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2020
伝えられてきた「てんでんこ」の教え
2011年3月11日から早10年になる。
今回、大里綜合管理の野老会長他2名の合計4名で
東日本大震災の被災地と原子力災害地を視察してきた。
車で常磐道を北上し、茨城県を越し、福島県に入り
原子力災害地に立ち寄り、さらに北上して三陸海岸の町々を
訪問したのだ。
まず、福島県に入ると、マイクロシーベルト数値を示す
掲示板があちこちに据えられていた。
大熊町(おおくままち)、双葉町(ふたばまち)、
浪江町(なみえまち)、南相馬市と通ったのだが、
その数値は町により違いが大きく、原子力発電所のあった
大熊町の数値はやはり高かった。
もとは田んぼだったはずのところは、セイタカアワダチソウと
ススキが生い茂り、田んぼも畑もその跡形すらなくなっていた。
除染作業がいまだに続いていて、クレーン、トラックが
あちこちで行き来している。
各住宅に入る道にはフェンスが設けられていて、まるで、
その家主含め“誰も入ってはならない!”と強調しているようだ。
そして宮城県に入り、
名取市、仙台市を通り、石巻市へと入った。
ここから三陸海岸となるのだが、石巻市には
あの“大川小学校”の震災遺構がある。
全校児童108名中、74名が犠牲となり、
教職員も10名が津波で命を奪われた。
大川小学校の
「大川小にお越しの皆様へ」という
A4三つ折りのパンフレットには
「失われた輝きを伝えるのは、時間が経つほどに
難しくなりますがとても大切なことでもあります。
慰霊も検証も防災もそこが始まりです。
伝え続けることで、思い出も命も輝き続けると思います」
とあった。
このメッセージが心に刺さる。
さらに、三陸海岸を北上して行ったのだが・・・、
とにかく、海が見えない。
新たに築かれた7~10メートルに及ぶコンクリートの
防波堤により、町に降りても海が見えないのだ。
あの三陸海岸の町は美しいリアス式海岸が
ウリだったはずなのだが・・・。
そしてタイトルにある“てんでんこ”とは、
“各自で”という意味。
津波被害を何度も受けてきた三陸海岸には、
“津波てんでんこ”という災害教訓があるという。
この意味は、“津波が来たら、周りも気にせずに
てんでんばらばらにそれぞれが逃げなさい“ということ。
昔から繰り返し伝えられている言葉だという。
そのお陰で岩手県では多くの命が犠牲にならずに
済んだのだと。
この教えを、“津波の時だけはてんでんこ”と
中島流に解釈してみた。
自分の命の危機には、とにかく自分の命を守りなさい。
でもそれ以外は、人のこと、みんなのこと、をしっかり
考えなさいと解釈。
すなわち、大きな危機以外は、
人は地域や社会のための貢献を考え、
“企業は社会の公器”となるべき“だと。
震災地を訪問し、私たちにできることは何か。
大震災から何を学びどう未来に反映させていくのかを
投げかけられたわけだ。
“震災から10年”、是非この機会にみなさんも被災地を訪問し、
その現状を見てもらいたい。
どう受け止め、どうアクションするかは貴方次第!