10/30
2017
“音”へのデリカシーが欲しい!?
このところ、
「デリカシーのない世の中になってきたなぁ」
と感じる出来事が続いている。
ある日、私がいつも仕事をしに行くカフェでのこと。
ガッシャーン!と食器を落とす音が!!
その音に店内の全員が驚き、手を止め、店内はシーンとなった。
しかし、落とした店員はマニュアル通りの
「失礼しましたー」だけでさほど気にしていない様子…。
思わず食器を落としてしまうことはあると思うが、
このカフェの場合その頻度が多いのである。
お客さまのために、
騒音をさせないぞという意識があまり強くないのだろう。
この問題は店員だけではない。
若い女性客の話し声と笑い声はまるで居酒屋状態。
そしてその話の内容もたいして中身がないからよりムッとする。
(ついつい聞いちゃうんだよねえ~)
こんな出来事を経て、
世の中のモラルやマナーにおいて
「行動や視覚だけでなく、音へのデリカシー
“サウンドデリカシー”も重要なことだ」と感じたのだ。
そもそも、ここまで音への配慮がなくなったのはいつからだろう。
ウォークマンが登場して、
自分だけの音の世界を持つようになってからだろうか。
周囲の音をシャットダウンすると同時に、
周囲に対する自分の振る舞いへの意識も、薄らいできたのかもしれない。
新宿調理師専門学校の上神田校長がおっしゃっていた
「胃袋には身体を養う胃袋と心を養う胃袋の2つがある。
心の胃袋が満たされないままだと人への思いやりに欠けてしまう」
という話にも繋がってくる。
今の若い人たちが配慮に欠けた行動をしてしまうのは
親の躾もあるだろうが、
そもそも自分自身の心が満たされる体験が
少なかったからなのかもしれない。
私たちが経済優先、ビジネス優先の時代を築いてきたことが、
「今だけ、自分だけ、お金だけ」という現代の風潮を作ってしまった。
その一つの象徴的現象が、
今回の“サウンドデリカシー”なのかもしれない。
多くの人たちは、それほど気にしてない“音”かもしれないが、
私はこの“音”に対する鈍感さであり、
デリカシーのなさが、
今後の社会問題の“黄色信号”に思えてならないのだ。
一度広まってしまった風潮を抑えようとするのは
エネルギーが必要だが、それは私たちの責任でもある。
若い人たちへきちんと発信をして、手間をかけ向き合って行くしかない。
そう、心の胃袋を満たす体験を
少しずつ作っていくということなのかもしれない。
とにかく言葉で“NO”を投げかけるだけでなく、
背中で見せて行くしかないのだ。
そうしないと孫子の代には、もっと日本の社会も乱れてしまう。