これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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はなまるア・ラ・カルト

09/18
2018

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サン・セバスチャンから十勝美食ツアーへ

『人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか』
こんなタイトルの本を手に、
スペインのサン・セバスチャン&バルセロナツアーを開催したわけだが…。
この度、このツアーの参加者たちで
北海道の十勝、帯広に集まり、
美食ツアーを楽しんだのだ。

実は今回のサン・セバスチャンツアーで、私はひそかに
「十勝を世界一の美食の街サン・セバスチャンに
対抗できる街にしたい」というテーマを持っていた。
サン・セバスチャンが美食の街と呼ばれるのには、
当然理由がある。

豊かな山や海の産物があり、昔ながらの伝統料理がある。
そこに、フランス帰りの熟練した若いシェフたちがやってきて、
サン・セバスチャンの料理の変革に、
オープンソースで
(つまり、レシピを公開しながら)取り組んだのだ。
こうしてサン・セバスチャンは
三ツ星レストランや世界でベスト10 に入ると言われている店が
多く集まる美食の街となったのだ。

十勝の帯広には、
地元の食材を美味しく食べさせてくれる屋台村「北の屋台」がある。
そして今回のサン・セバスチャンツアーには
屋台村で評判のお店プチ・プレジールのオーナーをはじめ、
屋台村を愛するお客さんが数多く参加していた。

そんなメンバーと、十勝を次なるステージへ
引き上げるための“飲み食い会合”をしてきたわけである。
十勝帯広の人口も17万人(サン・セバスチャンと変わらない)。
豊かな海や山の幸(農産物)という
十分すぎる素材も持っている。
サン・セバスチャンに学ばない手はないだろう。

十勝出身の料理人たちが集まり、地元のさまざまな食材を活かし
オープンソース的価値観で切磋琢磨すれば、
必ずや新しい可能性が生まれるに違いない。
それら料理人達のチャレンジを知れば
今度は十勝の農家の皆さんも、
さらに良い食材をつくって行こうと
取り組んでくれるに違いないのだ。

そうすれば、その評判が、
さらにこの十勝へお客様と料理人を呼び寄せることになり…と、
良い循環がめぐり、
十勝の“美食の街”としてのブランディングがなされて行くに違いない!
(うんうん)
そんな、10 年後、20 年後へ向けた
十勝の次なるチャレンジを感じさせる美食ツアーとなったのだった!

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『人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか』

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頼もしいメンバー!

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おいしかったなあ

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はなまるア・ラ・カルト

09/03
2018

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大人の漫画、百花繚乱

滅多に雑誌を買わない私が、
先日つい買ってしまったのが『サライ』の9月号。
(“衝動買い”いや一目買いと言おうか…)

というのも、表紙には
“名キャラクターはこうして生まれた
 「漫画」今こそ読みたい名作30”
と銘打たれていたのだ!
さらに『カムイ外伝』や『ゴルゴ13』など、
懐かしい漫画の主人公が表紙を飾っていた。

『ゴルゴ13』などの漫画が掲載されていた
『ビッグコミック』は、今年で創刊50年。
『サライ』と同じ小学館から出版されているため
今回の特集を組むことになったのだろう。

この『サライ』に掲載されていたのは、
まさに名作といわれる大人の漫画ばかり。
私も白土三平先生の『カムイ伝』22巻を
3日間夢中で一挙に読んだものである…(^-^;

私は小説も漫画もよく読むが、
それぞれに別のよさがあると感じている。
小説が言葉や概念の世界だとしたら、
漫画は絵の表情や動きで、感覚の世界を魅せてくれる。
すなわち、より私たちに近いリアリティさを
感じさせてもらえるものなのだ。

つまり、漫画は日本が世界に誇るすばらしい文化だといえる!
とはいえ著名な漫画家、故・手塚治虫先生ですら
今年でようやく生誕90年なんだとか。
20歳で漫画を描き始めたと計算しても
(実際はもっと早かったとは思うが…)
まだ70年しか経っていない。

中島流の75年周期で考えれば、
黄金時代の漫画家が去って行く中、
今が次なる漫画時代への過渡期なのではないか!?
日本ならではの文化を創ってきた漫画家から、
次なる世代の漫画家へ移り変わっていく…。

ペーパーからスマホの漫画に変わるだけでも、
描く側・見る側ともに世代交代していく。
この過渡期はこれまでの名作、そして次なる
世代の注目の漫画が交差する時なのだ。
そう考えると、新しい日本文化としての
75年が楽しみだこと!
(あっ、確認できない可能性も…!?)

