11/09
2020
【あの石巻も南三陸も気仙沼も陸前高田も 海の見えない街になっていた!?】その①
ある女性社長を含む数人で、プリウスにて常磐道を北上。
もちろん、あの原子力災害の大熊町も双葉町も浪江町も、
そして、津波災害の爪跡を大きく残す三陸の街々も。
あれから10年経とうとしてるわけだが、
まだまだ、街の復興は途上。
どの街でもブルドーザーやクレーンなどの土木機械が
盛んに動き回っていた。
震災の受けた街々には、さまざまな“震災遺構”があり、
そのリアリティをそのままに、
そして写真や動画も含めて残されていた。
(お~10年前がフラッシュバックする)
そして、あの海で栄えた街たちは
“海の見えない街”と化していたのだ。
石巻も、南三陸も、気仙沼も、陸前高田も。
そう、海は高い防波堤に覆われていたのだ。
川の河口も数百メートルに渡りコンクリート水路と化していた。
え~、本当にこれでいいのだろうか?
そう言えば、ある知事が震災後、
“高い堤防を造る”と断言していた記憶が!?
任期の短い政治家は、自分の存在価値を高めようと
深く考えず推し進めるわけだ。
車で走っていると海はほとんど見えない。
街に降りてももちろん海は見えない。
これって美しい三陸海岸の街であり、漁師の街としては
どうなんだろう。
そしてこれら震災を受けた街々は、
当然だが被害の及ばないだろう地域に
セットバックしているというのに。
そしてそしてだ…
こんな大きな津波の可能性は数百年に一度。
これらコンクリート堤防の耐久性は何と約50年だという。
えっ!何かがズレている気がするのは私だけだろうか!?
(②に続く)