06/24
2024
「益はなくとも、意味がある」 久しぶりの260人による“トイレ掃除大会”
先日“東京都立駒場高等学校”に260人の掃除人が集合し
久々にトイレ掃除に臨んだ。
「やっぱり、掃除の後はスッキリしますね!」
「みんなでやるトイレ掃除が楽しい!」
「久々に掃除人のみんなにお会いできてよかったです」
「いろいろな段取りがしっかりされているところが
“掃除に学ぶ会”らしくていい」
掃除に参加した人たちの声がいろいろと聞こえてくる。
たまたま私の16班にはこの駒場高等学校の生徒会長も
参加してくれていて、一緒に中央玄関を掃除したわけだが
「毎日使っている玄関がこんなに汚れていたとは?!
お陰さまで清々しい空気の玄関となりました」
というコメントを発表してくれた。
今回は“関東ブロック大会”ということで、
関東の人たちが中心だったのだが、北は岩手県からも
西は福岡県からも参加してくれていた。
もちろん、みなさん手弁当で集まってくれているのだ。
(素晴らしい!)
まさに鍵山秀三郎相談役が度々口にする
「益はなくても、意味がある」ということを
みなさんしっかり理解して参加してくれているということ。
実は2020年のコロナウィルスによるパンデミックから、
多くの人たちが集合し掃除に取り組むことも、
学校のトイレをその会場として借りることも難しく、
この4年間は大きな大会は開催されていなかったわけだ。
ということもあり、260人が全国から集まっての
久々の“トイレ掃除大会”となった。
2023年“日本を美しくする会”は、30周年を迎え、
450人余の記念イベントは開催できたが、
“トイレ掃除大会”を開催することはできていなかったということ。
【「益はなくとも、意味がある」ことの重要性!】
ここで改めて「益はなくとも、意味がある」に注目。
我らが鍵山秀三郎相談役が度々口にする言葉。
紀元前500年くらいに中国の春秋時代・斉の宰相
“晏嬰(あんえい)”が活躍する頃の話。
私は鍵山相談役から薦められた宮城谷昌光著の『晏子』で
その言葉の意味を確認した。
強国“晋”を中心に大小いくつもの国が乱立した古代中国春秋期。
このままでは大国に飲み込まれてしまう状況下、
ある戦いにおいて小国は先頭に立ち戦いを挑む。
すると大国たちは、その怯むことのない戦い方に触れ、
その小国の存在を認めたという。
無益なことは、必ずしも無意味ではない。
虚しいと思われることに、真剣に取り組むことによって
かえってその人の純粋さが伝わることがある。
すなわち「益はなくとも、意味がある」ことの重要性を
私たちに教えてくれている。
↓ ↓ ↓
近ごろは、見返りが保証されないことは
チャレンジしないという価値観の人たちが多くなったような…
益がなければ取り組む意味はないという発想である。
実は私たちのビジネスにおいては
「益はなくとも、意味がある」ことは多くある。
このところ語っている“人と文化の資本経営”も
直接的に会社の収益にはつながらないが、
長い目で見ると“企業文化づくり”であり“人づくり”に貢献し、
ひいては自社だけではなく地域社会の発展にも貢献するということ。
もしかしたら、これからの令和の時代こそ
“意味がある”ことが重要なのかもしれない。
とにかく、公共の掃除に関わることは、
その場が綺麗になるだけでなく、自分を磨くためにも、
人との連体感をつくるためにも“意味あること”なのだろう。