これはまさに、百花繚乱といってよいだろう。
今まで様々な漫画が生みだされてきたが、
これから本当の日本文化として、どのように変化していくのだろうか。

漫画は子どもの見るもの、とされて来たが
そこでしか得られないものもたくさんある。
みなさんもぜひ、百花繚乱の日本の文化を
その身をもって感じてみてほしい!

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名作漫画に引き寄せられ、つい衝動買い!

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はなまるア・ラ・カルト

08/20
2018

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ブランディングへ「ハレの日」活用

先日のビジ達でもご紹介した、
浜松市で建材販売会社を60年展開する「株式会社原川」。
60年を振り返り、100年に向けた運営姿勢を発信する
オープニングビデオを製作させていただいたのだが…。

当日このイベントに参加し、
社員の人達の反応を見て感じたことがあった。

地域や業界を代表する取引先の人たちが
自社の周年イベントに全国から集まっている光景を見る。
(250人近くの人たちが集まってくれていた)
それだけでも、自社が多くの人に関わり、
注目される会社だということに
改めて社員の人たちが気付くことになる。
これは、社員の人たちの帰属意識の高揚にもつながるだろう。
そう、重要なのは自社への誇りであり、帰属意識なのである。

いままさに、東京上野で55年間お店を展開する
会社のビデオを製作しているわけだが…。
私はここでも、社員の人たち全員を
ビデオに登場させることにした。
それは…

自社への帰属意識とブランディングに対する意識を
社員一人ひとりに持ってもらうためだ。

どうあればこれからも自社は存続するのか、
どんなサービスを展開すれば、
多くの人たちが選んでくれるのか、
どんな関係を築けば、大切に取引してくれるのか…。
そう、記念の節目(ハレの日)を
全社員が会社の未来について考える
きっかけにしたいと考えたのだ。

ブランディングというのは
つい外に向けるものと考えがち。
ところが、社員を巻き込み、共感や信頼などを育てていくことで
社員自身もそのブランドを
意識した行動をとることにつながり、
ひいてはその価値を高めていくのである。

時代の流れやトレンドによって、
生活者のニーズや社会の情勢は変わっていく。
その中で、当然企業のブランドは新陳代謝を余儀なくされるわけで、
そこで働く人たちが、自社ブランドを理解しながら
時代にあった価値を追求していこう心構えは
これからの時代、必ずや必要になってくるということ。

そして周年イベントといった「ハレの日」は
そのきっかけづくりに最適ではないか。

ブランドの新陳代謝のためにも、
ハレの日をブランディングに活用していこう!

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株式会社原川の周年イベントの様子!

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ハレの日をブランディングに有効活用!

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はなまるア・ラ・カルト

06/18
2018

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あれから7年、復活の塩竈

宮城県仙台市から30分ほどのところにある、塩竈市。

今回は、プラチナ会議のリトリート先として訪問した。

皆さんお気づきのように、この塩竈、
私たちが普段使っている「釜」という字とは違い、
難しい表記をしている。
現地の小学校では4年生になるころにはみんなが書けるようになるという。
(竈という字にはこだわりがあるということ)

さて、あの震災から7年ということで、
地域の復興はどれくらい進んでいるのだろうか。
街中にある電柱には
「ここまで水がきました」という印が書いてあり、
この塩竈市内も3メートル近く浸水した形跡が残っていた。

塩竈という名前は、
海水を煮て塩を作る「竈」が海辺に数多くあったことが由来だという。
その塩竈港にも足を運んだが、
ちょうどマグロ漁船が到着したということで、
たくさんの新鮮なメバチマグロが水揚げされ、ずら~っと並んでいた。

