これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

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ビジネスの達人

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2015

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水屋からの学び

「今年最後の運試し、
年末ジャンボ大好評発売中です。
年末ジャンボは10億円、
年末ジャンボミニは7,000万円。
どちらも一口300円。
いよいよ残すところ2日と
期限が迫っております。
まだお求めでないお客様、
日銀のキャンペーンバーで
今年最後の運試しをご利用ください。
少しでも早くお買い求めしたいお客様は、
デパート入口の右手奥にございます…」

すご~い。有楽町マリオンの前から
何列かになってぐる~~っと人が
並んでいる。
1番窓口は何と4時間待ちだという。
(まぁ過去の実績からだと思うが…)
ラッキー7、7番の窓口は、
1時間30分待ちだと。

とにかく、すご~い数の人たちが
数寄屋橋交差点の西銀座デパートの
交番の辺にたむろしている状態。

いま日本に来て銀座を闊歩している
多くの海外の人からは、どう見えるのだろう。

デモ活動にも見えるし…
何か特別な商品の売り出しのようにも…
いや、ある人気のスターのイベントのチケット販売!?

まぁ~とにかく、お年寄りから、
おじさんおばさんそして、若い人まで、
その顔ぶれは世代を超えて色とりどり。
宝くじは、それだけ多くの人たちを
引きつける魅力があるってこと?

江戸時代の富くじにも多くの人たちが
集まったというから、300年以上も続いている
公の賭博とも言えるのだ。
(怪しい富くじも現れ、
やはり禁止のときもあったようだが…)
普段、精を出してコツコツと
働いている庶民にしてみると
たまには夢を見たいと言うことなのだろう。

そういえば、富くじを題材にした落語が…
え~っと、「水屋の富」だったと…
江戸時代には、天秤棒をかついで
毎日水を売る水屋が存在した。

その水屋の“親八”が独り者で身寄りなし。
たまたま買った富くじを持って湯島天神に行くと…
「アハ~!タ~タッタタッタッタッタッ!!」
千両も当ってしまった。
これでついに儲からない水屋を
やめられると思うのだが…

まずは、代わりがみつかるまではやめられない。
とはいえ、こんな大金を持っては商売に出られない。
そこで、あれこれと悩んだ挙句、畳を一枚あげて
根太板をはがし、そこに通っている丸太に
五寸釘を打ち込んで先を曲げ、そこに金包みを引っかけた。

これで安心と思って商売に出たものの、
まだまだ疑心暗鬼は治まらない。
だれもが泥棒に見えてくる始末。

おかげで仕事もはかどらず、
お客様からは文句を言われる始末。
夜も安心して眠れず、夢は強盗に襲われ
金を奪われる夢ばかり。

そして隣に住んでいるヤクザ(?)。
賭け事にも負け続け、日々金が欲しいとぼやいていた。

すると隣の水屋が毎朝竿を縁の下に突っ込み、
帰るとまた同じことをしていることに気がついた。
こりゃ何かあるな…!?と思い留守中に忍び込み
根太をはがすと…
案の定金包みがぶら下がっていた。

そして、しめたと狂喜して、そっくり盗んで
逃げてどこかに行ってしまった。

仕事から帰ってきて、いつもの様に
竹竿で縁の下をかき回したが…
根太をはがしてみても、金は影も形もない。
「ア~、金が無い!俺の金が…
これで今晩からゆっくり寝られるな」
という結末なのだが…

私もそうだが、若い頃何度か
宝くじを買ったことはあるのだが…
ほとんど、その宝くじが当たっているかどうか、
番号合わせもしたことがないのだ。
てことは、そこに期待してないってこと。

間違って当たると、せっかくの人生が
それを起点に歪んでしまうことになるかもしれないのだ…
ということで、私自身は宝くじは
買わないことにしているのだが、
まぁ~今、当たればそのお金はワイナリー構想に
活用されることになるわけだが…
それにしても、ワイナリーづくりにかかる
お金の算段がまた大変で面白くも思うのだが…

果たしてみなさんはどうなのだろう!?
しっかり、買って期待して…
ワクワクしながら番号合わせするタイプ!?
それとも私のようにそこに期待しないタイプ!?

