これからの選ばれるビジネス!

これからの選ばれるビジネス!中島セイジのビジネスの達人

HOME

ビジネスの達人

シナジースペシャル

10/18
2021

syn_1018

“三尺三寸箸会議”の功徳(くどく)

三尺三寸箸会議はついに10年目に入ることに。
ちなみに、“功徳”とは仏教用語で、
“善を積み重ねその結果としての利得”のこと。

“三尺三寸箸会議”は経営者のための未来戦略会議
として始めたαクラブから派生し、
第1回が2011年なので、もう10年目。
経営者が2ヶ月に一度集まり、10名ほどで会議を
しているのだが、現在その会議体は4チームある。
ちなみに各会議のメンバーは固定で、
7~8割のメンバーは発足時から継続している。

その4つの会議の名称と回数は、
“銀の会議”は56回目で10年目、
“プラチナ会議”は52回目で9年目、
“宙の会議”45回目で7年目、
“星の会議”44回目で同じく7年目。

なぜ“三尺三寸箸会議”と名付けたか。
これはもともと仏教の話になるが、
地獄と極楽の見学にでかけた人が見た
“ご馳走を目の前にした食事風景”が大きく異なっていた話だ。
地獄も極楽も三尺三寸(約1メートルほど)の長い箸を
使い食事をしているのだが、
地獄の住民はその長い箸で自分の口に入れようとするから
食べられずにいる。従いガリガリに痩せてしまっている。
一方、極楽の住民は長い箸で目の前の人に
相手が好むご馳走を差し出し、お互いに食べさせてあげていた。
従いここでは皆、朗らかでふくよかだった。

このように条件が同じでも、自分の利益だけを考え行動している
地獄の住民と、他人の利益や幸せを願い行動している人では
結果が違ってくるというお話だ。

話は戻り、“三尺三寸箸会議”では、
毎回一人の経営者が、経営の悩みや
経営者としての個人的な悩みの相談をプレゼンテーションする。
すると、参加している他の経営者は、
同じ会議の仲間のために自分の経験をシェアしたり、
自分だったらどうするかを真剣に発想し、
アイメッセージで発信する。
そうすることで、最終的には自分がプレゼンターのときに
他のメンバーから返ってくるということ。
すなわち、“功徳”として戻ってくるというわけ。
だから私がコンサルとしてお話するのではなく、
私もあくまでメンバーの1人でしかないのだ。
うんうん、意味あるネーミングだったということ。
(少し自画自賛)

またメンバー同士は、他ではなかなか言えない悩みを
話せることで、かけがえのない信頼できる
経営者仲間となっていくのだ。
ちなみに、会議では、経営者が込み入った相談もするので、
毎回“内密性に関する規約”の読み合わせをしていることも
加えておく。

皆さんも、自分の利益ばかりではなく、他の人のために
その人の立場にたって真剣に考えてみては・・・?
きっと“功徳”につながりますよ!

syn_1018

久々にリアルで9人集まった銀の会議

ページTOPへ
モバイルショット

10/11
2021

moba_1011-1

『レアンドロのプール』の非日常が求められる⁉︎

私が着けてるのは、
シュノーケルじゃなくコロナ対策用のマスク。
(そのくらい分かるか⁈)

さて、ここは金沢の“21美(21世紀美術館)”の大人気の
『レアンドロのプール』。
すでにこの不思議なプール体験をした人も多いはず。

今や、このプールの中に入るには、登録しての順番待ち。
そして滞在時間は5分とされている。
このコロナ禍により人数制限してることもあるからだろうが、
とにかく人気のようだ。

みなさん自撮り含め、まずはスマホを構える
『レアンドロのプール』。
私も仲間がいないことから自撮りとなってしまうわけだが…

それでもプール内から手を振ると、
上から下を覗いている人が手を振ってくれる。
プールの水の下に人がいるという独創的なアイデアは、
オープン当初から話題だったという。

水の揺らぎで、上から見下ろす人と、
下から見上げる人のお互いの顔がぼやけてしまうことで
安心感が生まれ、つい手を振ってくれるのだろう。

これも“レアンドロ”の狙いだったのだろうか⁈
『レアンドロのプール』の作者レアンドロ・エルリッヒは
アルゼンチンのブエノスアイレスを拠点に活躍するアーティスト。

ローマ現代美術館やMoMA PS1など世界有数の美術館でも個展を開催。
森美術館で開催された「レアンドロ・エルリッヒ展」では、
延べ61万人を動員したという。

彼の作品には、ある種の驚きがあり、
私たちの日常に“非日常な体験”を与えてくれる。
そう、こんな爽やかな“非日常”が求められる時代背景だってこと。

社会の成熟化は、“モノを求める”から“コトを求める”へ移った。
それも“非日常な体験”が求められているわけだ。
あれっ⁈これって20年前から、いや30年前から求められていたかも。

