その決定権は私たちの創造力にかかっている……と思いたい。

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すべては“虚構”なのか?

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シナジースペシャル

03/09
2026

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なぜドンキに“剥けるバナナパン”が必要だったのか?

ある会社の“ボディビルイベント”への飛び入り参加オファーが…
そこで、程よい覆面を探して“ドンキ”に向かうことに。
(誰か判らないようにして、そのボディを披露しようと…)
そして、程よい覆面に出会うことができたのだ。

そう“ドン・キホーテ”といえば“魔境”。
迷路のような店内に、見たこともない珍品や
怪しげなパーティグッズが所狭しと並ぶ。
そこには、“何があるかわからない”という高揚感と、
“これを買ったら面白いかも”という宝探しのような体験があった。
この独自性こそが、若者を熱狂させ、
小売業界の異端児としての地位に押し上げた原動力だった。
当時、私の世代の生活者からすると、
なぜ若者に支持されるのか理解できなかったわけだ。
→創業者が1978年に東京で始めたお店は、
狭いお店だったこともあり“圧縮陳列”で注目されていた。

しかし、企業規模が拡大し、食品スーパーとしての
機能を強めるにつれ、売り場には誰もが知るナショナルブランドや
安くて無難な商品が増えていった。
それは売上の安定には寄与するが、
同時に“どこにでもある店”への同質化を招くことに。
→うんうん、いわゆる“優等生化”である。

【そこで投入された“剥けるバナナパン”!】

多くの企業が成長の過程で陥るこの罠に、
ドンキ自身が強い危機感を抱き、
自ら“待った”をかけた点が非常に興味深い。
彼らにとっての存在理由、すなわちレーゾンデートルは、
“便利さ”ではなく“驚き”にあったからだ。
そこである部署から投入されたのが、まるで本物のバナナのように
皮(生地)を剥いて食べられる“バナナパン”。

この事例の注目に値するところは、
本部主導の論理的なマーケティングではなく、
個人のSNSリサーチと直感(目利き)が出発点だったこと。
“映える”“体験が面白い”という感覚的な価値を信じ、
物流コストの壁を突破し、試せる価格”に着地させた。
これは、巨大組織が失いがちな“個の裁量”と“スピード感”を
意図的に復活させた好例といえる。

“バナナパン”の皮を剥くという一見無意味な遊び心こそが、
合理性や効率性を追求する優等生的な商品開発からは
決して生まれない“感情のスパイス”となる。
TikTokをはじめとするSNSでの多くの拡散は、
まさに生活者が“ドンキ”に求めていたものが、
整然と並ぶ棚の隙間にある“ワクワク感”であったことを
雄弁に物語っている。

【“魔境”への回帰?!が、未来を拓く!】

私が先日訪れた“ドンキ”の1階は、その当時とは違い
弁当やお惣菜含め多くの食料品がずら〜と並んでいたのだ。
食品を扱い、幅広い客層を受け入れることは、
企業の成長にとって不可欠な選択であったのだろう。
しかし、それによって本来の強みである
“毒気”や“尖り”まで失っては元も子もない。
今回の“バナナパン”の成功は、効率化された売り場の中に、
意図的に“非効率な面白さ”を混ぜ込むことの重要性を
再確認させてくれたのだ。

ドンキが再び目指すのは、優等生的な
スーパーマーケットではないはず?!
便利な日用品の横に、思わず笑ってしまうような
謎の商品が並んでいるあの驚きの空間。
“ドンキ”は今後も若者を引きつけ、
独自のポジションを走り続けて欲しい!

さて、私たちも、今に生きるのは重要だが、
忘れてはいけない“レーゾンデートル”を改めて押さえておきたい。

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バナナそっくりのパン

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