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すご~い人

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今年は10億円

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1番窓口は人気!

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選ばれる仕事道

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2015

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チャレンジ精神を残すは上

「財を残すは下、
事業を残すは中、
人を残すを上とす。」

これは、その昔政治家の
後藤新平が語った言葉と聞いた。
その意味は、お金を残しても
余計な争いを生む原因になってしまうし、
事業はいずれなくなってしまうかもしれない。
人こそ、無限の可能性を
持っていて残す価値があるということ。

そんな言葉をふいに思い出したのは、
私の故郷である北海道で、
「MEMUROワインヴァレー研究会」が
発足した記念イベント。
本来この構想は何を目的としているかを、
そこで改めて考えさせられたからだ。

MEMUROワインヴァレー研究会は、
私が起ち上げた株式会社十勝里山デザイン研究所と
一緒になって、北海道十勝(芽室町)で数十年の時をかけ、
みんなが注目するワイナリーをつくろうというもの。
(そうした志に賛同してくれた研究会の仲間は、
すでに20名以上いるのだ)。

そのイベントには、金融機関や役所関係者、
地域の自営農家の方など
十勝中から50名を超す人たちが参加してくれた。

この事実には大きな意味がある。
言うなれば地域のまちづくりや、
産業の活性化を能動的に応援しようという人達が
50名以上も集まったということにつながるからだ。
つまり、まちづくりをテーマに、
協力してくれる人たちと
実際に運営する株式会社がうまくかみ合ってこそ、
この構想が順調に推進していくのだ。

大事なのは、ワイナリーの完成ではなく、
そこで多くの人が動き出すこと。
そしてそのプロセスを参加した人が経験することこそ、
いろいろなチャレンジ精神を
養った人づくりができるということなのだ。

そこで、先ほどの後藤新平の言葉につながるのだ。

私たちの使命は、美味しいワインを
つくることなのか? いや、違う。
ぶどう畑も含めた大きなワイナリーを
つくることなのか? それも違う。
きっと、ワイナリーづくりを通じて、
地域を活性化させ、
そこにいる人を元気に
できる人をつくることなのだろう。

後藤新平の言葉を中島流に表現するなら、
「ワインを残すは下、ワイナリーを残すは中、
ワイナリーへのチャレンジ精神を残すを上とす。」だろうか。

20年、30年、50年もかかると
いわれるワイナリーづくり。
それにチャレンジし続ける精神、
志を持つ人を残すことこそが、
北海道十勝ワイナリー構想の仕事道なのだ。

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イベントに集まった大勢の人

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Mr.セイージも参加したよー

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大勢の前で堂々と発表!

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ファインスピリッツキーワード

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2015

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“奥行きある正義”

今年も残るところ、あと二週間足らず。
日経MJが発表した「2015年ヒット商品番付」を見てみると、
この一年を振り返ることができる。

番付なのでもちろんランキングは横綱、大関…
などと表現され、西と東でそれぞれ分けられている。

西の横綱はラグビーワールドカップで活躍した、
「ラグビー桜ジャパン」。
東の横綱には、東京-金沢間を2時間28分で
移動することができる「北陸新幹線」が選ばれた。

ほかには又吉直樹氏の『火花』、「夏の甲子園」などが選ばれ、
確かにそんな話題で湧いたな~と思い出す。

トレンド商品が多い「2015年ヒット商品番付」ではあるが、
その中でも中島流の視点で注目するのは、
ドラマ化もされた『下町ロケット』だ。
(私は偶然2度ほど観ただけだが…
あ、しかし最終回はしっかりと!)