この塩竈には、ほかにも色々な産業がある。
あの有名な日本酒、「浦霞」の醸造元もこの街にあるのだ。(しっかり酒蔵を見せてもらった)
また、今回のコーディネーター役でもある
三嶋社長が展開する、塩竈ならではの魚を加工する「ヤママサ」と、
とことんお茶にこだわる茶舗「矢部園」などを視察させてもらい、
そして塩竈港を起点に松島を回る遊覧船も体験させてもらった。
松島の美しい島々を見ていると、思わずあの歌が…
(♪松島のサーヨー瑞巌寺ほどのー)

とにかく大充実のリトリートとなったわけだが…、
やはり足を運ばないとわからないことが多いものだ。

塩竈はあらゆる産業が活発だとはいえ、
震災から7年経った今も、昔のような街の賑わいは、当然復活してはいない。

しかし、塩竈の方々は、すでに気持ちは復活し、
新たな“塩竈づくり”を展開しようと、さまざまな人たちが協力し行動していることが見て取れた。
塩竈には多くの人を惹きつけるための資源があることも理解できたのだ。
やっぱり、データだけではわからないものがたくさんあり、足を運ばないとねえ~。

今回のリトリートは、そんな塩竈の息吹を肌で感じるものだった。

(さあ、次はどこへ行こうかな~!)

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塩竈の海の幸がずらっと!

2

漁港に引き上げられたばかりだとか!

3

美味しい食事も堪能

4

茶舗園でこだわりのお茶をいただく

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はなまるア・ラ・カルト

06/11
2018

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樹齢80年のテンプラニーリョが語る

テンプラニーリョ…!?
(変わった名前だよねぇ~)
先日の海外研修で知ったこの名前。
スペイン語のはずが、どうしても
“てんぷら人形”と聞こえてしまう(^^;)

もちろん“てんぷら”のことではなく…
これは、スペインのリオハで育つ
ワインぶどうの品種名なのだ。

今回の研修では、リオハとナバーラ
2か所のワイナリーにお邪魔した。

私は今まで、ワインの木の寿命は
40~50年だと思っていた。しかし驚いたことに、
リオハのワイナリー「OBALO(オバロ)」にあった
ワインぶどうの木は、樹齢80年の“テンプラニーリョ”!
その年輪が想像できるくらい太く逞しい木だったのだ。

参加者のみなさんも、
“テンプラニーリョ”に壮大な歴史を感じ、
80年の木からとれるワインに興味津々。
試飲をさせてもらったが、本当に美味しかった!
(とはいえ、若い木のぶどうもブレンドされているわけだが…)

ナバーラのワイナリー「モンハルディン」には、
よく耳にするフランスの品種がズラリ!
「OBALO」の敷地50haに対し、
「モンハルディン」は約4倍の200haもの敷地を有していた。
(やはりスケールが違うんだよねぇ)

ところでスペインのリオハやナバーラが、
フランスに負けじとここまで注目のワインを
展開させることに成功したのはなぜなのか?

実は、19世紀前半フランスボルドーで
害虫フィロキセラが蔓延し、ぶどうの木が全滅してしまった。
そこで技術を残すため、ボルドーの人たちは
リオハやナバーラに可能性を見出し、
ワイナリー展開をしたという。

それによって、このスペイン北部でも
ヨーロッパの人たちが納得する
ワインづくりができるようになったのだ。
ワインぶどう作りには歴史があることを感じさせられるねぇ~!

みなさんご存知の通り、私も北海道十勝の芽室町で、
2015年からワインヴァレー構想に取り組んでいるわけで…。
まだ3年目だが、されど3年…。

どんな地域の“当たり前”も、
誰かが最初にチャレンジしていたわけで、
「誰かが植えて、そこから歴史は始まる」!
それを、改めてスペインの“てんぷら人形”から教えられたのである。

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.ずらりと並んだワインは壮観!

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さまざまな種類のワイン

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広大な敷地のワイナリーを見学

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天ぷら人形…ではない!

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