07/29
2013
「守る」は、弱体化を招く
最近のニュースを見ていると、
日本の産業の30~40年の経過は、
企業・業界の「守り」の姿勢が目立ってきたように思える。
「守り」とは、保証や制度に
甘んじることによって生まれた惰性のこと。
例として、何度か講演をさせて頂いていた、自動車整備業界。
以前は町でよく見かけた町の自動車整備工場も
だんだんとその数を減らしていっているという。
それも、車検制度によって仕事は定期的に向こうから来てくれる、
という「守られている」状態に甘んじ、弱体化してしまったからだ。
サービス向上など、お客さまから選ばれる努力を
怠ってしまったことが弱体化を招いたひとつの要因だろう。
このように、制度や権利に守られている企業は、
現状維持するための「守りの姿勢」になり、
サービスや技術向上の追求や研究をしなくなる。
ある経営者が、「今は厳しい、いわば冬の時代だ。
業界の先行きを静かに見守る時だろう」と。
そして、新たなチャレンジをほとんどしない体勢を、
「守り」の姿勢へ移行した。
だが、この体制は現場の新しい情報も入らず、
新しいことをするために必要な出会いも生まれないことに。
結果、この企業は破綻の一途をたどることとなってしまったのだ。
このように「守り」とは、
新しいことへのチャレンジをしなくなることでもある。
だが、新しいことへチャレンジし続けることが、
企業を維持することにつながるのだ。
最近で言えば、TPP導入に反対している日本の農家。
減反政策による補助金をアテにし始めると、
その状態に甘んじ、結果として追求心が低下することに。
そして良い農作物が作れなくなると共に後継者も育たないことに。
我々の日常に欠かせない電気を供給している、
日本の電力会社はどうだろう。
実は日本の電気料金は、アメリカの約2倍の高さだという。
その割にはコスト安を求め、
安全性の面での問題を多く抱えている
原子力発電を優先してきたのだ。
そしてそれをいま、守ろうとしている。
とにかく“守る”は人々を足踏みさせ、
企業的にも人間的にも弱体化を招くのだ。
新しいことへ常にチャレンジし続け、
サービス向上や、社会性の是非を考えることができることこそ、
これからの社会で生き残るためには必然の活動なのだろう。
“守り”の姿勢では生き抜けないのだ!