あの『半沢直樹』の原作者である池井戸潤氏の小説で、
ドラマでは平均視聴率20%以上の回もあったという。

さて、なぜ『下町ロケット』『半沢直樹』は
それほどヒットしたのだろうか?
私が思うに、『下町ロケット』『半沢直樹』には、
多くの人が求めている価値観があるのだ。
すなわちそれは道理であり、正義。

多くの人が本来「こうありたい」と願う
理想の在り方を描いている。
そうすることにより、物語に
“奥行き”が生まれるのだ。
著者の池井戸潤氏はそのあたりを
意識しているのではないだろうか?

私がよくビジ達でご紹介している
ソリューションビジネスにも、
上記の「正義」が存在する。

多くの人がソリューションビジネスに取り組むのは、
そこにビジネスとしての“奥行き”があるからだ。
“奥行き”は多くの人にとって信頼感をもたらし、
魅力的にも映る。

今や多くの人々が上辺だけでなく、
“奥行きあるもの”に惹かれる時代に
移り変わっているといえる。

中島流の“パラダイムシフト75”の転換期でもある現在、
経済優先型から新たな時代の変化の表れとも言えるだろう。
人々はそこに“義”があるかどうか、
“道理”があるかどうかを重視し始めている。
これこそが今回のファインスピリッツキーワード、
“奥行きのある正義”につながるのだ。

これからの時代は確実に
“奥行きのある正義”に傾いていくだろう。
もはや生活者は、“金儲けの商品”にはなびいていない。

独自の価値観を持つものや、
何かを追求したからこそ
“奥行き”が生まれたものに対して、
人々は惹かれてしまうのである。

一時的な流行で盛り上がったとしても、
それは長く続くことはないだろう。
これは半ば私の願望も入っているが、
“奥行きのある正義”は今後もっと多くの人々から選ばれ、
長く生き残っていくことだろう。

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これが「2015年ヒット商品番付」だ!

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2015

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“Bianchi”ブランドの幅と奥行

あれから2年と数ヵ月。
このギアチェンジのできない
自転車であちこち走り回らせてもらった。

坂を登るときは、決まって腰を上げ
ペダルを踏んできたのだ。
そして、神楽坂付近はとにかく坂が多いからねぇ。
お陰様で、だいぶ足腰が鍛えられた気分。

自転車が坂道対応してくれない分、
私のカラダが坂道対応してきたということ。
こんな日々が実のところ私のカラダと
精神を磨いてくれていたのだ。

なのに、なのにだ…
そのメカのカッコよさと、
スポーティな雰囲気、
そして世界ブランドに負けてしまった。

ギアチェンジは10数段もある自転車(?)…
いや、ロードバイクを購入してしまったのだ。

それもイタリアの“Bianchi(ビアンキ)”ブランドを!
私も世界の自転車に詳しいわけではないのだが、
店の人の話とネットによると、
この“Bianchi”ブランドは現存する中では、
世界最古の自転車ブランドだという。

1885年から自転車の生産を開始したというから、
もう130年の歴史を持つブランド。
日本の時代的に言えば、明治維新から18年後のときだ。
(古い~~~、けっこう昔だぁ~~)

日本が世界で一番、100年を超すブランドが多いというが、
130年経った今もイタリアの“Bianchi”は世界に人気も
実績もあるブランドだということ。
(うんうん奥行を感じる)

あのツール・ド・フランスでも、
“Bianchi”のロードバイクは何度も
優勝しているという。
(スゴ~い!)

はっはっはっ…
その“Bianchi”の自転車が…
いや、ロードバイクが、
ついに私が乗るものになったのだ。

その“Bianchi”で先程、神楽坂の坂道を登ってみた…
お~軽~く、ラク~に登って行くではないか。
腰を上げなくとも、ラク~に登っていくのだ。

これまでの日々は何だったのか。
坂道の度に気合を入れていたあの日々は…

ところで…自転車がこうなってしまうと、
私のカラダは、なまくらな状態に陥ってしまう。
坂道が来ても気合を入れずに通り過ぎてしまうことに。

あれほど、このギアなしの自転車の
効用を語っていたのにだ…

まぁ、これも時代の流れ。
還暦も過ぎたことだし、カラダに対しては
少しは優しくしてあげよう。
“Bianchi”は、還暦まで健康に
頑張ったことへの自分からの
ご褒美としよう。
(都合のよい解釈だが…)

