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04/11
2016

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中島流・プロセス主義の証!

ワイナリー構想を打ち出してから
はや1年以上が過ぎ、振り返って思う。
それは、全てのプロセスは必然だったということだ。

なぜ今、私がそんなことを感じたのか。
それは…。

1955年、北海道の十勝・帯広で生まれた私は、
出戻る母に連れられて日高山脈のふもと、
祖母の家である芽室町の農家で育った。
子牛の脱脂粉乳やり、畑の草取り・収穫など、
私の幼少期の記憶はすべて農業にまつわるものだ。
里山に囲まれながら、18歳で高校を卒業するまで、
私は芽室町で生活してきた。

高校卒業後は愛知県立芸術大学を受験したものの、
何の準備もしていなかった事もあり案の定うまくいかず、
東京の専門学校へ通うことになった。
ここで北海道を離れることに。
その後は何社か勤めるものの、
そのまま続けたいと思える会社に残念ながら出会えなかった。

そこで、1982年に自ら企画制作会社を立ち上げたのだ。
それから33年後の2015年、
今度は東京ではなく出身地・北海道の十勝に
「十勝里山デザイン研究所」を設立し、
ワイナリー構想を展開することになった。
私はふたたび、北海道の里山と向き合うことになったのである。

歩んできた人生のプロセスが少しでも違っていれば、
今回の決断には至っていなかっただろう。
経営コンサルタントの船井幸雄氏の言葉に
「この世で起きることはすべて必然・必要です」というものがある。

帯広で育つはずが、母の出戻りで芽室町の里山で日々を過ごしたこと。
志望する愛知芸大に落ち、東京の専門学校へ進学したこと。
会社をいくつか変えるなかで出会いに恵まれ、
クリエイターでありながらも経営者への道を選んだこと。
そして、興味のあった経営コンサルタントとしても活動することで、
経営のノウハウを身につけられたこと。

もし私が里山で育たず、あるいは北海道に居続けていたら、
里山でのワイナリー構想には当然辿りつかなかっただろう。
すべてはここへ行き着くための
プロセスだったのでは? と思えてならない。

そしてここからが、中島流・プロセス主義。
今起こっていることはすべて“プロセス”であると捉えるのだ。
幸も不幸も、禍も福も、実はすべてに次へ繋げるための役割があり、
次のチャレンジのためのプロセスとなっている。
目の前の困難も、未来へのプロセスだと捉えることで、
ここで何かを学べばいい、ここで気付きを得て
次へのヒントとなればいいと受け止めることが出来るはず。

まさにすべてが必然! そう考えるだけで、景色は違ってくる。
私にとって、再び里山へ向き合うこのワイナリー構想は、
“中島流・プロセス主義の証”なのだ。

とはいえ私はまだ60代になったばかり。
まだまだ歩いていくこの道も、
何かのプロセスになっていくのだろう。

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芽室町の里山で育った

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美しい雪景色

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厳しい冬の寒さ

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若き日の私

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