ふっふっふっ、求められる“非日常な体験”は
時代とともにどんどん変わってくるってこと!
次なる“レアンドロのプール”体験はどこに⁈


moba_1011

非日常の驚きあふれる作品

ページTOPへ
ファインスピリッツキーワード

10/11
2021

tre_1_1004

令和のプロフェッショナルも“守破離(しゅはり)”を繰り返す!

“守破離”とは千利休の訓をまとめた
『利休道歌』にある、「規矩(きく)作法 守り尽くして
破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

すなわち、「修業に際して、まずは師匠から教わった型を
徹底的に“守る”ところから始め、師匠の型を身につける。
その後、他流派の型なども含めそれらと
自分を照らし合わせて研究することにより、
自分に合った型を模索し試すことで
既存の型を“破る”ことができるようになる。
さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と
自分自身で見出した型の双方に精通したら、
既存の型に囚われることなく、
型から“離れ”て新たな流派が生まれる」ことを言う。
(Wikipediaからですが・・・)
 
先週のビジネスの達人でも紹介した葛飾北斎は
この“守破離”を繰り返し、世界へと影響を及ぼすに至った。

改めて、北斎を辿ると・・・、
子どもの頃から写生をしていた北斎は、
手先も器用であったことから14才で木彫り職人に弟子入り。
19歳で役者絵師の勝川春章のもとに入門。
まもなく、“勝川春朗”の名を得て20歳には浮世絵の世界に登場。
その好奇心に富む性格から内緒で狩野派(日本絵画史上最大の画派)や
洋画を学び、それがばれて破門となる。
これを発端に波乱に富んだ絵師人生になる。

破門されたことで生活に窮したりもするが、
絵に対する情熱は高まっていく。

40歳以降、“葛飾北斎”と号し、どの画派にも属することなく、
独立した絵師としての道を拓いていった。
50歳過ぎで「北斎漫画」を描き、人気が出、
60歳過ぎで「富岳三十六景」を発表。 
75歳にて“画狂人”と号し、90歳まで絵を描き続けた。

このように北斎は年齢とともに、変化し、
“守破離”を繰り返していったということ。

さて、そこで話は現代のことになるが・・・、
私たちを取り巻く環境では、先端技術の進歩で
これまでにはなかった様々な道具が用意されている。

例えば、絵を描くにしても、もはや画材としての
絵の具も画用紙も筆も不要で、マックやiPadにて
絵もかけるし、動画も創れるようになった。
あるアプリを使えば、一人でも効率よく
アニメーション動画を創ることもできるのだ。

新しい技術を貪欲に取り入れ、北斎の時代の“守破離”とは
ちょっと違う、新しい時代の“守破離”を繰り返して
いかなければならない。

令和のプロフェッショナルはこの新しい時代の“守破離”を
“スピーディ”にして、今の時代のセンスにあったものを
提供していくことが求められている。

ビジネスも能動的に時代の先端を取り入れて
“守破離”を繰り返していかないと・・・遅れていきますよ!

key_1011

世界に影響を及ぼした北斎は“守破離”の達人

ページTOPへ
選ばれる仕事道

10/11
2021

sgt_1011

超イノベーター!? イーロン・マスク

イーロン・マスクと聞き、
EV車のテスラやロケット開発のスペースXを
思い浮かべることだろう。
私の経営者仲間で5人ほどがテスラに乗っていて、
「何故みんなテスラにしないんだろう?」
と一様に言っているのだが・・・。

先日のモバイルショットでも紹介した
“Techno King イーロン・マスク”を読み
見えてきたことがあるので紹介する。

イーロン・マスクは、南アフリカ共和国、ブレトリア出身、
カナダの大学に進学。
24才の時にZip2社を起業。4年後に約3億ドルで売却。
その後、インターネットによる送金決済サービスを
行うX.com社の共同設立者となる。
この“X.com”がライバル会社との合併によりPayPal社となり、
2002年の売却により約190億円を手にした。

この資金を元手にして、イーロン・マスクは、
2002年に宇宙事業へ乗り出したという。
それが“スペースX”だ。
それは、“いつの日か地球に人類が住めなくなる”
との危惧から“火星移住”の発想がベースになっているという。