それはともかく、“Bianchi”のこのロードバイクは
とにかくカッコいいし、美しい。

やっぱり130年という年月は、
メカ的にもデザイン的にも
そして、ブランド的にも“奥行”を
創りだすプロセスだったのだろう。

そこで、中島流の極意。
これからの社会で選ばれる理由として、
この“奥行”という言葉を発信したい。

まさに“奥行”を感じられるモノ・コト・ヒトに対して、
人々は選びたいと思うということだ。
(うんうん、“奥行”には深い意味が感じられる)

私自身も、“Bianchi”でラクに
神楽坂を登りながらも、人間的な“奥行”を
身につけなければ…

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ギア付

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NEWロードバイク

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はなまるア・ラ・カルト

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2015

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赤塚不二夫の存在理由

「ぼくはいつも漫画を描くとき、
フキダシの中に字でセリフを書いてきたが、いいかげんあきてきた。
そこで今回は、フキダシの中に絵を描いて、
絵の場所には字を書いてみようと思って。ワハハハ」

こんなことを語っていたのは、漫画家の故・赤塚不二夫氏だ。
赤塚氏の漫画作品に登場するキャラクターといえば、
おそ松くん、チビ太、イヤミ、ウナギイヌ、ニャロメ…、
そして世代を越えても知っている人は多いであろうバカボンのパパ!
私が物心ついたときには、すでに「おそ松くん」が連載されていた。
なんと1966年には、テレビアニメが放送されていたのだ。

赤塚氏といえば、
漫画の神様と呼ばれる手塚治虫氏ら
著名な漫画家が住んでいたことで有名な、
「トキワ荘」に集まっていたメンバーの1人である。
石ノ森章太郎氏や藤子不二雄氏ら漫画家の大御所たちと共に、
漫画における昭和の一世代をつくりあげてきた1人だといえるだろう。

今回、赤塚氏の生誕80周年の企画展
「赤塚不二夫のビチュツ展」に行ってきた。
「天才バカボン」の作風から見てとれるように、
この企画展はいたるところにユーモアが溢れかえっていた
(バカさ加減と言っていいのだろうか…)。

この展示は名立たるトップクリエイターたちが
赤塚作品のキャラクターをモチーフにした作品を展示しているほか、
80周年を記念して発行された書籍も置かれており、
冒頭にご紹介したセリフはそこから抜粋したものだ。
赤塚氏は普通の漫画家ならばやらないであろう、
エキセントリックな試みをしていることが多い。

例えば、自分もアシスタントも全員右手を骨折してしまったので、
左手で漫画を描きましたというもの
(もちろん骨折したというのは、赤塚氏のジョーク)。
ものごとを突き詰めていった人だからこそ、
従来の秩序にとらわれず“アナーキーな笑い”ともとらえられる
自由な表現方法を思いつくのだろう
(アナーキー、この言葉も昭和の香りがする言葉だよね)。

著書の最後には
「オレはとにかく、人のやらない漫画を
描いていきたいと思ってきたから、
それができたんじゃないかと思うんだ。
誰も描かない漫画、これが1番強いんだよ」という言葉が綴られていた。
赤塚氏が第一線で活躍してきた結論が、
この言葉にあらわれているのではないだろうか。

やはりどんなことでも、他の人がやらないこと、
そして自分だから出来ることを発見できれば、
それは自分の“存在理由”になるはず。
バカバカしさが痛快な作品の数々、びっくりするような行動、
そういったすべてに、赤塚氏が考えて追求してきたものが
つまっている気がしてならないのだ。

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なつかしいキャラクターがいっぱい

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なんだか気になるポスターだ・・・

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「ビチュツ展」に行ってきた!

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ユーモアが溢れている展示会場だった

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赤塚氏の関連書籍もおもしろい!

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