10/05
2015
300年の功績より、17年の匠
「天が万物に与えている楽しみは
まことにはかり知れない面白さに満ちている。
ここに何ひとつ不足しているものもない」
“見性悟道(けんしょうごどう)”の
境地とはこういうことか…
(まぁ~言い換えれば悟りの境地ってことだけど)
さすが石田梅岩先生。
この世は一片の過剰もなければ、
不足もないと説いているわけで、
約300年前に生物多様性も含め、
私たちの存在意義をも
語ってくれていたということ。
<それにしても、ふく英(はな)さんの
笑顔が思い出される…>
ただし、梅岩先生は“正直”“勤勉”“倹約”
の実践が条件ですよ~と言いたかったのだろう。
今回の石田梅岩先生の歩みを辿っての
京都視察ツアーは、非常に中身の濃いツアーだった。
関係の深い「半兵衛麸」さんを訪ね、
「都鄙問答(とひもんどう)」の原本を見、
そして、半兵衛麸さんの家訓でもある
「先義後利=義を先にして、
利を後とする者は栄える」の掛け軸を
改めて確認させてもらった。
<とにかく、ふく英さんは誰にも優しかった…>
清水寺に近いところの「石田勘平之墓」を
訪ね、そして梅岩先生の最初の講席跡も。
二日目には京都亀岡市の生家にも
お邪魔し、その血筋を持つ
“石田二郎(いしだ・にろう)氏”の
お話も聴かせてもらった。
<ふく英さんは、おじさんたちとも
笑顔でうたってくれる…>
もう「石門心学・実践講座」は25回目、
すなわち2年半を迎えようとしているが、
今回の京都視察ツアーで、改めて石田梅岩先生の
功績を確認することができた。
その当時、何の後ろ盾もない梅岩先生が44歳で
商家の番頭を辞め、無料の講席を開くということは、
どういうことだったのか…
いろいろと考えさせられる機会となった。
なのになのにだ。
これ程、私は梅岩先生に
しっかり触れたいと思っているのに…
今回の一番の記憶はなんと舞妓の
“ふく英さん”。
梅岩先生の講席跡でも、石田勘平之墓でも、
亀岡の生家でもなく、揺れる簪(かんざし)と
あどけなさの残る笑顔のふく英さんなのだ。
17歳とは言え、そのお客様対応の
素晴らしさに驚嘆してしまったと
言っていいだろう。
これぞ日本の「お・も・て・な・し」
なのではと思ったほど。
梅岩先生、すみませんでした。
まるで梅岩先生をダシに使って、
茶屋遊びを楽しんできてしまったような…
実は茶屋遊びは、今回が初めてでは
なかったのだが、とにかくふく英さんの
笑顔とそのツボを心得たアイコンタクトには
恐れ入ってしまった。
いっしょに行ったおじさん方も
目尻は下がりっぱなし。
300年の功績より、17年の匠に心を奪われてしまった次第。
まさに、天が万物に与えている楽しみは
まことにはかり知れない面白さに満ちている…
うんうん、梅岩先生、おっしゃる通りです。