だが、たやすくは成功とはいかず、
2008年の9月に4回目のチャンレンジで
ようやくロケットが上がった。
イーロンは度々口にする
「たかか失敗だ。失敗しないでイノベーションは起こせない」と。

そして2021年ついに、“スペースX”は世界で最初に
一段目ロケットを大気圏の終わりまで打ち上げ、
地球に戻すことに成功させた。
再生可能なロケットの実現に向けた
大きな一歩になったという。
宇宙事業を手がける会社はいくつかあるが、
まだ歴史の浅いイーロン・マスク率いる
“スペースX”が成功したのは快挙だった。

“スペースX”は、NASAを“不平等な随意契約”で、
米空軍を“他社と結んだ長期契約”で訴訟。
結果的にはNASAには勝訴、米空軍とは和解をし、
今や、NASAも米空軍も断然コストの安い
“スペースX”と契約を交わしている。
民間宇宙開発はボーイング社をさしおいて
“スペースX”中心に回っているという。

また、イーロン・マスクは2003年創業のテスラモーターに
650万ドルの出資をすることに。
その後、“テスラ”に名称を変えることになるのだが
今やテスラの開発するEV車は、
1回の充電で走行距離644キロ(東京→岡山間)を走り、
4.2秒で時速92キロを実現することに。
今では、時価総額ではトヨタを上回る。

イーロンの事業展開の根底には、
“サスティナブル社会の早期実現”があるように感じる。
地球の環境悪化を食い止め、人類と地球を救うためのビジネスだ。
そして、今の時代にあったスピード感あるイノベーションを
実践しているのがイーロン・マスク。
失敗を恐れず、まずはチャレンジする姿を見ると、
まさに“動中の工夫”主義者と言ってもいいのかもしれない。
今後もイーロン・マスクから目が離せない。

sgt_1011

スピード感あるイノベーションを実践

ページTOPへ
モバイルショット

10/04
2021

moba_1004

たかが失敗だ。失敗しないでイノベーションは起こせない!!

【たかが失敗だ。失敗しないでイノベーションは起こせない!!】

このイーロン・マスクの言葉を読んだ時、
満島ひかりのあのCMを思い出した。
「リスクを冒さないことこそ、最大のリスクだ!」
「グサッ‼︎」である。
そのCMの意味や効果より、この言葉が私にも“グサッ”と!

このイーロンの経営者としてのスゴさを描いた本には、
2015年のクリスマスが近づいた12月のその瞬間のことが
こんな描写で書かれていた。

↓ ↓

“ファルコン9”の20号機は、打上げ開始から2分後に
1段目ロケットエンジンを停止、
2段目の切り離しと同時に2段目ロケットエンジンが点火。
そして予定軌道へ。

一方、分離した1段目ロケットは機体の向きを変え、
エンジン部分を下にして
着陸地点のケープカナベラル目がけて降下を開始。
音速を超えるスピードで着陸地点を目指して落ちていく。
その後、時速を約5000kmから一気に半分まで減速。

ケープカナベラルの着陸場が視界に入り
ランディング噴射を開始。
機体に格納していた4本の着陸脚を一気に広げ、
急減速した“ファルコン9”の1段目ロケットは
ランディングにふわりと着陸した。
(『TECHNOKING イーロン・マスク~奇跡を呼び込む高速経営~』
竹内一正著)

↑ ↑

イーロンはもちろん、関係者は大声を張り上げ、
跳び上がって喜んだに違いない。
ロケット開発史上初の快挙である。
“スペースX”が1段目ロケットの着陸に成功したのは
7回の失敗を重ねた後。
“ファルコン1”の打ち上げ成功は3度の失敗の後だった。

イーロンは常々言う
“たかが失敗だ。失敗しないでイノベーションは起こせない”と。
このトップの失敗を恐れない姿勢が、
技術者達に挑戦への勇気を与え、ブレークスルーをもたらすわけだ。

もちろん、テスラのEV車づくりに於いても
度々失敗するわけだが、
このイーロンの考え方と行動力が、周りの関係者の勇気となり
奇跡を呼び込む“高速経営”を実現しているのだろう。
“持続可能な社会”を目指し取り組むイノベーターは
このぐらいの使命感とチャレンジ精神を持たないと
そこには辿り着けないのだろう。

こんなイーロンの話を読むと、
経営者として武者震いのようなものが走るのは私だけだろうか?!

moba_1004

イーロンの考え方と行動力が奇跡を呼び込む

ページTOPへ

BACKNUMBER

ページTOPへ