10/11
2016
現代の坂本龍馬はいずこに!
高知行きに乗ったのだが、着いた空港は「高知龍馬空港」。
(いつの間に空港名に龍馬がついたのだろうか)
飛行機を降り、ロビーに出ると、そこには龍馬が腕を懐に入れていた。
その龍馬像のバックには波まで用意されていたのだ。
さすが、土佐の高知。
そこからバスに乗り、高知駅へ。
うわ~スゲ~! 駅前には、とにかく大きな銅像が3体も。
頭の上までは、優に10メートルはあるだろう銅像が堂々と並ぶ。
もちろん龍馬はいるだろうが(!?)
あとはどんな顔ぶれが並ぶのか!?
その3体の銅像の前に回ってみると…
ふむふむ、まさにその時代の土佐の勤皇の志士たちだ。
左は武市半平太(たけちはんぺいた)、
右は中岡慎太郎像。
(そう、土佐の人たちだった)
そして中央はもちろん、坂本龍馬像ということ。
やっぱり高知は坂本さん一色!…と思いきや、駅の中には、
「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし、
買うを見~た、よさこ~い、よさこ~い」
と口ずさみたくなる播磨屋橋の縮小版があったのだ。
まち中にある竹林寺の僧と美しい娘との“道ならぬ恋”
の物語が元になっているという。
いつの世も、“道ならぬ恋”は存在するということ。
(はっはっはっ、私には恋の話は似合わないか…)
話を龍馬に戻すが、私がよく知っている龍馬の言葉といえば、
「今一度日本を洗濯致し候」だ。
この言葉にはどんな思いがあったのか?
ここで日本をどうにかしなければと思い、
土佐を脱藩してまで立ち上がったわけだから、
いろいろな思いが交錯しての言葉だったのだろう。
わかり易く言えば、その時代の日本国にうごめく
さまざまな“しがらみ”を一掃したい、
今風に言えばリセットしたかったということ。
その結果、大政奉還を迎え、
日本国はある意味“洗濯”されたと言ってもいいだろう。
(残念ながら、龍馬はその姿を見ることはできなかったが…)
とにかく、坂本龍馬は日本国のことを思い、
立ち上がり行動に移したわけだ。
こんな人物がいない限り、なかなか世の中は動かない。
あれから、150年経つわけだが、その途中(中ほど)、
太平洋戦争で負けたことによってもう一度、洗濯を余儀なくされたわけだ。
例の中島流の「パラダイムシフト75」なわけであるが…。
(いろんな理由でパラダイムは転換するわけだ)
龍馬の洗濯からちょうど150年経つ今は、
やっぱり日本を洗濯したいわけである。
(いや世界を洗濯したいかもしれない)
何につけても約75年くらい経つと、いろいろな“しがらみ”ができ、
バランスの悪い社会になってくるということだろう。
これは、この世の“原理”と言ってもいいのかもしれない。
さて、今回は、どんなカタチで洗濯されるのやら…。
この時代の坂本龍馬はどこからやって来るのか!?
ところで、現代の坂本龍馬は、
堂々とかんざしをいくつも買うんだろうねぇ~。